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日々これ勉強(2002年8月の後半の2)

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十五夜お月さん見て8月(の後半の2)

(8/21) いい加減長いわよ! と飽き飽きしてる方もおられるかもしれませんが、えーと、スイス旅行記もようやく折り返し地点にきました(にこ)<っていうかまだ半分かよ! 微に入り細に入りどうでもいいような描写がダラダラと続く長い話を毎日読むのは辛いでしょうが、安心してください、書いてる方はもっと辛いです(苦笑)。自分のためにも、後半はもうちょっと短くまとめたいと思っていますが、実は写真がまだ400枚以上ある(なんとまあ)ので、そうは問屋が卸さないでしょう。覚悟していてください(にっこり)。さて、無駄なつなぎはこのくらいにして・・

 スイス滞在の中間点となる本日水曜日は、氷河特急の中間地点であるアンデルマットの町で朝を迎えたわけですが、あまり天気は良くありません。外を見ても山の方は曇がかかっていいて小雨がぱらついています。シャワーを浴びて朝食を食べにグランドフロアのレストランに行ってみると、すでに他の人たちは食事を始めておられました。朝食はやはりどこも同じような料理みたいで、シリアルにミルクをかけてパンとチーズとヨーグルトを持って、みんなと同じテーブルへ。飲み物はいつも通りコーヒーを注文。そうしてひとり遅れ気味の食事をしていると、予定より早くナグラの方々が到着されました。予定では9時に迎えにきてもらうことになっていたのが、8時過ぎに来られたため出発は8時半ということに。さっさと朝食を済ませ、荷物をまとめてそれぞれチェックアウト。現金が尽きていたのでトラベラーズチェックでの支払い。全員集合して、ナグラの地下研究施設のあるグリムゼルへ向けていよいよ出発となりました。ナグラから来られたのは二人で、Y田先生とお知り合いのナグラ従業員のK来さんと、もうひとりは結構前からナグラの研究に協力している日本の企業から派遣されてスイスに来られているというS村さんでした。そのお二人がそれぞれ運転される車に我々は別れて乗り込み、雨の降る中、アンデルマットの町をあとにしました。

 昨日も歩いた石畳の道を通って、西へと延びるアスファルト舗装の道路(つまりこの道ね)を2台の車は走っていきます。M村先生とT辺氏と私が乗ったのはS村さんが運転される車で、まだスイスに来て2週間しか経っていなくて、車を運転するのもようやく慣れてきたところだとか(スイスの道路は右側通行で車は左ハンドルだから)、乗っていた車は会社が借りているレンタカーですでに何台目からしく、こちらではある日突然レンタカー屋から連絡があって「お前の車は売れたから返してくれ」と言われることがあるとか(もちろん代わりの車はちゃんと貸してもらえるが)、キリスト教の慣習は根強く守られているらしく金曜は午後早めに店が閉まるし日曜日はことごとく休みになってしまうので買い物が大変だとか、でもそのくせ日曜日に出し抜いて開店しているスーパがたまにあるとそこにどっと人が群れてくるので「やっぱみんな必要としてんじゃん」という微笑ましい話などなど、車中では興味深いことをいろいろ伺いました。そんな話を聴きつつ、車はどんどん九十九折りの山道を登っていきました。登り始めはまだ小雨が降っていましたが、氷河地形のU字谷にある集落が見下ろせるような高さまでくると、いつの間にか雨も止んでいました。この辺りから、道路の折り返しが細かくなり、見る見る間に標高が上がっていくのが判ります。ただ、霧というのか山が雲の中にあるだけなのか視界はあまり良くなく、せっかく見晴しが良さそうな山を登っているのに、残念ながら遠くの方までは見渡せません。しかも法律かなにか定められているらしく、傾斜が急な山腹を登っているにもかかわらず、ちょっと間違えば谷底に落ちそうな道路にはガードレールも無く一定間隔で小さな棒が並んでいるだけだから、なかなかスリリングです。実際、年に何回か転落事故はあるそうな。それからそうそう、酪農国でもあるスイスでは、道路上においては牛とか羊などが最優先され、それらが道路を横断しているときはどんなに渋滞することになっても車は停まって待たなければならないそうです。そしてそんな話を聴いていると、偶然にもちょうど牛の移動に遭遇し、しばらく待つことに。こんな高いところでも放牧はされているらしく、牛が糞を垂らしながら道路を横断していたところには、酪農家の家らしき建物もありました。やっぱり花で飾られていますね。再び動きだしてさらに高いところへ登っていくと、今度は羊かヤギか微妙な感じの動物が道路を横断するところに遭遇。こんな絶壁から急な斜面を4本足で難なく下りて行っていました(転けたら下まで転がっていきそうな体つきをしていますけど)。ひょっとしたら彼らの移動のためにガードレールが無いのかもしれません。

 やがて峠らしきところに差し掛かったところで、前を行くK来さんの運転する車が道路脇に停車。何事かと思って外に出てみると、そこには見事な露頭(テクニカルタームか)が姿を現していたのでした。なるほど、これは地球科学に携わるものとしては見ておかずにはおれないわな、という代物。さっそくみんな外に出て露頭を調べ始めました。ここまで目に付くのは牧草ばかりで岩石が露出しているところは少なかっただけに、いきなりこれだけ大きな露頭が現れるとなんだか嬉しくなってきますね(笑)。アルプスの造山活動の痕跡を伺い知ることができます。近づいてさらに観察してみると、泥岩や砂岩が圧力を受けてスレート状になって割れている様子がよく判ります。上を見上げると、今にも崩れ落ちてきそうな感じです。露頭の反対側はこんな崖になっていて、こっちはこっちで霧の海に吸い込まれそうです。岩石をもっと近づいて見てみると、縞模様なんかもハッキリと見て取れます。ここに堆積岩があるということは、ずっと昔は海の底だったというわけですからねぇ、アルプスの造山活動の規模を伺い知ることができるというものです。そして、冷たく纏わりつく空気に震え、標高の高さを知るわけでして、露頭観察は10分ほで切り上げ、一行は再び研究所を目指して車に乗り込むのでした。

 その後、滝のような川がいくつも流れる大きくて白い洗濯板みたいな山肌に見とれたり(しかし上手く写真に撮れず)しながら峠をもうひとつ越え、ようやくナグラの地下研究所のある渓谷に到着。研究所の入口へ向かう前に、ダムのあるところで一度車を降り、周りを観察しました(霧で何にも見えないんですが)。これがそのダムの堤防。ぐるりと水が溜められている方を中心に見るとこんな感じで、近くには凄い迫力で山が切り立っています(その下で花の写真を撮っているのはY本先生)。とよそ見をしているうちに辺りはすっかり霧の摩周湖状態(見たことないけど)。いつまでも油を売っていても仕方ないので、さっさと車に乗り、ちょっと下ったところにあるナグラの地下研究施設の入口前に移動。何故ダムの近くに研究所があるのかというと、上流には発電所があってその発電所へと通じる道が山に掘られたトンネルとなっており、そのトンネルを利用して枝分かれするように研究施設が作られているからなのです。つまり地下といっても入口からほとんど下に下ることはなく、水平に掘られた坑道がそのまま研究施設になっているしだい。ちなみに、冬に道路が雪で閉ざされたときのために、ここには下界に通じるロープウェイが敷設されていて、その発着場が隣にあるのでした。そんな地下研究施設の入口前に到着したのが午前11時頃。入口は車も通れるほど大きいのですが、実は扉は中から開けてもらうしかないらしく(まさか他に方法が無いとは思えませんが)、扉の外から連絡をして少し待つことに。入口のところまで中から車でやって来るとのことでしたが、それでも5分はかかるらしい。というわけで、その待ち時間を利用してT辺氏と私が、近くにあった掘建てトイレに駆け込み用を足すことに。我慢してたんだねぇ(笑)。そのトイレの近くでは、カウベルを付けた牛が草をはんでいました。どこにでもいますね(どこにでもはいないけど)。なんてやってるうちに、オレンジの扉はスライドして開き、慌てて車に乗り込んで、2台ともなんとか入口をスルー。まっすぐ続くトンネルの先は闇に溶け込み、点々と灯る左右の誘導灯だけが人の存在を感じさせる空間。気分は何故だかサンダーバード。ジェットモグラのイメージか。あのメインテーマが頭を流れ出す。タッタララ〜、タッタラタッタラタッタッタ〜(合ってる?)。

 というわけで、これが国際救助隊(解らない人はお父さんお母さんに訊いてね)が進入していったそのトンネルである(入口を振り返って)。外よりは若干気温が高い気もしますが、ひんやりしていて肌寒いのには変わりありません。車から降りて鉄の扉の中へと案内され、いよいよナグラの研究施設内部へ。研究施設といっても、入口付近には我々のような見学者用にパネルなどが展示されており、そこは至って普通の事業所内部のような造りでした(普通の事業所というのがどいうものなのか知らないので勝手なイメージですが)。地下なので窓が無い(部屋と部屋の間にはある)のは当たり前なんですが、その点だけは真賀田研究所と共通の特徴でしょうか(笑)。えっと、真賀田研究所って何?という人は、森博嗣先生の「すべてがFになる」を読んでみてください(宣伝か)。ちなみにパネルには研究施設全体の鳥瞰図(主に坑道)などが描かれていて、大きな1本のトンネルから延びる各坑道で、幾種類かの実験が行なわれているようです。その坑道の見学はのちほどさせてもらうということで、まずは階段を上がった2階部分にある講義室のような部屋に通され、そこでナグラとその活動に関する説明を1時間ほど受けることになりました。壁にはこの研究施設のある場所(赤丸の辺り)を含んだ広い地域の航空写真が飾ってあります。大きな氷河が近くにあることが判りますね(現在ではもうちょっと後退してるんでしょうけど)。部屋の後方に置いてあったコーヒーメーカで作ってもらったコーヒーをいただいてから、ナグラ従業員のK来さんによるOHPを使った説明が始まりました。

 最初はスイスの国自体についての簡単な説明。南側にアルプスがあって開けた町は北側に多いなどの国土のこととか、日本でいうところの都道府県にあたるカントンという自治体がスイスには26あって、それぞれが結構な政治力をもっているらしいとか、公用語にはドイツ語と、フランス語イタリア語ロマンシュ語の4つがあり、この順番で使用人口が多くドイツ語が73%であることなどなど。その後、このナグラが設立されることになった経緯として、まずは放射性廃棄物の基礎知識みたいなところから説明されました。放射性廃棄物にはその放射能レベルに応じて大きく3種類に分類されており、操業中の原子力発電所などで使用された核燃料などの高レベル放射性廃棄物と、すでに操業停止した原子力発電所などから出てくる放射化された物(燃料の入っていた入れ物とか)などの半減期の長い核種を含むTRU(何の略かは忘れた)と呼ばれる中レベル放射性廃棄物、あとは医療廃棄物などに含まれる中低レベルの放射性廃棄物があるそうで、ここグリムゼルの研究施設で研究対象となっているのは、主に中低レベルの放射性廃棄物だとか。地層処分の候補地としては、スイス北部の堆積岩地域と、この研究施設のあるアルプス山脈の花崗岩地域があるらしいのですが、アルプスは今でも年間数ミリメートルずつ上昇しているため、放射能が弱くなるまで10万年以上もの長い時間を必要とする高レベル放射性廃棄物をそこに埋めるわけにはいきません。未来の世界でひょっこり廃棄物が地上に顔を出すようなことがあってはまずいので、ずっと将来に渡って安定しているであろうと考えられる岩体の中に埋めなければならないのです。したがって今のところ高レベルなものは堆積岩地域に埋められる方向で別の研究施設にていろんな実験が進められているとのこと。そして、比較的放射能レベルが低いTRUや中低レベルの放射性廃棄物が埋められる予定になっているのがアルプス近くの花崗岩体で、辺り一帯が花崗岩体であるこのグリムゼル研究施設ではそれらの埋蔵を想定した実験が行なわれているそうです。専門用語ばかりで申し訳ありません。

 そうそう、書き忘れていましたが、そもそもスイスはそんなに原子力発電を推し進めている国ではないようで、「今後も原子力発電に頼っていくべきかどうか」の是非を問う国民投票が何度か行なわれ、その度に結果が二転三転し、近々また最終的な投票があるようなことを聴きました。おそらく今後は原子力発電所を作らない方向で行くだろうとのこと。ではなぜ、放射性廃棄物の地層処分の研究が行なわれているのかというと、当たり前のことですが、現在操業中の原子力発電所があるからです。発電し続ける限り使用済み燃料は増えますし、操業停止後も放射性廃棄物は残ります。燃料の方はMOX(プルトニウムとウランの混合物)を取り出して再利用するという方法(高速増殖炉を使う)もありますが、残った放射性廃棄物はいずれにしても消えて無くなるわけではないので、処分するしか道はありません。そういうわけで原子力と縁を切ろうとしているスイスであっても、その廃棄物の処分方法の研究は比較的盛んに行なわれているのです。日本に比べれば遥かに安定した土地であるというのも、研究が行なわれやすい要因かもしれません。まあそれを考えると、原子力に頼っていこうとしている日本こそ、もっと廃棄物の処分問題を早急に解決しなければいけないんじゃないかと思えてきます(いつまでも六ヶ所村に置いておけませんからね)。

 それはともかく、説明の続きですが、そんな背景があってナグラが設立され、プログラムがスタートされたのは1984年。段階的に全体としては30年計画くらいで成果を出そうというプログラムだそうです。この研究施設では、実際の放射性核種を用いた試験が可能となっていて、例えば現段階のプロジェクトとしては「アルカリ水中の核種の流れ」とか「コロイドへの核種の吸着」などの研究が、いろんな国の機関の出資のもと実行されているみたいです。日本の機関もいくつか含まれています。あと、地下研究施設における試験の位置付けは、室内試験原位置試験ナチュラルアナログ、の3つに分類されているようで、順に試験時間が長くなっていきます。室内試験は条件がはっきりと判る代わりに非現実的、ナチュラルアナログは実際に処分する環境と同じ環境で試験をするから現実的ではあるけど時間がかかり過ぎるという欠点があり、その2つの間をとったのが原位置試験で、ある程度条件も把握できてなおかつ実際の環境に近い環境で試験ができるというメリットがあるそうです。つまり地下研究施設での試験はこの原位置試験にあたるというわけです。進行中のプロジェクトの詳細の説明が2つほどあってちょっとした小講義は12時頃に終了となりました。そしてようやく坑道の見学へ。

 といきたいところですが、その前に、1階部分に降りてさきほどのパネル展示があった廊下にて展示物の解説を少しだけしていただきました。そこにあったのは、ベントナイトという粘土状物質のブロックがドーナツ状に積まれているものです。近くで表面を見るとこんな感じ(スケールが無くてすみません)。ベントナイトはモンモリロナイト(粘土鉱物の一種)が主成分で、水分を含むと著しく膨張する膨潤という性質と陽イオン交換性(陽イオンを吸着しやすい)を持っているため、地層中に埋められた放射性廃棄物とそれを覆うコンクリートの壁との間の充填剤として用いるのに適しているんだとか。つまり万が一廃棄物から放射性核種が溶け出しても周りのベントナイトがそれらを吸着してさらなる拡散を防いでくれるという仕組み。写真ではブロック状になっていて隙間だらけですが、今ではコンクリートのように流動性をもたせて注ぐように充填していく方法が取られているそうです(もちろん研究段階での話)。それから横にあった堆積岩や花崗岩などのサンプルを見て、鉄の扉を通り抜け、短い坂道を下って、いよいよ坑道の中へと入りました。

 左右に延びる直径3メートルくらいの坑道を、最初は左側へ向かって歩き始めます。後ろ振り返るとこんなふう。空調設備が無いせいか、気温は低めで、ひんやりしていて少し肌寒いです。坑道の壁面もコンクリート的冷たさを感じさせる色で・・・と思っていたら、なんと坑道は掘ったそのままの状態でコンクリートを吹き付けているわけではないとのこと(もちろん足元には道が作ってあるけど)。言われてみて初めて気づきましたが、壁面をよく見ると確かに花崗岩に特徴的な鉱物組織が確認できます。頭の中には日本の坑道のイメージしかなかったので、これはちょっとカルチャショックでした(カルチャは関係ないですが)。ちなみに、日本では雨が多くトンネルにしてもだいたいの場合柔らかい岩相に穴を掘る必要があるため、柔らかいところを掘る技術が発達していて、こちらでは逆に堅いところを掘る技術が発達しているそうです。などという説明を聴きながら、まっすぐの道をしばらく歩いて行くと、Y字路になっている場所に辿り着きました。一部天井がぼこぼこしているのはダイナマイトで発破された痕跡で、ここだけはコンクリートが吹き付けられているようです。ここには、地下を流れる地下水の動きとか、それによって処分された放射性廃棄物がどのような影響を受けるのか、またそういったことの検証をするための実験の解説などが書かれたパネル展示がありました。立ち止まってしばしそれを眺めます。もちろん表記は英語(+ドイツ語)なのでスラスラと読むことはできないのですが、絵だけを見てもだいたいの雰囲気は解る内容です(<雰囲気だけかよ!)。その後鉄格子で施錠されている左側の坑道の中へ入って、最近まで行なわれていた実験の現場を見学することに。2枚ほど鉄の扉をくぐり抜けた先には、実験に用いられる道具類がいろいろ置いてありました。この坑道は入口から見て右にカーブしています。行き止まりの少し手前が実験現場で、岩体の中にできた割れ目(シェアゾーン)が見えている部分でした。その割れ目に沿って放射性核種がどのように流れるかを実験するための場所のようです。周りにはその実験の概要を記した小さめの展示もなされています。割れ目に核種を流し込み、回収するための棒を差す穴がそれぞれ割れ目に直交するように少し離れたところに開けられています。放射性核種を用いるため流しっぱなしというわけにはいかないので、すべて回収できるような仕組みになっているわけですね。で、その割れ目部分はというとこんな感じで、地下水の影響で割れ目に沿って湿っているのが判ります。ここでも軽く説明を受けた後、来た道を戻り、さきほどのY字路まで出ました。

 今度は右側の坑道を進みます。すると今まで一様だった岩壁にも少し変化が見られ始めました。アルプスの変成作用のせいでしょう、層構造が出来ていたり大きく石英が再結晶化していたり大きめの黒い塊が挟まっていたりといろいろ確認できます。さらに先へ進んで、歩くための通路も作られていない坑道(だから歩きにくい)を通り、また別の実験現場へ辿り着きました。壁にはこういう割れ目があって、掘ったばかりの頃はそこに天然の水晶が沢山あったらしいのですが、奥の方に小さいのが見える程度しか残ってませんでした。削ったような跡も残っているので採られてしまったということでしょう。残ってれば採ろうと思っていたのに残念です(笑)が、実は別の場所にそういう割れ目に成長した水晶を見学できるところがあるそうで、後ほど見せてもらえるようです(わくわく)。とまあ、水晶に気を取られていたので何の実験をしている場所なのか忘れてしまいましたが、とりあえずこんなところでした(いい加減やな)。放射性元素のせいで発生するガスの測定とかなんとかだったような気がしますが、嘘かもしれません(記憶が)ので話半分に聴いといてくださいね。

 その後、坑道をずっと前まで戻り、最初に入ってきた場所も通り過ぎて、入口から見て右側へと進んでいきました。しばらく歩いて壁を見てみると、こちらの方がより変成作用の影響を見ることができます。壁を触ってみると全体的に湿っていて、地下水が流れやすい構造になっていることも判ります。照明の関係で色合いは参考になりませんが、この褶曲構造なんかを見ると、強い力が長い時間をかけてゆっくりと掛かっていることが想像できますね。岩質も粘土っぽくなっているので(固いんですけど)、地下水による変質作用も受けているようです。そんな場所を通り過ぎてさらに歩いていくと、やがて少し大きな空間に出ました。FEBEXという文字が読めますが、実験のプロジェクト名で、ここでは高レベル放射性廃棄物のキャニスタ(入れ物)を地層中に水平定置するときの地質化学的な現象を見るための実験が行なわれていた模様(一旦水平に埋められたものが現在は掘り出されている)。その実験の解説や用いられた器具類が展示されていました。そして扉から出て、少し高い位置に掘られた実際にキャニスタが埋められていた坑道に入りました。腰をかがめながら歩いて行き着いた先はこんな風。多数の穴は温度を計測するための棒などが刺さっていた跡。実験のスケールは1/1で、埋めておく期間は結構長いみたいです(半年ぐらいだったか)。ちなみにこの坑道の入口がある部分は、例の発電所へと続くトンネルに面しています。相変わらずお先真っ暗です。その他、再びメインの坑道を戻りつつ、枝分かれしているところで展示物の見学をして回りました。やはり扱ってる物がものだけに、一般市民の理解を得るために度々見学会みたいなのが開かれているようです。展示物ではないですが、掘建て小屋の廂(というか電線)にできていた氷柱ならぬ鍾乳石(しかし触ったら脆くも崩壊)なんかもありました。近くでは大量に地下水が落ちてきていたので成長速度が速いようです。あと、掘削機の歯型が見られる坑道の先端分とかも見て、坑道内の各実験施設の見学は終了し、最初に講義を受けた部屋に戻りました。そしてさっそくトイレへ(坑道寒過ぎ)。

 用を足したあとは午後2時前から、再びOHPによる説明がありました(またかよーとか言わない)。今度は短かめで、放射性廃棄物の地層処分に伴う技術を訓練する場としてこの地下実験施設を利用してもらおうじゃないかというインターナショナル・トレーニング・センタなるものの概要についての説明でした。つまり、せっかく実験を通じて得られた技術もひとりの人間だけが持っていて世代交代で失われてしまっては意味がないし、10年20年という時間では測れない地層処分の性格上、それにまつわる技術は長期間に渡って伝えていく必要があるため、そういう技術をいつでも修得できるような国際的機関を作りますよという話。世界中から研究者を受け入れる用意があるようです。ただやっぱり問題となるのは資金みたいで、世界中の大学や国の機関に協力を要請しているようですが、あまり芳しくない状況のように受け取れました。はたしてどうなることやら、ですが、個人的にはそんなことを気にしている場合ではないぞよ(明日ポスタ発表だよ・・)。

 そのあと、さきほども触れた水晶が見られるスポットへ移動。スイスのナグラ従業員っぽい鼻ヒゲのおじさんの運転するワゴン車に乗って、トンネルを発電所側へ向かいました。途中、発電所との境であるらしい大きなゲート(鉄の扉がスライド)を通り抜け、スポットに到着。そこまで5分くらいはかかったでしょうか。一行は車を降りて待ちます。そしておじさんが鍵を操作すると、壁のシャッタがゆっくりと上がっていき、ついにそれが姿を現しました。ショウウィンドウの中に浮かび上がる水晶です。もう少し近くで見てみましょう。うわぁ、なんかでかいです。こんな大きくて沢山の生えたままの水晶を見るのは初めてかもしれません。さらにさらに、すぐ横には扉があって、中にはちょっとした空間がありました。そこからもこの水晶群を(パノラマで)眺めらるようになっていました。鉱物の結晶で喜んでるようじゃまだまだ一般レベルですが、いやあ、これにはちょっと感動。涙ものですね。小さい展示スペースもあって、親ガメの上に子ガメ状態の水晶なんかもあって、良いもの見させていただきました。なんだか、坑道見学よりもこっちの方が印象深いかも(笑)。すみません、ナグラの皆さん。

 さて、そんなこんなで見学は終わり、地下研究施設をあとにしました。帰りも行きと同じK来さんとS村さんが運転する車ですが、ルートは違います。車でスイス北部のチューリッヒバーデンまで送ってもらい、そこからは電車に乗ってダヴォスまで戻る予定。山道を下っていくと、少しずつ視界は良好になり素敵な露頭も見えるようになりました。そして途中にあったレストランで遅めの昼食を摂ることに。この辺りまで下りてくると、背の高い樹木も見られるようになっています。レストランのある建物の周りはこんな感じ(反対側はこんな感じ)。ここではサンドウィッチを食べましたが、結構ボリュームがあって満足。M村先生の注文されたチーズの盛り合わせみたいな料理が、ちょっと食べにくそうでした(笑)。しかもお金がかかるというので水も注文されないもんだから、余計に辛そうでした。お気の毒です。みんな食べ終わって一息つき、午後4時頃に北へ向けて再出発となりました。この分だと帰りは夜遅くになりそうな勢いです。

 はじめは切り立った斜面を滝が落ちていくスリリングな景色も、山を下っていくうちに緑の間を流れる川の穏やかな景色となり、1時間ほど走った頃見えてきたのは世界一の急勾配を登る登山鉄道があることで有名なピラトゥス山でした。残念ながら頂上は煙って見えません。このときは通り過ぎただけですが、今度来たときは是非ともその鉄道に乗りたいところ。そうこうするうちに、車はいつの間にか高速道路らしきところを走っていました。スイスの高速道路は基本的に無料なんですが、年間いくらというお金(そんなに高くはないらしい)を払って権利を買うシステムになっているようです(買ってなくてバレたときの罰金が高いのは鉄道と同じ)。鉄道の駅の改札が無いこともそうですが、そういう利用者の自主性に任せているところが好きです。それで上手く回っているんだから良いですよね。日本で同じようなシステムは無理だろうか。高速道路ではスイスの軍隊の車(こっち見られてる?)に追い抜かれたり、渋滞に巻き込まれたりもしました。チューリッヒに近づくにつれて車の数も増えてきます。途中、我々の乗った車が、もう1台の車を見失ってしまい、最終的にチューリッヒへ向かったのかバーデンへ向かったのか判らなかった(はっきりとは決めていなかったから)のですが、道路の混み具合などを鑑みてバーデンだろうと結論を下し、そちら方向へ走っていくと、無事追いつくことができました。そうして一行はバーデン入りを果たし、古城を眺めつつぐるりと回り、午後7時前にバーデンの駅前に到着。駅舎は洒落た感じです。

 次の特急が7時43分までないとのことだったので、そこの駐車場に車を停めて、それぞれ好きに時間を潰すことに。というわけでT辺氏と私は駅前のショッピングセンタみたいなところに入って、土産物でも探すことにしました。絵本やら洋服やら色々見て回り、特に目新しい物はありませんでしたが、おもちゃ売場で森先生も集めておられる(といっても自分も集めているわけではない)HOT WHEELSで珍しいタイプを発見。森先生へのプレゼントにしようかしらららん、と2つほど購入。水中ジェットモグラみたいなこんなやつと、でかいエンジンを後ろに積んだこんなやつです。森先生はすでに持っておられるかしら。

 でもって出発10分前くらいには駅へ戻って、ホームで列車待ち。定刻通りやってきた特急に乗り込み、一路ランドクォートへ。この特急だとチューリッヒで乗り換える必要はないようです。車内ではダヴォスから持ってきていたお菓子を食べつつ、海外経験が多いY田先生からヨーロッパ人に関して面白い話を聴いたりしていました。フランス人は知ってる人でも冷たく接し(街の標識も不親切)、イタリア人は知らない人でも旧来の親友かのような接し方をし、ドイツ人とかスイス人はある程度知り合えば親切にしてくれるという、お国柄的な話です。そういう意味では日本人はドイツ人やスイス人に近いのでしょうか。2時間ぐらいでランドクォートに着き、乗り換えてうとうとしているうちにダヴォスに到着(ぶれてるのは眠いせい)。そして解散。ホテルへ着いたのは午後11時頃でした。他所の町で外泊をしていたことになりますが、フロントで何も咎められることなく鍵を取って自分の部屋へ。明日はいよいよ自分の学会発表の日です。しかし、すっかり疲れていたため、希望を明日の朝に託し、結局今夜も準備が整わないまま眠りの淵へと誘われたのであった・・。それでいいのか? 大丈夫なのか? 響き渡る教会の鐘の音、夜中も鳴ってるんじゃないのか? 関係ないけど。


(8/22) っていうか、全然短くなってないじゃん!>自分 むしろ長い・・。反省を活かし切れてないなあ。うーん、いっそのこと、もう流れに任せてダラダラと書いてしまった方が楽かもしれない(<これ以上ダラダラになるというのか)。まあ、この文章自体がすでにダラダラの部類に入るわけですが・・。えーと、ダラダラついでに書きますが、ダヴォスのホテルのバスルームには、こういうのが置いてありました。英語・ドイツ語・フランス語(たぶん)と並んで日本語が併記されているところが、日本人観光客の多さを伺わせます。一体何だろうかと思って裏返してみたら、靴みがきでした。独特のフォントが泣かせますね(手書きでしょうか)。磨きが必要な靴を履いてなかったので結局最終日まで使いませんでしたけど。

 さて、木曜日もいつものように早起きで、6時起床。本日はいよいよ自分のポスタ発表の日です。なのに準備はまだ整っていないという有様。天気はここに来て初めての曇り、まさに暗雲立ちこめるといった感じでしょうか(そこまで絶望的ではないですが)。とにかくまだ時間はあります。発表の時間までできる限りのことはしておこうと、ベッドの上に日本で作ってきたポスタの各パーツを並べ、糊付けがまだのところは貼ったりしました。ただ、学会会場にパソコンから印刷できる環境が提供されていなかったため、依然として「結論」の部分は印刷できないままでした。しかしいつまでもぐずぐずしていられないので、ポスタの準備もそこそこに、朝食を食べる時間も惜しんで学会会場へ向かいます。そうそう、この日のために一応持ってきていたカッタシャツとスーツのズボンを今日は身につけていました。ネクタイも締めています。これまでの発表を見る限り、フォーマルな格好をしている人の方が少ない感じでしたが、一応若手ですからね、それなりの格好をして発表する方が印象は良いかなという判断です(スーツは嫌いですが)。

 午前9時過ぎにコングレスセンタに到着。10時までに所定の場所にポスタを貼らなければいけないことになっていたので、すぐに貼り付けにいきました。つまり一番下の階のエリアAのこの場所ですね。行ってみるとしかし、ポスタをボードに貼るために用意されていた両面テープが足りなくて、ヘルプデスクまで行ってお姉さんに両面テープとハサミを借りてくる羽目に。もうこのやりとりの英会話だけでドキドキしますね。お姉さんだからじゃないですよ(笑)。質問する内容を考えて頭の中で復唱してからしゃべらないと、上手く英語が話せない。ポスタの前に居なければならないコアタイムは、午前11時から午後1時半と、午後4時半から6時までの2回。プログラム冊子に書いてある時間よりも大幅に長いのですが、とりあえず日本で受け取ったメールに書いてあった時間に従うことにしました。今までのポスタ発表の様子を見ていても、コアタイムをしっかり守っている人の方が少数だったので、その辺は適当でもいいのかもしれません。ましてや長くなる分には問題ないでしょう。それよりも問題は、まだ出来ていない「結論」部分です(苦笑)。というわけでコアタイムまでの間、ポスタを説明するための英語原稿を考えつつ(今更かよ!)、その「結論」部分もなんとか体裁が保てる程度には文章を考え、余っていた色紙にボールペンで書き込みました。まったく、国際学会でこんなことしてていいのでしょうか(たぶんいけない)。数あるポスタの中でも注釈や修正以外で手書きで書いてる部分があるのは、うちくらいなもんでしょう。うははは、どうだ、まいったぞ!(まいったのか)

 とまあ、紆余曲折はあったものの、なんとかポスタは完成し、コアタイムがやってきました。ポスタの前に立って人がやってくるのを緊張しながら待ちます。しかし、お昼を跨ぐこの時間帯のせいでしょうか、会場全体が閑散としていて誰もポスタの前を通りません。うーん嬉しいような寂しいような、ない交ぜの感情を抱きながらしばらく待つことになりました。というか、発表者自体の数も少ないのはどういうことやねん。ポスタ発表はセッションごとにある程度区切られて番号が振られているのですが、同じコアタイムのはずなのに近くのポスタの前にはほとんど発表者がいないのです。少し離れた斜め向かいにお兄さんがいるくらい(同じく手持ち無沙汰にしている)。コアタイムを守らない発表者にも問題があるのでしょうけど、お客さんも居ないんだからお昼時にコアタイムを設定した運営側の方にも問題があるかもしれません。まあ、他のポスタは大抵説明文がかなり書き込まれていて、読むだけで事足りるように作ってあったので、発表者が居なくてもある程度は解ってもらえるのかもしれませんが、自分のポスタはほとんど図しかないような(キャプションを付ける時間がなかっただけですが)説明する人間がいなければ何のことだか解らないこんな貧相なポスタでは、持ち場を離れるわけにもいきませんからね(苦笑)。一所懸命作っても、ま、こんなもんです。というか、出発直前までバタバタ作っていたを考慮すれば頑張った方でしょう。良く言えば手作り感満載、悪く言えば間に合わせ。もっと時間があれば・・なんて言いません、ええ言いませんとも。後悔するより妥協しろの精神か(向上心無いぞー)。

 さて、そんな閑散とした会場内で、唐突に聞こえてきたのは「◯◯ちゃん」という日本語の呼び声でした。ぬぬぬ、世界広しと言えども私を「◯◯ちゃん」などと呼ぶ人物はそう多くありません。誰かと思って振り返ってみたら、これはこれはちょっぴり懐かしいY地氏ではありませんか。彼女はH大学時代、卒論生だった頃の同級生で同じ研究室に居た人間なんですが、まさか、ここで会うとは予想してなかったので、誰だか判断するのに時間がかかってしまいました。会ってみて思い出しましたが、そういえば彼女はフランスの大学に留学中だったのです。当然地球化学の分野で研究を続けているわけですから、地理的に近いスイスでの学会に参加していてもおかしくはなかったのでした。油断してましたね(油断だったのか)。いや、別に会うのがイヤだったわけではありませんよ(笑)。ちょっと油断していたなというだけで。ま、それはともかく、久しぶりに再会していろいろ話すことができました。途中彼女の同僚らしき人物が来て紹介されましたが、結構フランス語も堪能になってるようで何よりです。で、そんなY地氏相手に、本日最初となる肝心のポスタの説明を日本語で行ないました。同じ分野といっても、やはり専門が違う相手に説明するのは難しいと実感。おまけに英語で原稿を考えていたので、とっさに日本語では説明できないんですよね(<それは嘘)。でもまあ、なんとか、というかなんとなく説明し終え(なんとなくかよ)、Y地氏も本日ポスタ発表があるらしく、また後ほどということでその場を去っていきました。

 そして再び暇になるかと思いきや、その後ひとりのアジア系の女性がポスタの前で立ち止まり眺めていたので、意を決して「説明しましょうか?」と言って(もちろん英語で)歩み寄ってみることに。すると幸いにも断られはしなかったので(わざわざ説明を断る人は少ないでしょうが)、片言の英語でポスタの説明を開始したのでした。うう〜しかし、これは緊張しますね。一所懸命説明はするのですが、どうしても相手に伝わらない部分があったりして、そのへんを質問されるともうダメダメです。質問の意味がたとえ解っても英語で的確に答えることが難しい。何度も言い直したりしているうちにどんどん焦ってきます。本来ならそういうところまで想定して考えておかないといけないのでしょうが、なんせ直前まで準備してましたからね(苦笑)。言い訳になりませんけど。そんなわけで後半はボロボロになったものの、その人が根気強く聴いてくれたおかげで、初めての英語でのポスタ発表はなんとか形になったかなといったところ。ふう(溜息)。やれやれ、1人相手にするだけでもうぐったりです。とはいえ、いざ英語でやってみると精神的に随分と楽になった気がするのも確かです。っていうか、案外大したことないんちゃうの?<ボロボロになってたその口が言うか(笑)。いずれにしても、この調子でいけば残りの時間も乗り切れそうだとは思いました。

 しかし、そのあとは本格的に人が会場から居なくなり、誰もポスタを見に来る気配がなかったので、結局コアタイムの終了を待たずにT辺氏と合流し、午後1時頃昼食に出かけることにしました。もう1回ある午後のコアタイムに向けて休憩です。向かった場所は、前に一度テラスで食事をしたことがあるプロメナーデ通り沿いのパノラマレストランでした。例によって空いてたところに入っただけ。今度は店内のテーブルに着いての昼食。周りの席に座っている人たちもほとんど学会関係者でしたね。なぜ判るかというと、みんな同じ例のショルダバッグを持っているからです(笑)。注文したのは日替わりのお薦め料理とガス抜きミネラルウォータ。日替わり料理は餃子の皮がパスタ生地になっているようなパスタ料理で、食べごたえはイマイチでしたがトマトソースが美味しかったです。デザートのプリンも生クリームが余計でしたが美味しくいただきました。おそらく、スイスで食べた料理のうち5本の指に入る料理でしょう(まだ5種類くらいしか食べてませんが)。

 昼食後は再び会場に戻り、2回目のコアタイムが始まるまでは時間があったため、聴きたかった講演をいくつか聴いて回りました。発表原稿(といってもメモ程度)を見ながら1時間くらいボーとし(ボーとしてたのかよ!)、やがて迎えた午後4時半。2回目のポスタセッション開始となりました。さすがに午後は人が溢れてきて、ポスタが貼ってあるフロアの人通りもだんだんと激しくなってきます。当然のごとく、自分のポスタの前で立ち止まる人も午前中よりは格段に多くなりました。で、2回目最初にポスタの説明をした相手も日本人だったのですが、以前地球化学会の学会かどこかでもお会いしたことがあるご夫婦でした。その学会で発表した研究についても覚えてくださっていたようで、誠にありがたいことです。その次に説明したのは、学生風の女の子二人組で、実験に使ったフィルタのメッシュについて疑問があるようでした。ポスタを前になにやら二人で話していたので、「説明しましょうか?」と声を掛けました。が、この二人組にちょっと苦戦。どこの国の人かは判らないのですが、なまりが結構あって英語が聞き取りにくいのです(お互い様かもしれませんが)。おまけに、質問に答えてはみるものの、なかなか意を解さないようで、しばらく平行線のまま会話が続くはめに。途中、聞き取れない質問をメモ帳に書いてもらったりしながら、必死の説明を続けること十数分。どうやらちょっとした勘違いがあったらしく、それが解けるとすんなり納得してくれました。まさかひとつの質問だけでこんなに長引くとは(疲れた〜)。他にも白髪のおじいさんとか、アメリカ人女性とか、若いお兄さんとか、太い男性とかが訪れてくれましたが、さすが見る目が違うなと思ったのはおじいさんでした。おそらくどこかの重鎮なんでしょうね。ちなみに、夜が近づいてくると会場では小さな瓶ビールが毎日のように配られるのですが、セッションの後半では誰かが持ってきてくれたそのビールを飲みながら説明してました(笑)。飲むつもりはなかったんですけどね、周りがみんな飲みながらディスカッションしてる状況では、飲まずにやっとれるかいってなもん(誇張あり)。終始たどたどしい英語でしたが、なにはともあれ少なくない人に自分の研究の話ができて本当に良かったです。誰も来ないという結果にならなくてほっとひと安心でした。

 こうして一大イベントが終わった午後6時過ぎ、先生方数人やT辺氏と合流し、一緒に夕食を食べに行きました。向かった先は、またしてもチーズホンデュが口に合わなかったあのレストラン。ここに来るのはもう5回目くらいじゃないでしょうか。外はまだ明るかったものの寒いので店内のテーブルへ。今回は発表も終わったという解放感から、ちょっと贅沢に魚料理とビールを注文しました(といってもおごってもらいましたが)。いやあ、これはなかなか美味しかったです、特につけ合わせのブロッコリィが。なんやなんやブロッコリィあるんやったら、もっと他の料理にも付けてえなってぐらいほっとする味でした(笑)。アメリカ料理に比べたらましですが、スイス料理もトマトとジャガイモ以外の野菜が少ないんですよね。緑黄色野菜の概念とかはないのでしょうか。そうそう、この食事の席で出た話題ですが、チーズホンデュとビールは一緒に食べたらダメらしいのです。チーズが胃の中で固まってしまう恐れがあるとかないとか、スイカとうなぎみたいな食い合わせ関係(<混ざってないか?)があるそうな。先日チーズホンデュを食べた時にビールを飲まなかったのは正解だったわけか(危ない危ない)。なんていう話題が出ているときに、我々の後方にいたカップルが、まさにそのチーズホンデュとビールを一緒に食べていたのです。おお、くわばらくわばら。彼らが死にませんように、と祈りを捧げる一行でありました(嘘です)。

 約1時間半の夕食を済ませたあとは解散となり、それぞれのホテルへ帰っていきました。自分の部屋に戻ると、いつものようにシャワーを浴びる気力もなく即就寝。発表が終わったことの安心感も手伝ったのか、すぐに熟睡できました。まったく、健康的な生活です。


(8/23) 明けて金曜日。学会最終日の本日は、雲の隙間から空が見えるものの朝からあまりぱっとしない天気。いつものように早起きでしたが、自分の発表も終えていたので朝はのんびりです。シャワーを浴びてゆっくり朝食を食べ、会場のコングレスセンタに向かったのは10時頃でした。そして午前中はいくつか講演を聴きました。今日は午後3時半までにポスタをボードから剥がさなければいけないことになっていたので、12時前に自分のポスタのある場所に向かったのですが、当然昨日から張りっぱなしだったわけでまだ見ていた人もいたらしく、1人の女性が来てポスタの内容について質問されてしまいました。心の準備ができていなかったのでちょっと不意打ち。しかし、すでに発表の機会は終わってしまったとはいえ質問されて答えないわけにはいきません。相変わらずたどたどしい英語で最初から説明しつつ、質問に答えました。彼女はイスラエル地質調査所の人だそうで、実験方法について興味を持ったらしく、実験システムの概略図が欲しいとか言って、あとでメールで送ってくれとまで頼んできました。おおお、なんだか認められたみたいで嬉しいなあ、なんて単純に思う反面、そこはかとない怪しさも感じずにはいられません。えーとつまり、研究を盗まれるかもしれないという不安ですね。結局は論文で先に言ったもん勝ちの世界ですから、そういうのはありえない話ではないようです。だからその場では適当に快い返事をしておきましたけど、もし本当にメールが来るようなことがあれば、うまくはぐらかしておけばいいかくらいのつもりでした(心苦しいですが)。っていうか、そもそもそんな複雑な概略図じゃないんだから、その場で描き写したり覚えたり写真に撮ったりするぐらいは可能なはずなんですけどね。向こうも期待せずに訊いただけで本気じゃなかったのかもしれません。ま、いずれにしても早く論文にするに越したことはないのは確かです。

 さて、その後は無事ポスタ回収を済ませ、T辺氏とともにかねてより所望していたダヴォスの山登りに行くことになりました。がしかし、コングレスセンタの外に出てみると生憎の曇り空。見るからに今朝よりも雲の密度が増しています。この分じゃ山に登っても良い景色は望めそうにありませんが、今日を逃すともう登る機会はないので、とりあえず先日訪れて門前払いをくらった(というか営業時間を過ぎてて誰もいなかった)ダヴォス・プラッツ駅のそばにあるロープウェイ乗り場へと向かいました。登る山はヤーコプスホルンです。今度はちゃんと営業しています。さっそくチケット売場でチケットを購入(ホテルでもらった優待カードを見せて往復で26スイスフラン)。入口から建物内に入り、チケットをカードリーダに通してゲートを抜け、待ち合い室らしきところでロープウェイが下りてくるのを待ちました。冬のスキー客の利用が多いためか、その部屋にはベンチがひとつしかありませんでしたが、他に客が少なく誰も座っていなかったので、ちょっと席を拝借。腰を下ろして次の発車時刻までコーラ味のグミキャンディを食べて時間をつぶしていました(こればっかり食べている)。

 しばらくするとロープウェイが1台下りてきて(2台は下りてこない)プラットホームへの扉が開きました。いよいよロープウェイに乗り込みます。この頃になるとそれなりに乗客も増え、明らかに一般客ではない作業員のような人たちまで乗り込んできて梯子なんかも載せるもんだから、結構立ちスペースは少なくなりました。ちなみに中はこんな感じ。まもなく発車時刻となり、我々を乗せた箱はゆっくりと動き出しました。外を見ると、眼下にはダヴォスの町並が見えてきます。っていうか、いつの間にやら雨が降り出しているじゃありませんか(がーん)。これから山に登ろうってときに、やる気を削ぐ効果抜群ですね(苦笑)。先が思い遣られますが、「乗りかかった船」ならぬ「乗っているロープウェイ」、戻るわけにもいきません、登るしかないでしょう。ロープウェイの速度も一定になった頃には、さらにダヴォスの町並が広く見渡せるようになっていました。思った通り遠くは霞んで見えません。そうこうするうちに終点に到着。その手前で圧雪車(雪もないのに動いてた)なんかも見ることができました。スキー場には欠かせない働く車ですね。

 そしてロープウェイを降りてみると、実はまだ終点ではありませんでした。そこは中継ポイントで、土産物屋などがあるスペースを挟んで、次なるロープウェイへの入口が待っていました。当然頂上まで行くのが目的ですから、このゲートを通って、2つ目のロープウェイの乗り場へと向かいます。ここの連絡はスムーズで、すぐにロープウェイが下りてきたので、待ち合い室でそれほど待つことなしにプラットホームへ出ることができました。見上げると、頂上はまだまだ先のようです。箱に乗り込んで間もなく発車となりました。さっきよりも若干乗客の数が増えている気もします。途中から乗り込む人もいるのでしょう。さきほどの中継ポイントをロープウェイから見るとこんな感じで、さらに上がって箱の中からダヴォスの町を望むとこんな風(ほとんど見えません)。もっと上に上がると荒涼としてもう木は生えていません。今度も10分くらいで終点に到着となりました。

 窓が開いていたのでロープウェイに乗っている時から感じていましたが、降りてみるとますます強くはっきりと感じることができます、寒いです(苦笑)。Tシャツの上に長袖を着ただけの格好では明らかに防御力不足(これ以上の装備は持ってきていないのですが)。標高が高いから当たり前だし下界にいる頃から想像はしていましたが、とても夏だとは思えない寒さです。さらにロープウェイの建物を出た時には、その寒さがもう一段階強力になりました。ただでさえ風が冷たい上に、小雨まで降っているんですから、堪ったものじゃありません。せめて晴れていれば、陽射しさえあれば少しはましだったろうに・・。などと嘆いている余裕もありません。あまり長居はできそうもありません。まあ、天気が悪くて眺められる景色もそんなにないということで、とりあえず寒さに震えながら頂上らしき部分(建物の裏にある)に登ってみることにしました。こちら方向に歩いて行くと、谷側に冬はさぞかし気持ち良く滑れそうなゲレンデを見ることができます。その谷とは反対方向に丘をぐるりと回って登っていって、1分ほどで頂上と思しき旗の立っている場所に到達。標高は2590m。絶景とは言えないまでも、そこに広がる北側(ダヴォス側)のパノラマ風景は絶景です(<言っとるがな)。左に見えるピンクの建物がロープウェイの発着場。そこを右手にアルプスの山々が霞む南側を見たパノラマ風景がこれ。晴れていればマッターホルンも見えるそうですが、残念ながら今日は遠くまで見えません。というわけで、こんなところでいつまでも遠くを見ていても寒いだけなので、早々に頂上から来た道を下りました。発着場の裏側の南斜面にある道を戻っていると、谷間に残雪を発見。向かいの尾根には登山する人々も。また、荒涼とはしていても、いくつか高山植物も見られ、紫の花を咲かしているものもいます(名前判らず)。別の角度からもう一枚。他に黄色い花を咲かすものもあり。ですが、いつまでものんびり花を撮っていられるほど寒さには強くないわけで、いい加減耐えられなくなってきたためロープウェイの発着場へと足早に避難したのでした。

 建物の中にはチューリッヒ駅でも見かけたプリクラの機械が置いてありましたが、プリクラは撮らず。しばらく待ってロープウェイがやってきたので、ゲートを通りプラットホームへ。そこから下を覗き込むとこんなふう。ちなみに出発を待つロープウェイはこの大きさ。1000m近くある高低差を下っていく途中で、登りのロープウェイとすれ違い、乗り換えの中継地点に到着。この頃になると雨はもう上がっています。ここには土産物屋以外にも、レストランがあり、子供の遊具卓球台なども置いてあります。周りを見渡していると、思わぬものに出逢いました。グ◯コのマークです(笑)。さて、麓までのロープウェイの乗り場に行ってみると、寒かったからでしょうか、えらい混み様で、ギュウギュウ詰め状態で下山となりました。

 山から下りてくると当然それほど寒くはないのですが、体は依然としてかなり冷えきっています。とりあえず体を温めるためにカフェにでも行こうということになりかけたのですが、手頃な現金を持っていなかった(T辺氏が)ので、プラッツ駅からプロムナーデ通りに上っていったところにある、専門店が集まるショッピングモールみたいなところに行ってみることに。ここには初入店でしたが、ようやく土産物らしい土産物を買うことができました(といっても自分用ですが)。購入したのは、現地で着たら絶対恥ずかしい「DAVOS」というロゴが胸部分に大きくプリントされたTシャツと、やっと出逢えたピングー関連商品のひとつ、ピングーのお話1話が収録されたカセットテープ(映像のないピングーについつい惹かれました)です(にこにこ)。スイス生まれのはずなのに今までピングーグッズを全然見かけなかったので、母国ではそれほど人気が無いのかと思っていましたが、海外旅行者向けの商品が少ないだけかもしれません。あと、昼食を食べていなかったので、パンも買って、チェス盤のある広場のベンチに座り、チェスに励む少年たちを眺めながら食べました。ただ、腹ごしらえは済ませたものの、やっぱり温かい飲み物を飲んで暖まりたいということになり、カフェを求めてプロメナーデ通りをコングレスセンタの方へ向かって歩き出しました。映画館のあるところで、ガンを飛ばされたりしましたが、なかなか良いカフェは見つからず。そうこうするうちに、途中でインド人研究員のA氏にばったり会ってしまい、話を聴いていたらなんとなく逆方向(つまり来た道を戻る方向)に歩いていました。あらら、行ったり来たりで、この調子じゃいつになったらカフェに行けるのか判らんな。なんて思っていると、さっき寄ったショッピングモールの向い側からA原先生に呼び止められたではありませんか。なんとまあ世界は狭いものです(みんな小さなダヴォスに居るんだから会う確率は高いけども)。どうやらA原先生は奥さん(T木氏のこと)と一緒にそこにあったカフェで飲んでいたところらしく、ちょうど良かったので誘われるまま合流することに。そこでもA氏はよくしゃべり、他のみんなはだいたい聞き役でしたが、なにはともあれ結果的にはA原先生にコーヒーを奢ってもらえてラッキィでした。

 その後、夕食を一緒に食べることになり、約1時間後の午後7時に再びこの場所(ショッピングモールの前)に集まる約束をして一旦解散、それぞれのホテルへ戻りました。ホテルへの近道にCOOPの立体駐車場を通ったのですが、その屋上(プロメナーデ通りと同じレベルにある)から見たヤーコプスホルンへのロープウェイがこんな感じ。ホテルに荷物を置いて、7時に待ち合わせ場所に行ってみると、H大学時代にお世話になったS野先生らのグループも来ておられました。さらに少し待っていると、昨日会ったY地氏もやってきて、合計9人での夕食に。向かった店は、6度目になる歌うお兄さんがいてチーズホンデュのアルコールがきついあのレストランでした。すっかり常連です。室内の席で5人と4人に分かれて座りましたが、奇しくも年齢で若い子チームと若くないチーム(相対的にね)に分かれました。若い子チームは、A原先生夫妻、T辺氏、Y地氏、そして私の5人です。頼んだ料理は3回目となるサフランリゾットだったと思います。食事をしながらY地氏からはフランスの大学事情(最終発表はフランス語じゃないといけないこととか)を聴いたり、現在住んでいる住所を教えてもらったりしました。遊びに来てよとか言われましたが、うーん、フランス語を話さない人間に不親切なイメージのあるフランスだから、あんまり行きたくないかも<行きたくないとか言うな(笑)。その他、積もる話はそんなに無かったですが(無いのか)、久々に話ができて楽しかったです。

 夕食のあとは、若い子チームにA氏を加えた6人で、Y地氏お薦めのバーに行くことに。店内は音楽がガンガンに鳴り響き、立ち飲み形式のバーで、人もいっぱいでとても騒がしいところでした。こういうところに入るのは初めてでしたが、まともに会話ができないのがなんとも。隣の人の声がやっと聞こえるくらいの騒がしさですが、場合によっては都合がいいときもあるんでしょう、きっと。嫌いではありませんが、好んで来ようとは思わない類いの店ですね。そこでビールやテキーラ(これはY地氏)を飲みながら(お酒が飲めないA氏は紅茶>しかし味が薄いと不評)、30分ぐらい居たでしょうか。酔いも回って会話の内容も覚えていませんが、実際に大してしゃべってなかったかもしれません。店を出たあとは、いずれまたと挨拶をしてY地氏と別れ、その他の人々とも別れ、日本での再会を誓いました。というのは嘘ですが、おそらく日本に帰るまで再会することはないでしょう。ホテルに戻ると午後10時頃で、眠さはほぼ限界。今日もやっぱり何もする間もなく就寝とあいなりました。


(8/24) 過ごしてみればあっという間でも日記に書いたら長過ぎる(笑)ダヴォスでの数日間でしたが、本日土曜日でこの町ともお別れです。いつものように午前6時に起床し、窓から外を見れば、快晴ではないものの旅立ちの朝に相応しい晴れ模様。二日酔いもなく良い気分です。学会も終わってスイスに居るのもあと3日。その残り日数でマッターホルンの麓町チェルマットまで足を伸ばし、スイス中央部を縦断してチューリッヒまで戻り、チューリッヒ市内の観光をする予定。ちょっと強行軍ではありますが、一ケ所に長居して景色ばかり見ていても飽きるでしょうから、忙しいくらいがちょうど良いでしょうという判断。っていうか、単に費用節約のために効率良くスイスを巡ろうと思って立てたプランです。極端な話、鉄道に乗れればそれで良いのです(にっこり)。そういうわけで、もともと多くはないながらもギリギリの量だった荷物をリュックと学会でもらったショルダバッグに分散してまとめ(そのわりには要旨集などが増えたため結局どちらもパンパンになりましたが)、シャワーを浴びて、8時頃このホテルでの最後の朝食を食べました。パンとシリアル、チーズとヨーグルトのお馴染みのバイキングメニュー。道中の昼食用にと思い、余分に取ったパンを紙ナプキンに包んで部屋に持ち帰りました(ちょっとドキドキ)。そのパンもバッグに詰めて、荷物の最終確認。そして8時45分頃、チェックアウトをしにフロントへ。支払いはカードでした(サインは漢字)。

 ホテルを出てそのまま目の前のダヴォス・プラッツ駅に向かい、停車していた氷河特急に乗り込みました。この氷河特急で今日はチェルマットまで行くわけです。書き忘れていましたが、チェルマットまでのチケットは昨日の山登り後に購入済みでした。2等車で税込139スイスフラン。日本円で1万ちょっとといった感じでしょうか。座席は指定席で通路側。先日乗ったときと同じ便の列車で、9時2分に出発となりました。チューリッヒへの経由地ランドクォーツ回りで、終点チェルマットまで走ります。乗客は、隣の席にいた日本人のおじさんもそうでしたが、この度の学会関係者が多く乗ってるみたいでした。といってもまだまだ空席は目立ちます。もう少し山を下ったところから、おそらく人が増えるのだろうと思われます。ちなみに隣のおじさんはジュネーヴの方まで回るらしく、途中で乗り換えるみたいです(なんて書くといろいろ会話をしたように見えますが、ほとんど会話はありませんでした)。旧勾配の線路をどんどん下り、ランドクォートに着いたのが10時24分頃で、5分間ほど停車。ここで学会関係者と思われる人たちがほとんど下車した模様。乗り換えてチューリッヒに向かう人が多いのでしょう。ホームを見ていると、隣の線路では列車の連結作業をしていました。

 さて、とりあえずアンデルマットまでは一度通った道のりなので、のんびりできる(写真を撮らなくてもいいから)かなと思っていたのですが、前回とは反対側の席に座っていたため、なんだかんだまたしても結構撮りまくりでした。ランドクォート出てまもなく撮った小さな機関車を間に合わなくて失敗(隣のおじさんが写ってないのはたまたま席を立っていたからだと思います)。やがて比較的大きな駅クールに近づくと線路の数が増えこんな機関車を横目に見つつホームに入線。10時45分頃クールに到着となりました。予想通りここでは沢山の人が乗ってきて、車内はほぼ満席に。同じボックス席には年輩のシスタ2人が座られましたが、隣どうしでは会話しづらいかったからでしょうか、窓側に座っておられた方と席を交代することになりました。おかげで景色が思う存分楽しむことでできるようになりましたが、陽射しが強くちょっと暑いので痛し痒し(<用法間違い)。氷河特急は11時にクールを出発し、11時11分にライヒェナウ石灰岩置き場あり)に停車した後、ライン川の支流フォルダーライン川に沿って徐々に海抜を上げていきます。そして緑鮮やかな草原や建築中の牛舎(?)などを眺めているうちに、11時38分イランツに停車。まだ乗客の乗り降りが少しあります。トウモコロシ畑を通り過ぎて、11時51分タヴァナサに停車。そのうちに遠くを望める場所を列車は走っていて、11時59分トルンに停まり、集落を通り抜ける頃には勾配も大きくなっています。またこの辺りから車内アナウンスにフランス語が混じるようになりました(それまでは英語とドイツ語だった)。

 ディセンティスに到着したのが12時15分頃でした(ホームの後ろ側はこんな感じ)。ここはレイティッシュバーン鉄道(RhB)フルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)の境界地点であり、前回同様10分ほどの停車時間の間にラックレール式の機関車への切り替えが行なわれました。発車後、初めて車内トイレを利用しましたが、これがなんと垂れ流し!(お食事中の方すみません) 穴から地面が見えているのです。ひょっとして自分の利用の仕方が間違っているんじゃないかと疑ってみるものの、やっぱりどう考えてもこの構造じゃ車外にそのまま出てしまうんだなあ・・。これでいいのだろうか。まあ習慣の違いといえばそれまでなんでしょうけど、なんというか、これって、ほら、大きい方をしちゃったりするとどうなるのだろう(ってそのまま落ちるだけですが)とかね、気になったりするわけですよ。列車が通ったあとは線路上の惨状を想像すると・・う〜ん(苦笑)。都会を走る鉄道はまた違うのかもしれませんが、鉄道王国スイスのトイレがこういう造りだったとは、感慨深いです。

 えー、気を取り直して、氷河特急はいつか来た道を上っていき、セドルンを通って、12時45分頃すれ違いのためディネイというところで一時停車。それから谷間の町を眺め、氷河の削剥痕が残ってる山を見ながらさらに高いところへ。峠のオーバーアルプパスヘーエが近くなると遠くにひつじ(ヤギ?)が現れたりします。やがて列車は峠を越え、午後13時を過ぎた頃山を下り始めました。そんな途中で見かけた崖の手前に設置してある赤いベンチ(ぼかしにあまり意味はありません)。羊飼いの人が座るのでしょうか。前回も撮ったような気がしますが、もう一度氷河をアップで撮ったり。アンデルマットの谷を見下ろすとこんな感じで、ガタゴトと九十九に下って2度目の訪れとなるアンデルマットのホームへ入線。午後1時25分のことでした。隣にはちょっとカッコイイ黒い機関車がいましたが近過ぎて全体が見えず。シスタ2人組はここで下車され、代わりにフランス人っぽい人が同じボックス席に座りました。しかしどうも予約金を払ってなかったらしく、車掌に言われてその分のお金を払っていました。って、我ながらどうでもいいこと観察してるな。停車時間は比較的長めで、1時40分頃アンデルマットを出ました。さて、ここから先がようやく未知の領域となります。どんな車窓からの風景が待っているのでしょうか。だいたいの想像はつきますが、たぶんそれは、四角いガラス張りの車窓からの風景だと思います(<車窓の種類を気にしてたのかよ)。

 アンデルマットを出ると、さきほどの機関車が正面の山を登っているところを見ることができました。そして再び列車は山を上り始め、1時47分頃トンネルに突入。これが結構長くて出てきたのは2時頃でした。おそらくこれが新フルカトンネルだと思われます(特に有名というわけではありませんが全長15.4kmあるそうな)。そしてもうひとつ短かめのトンネルを抜けてすぐにオーバーヴァルトに停車。以降は比較的緩やかな勾配を徐々に下っていきました。スイスでは典型的な形だと思われるクレーンのある風景や相変わらずの牧草地や最近岩石が溜まったように見える小規模の扇状地などを見つつ、ロープウェイのある渓谷を越えて、2時40分頃フィーシュに到着。その後、こんな渓谷や、こんな露頭や、川と渓谷や、岩脈の入っている露頭を眺め、少年サッカーなども眺めつつ、交通の要所ブリークに到着。西向きに進んでいたのが、ホームにはぐるっと回って東向き(ただし後ろ向きに座っているため見ている方向は西)に入ります。停車したのは3時10分頃。ここで降りる人も結構いて、ダヴォスから一緒だったおじさんも降りていきました。ホームの様子はこんなふう。通り過ぎる犬はすかさずチェックです(どことなく気品がありますね)。標高は671mと比較的低いですが、腐ってもアルプス、駅からは高い山々が望めます。15分間ほど停車しているうちに客車の数は増え、機関車は今までとは反対側に連結されました(つまり後ろ前が逆になった)。ここから先、氷河特急はブリーク・フィスプ・チェルマット鉄道(BVZ)に引き継がれ、チェルマットに向かうことになります。

 3時23分、スイッチバックする形でブリークを出発。さっき通った線路と別れを告げ、南西に向けて進みます。平行して走っている線路のうち、崖の上を通っているものは首都ベルンに通じる線路だと思われます。おそらく明日はあそこを通ることになるでしょう。その間にある隣の線路にはタンク車が停まっていたり、追い抜いていく列車もありました。ちなみにこの線路はジュネーヴに通じているようです。そうして約10分後、新しめの電気機関車が停まっていたフィスプに到着。ホームの向こうには小さなディーゼル機関車(たぶん)。あとこんな車両(無蓋車?)も。この駅から乗って来たらしい中国人らしき2人組が正面の席に座りました。車内を見渡せばわりと満席(変な表現)になっています。氷河特急の旅もいよいよ終盤、ここからチェルマットまでは再び急な上り坂を上っていくことになります。天気は曇りがちですが、切り立った山肌や、線路の上に掛かる石橋や、よく見れば褶曲構造が見える露頭などがどんどん目の前を通り過ぎていくので、窓の外の観察には事欠きません。3時46分頃には小さな駅シュタルデンに停車。さらに続く遠くの露頭近くの露頭を見ていると、途中の引き込み線にこんな車両がいたりするから、なかなか気が抜けません。路線は基本的に単線なので、ところどころ対向車両とすれ違うためのポイントがあります。写真のところではこちらが一時停止して、対向車両が通り過ぎるのを待機。

 そこから先はだんだん山間を進むようになり、崩れた斜面を間近に見たり、流れが激しい川沿いを走ったり、勾配が急な地点ではレールがラックレール式になり、ガタゴトとゆっくり上っていきました。川にはとても大きな岩石が転がっていたりして、だいぶ上流へ上がってきたことを実感。4時7分頃にはサン・ニコラに停車。花で飾られた家の背景に褶曲した山がある風景は、いかにもスイスっぽい感じ。そこを出ると少し視界は開けてきて、空には晴れ間も見えるようになりました。そして陽光の下に現れたのが大規模な崖崩れ。近づいてみるとこんな感じで、手前の緑と対照的ですね。ぱっと見は最近崩れたように見えますが、ところどころ岩石の間から草も生えていたので、案外崩れてから時間が経っているのかもしれません。そんな崖崩れの後方には、久しぶりに登場の氷河がありました。おそらくこれがビス氷河だと思われますが、単なる根雪かもしれません。アップで見るとこんなふう。氷河特急とはいっても、ほとんど氷河は見ることができないのでわりかし貴重。その後、また対向車両とのすれ違いがありましたが、通り過ぎた列車には吹きさらしの客車(?)が繋がっていました。夏とはいえあれはちょっと寒そうです。このあたりから遠くに雪を冠ったミシャベル連峰(たぶん)を望むことができます(窓が開いていますが開けたのは例の中国人)。さらに進んで、護岸されたようにまっすぐな川の川原にはキャンプ場があったりして、その先の最後の急な上り坂を上りつついくつかトンネルを抜けて行くと、標高1604mのチェルマットでした。午後4時43分、定刻通りに終点に到着です。

 まずは少し駅を視察しようと、ホームをぐるりと回って駅の入口側に行くと、意外なところで日本語に遭遇。英語よりも大きく書かれているところが、日本人観光客の多さを伺わせますね。スイスの鉄道には荷物を預けて乗るシステムもあって、降りる駅で受け取れるようになっているそうですが、もちろん荷物は預けていないのでここには用無し。方向転換して再びホームを歩いて(境は明確ではないですが)ロータリィのある方へ行きます。で、外に出てみると駅前は人も多く賑やかでした。予約してあるホテルの位置を確認し、道路を渡って駅を振り返るとこういう光景。いつの間にか天気も良くなって強い陽光が差しています。写真にも写っていますが、村内を走るタクシーやバスはすべて電気自動車らしいです(ガソリン自動車の乗り入れは禁止されているとか)。なかなか可愛いフォルムをしていますね。さて、そのロータリィの前には道路を挟んでゴルナーグラート鉄道という登山鉄道の駅があり、その名の通りそこからゴルナーグラートという冬はスキーエリアになる山の中腹まで登ることができます。目的のホテルはこの鉄道の線路沿いなので、線路に沿った道(左側が登山鉄道の駅)を歩いて行くことに。50mほど進んでいくと、駅の先には車庫がありその前に無蓋車が停まっていました。線路にはラックレールのギザギザが確認できますね。さらに進むと線路と道路は緩やかに右側にカーブしていきます。電気タクシーとすれ違っていると、ちょうど登山列車が山を降りてきました。ちなみに手前で集まってる人たちは何をしているのかというと、そう、マッターホルンを見ているのです。だからといってすぐ同じようにマッターホルンを撮ったりしません(天の邪鬼)。まず、振り返って後方の山々を見つつ、さらに道路を先に進み、川沿いの道路との交差点から撮ってみました。西の方にあるため逆光気味のマッターホルンです。残念ながら頂上付近は雲に隠れています。

 この交差点では登山鉄道の線路が高架になっていて、その下を通り抜けたところに今夜泊まる予定のホテルアドミラルがありました。外観は木を基調としていて全体的に焦茶色。グランドフロア部分にはオープンテラス付きのレストランがあり、その横の入口から中へ入りました。フロントに居たおばさんに旅行代理店から受け取っていた予約券を渡してチェックイン。すぐに部屋の鍵を渡され、階段を上がってあてがわれた206号室へ。ちなみに部屋の鍵はこんなふう。内装もやはり木を基調としたシングルながらも広い部屋(判りにくいか)で、トイレのレバーは壊れていましたがバスルームもまあまあの造り。窓からは登山鉄道の線路を挟んでさっきも眺めた山が見えます。その後、日没も迫っていたので暗くならないうちにチェルマットの村を散策することにしました。

 ホテルを出て、さきほどの高架下からもう一度マッターホルン。まだ若干雲がかかっていますね。そして再び登山鉄道の線路に沿って歩いてチェルマット駅の方へ戻ります。登山鉄道の駅横は、ちょっとした路地のようです。駅前に抜けると、電気自動車以外の村内交通手段である馬車がちょうど走っていました。そんな駅前から西側(つまりマッターホルンのある方)に向かって土産物屋などが並ぶメインストリートが伸びています。さながら商店街のような雰囲気ですが、有名ブランドの店もちらほら。奥へ歩いていっても店は途切れることなく並んでいて、道路には観光客がいっぱいです。もう少し進んで、ちょっと狭くなったところにあった時計屋のショウウィンドウにはこんなおじさんがいたり。さらに狭い脇道を覗けば、こんな光景を見ることもできます。ところ狭しとホテルが建っていますね。そして建物が少ない空間に出たと思ったら、そこに現れたのは教会でした。その教会前のある店先では人馴れしたスズメたちがエサをついばんでいましたが、教会の軒先にもマッターホルンを眺める人々の群れが。またここでも魅力的な路地を発見(先がすぼんで見えるのは遠いからではなく実際に先細りの通路なのだ)。こういう隙間を見るとつい写真に撮りたくなってくるのです。隙間フェチなんでしょうか(笑)。それから教会の前には変な銅像も立っていたので、マッターホルンをバックに記念撮影。と思ったら逆光でよく判らなかったので、銅像だけでもう一枚(ハートがえぐれてます)。台座には説明文が書いてありましたが、ドイツ語なので何が何やらです。

 教会前の広場を過ぎてさらに進むと、小川にかかる橋があり、道路は右に曲ってすぐ左に曲っています。森博嗣先生的比喩で表現するなら、橋を原点として描いたタンジェント関数のように曲っているといったところでしょうか(笑)。道路のマッターホルン側をY軸の正の方向としてその橋の上からX軸の正の方向を見るとこんな感じ。折れ曲がった先の道路はさらに狭くなり、緩やかな上り坂になっています。土産物屋ももうありません。途中、手を繋いで歩く老夫婦とすれ違い、その上り坂を上り切ったところで振り返って後ろ姿を撮影。ゆっくりとした時間の流れる微笑ましい光景ですね。関係ないですが近くホテルのベランダには風鈴のようなものがぶら下がっていました(魔除けだったりして)。さて、ここまで来ると障害物も少なくなり建物の間からマッターホルンが見えるようになります。もっと進んで、いよいよ山の裾野が見えるようになるところでは、マッターホルンを写真に収めるおじさんがいました。ちなみに同じ場所でマッターホルンにカメラの露出を合わせるとこうなります。逆光は難しいですね。夕陽を浴びる犬も眩しそうに目もとを隠しています(<それは違うやろ)。そんな犬と挨拶を交わして先を急ぐと、道路が再び広くなる手前にて、スイス名物のナイフの看板に寄り掛かっている先程のおじさんに遭遇。マッターホルンにかかる雲が晴れるのを待っているのか構図を考えているのでしょうか。道路の左には川が流れています(さっきの小川とは別物)。この辺りから先は、川の反対側にしか大きな建物はなく、道路沿いには祈念碑ようなものが立っている土地の盛り上がり部分があるのみで、そこには上手い具合に双眼鏡が設置されていました。というわけで、双眼鏡とマッターホルンのツーショット。もうちょっと行けばロープウェイ乗り場だという場所で頂上が見えないままのマッターホルンを最後に撮り、マッターホルンににじり寄る散歩もここまで、ホテルへ引き返すことにしました。

 回れ右して駅方向を見るとこんな感じ。村は山影に隠れてうす暗くなっています。写真の青い橋の向こう側にはかなり古い小屋がありました。また、さっきは見落としていましたが、ナイフの看板の下にはこんな岩石も(右側はチャートかなぁ)。民家の庭にはミニチュアの小屋を発見。小川と交差する地点まで戻って、その川を見てみると、橋から一段下がったところに公共トイレがありました。中には入りませんでしたが、外から見る限りは綺麗な感じです。そしてメインストリートに戻ってくると、土産物屋はことごとく閉店していました。土産は明日買うしかなさそうです。レストランはまだ営業していましが、メニューボードに日本語が書いてあったりすると、入りたくなくなるのは天の邪鬼が過ぎるでしょうか(まあ節約のためですが)。駅前にはダヴォスでもお世話になったCOOPがあって、実はそこで食料を調達しようと思っていたのですが、時すでに遅し、ここもすでに閉店していたのでした(土曜日だということを忘れていた)。関係ないですが、チェルマット駅の荷物受け取りの案内版があった出入口の廂の上には、何故か雪掻き機が飾ってありました。くどいかもしれませんが、道路を挟んでその正面にあるのが登山鉄道の駅。で、今度はちょっと違う道からホテルへ向かってみると、ちょっとした広場に抜けて、そこにはゴムひもでぶら下がってトランポリンで跳ねることができる大きな遊具がありました。奥にはテニスコートも見えますね。それから登山鉄道沿いの道路に戻って、踏み切りみたいなところでラックレールのアップを観察したり、踏み切りの中央辺りから駅の方を見たりした後、この道を再び通ってホテルへと帰り着きました。そんなわけで結局何も買わないまま、夕食も食べずじまい。夜はベッドに横になってテレビを見ているうちに、いつの間にか眠り姫でした。


(8/25) そうしてテレビの音で目覚めたら午前4時。テレビではなんかアダルトなCMがずっと流れてます。お姉さんが際どい衣装(というか見えてる・・)でくねくねしてる映像にセクシーボイスで電話番号の繰り返し。ドイツ語の数字が覚えられそうなくらいしつこいです(笑)。もうちょっと見ていたい気もしましたが、意を決してテレビを消して二度寝して(韻を踏んでみた)、次に目覚めたのが午前7時でした。しばらくベッドでゴロゴロしているうちに7時半になり、再び点けてみたテレビではピングーの番組が流れていました。おお、スイスに来て初めて見ます。ようやく動いている本場のピングーが見れました。当然しゃべっている言葉はピングー語。もともと言葉に頼らないアニメーションなので、内容は解りやすいですね。アダルトなCMの次ぐらいに解りやすいです(笑)。

 さて、今日の天気を確かめようと窓の外を見てみると、ここで満を持しての再々登場、そう、あのパペット君フレームイン。相変わらずのぼけ具合です。ホテル横には朝から登山鉄道が走っています。空は昨日よりも快晴。シャワーを浴びて、8時頃から下のレストランに降りて朝食を食べましたが、遅いのか早いのか他に人が全然いませんでした。バーテンダみたいな格好をした従業員のお姉さんが独りと、途中でお客さんが独り現れたぐらい。用意してある食べ物はやっぱりシリアルやパン、ハム、チーズ、ヨーグルトといった簡単なものです。飲み物はコーヒーをもらって適当にお腹が膨れたところでごちそうさま。部屋に戻って荷物をまとめ、9時頃にホテルをチェックアウト。すでに代金は支払済みだからか、特にサインをする必要もなく鍵を返せばいいだけでした。フロントのお姉さんに別れを告げてホテルを出て、とりあえず駅の方へ向かいます。空は良く晴れていて昨日は雲で見えなかったマッターホルンの頂上も、朝日を浴びて輝いていました。そして人通りが少なかったために、これ幸いと再び飛び出してきたパペット君。マッターホルンをバックに、もう思い残すことはなさそうな表情です(もう登場場面が無いということか)。昨日も通った登山鉄道沿いの道を歩いていくと、柵の上でスズメが朝の集会をしていたり、正面の山も朝日を浴びてより雄大に見えます。それからまっすぐ駅まで出て、土産を求めてメインストリートをまた歩きました。とりあえず一通り土産物屋を見るために教会の辺りまで行き、そこで像とマッターホルンを写真に収めてから、道を引き返すことに。

 小さな店から大きな店までいろいろあって目移りします。できればここでしか買えないような品がいいのですが、なかなか手頃な値段のものはありません。それに、面白そうなものがあるなと思っても、看板に「日本語で買い物ができます」みたいなことが日本語で書かれている店で、そういうところでは買い物したくないなと変な意地を張ってしまうので、目的のものが買えません(笑)。いっそのこと奮発してSwatchでも買ってしまおうかと思い、しばらく店の前でうろうろしましたが、結局Swatchは買わず、もう少し駅に近いところにあった、投げやりな太いおじさんが独りでやってる小さな店で、お腹を押したら“モ〜”と鳴く可愛い牛のキーホルダと絵ハガキ2枚を買うにとどまりました(<迷ったわりにはどこでも買えるやつ買ってる)。キーホルダは妹への土産に、絵ハガキは今更ですがスイスから日本の実家に出すためにです。その他の人への土産はチューリッヒに戻ってから買うことに。こんな薬局の看板とか、まだ気になるものはいろいろあったのですが、早めにチューリッヒに向けて出発しようと思っていたので、その土産を買ったあとはすぐにチェルマット駅に直行しました(重い荷物を背負ったままこれ以上歩きたくなかったというのも理由のひとつ)。駅に近づいたところで何気なく振り返ると、やっぱりあったかマクドナルドを今更発見。目立たない外観をしているので、昨日(さっきも)歩いたときには気づかなかったようです。早く気づいていれば昼食用にフィレオフィッシュ(あれば)でも買っていたのですが、すでに乗る列車は決めていてあまり時間がなかったので諦めました。駅前のロータリィには相変わらず人が多くて、日光浴を楽しんでいるような人もいましたが、犬は日陰で休んでました。目が毛で隠れている犬しか見かけないのは、陽射しが強いことと関係があるのでしょうか(たぶんない)。薄雲は出てるものの、マッターホルンの反対方向にある山の山頂も明瞭に見えるくらい天気は良好。車窓からの風景にも期待できそうです。チューリッヒまでのチケット(110スイスフラン)を買って、駅横の売店でダヴォスでもずっと食べていたHARIBOのグミキャンディ(コーラ味)を買って、ホームに停まっていた氷河特急に乗車。途中のブリークまではこの列車で行くことになります(そこまでは自由席の車両がくっついている)。そこで乗り換えて首都のベルンまで北上し、そこからチューリッヒに向かおうという計画でした。しかし特に乗る列車は決めていないという、行き当たりばったりっぷりは健在。午前10時過ぎ、我々(パペット君含む)を乗せた氷河特急は、チェルマットをあとにしました。

 乗っていたのはブリークまでの車両でしたが、そのボックス席の小さなテーブルには、ブリーク・フィスプ・チェルマット鉄道(BVZ)の路線の水平距離や海抜の高さなどを示した図が描かれています。氷河特急の車内に比べると、少し汚れた感じがするのは否めません。昨日と同じ側に座っていましたが、時間帯が違うため光の当たり方も変わって窓から見える景色も少し趣が異なります。といっても、すれ違い地点での対向車線のラックレールを見つめるだけでは判りませんね。昨日も見た川原のキャンピング場には朝からキャンピングカーがいっぱい(キャンプしてるんだから当たり前)。山の上のビス氷河(と思われるもの)は薄雲がかかって、より幻想的な雰囲気です。その手前の崖崩れ現場を大きく撮ってみるとこんな感じで、そこから進行方向の北側を見ると、この谷が氷河地形のU字谷であることが判ります。また石灰岩地帯なのか、崖の途中にぽっかりと開いたこういう洞くつもいくつか見つけました。そして列車はカーブを繰り返しつつどんどん下り、大きな岩石が転がっている川(昨日と同じ場所ですね)の横も通り抜け、サン・ニコラの駅に到着。隣には近くの山に登るらしい小さな鉄道の車両が停車していました。その後、フィスプを経て、タンク車などを眺めながらブリークに着いたのが11時半頃でした。

 ホームに降りて、乗っていた氷河特急を正面から撮影し、乗り換えのために歩きます。何度も言いますが改札口なんてものはないので、国鉄(SBB)への乗り換えもスムーズです。ひとつの切符で国鉄も私鉄も乗れるというのは良いですね。ブリーク駅はフルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)も乗り入れていますが、駅前にはFOの刻印が見える赤いクマがいました。BVZとFOの駅は路上にあるので、ホームから少し離れると氷河特急も路面電車のように見えます(機関車の切り離し作業中)。さて、国鉄の大きな駅舎に入り、とりあえずベルンへ向かう列車を探そうと入口付近にあった発車案内板を見てみると、チューリッヒまで行く特急(IC)があるじゃないですか。おお、なんて好都合。特急料金は別に取られないし、予定よりも早くチューリッヒに到着できるんですから、乗らない手はありません。さっそくその特急が出る7番線へ。ホームに上がってみると、これまた長い編成でした。後方を見ても先が見えず、先頭方向を見てもず〜と続いてますからね。新幹線ぐらいはありそうです(車両の数ならそれ以上かも)。さすが主要都市間を結ぶ特急ですが、客車は動力車ではないようで、やはり電気機関車で引っ張っていくタイプみたいです。なんて眺めているうちに、隣の6番線から列車が発車。その後ろ姿を見送ってチューリッヒ行きの特急に乗車。車両が多いのでどこに乗ろうか迷ってしまいますが、2等の禁煙車両のうちシートが上等そうな車両に乗り込みました。長旅に座り心地は大切です。

 11時59分にブリークを出発。列車は静かに動き出しました。機関車で牽引するメリットのひとつはこの静かさかもしれません。乗客はまだまだ少ないです。まもなく車掌さんが来て検札があり、12時20頃ゴッペンシュタインに停車。ホームの向こうには無蓋車や有蓋車を引く小さな機関車が見えます。線路の間には「渡ってはいけません」という看板(おそらく上からドイツ語・フランス語・イタリア語・英語の順)あり。列車が動き出して、こんな車両がいたことにも気づきましたが、その先にいたこの機関車が可愛くて良いですね(にこにこ)。森先生の庭園鉄道の動力車AB10を彷佛とさせるプロポーションです(スイスの電気機関車を意識して作られたのだから当たり前か)。駅を出るとすぐトンネルに突入しましたが、これがまた長いトンネルで抜け出すまでに6分間くらいかかりました。トンネル内で2回も対向列車とすれ違ったほど。どうやらこれがレッチュベルク・トンネル(全長14.5km)だったようです。トンネルを抜けると、そこは雪国だった、というくらいに景色はがらりと変わりました。自動車を運ぶ列車ともすれ違い、周りはすっかり高原の雰囲気です。こうしてアルペンリゾートとして人気が高い村というカンデルシュテッグに着いたのは12時33分頃。正面の山に残る雪が綺麗です。窓が開かないので近くの山だと車内灯の写り込みのせいで思うように写真が撮れないのが少し残念(開けられたとしても周りに迷惑になるでしょうけど)。

 その村を過ぎると、遠くの山の頂に氷河らしきものが見えてきます。アップで見るとこんなふう。小さめのトンネルをいくつか越えて行くと、高低差をかせぐためか、ぐるっと回って180度逆向きに進むのを2回繰り返す形で山を下る箇所がありました。特急とはいえやっぱりスイスの鉄道だなあと感じさせてくれます(新幹線では考えられない曲がり具合)。カーブに乗じて先頭が見えたところで確認してみると、動力車は2台くらい繋がってるようでした。やはりこれだけ長い列車を引っ張るにはそれだけの力がいるはずだと納得。そうして山を下ってしばらく進むと、こういう開けた谷間に出てきます。12時50分、フルーティゲンに停車。そこから先はだいたい道路と平行して進む形になるのですが、線路脇を走る車をぼんやり見ていると、どうもスモールライトを点灯したままの車ばかり通り過ぎることに気づきました。まさかみんなトンネルを抜けて消し忘れているなんてことはちょっと考えられないので、おそらくスイスでは昼間でもスモールライトを点ける習慣があるのかもしれません。全然違う理由かもしれませんが。

 その後も川に沿って特急列車は快調に走り、こんな景色こんな景色を眺めているうちに、トゥーン湖の畔の町シュピーツに到着。ホームに入っていったのが午後1時過ぎでした。ここで東の方にあるインターラーケンに向かう人々は乗り換えとなります。隣の線路を走ってきた車両をタイミング良く撮ってみれば、ゴールデンパスの文字が。後ほど調べたところによると、モントルールツェルン間237kmを4つの鉄道を乗り継いで5時間30分かけて走る横断観光ルートとしてゴールデンパスルートというものがあるらしく、それ専用の特急がこの列車みたいです。その列車が通り過ぎたあと、少し後方を見ると離れたホームには角張った車両も見られました(撮り損ねてますが)。そうそう、お昼時に食べていたのはチェルマットで買ってきたこれHARIBOのグミキャンディ(コーラ味)です。ダヴォスに滞在していたときからこればっかり食べてますけど、別に最高に美味しいというわけではありません。ちょっと固めで独特の臭みさえあります。きっとコーラの風味に誤魔化されている部分が大きいでしょう。それでも、他のお菓子に比べれば飽きが来ずに食べられることは確かなので、食べ続けているしだいです。うま〜。

 シュピーツ駅にはこんな働く車両(と言ったら乗ってる客車もそうですが)があったりして、駅を出るとすぐにトゥーン湖が見えてきました。しばらく湖沿いに走って1時15分頃トゥーンの駅に到着。そこにはアスファルトを運ぶっぽい特殊車両がいました。また、建物があるところには落書きあり。今まではそんなに見かけませんでしたが、都会が近くなってくるとやっぱりありますね。まあ誰もわざわざアルプスまで行って落書きしようとは思わないでしょうけど。トゥーンを離れると、またしばらく田園風景(といっても田んぼはない)が続きました。トウモコロシ畑の中にはURLの広告看板が立っていたりします。ここからデジカメで試しにビデオ撮影をしてみましたが、あまり風景に変化がなく、容量がもったいないのでウェブ上にアップすることはしません。そうこうして1時38分、特急列車はベルンに到着しました。とこの写真じゃ判りにくいので、看板も。降りる人も多いですが乗ってくる人もそこそこいて、人の出入りはそれなりに多め。チューリッヒほどではないものの、さすが首都だけのことはあります。ふと遠くのホームを見ると、角張った車両の色違いが入ってくるところでした。まるでおもちゃのような配色(誉めている)は、都会に出てきたなあということを感じさせてくれます(田舎で赤い車両ばかり乗ってたからか)。1時47分に列車は発車して、なんかおかしいと思ったら逆向きに動いてました(<すぐ気づくだろ)。西向きにホームに入ってきたのが、東向きに出ていったわけです。スイスではよくあるらしいスウィッチバックですね。さて、ここからチューリッヒまでは1時間くらいの距離でしたが、この区間も少しビデオを撮ったあとはウトウトしてしまい、目覚めたのは結構チューリッヒに近づいた頃でした。郊外地域には発電所のものらしき巨大煙突が見えたりして、午後2時53分頃、終点のチューリッヒ中央駅に到着となりました。

 駅では例のごとく沢山の列車が停まっていましたが、新旧の車両が並んでいる隙間はゾクゾクします(やっぱり隙間フェチか)。今晩泊まるホテルは前回と同じところなので、駅の北側に出て、西に伸びるこの通りに入り、1ブロック歩いたところにあるホテルモンタナに2度目のチェックイン。フロントにいたのはお姉さんではなくお兄さんでした(だからどうした)。鍵を受け取り、3階の部屋へ。今度は308号室でした。部屋に入ると天井からぶら下がっているモニタにウェルカムの表示が名前付きで出ててちょっとびっくり(前回は見なかったから)。まだ日が沈むまでには時間があったので、荷物を置いてしばし休憩した後、遅い昼食ついでに買い物に行くことにしました。フロントで鍵を預け(このときいたのはお姉さん)駅方向へ歩きます。市内観光は明日するつもりでしたが、月曜日は公共の博物館のほとんどが休館になってしまうみたいなので、とりあえずチューリッヒ中央駅のそばにあるスイス国立博物館だけは見ておこうと思い、そこに向かいました。しかしこの時点で閉館時間(午後5時)ギリギリ。建物の中に入るかどうか迷いましたが、結局入らず、お金を払わなくても見られる中庭を眺めて、博物館正面を写真に撮ることができただけでした(う〜ん残念)。その後、駅の東側を歩いて食料を求めて南側に行ってみることに。途中、駅舎を見上げると太陽はまだこの高さ。歩行者信号のこんなふうで、になったところも撮ろうと思ったら両方消えた瞬間を撮ってしまいました。

 駅の南側正面から伸びる通りから繁華街に入ってしばらく行くと、マクドナルドを発見。今まで外食にお金をかけ過ぎてましたが、独りのときくらい節約したかったので、砂漠にオアシスとはこのことかと(<なんか違う)嬉々として入店。肉以外のマックがあるかどうか不安でしたが、ありましたフィッシュ・マックが。たぶんこれが日本で言うフィレオフィッシュのことでしょう。というわけでそれと飲み物にコーヒーを注文。しかし、この2品だけでいろいろセットになっておもちゃまで付いてくるハッピー・ミール(日本のハッピーセットみたいなもの)と変わらないくらいの値段(6.6スイスフラン)だったため、ちょっと複雑な気分。外食としては高くないけどファーストフードにしては高い感じなんですよね。やっぱり海から離れている分、魚は高めなのでしょうか。あと、コーラは日本に比べてバカでかいくせにコーヒーのサイズは同じくらいというのも解せないところです。などといろいろ不満に思いつつも文句は言わず(言う相手がいないから)、それらをお盆に乗せて店先のテーブルで食べました。すると、ここでもハトのようにスズメがおこぼれに預かろうと足元でうろうろしています。それを見て客がポテトをわざと落としたりするもんだから、スズメにとっては美味しい場所ですね。すっかり人馴れしているようです。食事中、サングラスをかけた女性が相席をしてきましたが、特に何かが生まれることもなく(<何を期待していいるのか)、10分くらいで食べ終わり、マクドナルドをあとにしました。すぐ横のペスタロッツィ広場にはこんな銅像が立っていました。

 それから夕食用に何か仕入れておこうと駅前のCOOPに向かったのですが、日曜だからかすでに閉店していて、しかたなく地下に降りて買い物できそなところを探すことに。で、すぐ見つけたのは大きな自動販売機でしたが、飲み物はまだミネラルウォータが残っていたので買わず。さらに地下を歩いていると、COOPに似た感じのスーパーみたいなMIGROSというお店を発見。夕食と土産になりそうなものを求めてこの店へ入ってみると中はえらい混み様でした。なんだなんだ、やっぱりみんな日曜日も買い物したいんじゃん。さて、いろいろ迷いながら店内を回っていると、小さいながわも海鮮物コーナを見つけました。いい加減海の物が欲しくなっていたところだったので、そこにあったカニかまぼこをとりあえずゲット。スモークサーモンとかもありましたが、ホテルで食べることを考慮しての選択です。それからかつおフレークの缶詰なんかも見つけて喜んでゲット。その他にカマンベールチーズチョコの挟まったコッペパン板チョコなどもカゴに入れました。土産には、インスタント方式のピングーのアイスティーすいかのアイスティーが珍しかったので買うことに(こんなもので申し訳ないです>あげるかもしれない人たち)。そしてレジを通って会計を済ませます。ここまでは順調でした。重大なことに気づいたのはこのあとです。実は手ぶらで街に出てきたため、バッグ類を何も持っていなかったのですが、ここMIGROSでは買い物袋は買わないともらえないシステムだったのです。COOPでは小さな袋をタダでもらえたという経験があったので、油断してました。気づいたときには、すでに後ろの人の会計は始まっていて、レジから流されてきた(商品はカゴに入れ直されるんではなくて、ローラで滑らした先で客が自分で袋に詰めるシステム)商品を早くどけなければならない状況でした。しかし今さら袋だけくださいと言うのも格好悪いじゃないですか。そんなつまらないプライドから、さも袋なんか初めから必要としてなかったかのように無理矢理振るまい(苦笑)、商品はズボンのポケットに入るだけ詰め込み、入らなかったものはむき出しのまま手に持ってとりあえずレジからは離れました(今にも口笛を吹きそうな勢いで)。客観的に見ても明らかに無理がある持ち方でしたね。考えもせずに買い過ぎたことを素直に後悔。そして、商品を両手で持ったまま、いそいそとホテルへ戻ったのでありました。あ〜恥ずかし。

 で、ホテルに戻ってみるとフロントには誰もいません。カウンタの上には「すぐ戻ります」みたいな書き置きがあったので、ロビィのソファで待ちます。もちろんそのときも食料を手に持ったまま。やがてお姉さんが現れ、鍵を受け取ることができましが、変に思われていないか気になるところです(自意識過剰か)。部屋に戻り、さっそく夕食代わりにカニかまチーズを食べましたが、飲み物が水だけというのは案外辛いものがありました。カニかまはまあ、量があっても平気なのですが、問題はチーズ。まずくはないですが、あんまり沢山食べるものじゃありませんね。なんとか全部食べたときには気持ち悪くなってました。ちなみにかつおの缶詰は、缶切りがなかったこともあって食べられませんでした(買う前に気づかなかったのか?)。ついでに、すいかのアイスティがこれで、ピングーのアイスティがこれ、MIGROSブランドの板チョコはこんなやつでした。夕食後、たまっていた洗濯物をまとめてバスルームで足踏み洗濯し、水気を切ってカーテンレールや椅子の背もたれやらに干し、夜は実家宛の絵ハガキを書いて、眠りに就きました。


(8/26) 月曜日の目覚めも早く、起きたのは6時半でした。この規則正しさが続くならずっとスイスに居たい気もしますが、残念ながら今日でスイス滞在も最後となります。起きてからしばらくはテレビを点けてCNNを見ながらベッドの上でゴロゴロしていました。昨夜もテレビを見ていて気になったのですが、CNNでしょっちゅう昨年の同時多発テロに関する特集番組の宣伝が流れるのです。もうすぐあれから1年ですから、こういう番組が企画されるのも理解できます。当時はそりゃびっくりして動揺っぷりが自分の日記にも表れていますが、今思えば所詮アメリカ国内で起こったこと(巻き込まれた方はお気の毒ですが)、CNNの宣伝もしつこく感じてしまいます。はっきり言ってね、あの事件によって個人的に及ぼされた影響なんて、行きの飛行機にハサミが持ち込めなかったことぐらいですよ(何をそんなに興奮しているのか)。いい加減、アメリカも自分たちの価値観を世界に押し付けるやり方を改めた方がいいんじゃないですか?(だから誰に向かって言ってるのか) まぁ開拓者面している彼らにとっては「アメリカ=世界」なんでしょうけど、クジラや馬や犬や猿を食べる文化や豚や牛を食べない文化に対して、もう少し思慮深くあってもいいと思うわけですよ。だいたいやね、フィッシュ・マックもチーズバーガぐらいの値段にせっちゅうねん(<結局それが言いたかったのか)。などという下手な政治学者のような感想を抱きつつ、荷造りをしました。ところがちょっと問題が。干していた洗濯物があんまり乾いていないのです(いや〜ん)。部屋にはドライヤもありましたが、しかし全部を乾かしている時間はないので、生乾きのものは比較的乾いている衣類に包むようにリュックの中に詰め込みました。どうせあとは帰国するだけなので適当です(笑)。そうこうするうちに8時を回り、9時からグランドフロアに降りて、レストランにていつもの朝食。日本への飛行機の出発は夕方だったので、3時頃まではチューリッヒ市内を観光できるでしょう。というわけで、10時頃チェックアウトして、まずはチューリッヒ中央駅の地下にあるコインロッカに荷物を預けにいきました。ちなみに北側の入口からみた駅の体育館みたいに広いコンコースがこれで、このフロアのひとつ地下にロッカスペースがあります。リュックだけでもパンパンでしたが、おまけにショルダバッグもあったので、預け入れたのは大きめのロッカでした。手ぶらになって地上の街へ。

 まずは昨日行けなかったCOOPに、ダヴォスで食べたあのnipponこれね)があるかどうかを確認しに・・行こうとしたのですが、はたと気づきました。投函するつもりだった絵ハガキを荷物の中に入れたままだったのです(が〜ん)。しかし、ハガキだけのためにロッカを開けてまた閉めるのはもったいない・・。う〜ん、としばし悩み、ハガキは後回しにすることにしました。空港へ向かう時にでも出せばいいでしょう。というわけでそのままCOOPへ向かいました。店内に入ってすぐ、チョコレート菓子のコーナにnipponを発見(わーい)。よしよし、これを2つほど土産用に買って、それと自分用に例のグミキャンディも買っておきましょう。鞄は持ってないので今度はちゃんと紙袋も買って、商品はそれに入れました。これから街を歩き回るんですから昨日と同じ過ちを繰り返すわけにはいきません。教訓が活かされてますね(笑)。

 さて、こうしていよいよ市内を観光することになったわけですが、店を出た瞬間から、ひょっとしてCOOPの紙袋をぶら下げながら歩き回るのは格好悪いことかもとか、よく考えたら写真を撮ったりするのにも邪魔になるし、やっぱり買い物は最後にするべきだったかなあ、と早くも後悔していました(苦笑)。まったく、それくらい最初に気づけよ(>自分)と思いましたが、後戻りはできません、全身アルミノ珪酸塩です(<長石人間かよ!<っていうかボケもツッコミもマニアックで判りづらい)、じゃなくて前進あるのみです。

 事前にだいたい見る場所とルートは決めていました。最初に向かったのは街のランドマーク的存在のグロスミュンスター(大寺院)。チューリッヒ中央駅の北側から東側を通って南にあるチューリッヒ湖から流れ出しているリマト川を渡り、右岸をチューリッヒ湖手前まで南下したところにそれはありますが、まずは駅前から東に歩いてバーンホフ橋を渡ります。その橋の手前の水飲み場には、器用に水を飲むハトがいました。橋の途中で南を眺めるとこんな感じで、橋の下にはハクチョウやカモの姿も。そして橋を渡ったところには路面電車の駅があり、この丘の上には連邦工科大学(俗にいうETH(エーテーハー))やチューリッヒ大学があるようです。ここを右に曲り、リマト川沿いに南へ歩いていくと、ハクチョウたちに店から持ってきたパンをやっているお姉さんがいました。スイスの信号機は、赤から青に変わるとき赤と黄色が同時に点灯するのですが、次の交差点でその瞬間を捕らえることができました。この方式だと隣の信号を伺ってフライング発進することも少なくなるのかは判りませんが、カウントダウン付きの信号機みたいなものですね。この交差点を過ぎると、対岸にはザンクト・ペータ−教会が見えてきます。道路沿いの建物に限りませんが、街には旧い建物が結構残されていて、比較的新しい建物も旧いものに調和的に造られているような印象です。さらに歩いてもうひとつ交差点を越えていくと、対岸フラウミュンスター(聖母寺院)も見えてきました。この教会の川を挟んだ向い側に目的のグロスミュンスター(大寺院)があるのですが、ここからでは建物の陰に隠れて見えません。代わりに、通り過ぎるオレンジ色の路面電車(車体広告でしょうか)は見ることができました。ほどなくしてミュンスター橋に辿り着き、改めてフラウミュンスター(聖母寺院)を確認。時計塔の屋根が特徴的ですね。空はちょっと曇ってます。ここで振り返ってグロスミュンスター(大寺院)も確認。ちょっと高台にあるので見上げる形です。そこにすぐ向かっても良かったのですが、一度橋を渡ってフラウミュンスター(聖母寺院)の横の広場を覗いたり、再び振り返ってグロスミュンスター(大寺院)を手前のヴァッサー教会と一緒に眺めたり、橋の横に立っていた騎馬像を撮ってみたり、自分に対して少しじらしてみました。

 そのあと橋を引き返してようやくグロスミュンスター(大寺院)へ。はじめどこを通ってそこに行くのか判りませんでしたが、道路脇に階段を見つけ、3階分くらいその階段を上がると、教会の足元に出ることができました。開けた空間には路上チェス盤があり、観光客らしきカップルが試合中。見上げるとそこにはそびえ立つグロスミュンスター(大寺院)の塔のひとつ。横に回り込んで見上げると2つの塔が見えます。その下はこんな感じに石畳になっていて、教会の壁面には説明プレートが張ってありました。教会の正面側まで抜けて、向かいの建物を見ると落書きがあったりするのですが、重要そうな建物に被害が及んでいないのは、落書きする人にも分別があるとみていいのでしょうか(笑)。さすがに教会に落書きする人はいないか。さて、重い扉を開けて教会内に入ると、中の扉にも説明文がありました。椅子の並ぶ聖堂内部は天井が高く、自然光が巧く取り入れられていてとても落ち着く空間です。正面のステンドグラスも荘厳な雰囲気を醸し出しています。他にも観光客はいましたが、椅子に座っている人もいたりして、とても静かです。そんな中、やっぱり気になったのは手に持っていたCOOPの紙袋。慎重に動いてもカサカサ音を立てやがるんですから(苦笑)。とはいえ、見学に来たからには動き回ります。椅子にしばし座ってここまでの行動をメモ帳に書いたのち、後方から入口を見たり、前方に行って柱に展示してあった教会の平面図を見たり。下り階段を降りてみると、こんな半地下部分(奥側から撮影)がありました。何の部屋なのかは判りませんが、壁には石板があったりします。部屋を入口側から見るとこんな感じ。その背後にはこの人(リュック背負ってる人じゃないですよ)が。御神体か何かでしょうか(<宗教が違うぞ)。半地下から上がって聖堂の後方を見ると、上にはパイプオルガンがあったんですね。

 この教会の塔の上には登れるようになっているのですが、登らない手はありません。塔の入口は聖堂後方にあって、その前にいるお兄さんにお金(2スイスフランちょい)を払う必要があります。ここでは絵ハガキなんかも売られていました。で、いざ静かにお金のやり取りをしようとしたら、あっ、と手が滑ってコインがチャリ〜ン。って、おいおい何やってんだ(汗)。こんなところでそんなボケはいらんぞ!(>自分) 狙ったかのような不手際に我ながら泣けてきます(苦笑)。恐縮しつつすぐさまコインを拾って改めてお兄さんに料金を払い、気を取り直して入口へ。内部は途中まで螺旋階段になっていて、かなり狭い空間です。肩が当たるくらいのところに壁があって手すり代わりのロープが張られています。少し上がって下を見るとこんな感じ。普通の大人もすれ違うのが困難なほどです。お相撲さんだとひとりでも通れないかもしれません。そんな階段をおそらく2階分くらい上がったところで、6畳くらいの広い空間(振り返って見たところ)に出ました。この部屋の床面積が外から見たときの塔の断面積に相当するわけですね。そしてここからは壁に沿って伸びている木の階段を使って上るようです。最初は採光窓があったので明るかったのですが、どんどん上っていくに連れて暗くなるので、ランプの光だけが頼りです。暗い中を10mぐらいは上ったでしょうか、いきなり明るい空間に出たと思ったら、そこが最上階でした(出てきた階段を振り返る)。そこから四方の展望台(というベランダ風になっている場所)へ出られるようになっていて、チューリッヒの市街地を一望することができます。スッキリ快晴という天気ではありませんでしたが、そこからの景色はなかなか綺麗で、南のチューリッヒ湖を中心に南東から西にかけて眺めるとこんな感じで、東から北にかけて眺めるとこんな感じ。そうそう、さっき教会に落書きはないと言いましたが、展望台の手すり部分には観光名所にありがちな名前の落書きがいっぱいありました(笑)。どことなく面白かったのはこの似顔絵。回転焼の焼き印みたいな白黒のマークは太極印っていうんでしたっけ? それが一緒に描かれているので作者は東洋人かもしれませんね。あと適当に撮ったものを並べてみますと、手すりその外から真下を覗き込むとこんな高さで、隣には登れない方の塔を見ることができます。自分のいる塔の上部分を見上げればこんな感じで、ドアを通して東側から西側を見るとこんなふう。また、塔の内部にはここから観察できる(といっても双眼鏡でもない限り見えませんが)鳥の写真が張ってあったりします。ドアは本来8方向にありますが、そのうち解放されていない4箇所に写真が飾られているわけです。さて、いつまでも高いところではしゃいでいる時間はないので、ある程度満足したところで塔を下ることに。下りでは、上がってくる人とすれ違ったり、途中小窓からの切り取られた風景を写真に収めることもできました(この隙間感が好き)。木の階段を降り切ったところ(つまり螺旋階段の手前)の部屋には、この教会に関する絵などが飾られていて、この地域一帯の街風景の変遷を見ることができます。リマト側の左岸(東側)から右岸を見た構図で、15世紀頃1850年頃1960年頃の3つの絵がありました。ちなみに、突出している建物のうち、左がザンクト・ペーター教会、右がフラウミュンスター(聖母寺院)、奥に見える双塔の建物がグロスミュンスター(大寺院)です。って、なんか教会の話ばかりしていますが、そんなに信仰深いわけではなく、単純に建築物としての魅力に惹かれたからであります。

 ちょっと1箇所にとどまり過ぎましたが、グロスミュンスター(大寺院)を出てからは、こういう石畳の裏道を歩いて行きました。交差点で坂道を見上げて、少し下ってすぐ左折、そこの小道を行くと落書きが目立つこんな路地があったりします。坂道が多い街なんですね。本屋とかカフェなどの小店舗がいくつか並ぶその小道を抜けると、大通りに出ます。そしてリマト川に向かって下ると、路面電車の駅があって、その横の水飲み場では少女が水を飲んでいました。さて、この交差点を越えるとリマト川とチューリッヒ湖の境界付近に架かるケー橋です。最初に渡ったバーンホフ橋と同様、この橋にも路面電車が通っています。スイスとはいえやはり夏、比較的標高の低いチューリッヒは昼になり結構暖かくなっていました。だからなのか、なんと橋の欄干(というのかな)から川への飛び込みを繰り返している少年たちがいました。カメラを向けると「お前がいけよ」「いや、お前からいけ」みたいなやり取りをしていましたが、やがて1人が助走をつけて欄干を飛び越えつつダイブ! 周りの人の注目を集めていました。その橋の上からの眺望もなかなか素晴らしく、南のチューリッヒ湖から西側にかけてがこんな感じで、反対の北側を眺めると、絵にも描かれていた3大教会(勝手にそう呼んでいます)が一緒に見られます。

 その後、ケー橋を左岸川に渡ると、格調高そうな建物が立ち並ぶ一帯に出ます(スイス国立銀行もこの辺に)。そして道路沿いの公園を通り過ぎ、チューリッヒ中央駅前まで続くバーンホフ通りへ。スイス銀行の角からリマト川方向を脇見しつつ、200mほど北に歩いていくと、路面電車の路線が交錯するちょっとした広場に辿り着きました。この通りには多くの有名ブランド店が並んでいて、高級ショッピング街だそうです(どうりで人が多い)が、それらのブランド品には興味がないのでさっさと離脱。脇道を東へ歩き、午前中には見ただけだったフラウミュンスター(聖母寺院)前の広場に抜けました。ここでフラウミュンスター(聖母寺院)の中を見学してもよかったのですが、もう教会関係はお腹いっぱいだったのでやめて(笑)、地図で次の目的地までのルートを確認しつつ小休憩。その目的地というのはおもちゃ博物館。そこにある旧い鉄道のおもちゃが見たかったという理由もありましたが、今日月曜日に開館している博物館がそこぐらいしかなかったというのも理由のひとつ(しかも無料だし)。そこへ向かう途中、細い路地を通って広場に出ると、レストランの客相手に管弦楽団(といっても4人ぐらい)が路上演奏していました。が、下手に撮影してお金を要求されるのも嫌だったので写真はなしよ。その代わり、演奏をこっそり録音してきました、なんてこともありません(ないのか)。ちなみに曲目はモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のアレグロ。優雅な空気の振動を背中に受けつつ、再び路地へ入り、北に向かって坂道を上ります。振り返ると、ちょうどザンクト・ペーター教会が見える位置です(この教会の時計盤はヨーロッパ最大なんだとか)。この坂道を上り切ったところにあるのが、リンデンホフの丘と呼ばれる丘でした。ローマ字代の税関跡だそうで、ここからならリマト川もよく見えます。この広場の中央付近のベンチに座り、グミキャンディを食べつつちょっと休憩。ぐるりを見回すとこんな感じです。チェスに興じる人々もいますね。そうして約5分後、いよいよおもちゃ博物館へ足を運ぶことになったのですが・・。

 広場を北に出たのが午後1時過ぎ、坂道を西に下っていくと、すぐに目的の建物を発見することはできました。「おもちゃ博物館」の看板(一番上)も確認。博物館といっても建物の1フロアを占有しているだけのようです。ちょっとがっかりでしたが、まあ、無料だからそんなものかと気を取り直して建物の中へ。5階建てのビルで、おもちゃ博物館は5階にあるようですが、1階のロビィ(いうか廊下)にはショウケースの中におもちゃがディスプレイされていました。さて、その先に小さなエレベータ(手でドアを開けるタイプ)があったので、早速乗り込み、5階のボタンをポチッとな〜、と押したのですが・・・・反応がありません。何度押しても強く押してみても16連打(ただし10秒で)してもダメです、エレベータは動こうとしないのです。ひょっとして壊れてるのか?と思って、4階のボタンを押してみると、今度はガタンッという音とプッチモニ、じゃなくて音とともにエレベータは上昇を始めるではないですか。だからそのときは、単に5階のボタンが壊れていたのね、と納得したわけですが、実はそうじゃありませんでした。4階でエレベータを降り、隣の階段を使って5階に上がってみると、一枚のドアが目の前に出現。位置的に考えてこの中がおもちゃ博物館であるはずだったので、ドアノブに手をかけたのですが、なんと回りません。どうやら鍵が閉まっている模様(がーん)。ということはやっぱりエレベータしか道はなさそうです。しかし、階段で1階に降りてエレベータを呼んでもう一度5階のボタンを押してみるも、やっぱりダメ。残念だけど仕方ないなあと一旦諦め、ビルの外に出ようとしたのですが、そこであることに気づきました。あれ、もしかしてもしかするかもと思い、1階にあった各階の案内板を振り返ってみると、あ〜やっぱりそうか、営業時間が午後2時からじゃん! まだ1時過ぎだから開いてなくて当然ですよ。なるほどなるほど、きっとエレベータも営業時間になれば5階に行けるような設定になっているのでしょう。そう考えれば納得できますね。とてもそんな機能が付いているエレベータには見えなかったので、ちょっと考えが及ばなかったのでした。

 さて、予定外に1時間近くも待ち時間ができてしまったため、その間に郵便局まで絵ハガキ用の切手を買いに行くことにしました。で、おもちゃ博物館のあるビルを出ようとしたとき、出入口にある階段で大きなベビーカを下ろそうとしているご婦人に遭遇。もちろん赤ちゃんが乗っています。階段は数段しかなかったものの後ろ向きに降りている様はちょっと危なっかしかったので、ベビーカの前部を持って下ろすのを手伝ったのですが、これが予想外に重くて危うく落とすところでした(汗)。もちろんそんな動揺は表情に出しませんよ。ご婦人も無事にベビーカを下ろせて一安心、こちらも手伝っといて邪魔するような結果にならなくてほっと一安心(笑)。そこからバーンホフ通りに出て、高級ショッピング街を北上。路面電車が中央を走っていて、歩道に沿って菩提樹が植えられている並木道です。結構歩きましたがチューリッヒ中央駅までは行かず、西に左折してリマト川の支流のジール川に架かる橋を渡って中央郵便局がある方向に歩いていきました。川を渡ってすぐ信号待ちをしましたが、その間工事作業中のクレーンを見上げてみたり。スイスのクレーンはクレーン車ではなく、みんなこういうタイプの簡素な構造をしたクレーンなんですよね。コンクリートブロックをアームの後方にぶら下げてバランスを取っているようです。ナグラの研究所でお世話になったS村さんはある建設会社の社員さんなんですが、その人もよくこんなので建物を建てるなぁと感心されていたほどです(建築が専門ではないとのことでしたが)。そんなクレーンの道路を挟んだ向い側に、目指す中央郵便局はありました。最初入口がどこか判らず少し彷徨いましたが、ほどなくして入口を見つけ中に入ってみると、黒を基調とした建物内で照明も暗く、落ち着いた雰囲気です。振込み用紙などに記入するための台もいくつかあって、大まかなシステムは日本の郵便局と変わらない感じでしたが、唐突に液晶ディスプレイのiMacが置いてあったりして、少し嬉しくなります。で、肝心の切手はというと、どの窓口で買っていいのか判らなかった(というより英語で訊くのが億劫だった)ので、結局建物を出て壁に埋め込まれる形で設置してあった自動販売機で購入しました。1.8スイスフランで日本まで郵便物を送ることができるようですが、出てきた切手は料金がスタンプされているだけのものでした。ひょっとして切手の種類はそれほど多くないのかもしれません。郵便局はチューリッヒ中央駅にほど近く、無事に切手を手に入れたあとはトイレに行くために駅に向かいました。ちなみに駅側から見た郵便局がこれ。日本のやつに似た横断歩道の標識も写ってますね(実際の横断歩道は黄色い線です)。

 何度か通った駅構内に入ってみると、ウェルカムなマクドナルドの看板に初めて気づきました(看板だけで店鋪はありません)。しかし今は入れることよりも出すことが優先です。場所はだいたい分かっていたのでいそいそと地下へ降りたのですが、行ってみたらそこのトイレは有料(2スイスフラン)でした。ちょっと悩みましたが、我慢して別の場所を探すことにしました。たかだか160円をケチってますが(笑)、いくら綺麗だとはいえトイレに160円はどうかなと思ったので。というわけで、次にトイレを求めて向かったのは、昨日寄ったマクドナルドのそばにあったデパートっぽいところでした。予想通り5階あたりに男子用のトイレを発見(それまでの階には見つけられなかった)。無事用を足したあとは、店内で時間をつぶすことに。インテリアや書籍などを見て回りましたが、インテリアとしてのロウソクが1フロアを使って売られていたのが印象的。やがて2時になった頃、満を持しておもちゃ博物館へと戻ったわけですが、その途中でおもちゃ屋さんを見つけてしまいついつい中へ。ぬいぐるみやらミニカーやらパーティーグッズやら、いろいろ魅力的なものはあったのですが、もうお金に余裕がなかったのと荷物がこれ以上増えることを危惧して、見るだけにとどめました。一通り店内を回って2時半頃ようやくおもちゃ博物館へ。やはりエレベータのボタンは睨んでいた通りちゃんと作動し、今度は難なく5階へ辿り着くことができました。エレベータを降りるといきなりショーケースが並んだ部屋に出ます。そのときお客さんは他に誰もいなくて、部屋の隅に係の人らしきおばさんが2人だけ。その人たちに軽く挨拶をして、さっそく展示物を見せてもらいました。さっきも書きましたが無料です。展示スペースは狭く、1部屋+中5階(という表現が正しいかは判りませんが、屋根裏にあたるスペース)に、ショーケースがびっしり並んでいて、密度は濃い感じ。だいたい1800〜1900年代中頃までのおもちゃが展示されていましたが、鉄道関係のものと人形関係のものがメインのようでした。はじめは見ているだけでしたが、途中で写真撮影の承諾を得てからいろいろ写真に収めたので、鉄道関連のものを中心にいくつかご紹介しましょう(鉄道に詳しいわけではないので適当な説明しかできないことをあららこめご了承ください)。

 まずは駅舎の隣のデキと呼ばれる機関車っぽいかまぼこ型の車両森先生宅の庭園鉄道の4号機・デキ3に似てますね(にこにこ)。次の電気機関車は、ボディに穴が開いていて車輪が見えています(仕様ではないと思われますが)。その後ろに引かれる客車がこれ。ショーケース全体としてはひとつがこんな感じです。真鍮製でしょうか、2軸しかない蒸気機関車とか、もっと初期の頃の蒸気機関車などもあります。別のショーケースには炭水車付きの蒸気機関車や、さらに動輪ではないものの車輪の数が増えた蒸気機関車も。客車では屋根が開いて中に人形が入れられる寝台車が面白いです。部屋の壁側に目を向けると、人形関連の展示で埋められています。ドールハウスも旧いものから最近のものまで展示されていて、食器や部屋の小物の変化がよく判ります。鉄道関連では、他にプラレールのようにデフォルメされた車両こんなのとかこんなのがありました。あと、少しデフォルメされた寝台車も。それから、鉄道関連に比べれば少ないですが、自動車や飛行船のおもちゃ(白ひげの人形は多分船長でしょう)や船のおもちゃなんかもあり。乗り物以外では、ママゴト用の小さいながらもよく作られている磁器食器や、歪んだ絵の上に筒状の鏡を置いてちゃんとした絵を鏡面に映して楽しむおもちゃや、アニメーションのはしりとも言える残像現象を利用したゾートロープなども展示されていました。また、現代エリアとしての展示も兼ねているのか、部屋の角にはこんなスペースがあり、ぬいぐるみや絵本なども置いてあって実際に子供がここで遊べるようになっていました。でっかいレゴブロックはちょっと欲しいなと思いました(笑)。

 そうこうするうちに気が付けば3時。土産物も売られていましたが、おもちゃ博物館でも何も買わずにおばさんにお礼を行ってそのビルをあとにしました。さすがに歩き回っただけあって、帰りは迷うことなくチューリッヒ中央駅に到着。なんだかすっかり道を覚えてしまったようです。目を瞑っててもチューリッヒ市街を自由に歩けると言ってもいいかもしれません(5歩くらいなら)。駅に着いて早速ロッカから荷物を取り出し、昼食用に例の大きい自販機で500mlペットボトルのコーラを購入。荷物からはとりあえず絵ハガキを出し、忘れずに切手を貼って駅のポストへ投函。あとは届くのを祈るのみ。ホームにたまたま停まっていたフランスの新幹線TGVの写真を撮ったりして、長い編成の特急列車で空港駅のフランホーヘンに向けて出発したのが3時40分頃でした。そんなわけで、チューリッヒともこれでおさらばの一枚

 空港に着いてからはやることがなかったので、早めにチェックインを済ませました。そのとき荷物がどうのこうのと訊かれたのですが、リュックの方は預けるつもりでいたので勢いで「Yes!」と言ってしまった結果、リュックもショルダバッグも全部機内に持って入ることになってしまいました(苦笑)。せっかくiBookのあいぶっ君はショルダバッグに移してあって、荷物検査でまた申し出なくてもいいようにハサミはリュックに入れて預けてしまおうという算段だったのに・・。っていうか、てっきり荷物が多過ぎて全部は持って入れないもんだと思い込んでいたので、思わず全部持って入れるのかよ!でした。まさか、旅の最後になってなんでも「Yes」と答えてしまう日本人にありがちな失敗をしてしまうとは(とほ〜)。おかげでまた荷物検査のときにハサミのこと言わなければならなくなりました。今度は英語だからなおさら面倒そうです。

 出発時刻までまだまだ時間がありましたが、外の土産物屋には大したものがなく、上記の成りゆきで重い荷物も背負ったままだったので、さっさと出国審査を済ませてターミナルへ移動することにしました。しかし行ってみたら少ない椅子にはすでに人が座っていたため、腰を落ち着けることができません。しかたないので、通路の真ん中にあった手すりみたいなのところで荷物を下ろし、横棒にもたれて、遅めの昼食として昨日買っておいたチョコが挟まったコッペパンを食べ、コーラを飲みながら時間が過ぎるのをしばらく待ちました。このコッペパンは袋にいくつか入っていたのですが、食感が思っていたよりパサパサで、コーラ無しにはとても食べれたものではありませんでした。そこで一首。コッペパン、思った以上に、パサパサで、買ってて良かった、コカコーラかな。搭乗口手前の待ち合い室への入口が開くのは午後5時45分からで、パンを食べてしまったあともまだ時間があったため、重い荷物を再び背負って土産物が売られている近辺をウロウロしてみました。よっぽどの物が見つからない限りこれ以上買い物をするつもりはありませんでしたが、通路の真ん中のスペースにあったSwatchの小店鋪の前を何度か通り過ぎるうち、ある時計が気になり始めました。数ある腕時計の中でひとつだけ腕時計型ではない(吸盤の付いた足がある道路標識のような形をした枠に時計部分がはまっている)時計があって、せっかくスイスに来たんだから本場のSwatchが欲しいなと思っていたこともあり、見るほどにこれを買わなければいけないような気運が高まってきたのです。少し悩みましたが、大した荷物にもならないし、まいっかと、結局その時計を買うことに。決して販売員がグラマラスなお姉さんだったからではありません(笑)。そんなに高いものではなかったのですが、手持ちの現金では足りなかったので支払いはカードで済ませました。カードだと簡単に買い物ができますね(恐いけど)。

 やがて5時45分になり待ち合い室へ入ることになったわけですが、緊張しつつゲートをくぐり、正直に「ハサミを持っているんですけど」と英語で荷物検査係の人に伝えました。「出してみろ」と言われたので出して見せることに。すると、ハサミを見ていたひとりがハサミの先を手に当ててみて調べたかと思うと「おいジョージ、ちょっと来てくれ」みたいな感じで(もちろんジョージなんていう名前ではない)もうひとりの係員を呼びました。うわ、何が始まるんだと一瞬不安になりましたが、二人して刃渡りを定規で測ったり刃先の尖り具合を確かめたりした結果、なんと機内への持ち込みがOKになり、ハサミは返されたのでした。詳しいことは判りませんが、国によってセキュリティの基準が違うようですね。なにはともあれ面倒臭いことにならなくて一安心。待ち合い室に入ってトイレで用事を済ませたあと、まもなく搭乗開始となりました。日本航空の搭乗口なので、キャビンアテンダントのお姉さん方は日本人ばかりなのですが、日本から来たときにも見たことのある人が何人かいるような気がします。きっと路線ごとに乗る人がある程度決まっているのかなと思ったり。えーと、だからどうしたと言われても困りますが、お気に入りの人がいれば同じ路線に乗ればいいんじゃないですかね?(誰に言っているのか)

 座席は予約の段階では2階席だったのですが、乗客がえらく少ないらしく、チェックインしたときに1階の席を割り当てられていました。座ったのは後ろの方で、窓から翼がこう見える席でした。そして乗客全員が乗り終わってみると、ほんとに人が少なくてびっくり。平日だからでしょうか。他人事ですが、この少なさで元取れてるのか心配してしまうほどです。そんなわけで空席は沢山ありましたが、乗客はとりあえず所定の席に座らされて(ほとんどが後方の席)離陸を待ちました。その間、座席ひとつひとつに取り付けてあるディスプレイを早速点けて遊んでいたのですが、なんだか行きの飛行機のそれよりも機能が強化されています。スイスに居る間にバージョンアップがなされたのか、単なる飛行機の個体差なのか、いずれにしても操作感が向上されていて良い感じ。機外カメラも前方・下方・後方の3つがあって離着陸のときは楽しめそうです。映画やラジオの番組のラインアップは変わらず。そうして迎えた離陸時は、とりあえずディスプレイに機外カメラの映像を映し、離れゆくスイスの大地を眺めていました。あっという間に雲の上にまで上がり、しばらくすると窓の外には面白い形の雲が広がっていました。シートベルト着用サインが消えたあとは、何人かの乗客が席を移動。それぞれが横1列使いたい放題です。安定した水平飛行に移ってからも、外の景色は薄曇りで、ときどき西日によってできた雲の影が幻想的な光景を作り出します。離陸後1時間ほどで早くも夕食タイムになり、今度は和食を選んで出てきたのがこんなもの。肉が少ないだろうと思って選んだのですが、チキンカレーのチキンが思いのほかでかくてちょっとがっかり(っていうか、そもそもチキンカレーって和食か?)。とはいえ、味に特に文句は無く美味しくいただきましたけどね。食後はまったりしてきたので、ピーター・ラヴゼイ「苦い林檎酒」を読み始めたのですが、なんとこれがこの旅行初の読書でした。いかにスイスで読書する暇がなかったか判りますね(そりゃ移動中も写真ばっかり撮ってれば時間がないわな)。あと、行きの飛行機で観たのかこの飛行機だったのか忘れたのですが、映画の「タイム・マシン」も英語・吹き替え日本語を切り替えつつ観ることができたこともここに付記しておきましょう。全然想像していた展開とは違いましたが、結構楽しめました。「苦い林檎酒」はさすがラヴゼイだけあってとても面白く最初はすいすい読めていたものの、染み付いた習慣がもたらす眠気にはやはり勝てず、しだいに意識は途切れ途切れになり、ふと見ると外は真っ暗。深い青にオレンジの帯が印象的な夜の空です。そしてこの景色を見て満足したあとは、いよいよシート3つを使って本格的に眠ることになったのでした。


(8/27) 無理な態勢で寝ていたからか、スイス時間の午前2時頃に一度目覚めてしまいました。気づくと、いつの間にか窓のサンシェードが下ろされています。きっとキャビンアテンダントのお姉さんが閉めてくれたのでしょう。まだちょっと眠かったので再び横になって、次に目を覚ましたのが約2時間後。つまり日本時間の午前11時で、起きてまもなく朝食の時間となりました。朝食には選択肢が無く出てきたのはこんなやつ。オムレツにベーコンとマッシュルーム、パンとフルーツとヨーグルトが付いて、ボリューム的にはやや少なめの印象(個人的には満足な量ですが)。ディスプレイで飛行位置を確認すると、そのときすでに日本上空を飛んでいました。あと1時間ほどで到着予定です。サンシェードを開けると当たり前ですがすっかりお昼で、視界は良好雲の上にはブルースカイ。ゆっくり食事をしたあと、お約束のマイレージ会員になりませんかというお誘いがキャビンアテンダントのお姉さんからありました。今回のスイスとの往復距離もマイルとして有効だという話だし、たまたま日本航空のマイレージカードは持ってなかったので申込むことに。渡された紙に必要事項を記入して、再び通りかかったお姉さんに紙を返します。申込んだのはクレジットカードタイプではないノーマルタイプのマイレージカードで、それが送られてきてから今回の搭乗券の半券などを送ればマイルが溜まるようです。覚えておきましょう。っていうか、数年前アメリカとの往復でユナイテッド航空に乗ったときも同様にマイレージカードを作ったのでそのことは知っていたのですが、そのときは結局期限内に半券を送り忘れてマイルが無駄になってしまったんですよね。だから、今度は忘れないでおこうと思ったしだい(使う機会がなかなか無いですが)。

 さて、マイレージ会員への申込みが終わった頃には、すでに飛行機は高度を下げ始めていたでしょうか。時々細かい振動が体に伝わってきます。そうして随分と高度が下がってきたところで窓の外を見ると、ちょっと遠くの下の方に別の飛行機を確認(国内線でしょうか)。自分が飛んでるときに他の飛行機を見ることは滅多にありませんが、これくらい近いところで目撃すると、いかに空が混雑しているかを実感できますね。やがてどこかの半島上空を通り過ぎ、高度を下げながら太平洋上を一度大きく旋回してから成田方向へ進入。10数分後には成田空港へ無事に着陸となりました。ふぅ〜、とりあえず無事に日本に帰って来られて良かった良かった。お父さんお母さん妹にセイちゃん(実家の犬の愛称)、僕は無事に戻ってきましたよ〜。まあ、このあと名古屋までもう1回飛行機に乗らないといけないのですけども。

 着陸した飛行機は滑走路から誘導路に入り、長い距離を走って行って成田空港の第2旅客ターミナルの所定の場所に停止。シートベルトを外し、重たい荷物を持って忘れ物がないか確認。キャビンアテンダントのお姉さん方にお礼を言いつつ飛行機から出たのは最後の方でした。少ない乗客の流れの後ろに付いてターミナルを進み、入国審査もそれほど待たされずにあっさり通過(ここでも女性係員の列に並ぶしたたかさは忘れていません<そればっかりやな)。しかし、このあと時間を持て余すことになりました。成田に到着したのはお昼過ぎでしたが、乗り継ぎ予定の名古屋への国内線は、午後4時半の出発予定だったのです。うーん、暇ですね。東京まで行って帰ってくるには足らず、空港で何もせずに待つには長過ぎる時間です。でもまあ、無駄に交通費を消費するのも何なんで、空港で時間を潰すしか選択肢はありません。航空チケットには無料で自宅まで荷物を届けてくれるサービスが付いていたので、とりあえず荷物宅配カウンタなるところに行って重たいリュックを預けることにしました。別に預けなくても良かったのですが、次に乗る飛行機がかなり小さいらしく、機内に大きな荷物は持ち込むことができないため、預けざるを得なかったのです。このことを考慮してパソコンやチョコレート土産やその他大事なものなど、宅配される荷物には入れなくないものはあららこめショルダバッグに移しておいたしだい(パスポートやチケットなどは初めから薄いポシェットタイプの入れ物に入れていたので問題なし)。もらったものがすぐ役に立つという経験は少ないですが、学会でもらったこのバッグは役に立ちましたね(普段持ち歩きたくはないですが)。

 リュックを預けて身軽になったあとは、お腹が空いていたのと時間潰しのために、マクドナルドへ向かいました。そしていつものフィレオフィッシュを1つ買い、まだ残っていたスイスで買ったペットボトルのコーラとともに飲食。荷物の重量も減って一石二鳥です。その後、さらに時間を潰すために空港内の販売店や本屋などをうろうろしましたが、やはり大した娯楽は見つからず、いい加減歩き疲れてきたところで国内線のチェックインカウンタまで行き手続きを済ませることに。そして国内線の搭乗口へと続く入口の手前の休憩所まで行って、自販機で買ったジュースを飲みつつ仮眠(飲みながらは寝れませんが)。それでうとーうとーとしかけたそのときでした。ある重大な過ちを犯してしまったかもしれないことに気づいたのです(冷汗)。おいおい、まさかまさかだろ、そんなことあるわけないよな、ないないきっとない、何かの間違いだよ、うん、そう、たぶんそうだ、そんなことがあってたまるもんか、そんな恐ろしいことがもし本当だとしたら、そりゃもうなんというか、出発前のバスの乗り遅れにも匹敵するぐらいの衝撃ではないか、そんなことがまた起こっていいというのか、1度ならず2度までも、あははあはは、なんてちょっと笑ってられないぞ、ああ一体誰だ、誰が私をそんな目に合わせようとしているのだ・・、っていうかまぁそれはこの自分しかいないんだろうけど、それにしても体を張り過ぎではないか? もう少し楽なネタの作り方もあるだろうに、何がそこまでさせるのか・・、いやいやいや、早まるのはまだ早い、まだそうと決まったわけじゃないんだし、結論を急いではダメだ、うん、とりあえず落ち着いて、本当にそうなのか確認してみようじゃないか、よしよしええとじゃあ、まずはショルダバッグから。と、それを探し始めたのですが、隅々まで探してもそれは見つかりません。いやな予感はますます膨らみます。この中に無いってことは、もう探すところは限られてくるわけで・・ああやばいなあ、やっぱり無いのかなあ、と思いつつポシェットの中も、ズボンのポケットの中も調べましたが、結局それは見つかりませんでした(ブラックアウト)。これでほぼ確定的です。束の間に見た悪夢が今現実に・・。そんなことないそんなことないと自分に言い聞かせていた心の声も虚しく、バッグにもポケットにも目の前に本当に無かったのは、自宅や自転車や研究室の鍵が付いたキーホルダだったのです(改めてガーン)。なんたることでしょうか。考えられる可能性はひとつ、さっき宅配カウンタで預けたリュックの中に、おそらくそのキーホルダを入れっぱなしだったのです。すでに預けてからかなりの時間が経っているし、今からでは鍵を取り出せそうもありません。気づくのが遅過ぎました。もうほんとに、とんだ大失態ですよ。この身がたとえ無事に家に帰れたとしても、荷物が届くまでは鍵が開けられず、当然中に入って眠ることもできないわけですからね(ぷんぷん<自分に怒ってる)。不幸中の幸いで荷物は明日中には届きそうですが、しかしそれまで玄関の前にいなきゃいけないというのは、想像するだけで疲れてきます。誰が予想したでしょうかこの展開。旅にハプニングは付き物ですが、まったく、神様も最後に素敵なオチをプレゼントしてくれたものです(っていうか、いらねーよ!)。もうね、日記にでも書かないとやってられませんて(苦笑)。おまけにこのハプニング、あとに続くさらなる災厄の引き金にもなったのですが、まあそれはまた別のお話ということで・・。

 そんなわけで、すっかり気落ちしたまま荷物検査を通り、搭乗口手前にあった待ち合い室(というよりフロア)へ移動。中に入っても大型テレビと土産物屋さんがひとつあるだけで、面白味に欠ける空間です。こんなところで待ち時間をどうして潰せというのか(ショックのあまりネガティブになってます)。ゲームボーイ・アドバンスなど暇つぶし玩具がいろいろ売られていた土産物屋さんには、キャストパズルも置いてあったのでやってみましたが、以前解いたことがあるやつもなかなか解けずに、そこで解き続けるわけにもいかず、結局ストレスを溜めただけで(苦笑)出てきました。そして待ち合いフロアの椅子に座って時間が過ぎるのを待ちました。その待ち合いフロアは2階だったのですが、搭乗口は1階にあり、そこからバスで飛行機のいるところまで行くことになっています。搭乗開始時間が近づいて来た頃1階に下り、やがてゲートが開き待っていたバスに乗り込みました。で、飛行機の場所に行ってみると、うわっ小さっ。本当に小さい飛行機でした。どうやらバスに乗っていた人が乗客全員だったようで、1回の乗り込みで搭乗は終了。乗ってみると席も狭く、隣の人とも肘が触れ合いそうです。席が余っている大きな飛行機から一転、ギュウギュウ詰めの小さな飛行機に乗せられて、余計に狭く感じます。小さな飛行機なのでキャビンアテンダントのお姉さんはひとりだけでしたが、救命胴衣の実演を目の前で見られるのは小ささゆえですね(にこにこ)。

 さて、予定時刻よりも少し遅れて飛行機は成田空港を飛び立ち、約1時間の旅へ(12時間に比べれば短い短い)。さすがに食事は無く、口にしたのは途中で配られた飴玉ひとつ。飴でも満足です。やがて飛行機は小意気に揺れながら小牧にある名古屋空港に到着。ここでもターミナルビルまではバスで移動となります。ちなみに乗ってきた飛行機はこの大きさ(自家用ジェット並ですね)。外は風が強くてお姉さんのスカートも惜しい感じ(<そういう発言は慎むように)。ターミナルビルに着いてからは荷物待ちもしなくてよかったので、そのまま空港から名鉄バスに乗り、高速道路を通って30分ほどで名古屋駅に。そしたら駅ビルのテラス部分で花火が上がっていました。へぇへぇ、まぁ華やかでいいんじゃないですか(投げやりやな<家に入れないんだから投げやりにもなるわな)。それから地下鉄に乗って本山まで戻ってくるも、前述のように鍵を持っていなかったので出口付近に停めてあった自転車は動かすことができず、しょぼ〜ん。しかたないので自転車は後日取りにくることにして、家までとぼとぼと歩きました。といっても、家の鍵も無いわけで、帰ったところでどうせ入れません。なので、大学の研究室で夜を明かすことにしました。水道ガスは使い放題なので生活するには不自由しません(<生活しないように)。大学構内の理系ショップでシーフードUFOうなぎのおにぎりなどを買ってきて、夕食にそれを食べ、夜はインターネットを徘徊しつつ朝が来るのを待ちました。長い長い夜でした。

 本来なら家に帰るまでが旅行ですが、事情が事情なだけにこの辺りでスイス旅行記は終わりとしましょう。言うは難く行なうは易し、という感じの旅でした。こうして語るよりも、実際に行った方が何倍も楽です(笑)。なにはともあれ、長らく駄文におつき合いくださった皆様、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。ではまた、いつの日か。



スイス旅行記はここまで★

(8/28) もともとスイス時間に体が合っていたため、夜のうちは起きていても平気だったのですが、朝を迎えようかという頃どうにも眠たくなって、座ったままで寝るのも辛かったので、サロンのソファで横に。はっと気づいたときにはお昼前(うわ)。仮眠のつもりが思いがけず長い時間寝てしまいました。今日は成田空港から送った荷物が届く日です。午前中に届いてしまう可能性もあります。受け取り損ねたらそれだけ家に入れる時間も遅くなるので、うかうかしていられません。昼の12時頃、急いで家に帰りました。そして玄関前(正確にはアパートの横<部屋が一番端だから)で、宅配便を待つことにしました。誰か来たらすぐに顔を出せるようにと注意していたのですが、容赦のない眠気が襲ってきて、その場で座らざるをえませんでした。結局2時間くらい待つはめになったのですが、その間とても眠くて何度も夢の中でした。真夏らしく気温はしっかり高いので、心地の良いはずはないのですが、眠ってる間だけは至福のときでしたね(笑)。もうそれくらい限界でした。やがて宅配便のトラックの音が聞こえてきたときには、涙が出るかと思ったほどです(ちょっと大袈裟)。玄関前まで荷物を持ってきてくれたお兄さんに怪しまれながらも、無事リュックを受け取ることができました(眠くてミミズが這ったようなサインでしたが)。肝心の鍵はリュックのポケット部分にちゃんと入っていて、あ〜良かった、良かったよぉ(涙目)。

 さて、そうして2習慣ぶりの我が家に入ることができたのですが、部屋に辿り着くや否や、ほとんど何もしないまま布団の上に転がってそのまま深い眠りへ・・。次に目を覚ましたのが、午後8時でした。あらら、やっぱり時差ボケなのね(っていうか出発前から時差ボケだったけど)。荷物を整理しようとほったらかしだったリュックを開けてみると、自分への土産として買っていた岩塩(旅行記に書き忘れていましたが、COOPで買っていたのです)が、なんと入れ物の箱がちょっと破けてこぼれていたのです(がーん)。リュックの中は塩まみれ。こぼれた塩はそれほど多くなかったので、もったいないと思うことはなかったのですが、それをリュックから取り除く作業に小一時間ほどかかってしまい、帰ってきて早々何やってんだかとちょっぴり虚しくなりましたね(溜息)。その後、スイスに持っていっていた着替えを洗濯機にかけて、夜中でしたが全然寝れないのでシャワーを浴びてから大学へ。

 コンビニで買って来たカップヌードル塩味と手巻き寿司シーチキン明太を夕食に、夜はスイスで撮ってきた写真の整理などをしていました。一晩で終わる量じゃありません。全部で800枚ぐらいあって、いるものといらないものに選り分けるだけでかなりの時間がかかります(選り分けたわりにはほとんど採用してますが)。選んだ写真のサイズを小さくしてファイル名を変えて保存して、とあまりにも単純作業の繰り返しなので、人生の目的は写真整理なんじゃないかと思えてくるほどです(苦笑)。こんな日があとどれくらい続くのだろうかと途方にくれる夜でした。ふぅ。


(8/29) 帰国してから気づいて、「しまった〜」と思ったことがひとつあります。スイスへ出かけるとき初っ端からバスに乗り遅れて、かなり焦った様子は旅行記の始めの方に詳しいですが、実は同時にもうひとつ乗り遅れていたものがあったのです。それは、basil jamsさんとこの「フレミングに誘われて」の企画。「フレミングの左手の法則のポーズで写真に写ろうの会」にインスパイアされて始まった企画のようですが、このコーナが始まったのが、ちょうどスイスに旅立った日だったんですね。そのため、この企画を知ることもないままに乗り遅れてしまったしだい。で、帰って来てから気づいたため、せっかくスイスであれだけ写真を撮ったにもかかわらずフレミングの左手の法則のポーズの写真が一枚もないという結果になってしまったことが、なんだかちょっぴり悔しかったりします(笑)。まあ、それ以前に自分が写っている写真自体が少ないのですけど、偶然でもフレミングの左手の法則のポーズをしていれば、参加することができたのにねぇ。強いて挙げれば、パペット君の左手がそう見えなくもない写真がある程度でしょうか(なんせ指が1本だし<いや、1本じゃ法則を表せないやろ)。ただ、乗り遅れたとはいえ、スイスに居るときにもこの企画の存在を知るチャンスはありました。そう、あのダヴォスの学会会場であいぶっ君をネットワークに繋いだときです。そのとき普段見ているサイトをいろいろ回ったのですが、時間の関係上深くはチェックできなかったため、をかへまさんの日記の過去分までは見てなかったのです。それが考えられる一番大きな敗因でしょう。もっといえば、basil jamsさんのところをチェックしていればそれだけで気づけていた確率はかなり高いです。もうだから本当に残念。どれくらい残念かというと、学会発表に万全の態勢で臨めなかったことよりも残念なくらい(<力入れるとこ間違ってないか?)。

 昨夜から今朝にかけてひたすらスイスで撮ってきた写真の整理をし、明るくなってから帰宅。洗濯物を干して就寝となりました。そして目覚めたら午後3時。ずれてますね、生活リズム。時差ボケというかスイス行く前からこんな生活だったから環境に左右されない強固な体内時計を持っているというか。その後シャワーを浴びてコンビニで食料を買って大学へ出てきました。休んでばかりもいられません。夕食は塩ラーメンと手巻き寿司のシーチキン明太。さらにお腹を満たすため、スイス土産のチョコなんかも自ら食べました(笑)。そして今夜も写真整理に明け暮れる(暮れたあとですが)のでありました。かれこれ累計10時間くらいこの作業をやっています・・(溜息)。

 ところで、スイス旅行記数えてみたら(って数えたのはパソコンですが)10万文字ぐらいあるんですね・・。短かめの長編小説くらいですよ。我ながらちょっと書き過ぎというか、くだらんことを長々とよく書いたなと感心。今アメリカ旅行記なんか見たら、その短さに感動すら覚えますもんね(笑)。もう少し要点をまとめられるよう精進したいものです(日記に要点も何もないような気もするけど)。


(8/30) 今日も朝の涼しいうちに帰宅して一眠り。の前に福山通運から電話があって、「アップルからの届けものを 届けるけど時間の都合はどうよ?」という確認がありました。午前中は寝るつもりだったので、11時から12時の間に持って来てもらうことに。実は先日、アップルのオンラインストアでMP3プレーヤのiPodを注文していたのです(じゃじゃーん)。ちょっと欲張って10GBモデルです。それなりに値は張る代物で、ずっと前から欲しいと思っていたのですが、なかなか手が出ませんでした。それがスイスから帰ってきたらあっさりと注文。おそらくスイスでお金を遣ってきた勢いに上手く乗ったのだと思います。高速道路から下りたあともスピードオーバ気味に走ってしまうのにも似た感覚でしょうか。何かお金の遣い方を間違っている気がしないでもないですが、意外と早いiPodの到着に乱舞しつつ就寝。

 そしてチャイムの音に目覚めると、佐川急便さんでした。iPodを無事受け取り、さっそく中身を出してみて確認(ルンルン)。どうやら曲は1曲も入っていないみたい。うおー、早く大学のあいまっ君と繋げて1000曲近くを一気にiPodにコピィしたいぞ〜。しかし、今日は大学院の試験を受ける4年生のための壮行会で、みんなでとんかつを食べに行く日。今から大学へ行ってもコピィしている時間は無さそうです。と思って実際に大学に来てみたら、12時から出かけると思っていたところが12時半からだったようで、待っている間にあいまっ君からiPod(愛称はあいぽっどん<そのまま)に1017曲をコピィ完了させることができました。おお、確かに噂に違わぬ早さです。

 さて、iPodに入れた音楽を本格的に聴くのは後回しにして、12時半からは学生でとんかつを食べにH君のバイト先のとんかつ屋へ行きました。毎年恒例となっている行事です。10人くらいがカツランチやらとんかつ定食やらを注文していましたが、私はもちろん肉は食べません。とんかつ屋でとんかつを食べずに何を食べるのかといえば、いつものように海老フライ定食です(にっこり)。毎年書いていることですが、とんかつ定食よりも高いです。とはいえ、揚げ物を扱っているとんかつ屋だけあって他所の海老フライよりは美味しいと思います。どうせ来るのは年に1回くらいですし、少々高くてもたまの贅沢としてはいいんじゃないでしょうか(と自分を納得させている)。それに、スイスでの高くてそれほど美味しくもない食事を思えば、全然大した値段じゃなく思えますからね(笑)。ご飯と味噌汁とキャベツはお代わり自由なので、ご飯のお代わりをして久々に動けなくなるくらい食べましたが、大学に戻って来たんだから本当は動けないくらいという表現は言い過ぎです(<なら言うな)。しかし、夏の暑い盛りに、食べ過ぎで体が火照ってしばらく熱かったのには参りました(ふぅ)。

 帰国以来続けてきたスイスでの写真の整理は、苦しみながらも本日でなんとか終えることができました。といってもウェブ用に縮小して一通りファイル名を付けただけ。本当に大変なのは日記と対応させながら写真をリンクさせる作業です。写真の公開方法をたまには変えてみてもいいかもしれないと思う夜。ですが、たぶん変えないでしょう。

 ところでiPodですが、いろいろ触っているうちに、どうもリモコンが接触不良っぽいことが判明しました(ショック)。本体につながるコネクタ部分をある方向に押さないとリモコンが利かないという症状なのです。今のところサポートセンタに電話するしかない方向に傾いていますが、電話は嫌いなのでできれば使っているうちに改善されないかなあと、淡い期待を抱いています(ビビビビビ〜<期待光線の音<なんだそれは)。


(8/31) 夜通し写真整理をしていたため、本日は朝帰りとなりました。それから寝て起きたら午後2時。はは、いまさら驚くような時間でもありません。こうなりゃもうスイス人でいいですよ(<どういう開き直り方だ)。普通のスイス人すら日本に来たら日本時間で過ごすだろうに、スイスを離れてもなお頑にスイス時間で過ごしている私をスイス人と呼ばずして、一体誰をスイス人と呼べようか(いや呼べる)。目覚めた時やけに涼しかったのでひょっとして自分はまだスイスに居るのかと思ったくらいです(嘘)。すぐに涼しさの原因は大雨だということに気づきました。しかしその後だんだん晴れてきて、残暑の自己主張が強くなり、コーヒーを飲んだにもかかわらず暑さに耐えられなくなって、またしても横になって惰眠を貪ってしまいました(暑さに耐えられず眠るというのが我ながら凄いな<っていうか全然スイス時間に忠実じゃないぞ)。

 で、夕方頃一瞬目覚めたとき再び大雨が降っていたような記憶があるのですが、次に気づいた時には午後の11時でした。つまりほとんど寝て過ごしてしまったということですね(苦笑)。8月最後の日を寝て過ごす、夏休みの宿題を抱えた小学生の頃には考えられなかった贅沢です。贅沢を勝ち取るために人は大人になってゆくのだなあ(しみじみ)。その後、夜中に大学に出てきて本日初(寝ぼけて食べていなければの話ですが)の食事。

 昨日書いたiPodのリモコンのコネクタ部分の接触不良の件ですが、アップルのサポートページを見てみたところ、コネクタの差し込み方が甘かったことが判明しました。なんというか、単なる早とちりだったわけで、ぐっと奥まで入れてみたらちゃんと正常にリモコンが動作しました(わーいわーい)。でもこれ、まさかそんなに入るものだとは思えない固さなんですよ。もうちょっと使う人が分かりやすいような接続感にして欲しかったです。きっと同じことで不良品だと早とちりした人が多いんでしょうね。サポートページに載ってるくらいだし。この手のページが役に立ったのは稀ですが(って普段利用してないから当然)、なにはともあれ電話しなくて済んだのは素直に嬉しいことです。


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