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日々これ勉強(2002年8月の後半の1)

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十五夜お月さん見て8月(の後半の1)

(8/16) 致命的な忘れ物はないことを確認し、ようやくバスの中で落ち着くことができたわけですが、実はもうひとつ、忘れ物に気づいてしまいました(まだあったのか・・)。スイスの空港からチューリッヒ市街、チューリッヒから学会会場のあるダヴォスまでと、学会後の観光に伴う移動の計画を立てる上で鉄道の所要時間を調べる必要があったので、トーマスクックヨーロッパ鉄道時刻表を買ってあったのですが、それも出発時の混乱の中でリュックに詰めることを忘れていたのです。まったく、ことごとく詰めが甘い(<洒落のつもりか)。まあ、時刻表ぐらいいざとなったら現地でも調達できますし、トラベルミステリィばりの乗り換え(読んだことないのでよく解りませんが)とか想定しているわけではありませんので、無くても困りはしないと思うのですが、それでもせっかく持って行こうと準備していたのに忘れた、ということが悔しいですね。うむむ〜。

 まそれはともかく、余計な出費があったとはいえ無事昨夜のうちに名古屋を出発できたのは何よりでした。もしあのあとバスが無かったらと考えると恐ろしいですね。どれくらい恐ろしいかというと、成田空港に到着できなくてスイスに向かうことができなくなるくらい恐ろしい(そのままやな)。でもまあ、もう終わったことです、考えるのは止しましょう。そう、今自分はちゃんとバスに乗り、最後列の通路側の席に座り、隣の席には見知らぬおっさんが座っていて、東京に向かっているのです。万事OK。何も心配することはない。どうだ!見たか!このしぶとさ。バスに1本乗り遅れたぐらいで私のスイス行きがなくなるわけではないのだよ。わはは、わはは、わはははははははははははははははははははははははははははははー(<笑い過ぎ<っていうかよっぽどショックだったんだな)。

 え〜さて、バスの中では用意されていた毛布を羽織って寝ようとしていましたが、いつもこんな早い時間に寝ていなかった(スイス時間の生活だからね)ので、なかなか眠れませんでした。もともと夜行バスなんて寝にくいシートですから余計にです。そうやってもんもんとした時間を過ごした後、熟睡できないまま途中の休憩場所に到着。てっきりどっかのサービスエリアかと思っていたら、普通の地道の脇にある道の駅とも言えない自販機の並んだ小スペースでした。バスは全部で3台いたのですが、結構降りている人が多いです。煙草を吸う人、飲み物を買う人、トイレに行く人が狭いところにわらわらわらと。15分間ぐらいの停車だったでしょうか。再びバスは出発し、自販機で買った野菜ジュースも飲まないまま、ようやく眠りに就くことができました。そして気づいたら外は明るくなっていて、霞ヶ関をバスは走っていました。もうすぐ東京駅です。どうやらトラブルもなく東京に辿り着いた模様。まもなく東京駅の何とか口(忘れた)に到着し、バスを降りました。それが午前6時前。

 その何とか口から通路を通ってひとまず切符売り場を目指します。しかし、それにしても眠いです。異様な眠さです。ふらふらです。バスの中で少しは寝たものの、やはり躰に染み付いた習慣は誤魔化せないようです。まあ、それもスイスに行くまでの我慢。向こうに着いたらその習慣がぴったり当てはまることを信じて、今はとりあえず切符を買って成田空港に向かうしかありません。のんびりしている時間もないですし、頑張って歩きましょう(はあはあ)。駅構内の地図を見つけるまでいまいち自分の現在地が判らなかったのですが、まっすぐ進んでいたらやがて切符売り場が現れ、成田空港までの切符を買うことができました。地図も確かめ目的のホームへ。しかしその前に、汗臭いシャツをなんとかしたいところ(スイスに着くまでシャワーも浴びれませんから)だったので、トイレに入ってとりあえずシャツだけは着替えました。これだけでかなりましに。悪くても汗臭いキアヌ・リーブスの匂いくらいだと思われます。これで飛行機のキャビンアテンダントさんにも汗臭く思われることはないでしょう(笑)。

 東京駅から乗ろうとしていたのは成田線快速エアポート成田です。そのホームが4番線だということは判っていました。だから4番線を最初目指したのですが、近づくに連れて何かおかしいことに気づきました。空港へ行く路線ってこんなところにあったかな? うーん。と疑問を抱きつつそのまま進んでみると、ガーン、4番線は山手線じゃないか! 黄緑だよ黄緑。これからスイスに行こうってのに東京をぐるぐる回ってどうする。どこで間違えたのか・・。空港に行くのは確かに4番線だったと記憶しているんだけどなあ。と、もう一度駅の地図を確認してみたところ、うっは、4番線って3つもあるやん! 空港へ行くのは地下にある4番線かよ。っていうか、地下にも京葉地下総武地下があるじゃないか。なんだよもう、紛らわしいな。ホームぐらい通し番号にしとけよと言いたい。いや、実は目的のホームが地下にあるホームだってことは前も利用したので知ってはいたんですけどね、一度その地下へ降りる階段の前を通り過ぎたときに、電光掲示板に特急の成田エクスプレスの発車時刻しか表示されてなかったもんだから、もしかすると快速は別のホームかもしれないと思ってしまったのが間違いでした。それでしばし彷徨ってしまう結果に。とはいえ、乗り遅れるようなことはなく、予定よりも早い6時過ぎの快速に乗って成田空港へ向かうことになりました。朝早いせいかそれほど混んではいません。

 ところで、学会でスイスへ行くのに、何故独りで行動しているのか疑問に思われた方もいるでしょう(いない?)。実は書いていないだけで隣には最愛の人が一緒だったとか、ポケットにアメディオがいたとか、団体行動をしていたとか、そういうこともありません(笑)。最初からずっと独りです。理由は簡単で、単に他の人と別に航空チケットを取ったから。初めから別行動をするものと考えられてたということもありますが、あんまり先生たちと一緒に旅をするのもどうかなと思っていたので、これ幸いと独りで日程を考えチケットを取ったしだい。せっかくの海外旅行ぐらいのんびりいきたいですもんね(笑)。で、フタを開けてみたらリスクを減らすために私は直行便を選び、他の人は名古屋空港発の乗り継ぎありの便を選んでいたという、それだけのことです。ちなみに、先輩のS田氏も別の便で発つようなことを言っていましたが、学会が始まるギリギリの出発になるらしい。現地で会うことができるでしょうか。

 快速電車の中ではさすがに少し寝てしまいました。約1時間20分の道のりもあっという間です。今回利用する航空会社は日本航空だったので、空港第2ビル駅で下車。そこに繋がっている成田空港の第2旅客ターミナルを目指して歩いていくと、何やら警備態勢の強化中らしく、ターミナルの入口でいきなりパスポートの提示が必要でした。チェックしている場所は何箇所かありましたが、こういうところでも抜かりなく女性の係員がいる列に並びますね(笑)。チャンスは逃しません(何のチャンスだ)。そこをパスしたあとは、人々の流れに沿ってエスカレータで3階の出発フロアへ。その広い空間に入ってみると、人、人、人、人の群れでした。お盆直後とはいえ、まだまだ夏休み本番、海外へ行こうとする人は多いようです。飛行機の出発時刻まではまだ2時間以上あったので、チェックインカウンタの位置を確認し、しばらくフロアをうろうろ。フロアの奥に行くとさらに一段高いフロアがあり、そこには飲食店や旅行グッズなどを取扱う店が並んでいます。そこからカウンタのある場所を見下ろした一枚。ツアー客が目立ちますね。そうこうするうちに良い頃合になったのでJALのチェックインカウンタに行って搭乗手続きを済ませておくことに。荷物はリュックひとつで初めから手荷物として機内に持ち込む計画でしたが、実はひとつ問題を抱えていました。学会発表のポスタが未完成のまま出発となったため、現地で完成させるために若干の文房具も持ってきていたのですが、その中にハサミがあったのです。そして成田空港は警戒態勢を強化中らしく、あらゆる刃物類の機内への持ち込みは禁止になっているではありませんか。これは困ったことになりました。預ける荷物があればその中にハサミを入れることができるのですが、いかんせん荷物はリュックひとつです。預けなくても良いようにこの格好で来たのに、ハサミひとつの為にパソコンの入ったリュックを預けるわけにもいきません。で、そういう旨を搭乗手続きのときにお姉さんに相談してみると、出国手続きのところで係員に訊いてみてください、とのことでした。おそらく乗務員にハサミだけ預ける形になるそうです。なるほどね。到着後の荷物待ちをしなくてもいいというメリットが台無しになってしまいますが、まあ仕方なのないところでしょう。諦めます。

 搭乗手続きを済ませたあとは、再び上のフロアにある店をぐるりと見て回りました。結構な広さがあって多くの店が並んでいますが、まず最初に立ち寄ったのは時計店です。そう、忘れてはいけません。持ってくるのを忘れた腕時計の代わりの腕時計を買っておかなければならないのです。時計店はすぐに見つかり、一番安い2000円くらいの普通の腕時計を買いました。文字盤が小さくて女性用のような気もしますが、小さいのが好きなので問題なし。次に本屋に寄って探したのはコンパクトな和英辞書でした。出発前に泣く泣くリュックに詰めることを諦めたものなので、もし小さなものがあるなら手に入れておきたいところです。発表原稿を作る上でもあった方が便利でしょうからね。それでいろいろ見てみたのですが、それなりに小さいのもあったものの、それでもちょっとかさ張る大きさです。今背負っている激しくパンパンなリュックに入れるのは厳しいかもしれません(体積・重量とも)。だからひとまず辞書は諦めて、別の店を覗くことにしました。そして電子機器関連の商品を売っている店に入ったとき、便利なものを見つけてしまったのです。それは電子辞書。うわー小さい。しかも英和和英両用だ。これは惹かれます。一番安いのなら5千円でお釣がくる値段です。うーん、あとあと使えるかもしれんし、買っといてもいいか。よし、買おう! と決意するまでに30分くらいかかりましたが(苦笑)、結局買っちゃいました。時計は仕方ないとしても、日本を発つ前にまたしても結構な出費です。その反動かどうか、その後食べることになった朝食は、マクドナルドフィレオフィッシュセット(朝セット)でした。空港らしくここは外国人のお客さんも多いですね。

 その後、トイレで用を足して、重い荷物を背負ったままうろうろするのにも疲れてきたので、さっさと搭乗口に移動しておこうと下のフロアに降りました。ただ、その前にやるべきことがひとつありました。スイスフランへの両替です。トラベラーズチェックは持っていましたが、まだ現金は持っていなかったのです。スイス到着後のスムーズな移動のためにも現金はあった方が良いでしょう。というわけで大和銀行側の両替窓口で両替をすることに。申込み用紙に必要事項を記入し行列に並びましたがやっぱり混んでいます。順番が来るまで10分くらいはかかったかもしれません。並んでいる間に撮った写真がこれですが、左下の白いものはおそらく申込み用紙でしょうか(つまり失敗写真かよ)。約3万円分の両替が終わったあと、写真の「南」と書かれた垂れ幕の下あたりから入り、出国手続きのゲートへ。まずは手荷物検査の場所で荷物をX線に通し、自分は門をくぐります。特に異常はなくすんなり通ることができましたが、例のハサミの件を申し出ると、用紙に名前などを書かされ、取り出したハサミは封筒に入れられ持っていかれました。さらば我がハサミよ、スイスで再び会えんことを祈る。それから出国審査は係員(ここでも当然お姉さん狙いだ)と挨拶を交わした程度であっさり通過し、目的の搭乗口へと向かったのでした。

 スイスへ行く日本航空の搭乗口はE70方面でした。どうやらそれは1階にあるらしく、こういうところから降りて行くようです。そこを降りると2階部分はこのような別の搭乗口へと続くフロアになっていて、さらに1階への階段が続きます。そこも降りると搭乗口がいくつか並んでいるフロアに到着します。そこの端の方に目的の搭乗口がありました。出発時刻はもうすぐです。急いで近くのトイレで用を足したのち、搭乗券を機械に通して外に待っていたバスに乗り込みました。そう、飛行機まではバスで移動する方式なのです。飛行機自体久しぶりでしたが、バスで飛行機のところまで移動するのも久しぶり。ジャンボジェットとバスの組み合わせは初めてかもしれません。何故かわくわくします。ちなみにバスの中から出てきた搭乗口を見るとこんな感じで、バスの前方はこんな感じ。しばらくしてバスは飛行機のもとへ走り出しましたが、これが結構遠かったですね。成田空港の広さが判ります。そんな遠くに待機していたジャンボジェットに乗り込む人々。当然ですが入口までは階段です。そのジャンボの翼&エンジン。しっかりスイスまで飛んでくださいよ、とお願いするばかりです。

 機内の座席は当然エコノミィクラスでしたが、2階席(あららこめ予約してあった)で、これがなかなかに良い席でした。一段高いところなので窓から外を見るとこういう景色。それに、乗客の絶対数が少なかったこともあるのですが、いざ座ってみると横3列使い放題という有様。隣を見るとこれくらいの空き具合です。従ってどこにでも座れる状況でしたが、一応最初は予約してあった窓側の席へ座ってシートベルトを着用。まもなく定刻通りに飛行機は動き出しました。滑走路へ向かう間、お決まりの非常時の対処法などのビデオが流れました。しかし、それが終わってもかなりの間飛行機は走り続けます。なかなか滑走路に辿り着かないようです(かなり遠いな)。そのままスイスまで飛ばずに走って行くのではないかと思えるぐらいの時間走ってましたね(それは大袈裟)。また、窓から見える光景や飛行機の機外カメラの映像から、滑走路へ向かう道が飛行機で混み合っていることが伺えました。さすが成田空港。飛行機も渋滞です。動き出してから30分は経っていたでしょうか、ようやく順番が回ってきた我々を乗せた飛行機が滑走路に入り、一拍停まったのち、エンジン全開。ブレーキが解放され、機体は一気に前方へ滑り出しました。久々に感じる加速度にドキドキしているうちに浮き上がり、あっという間に上空へ。何度乗っても巨体が軽々と上昇していくのは不思議な感覚です(もちろん理屈は解っていますが)。10分ほどで雲の上に出ていました。もうひとつ雲の上。本当は離陸時の景色が面白いのですが、そのときはデジカメは使えないことになっているので、必然的に外の写真は雲ばかりになってしまいます。

 離陸後、約1時間でおつまみ(中身はあられ)が配られ、それを食べ終わった頃に昼食タイムとなりました。機内食は和食と洋食どちらかを選ぶことができるのですが、キャビンアテンダントさんが「マグロカツが変わってて洋食がお薦めです」とか言うのでその笑顔につられて洋食を選びました(笑)。で、食べてみたら確かにあまり食べたことのない味でしたが、水っぽくてカツ自体はイマイチだったかも。しかし全体的に見ればまあまあの食事でした。少なくともいつもの地上での食事にくらべれば、雲の上で食べる機内食は文字通り雲泥の差です。満足満足。しているうちに飛行機は日本海上空を通り過ぎ、ロシア上空へと差し掛かっていました。約11時間の空の旅、先はまだまだ長いです。そして今日という日も時差の関係上24時間以上あって、まだまだ先は長いのです。

 国際線に乗るのは2回目だったのですが、エコノミィシートにもひとつずつ前のシートに画面が備え付けられていて(非常口席はシートの袖から出てくるみたい)、映画や機外カメラの映像や音楽やゲームなどを楽しむことができるようになっているんですね。前回乗ったのはユナイテッド航空でしたが、こんな画面は付いていなかったような記憶です。まあ、3年もあればそれくらいの進歩は当たり前なんでしょうか。日本航空だからということもあるかもしれませんけど、比べられないのでその辺はよく判りません。いずれにしてもサービスが良くなるのは嬉しいことです。良い退屈凌ぎにはなります。それで、最初のうちは飛行機の現在地や速度・飛行高度などを示す画面とか、機外カメラに映る地上や雲の映像を見ていたのですが、そのうち飽きて、昼食までは持参していたピーター・ラヴゼイ「苦い林檎酒」を読んでいました。ピーター・ラヴゼイは文章が素敵でやっぱり面白いですね(にこにこ)。って結局読書で退屈凌ぎかよ! いやいや、ずっと読書というのも疲れるというか眠くなるので、食後はちゃんと何本か用意されていた映画を観ましたよ。飛行機でやってる映画って比較的最新のものが多いですが、このときやっていたのは「アイス・エイジ」「パニック・ルーム」「スコーピオンキング」「釣りバカ日誌」などでした。最初は「アイス・エイジ」の日本語吹替え版を観たんだったかな。そのあと一度横になって寝ました。シートが3列使えるので比較的快適に寝れます。で、目を覚ますといつの間にかサンシェイドが閉められていて、機内は暗くなっていました。そんな中観たのが「スコーピオンキング」で、出演していたヒロインがマルシアでした(笑)。まあまあ面白かったです。次に大人版の「ホーム・アローン」という噂の「パニック・ルーム」(これは字幕版)も観てしまいました。ジョディ・フォスターが良かったですね。それから英語に慣れておこうと「アイス・エイジ」の英語版も観たりして、ずっと映画の観っぱなし。頭が痛くなってきます(苦笑)。ええと、単純計算で8時間くらい映画を観てたことになりますもんね・・そりゃ疲れるわな(ふぅ)。

 さて、そうこうするうちに飛行機は北ヨーロッパ上空を飛んでいて、リフレッシュメントに洋梨のパイを食べ、到着予定まであと1時間となったところで、夕食になるのか朝食になるのか2度目の機内食となりました。これは洋食のみでこういうパスタ料理。ミートソースのミートが余計ですが、普通に美味しかったです。でも、明らかに食べ過ぎですね。じっとしたままで食事だけ出されていると、なんだか肥やされているかのような気分になります。ちなみに飲み物はずっとコーヒーで、これもちょっと飲み過ぎました。キャビンアテンダントさんに「飲み物いかがですか?」って訊かれたら、そりゃああなた「コーヒーお願いします」って答えちゃいますよ、毎回(笑)。おかげでお腹もリュック並にパンパンです。

 やがて飛行機は徐々に高度を下げていき、窓からは雲ばかりだけでなく、うっすら地上の緑も見えるようになりました。天気は良好のようです。ドイツ側からスイス上空に入って、着陸体勢に入ってからは約10分ほどで地上へ。チューリッヒのクローテン空港に無事到着したのは現地時間の午後3時過ぎでした。腕時計はもちろんすでにスイス時間に合わせてあります。搭乗口のあるターミナルに近づいて飛行機の動きが停まったところで窓から見た光景がこれ(よくわからんな)。スイスの玄関口にしてはそれほど大きな空港ではありません。2階席は飛行機の前方にあって出口も前方の非常口ですし、もともと乗客の数が少ないこともあって、早く飛行機を降りることができました。何ていう名前か知りませんが、飛行機からあの移動式の伸びる通路を通って到着ロビィ(出発ロビィも兼ねているみたい)の中へ。そして、他の乗客の流れと案内表示(もちろん英語が頼り)に従って入国審査のゲートまで行きました。が、その前に早速縄張りを広げました(つまりトイレに行った)。小便器のサイズはやっぱり大きく、左右の出っ張りが心もとない感じでしたね(つまり隣が気になる短さ)。こっちの人はそういうところは気にならないのでしょうか。これも文化の違いかなあ。

 入国審査の列に並んでみると、同じ飛行機に乗ってきた人がほとんどなので当然日本人ばかりです。まもなく順番が来て、軽く挨拶を交わし、パスポートに判を捺されただけで審査は終了。アメリカみたいに目的すらも訊かれませんでした。簡単ですね。ただ、さすがに空港内で写真を撮るのはまずそうだったので自粛。したがって空港の写真はありません。入国審査の次は荷物受取り場所に向かいます。預けた荷物はありませんでしたが、ハサミは乗務員に預けていたのでそれを受け取らなければなりません。言われた通りその辺で待っていると、アナウンスが日本語であり、日本航空のスタッフがいくつか封筒を持って現れました。そこで名前を告げて預けたときに書いた申込書の控えを見せて、我がハサミと御対面とあいなりました。すぐに筆箱の中に入れてリュックに仕舞います。見てみると他にもハサミを預けている人がいたようです。そのあとは普通に出口から出て、予習してきた通りに案内板の「Rail Way」表示に従って鉄道の駅を目指しました。駅は地下にあるみたいでしたが、そこへ行くには一度2階へ上がって渡り廊下を渡り、そこから地下へ降りることになっていました。空港ターミナルに空港駅が併設されている形ですね。その渡り廊下を渡って空港駅の建物の中へ入ったところでは、こんな人が出迎えてくれています(にしては空港に背を向けていますが)。初めパントマイマかと思いましたが、どうやら普通の人形のようです。彼の視線を背中に受けながらエスカレータに乗り、まずは1階へ降りました。ここに切符売り場があるのです。とりあえず今日のところはチューリッヒ市街で1泊の予定だったので、チューリッヒ中央駅までの片道切符を買うことに。切符の自動販売機があることは知っていましたが、ここはやはり人と触れ合ってなんぼでしょう、と窓口に向かいます。スイスの公用語はドイツ語フランス語イタリア語ロマンシュ語があって、だいたいがドイツ語らしいのですが、公共の場では英語もちゃんと通じるようです。というわけで当然英語で窓口のお兄さん(残念ながらお姉さんはいなかった)にチューリッヒまでの切符をくれ、片道くれ、セカンドクラスをくれ(スイスの鉄道は特急料金の設定はないけどすべて1等車と2等車があって値段が違うのだ)と話しかけたのですが、最初あんまり伝わらなくて焦りました(苦笑)。落ち着いて説明すると相手も解ってくれ、なんとか5.4スイスフランの切符をゲットできましたが、今のうちからこんなんでは、とてもまともな学会発表なんて望めませんね。くわばらくわばら。せいぜい当日までに精進したいところです(そんな短期間でできるとも思えないけど)。

 切符を手に入れれば、あとは電車に乗るだけです。ホームはさらに1階下の地下にあります。再びエスカレータで降りて、さて電車を待とうかなと思ったら、次に来る電車の案内表示を見てホームを間違ったことに気づきました(はは)。まあしかし、急いではいなかったので、ちょうどホームに入って来て出て行った電車を写真に納めてから、もう一度1階に上がって、別のエスカレータで隣のホームへ降りました。さっきまでいたホームを見るとこんな感じ。やがて、チューリッヒ市街行きの電車がホームへ入ってきました。日本で言う快速ような存在のSバーンという編成が、チューリッヒを中心に走っていて、これはそのうちのS16みたいです(他にS2がチューリッヒ市街に行ける)。扉はとても大きく、外側にドバァッとスライドして開きます。ちなみにドアはボタンを押して開けるようになっています。だからなのか判りませんが、電車が完全に止まる前からドアが開いて、人が降りてくるのです。これはちょっと新鮮。乗り込むと、Sバーンの路線図が入口付近にありました。全車両2階建てらしいので、見晴らしを考えて2階席に座ります。その車内はこんな感じ。色遣いは原色系で、レゴのブロックを彷佛とさせる車両です。地下から出てきて目に入る車窓から光景はこのようなもの。うーん、スイスにもこういう落書きはあるんですね。都会はどこもこんなものなのでしょうか。途中停まった駅はこの駅ひとつで、約10分間の乗車。チューリッヒ中央駅に到着したのは午後4時過ぎでした。

 チューリッヒ中央駅で最初に撮った写真が、この曙関(笑)。売店の前に置いてあったので何かの広告なんでしょうが、ドイツ語が読めないのでよく判りません(辛うじて解るのは“日曜日”ぐらい)。駅は1階部分に多くのホームが並んでいて(地下にもいくつかある)とても広く、このように開放的な空間です。別の角度からもう一枚。観光産業の国だけあって、観光客と思しき人もいっぱいです。そうそう、ちなみにスイスの駅には改札というものが無く、切符のチェックは電車の中の検札くらいなので、駅やホームへの出入りは自由なのです。入場券なんてものを買わなくても恋人とホームで別れを惜しむこともできます(笑)。バレなければ電車にも切符なしで乗れちゃいます(バレたら罰金が重いらしいですが)。このチューリッヒ中央駅では広い通路が南北を貫いていて、通り抜けが楽です(名古屋駅の構造に近いかも)。あと、スイスの駅で見かけるアナログ時計はすべて写真に写ってる同じタイプの時計でした(提携でもしているのだろうか)。

 実は、チューリッヒに着いたらまず写真に撮っておきたいものがありました。それは曙関ではなく(笑)、駅前にあるエッシャー像です。そんなわけで駅を出ると、早速エッシャー像を中心に駅前を撮ったり、道路を渡り正面に回って、アップで撮ったり、引いて撮ったりしたのですが、どうも記憶の中のエッシャーと似ていないことに違和感を覚えました。像に近づいてみて、生没年を確かめてみても、なんかちょっと昔の人過ぎるような気が・・。あまりスイスに関する知識が無かったので、エッシャーといえば画家のM.C.エッシャーだろうくらいのつもりで、このときは喜んで写真を撮っていたわけですが、のちほど公式サイトを見てみて勘違いしていたことを知ったのであります(とほ〜)。実にアホらしい間違いですが、ちょっとショックでしたね。スイスへ来た目的の半分だったのに(<そんなに占めてたのか!)。でもまあ、エッシャーだけがスイスではありません。気を取り直してスイスを楽しむとしましょう。

 エッシャー像の向いている方向に伸びる通りはこんな感じで、トロリィ電車が走っています。というかチューリッヒの大きい通りにはほとんどトロリィ電車トロリィバスが走っているようです。その正面の通りを1区画分くらい歩いて、西に曲り、再び駅の方に戻ってきて駅前で東を向くとこんな感じ。手前にあるのは地下へと続く通路(エスカレータもあり)です。それから駅に沿って西に向かって歩きました。泊まるホテルの方向がこっちなのです。駅のホームの上にある大きな屋根の存在感は抜群です。この道路を突き当たりまで行き、駅の地下通路を通って北側へ抜けます。しかしすぐにはホテルへ向かわないで、もう少し駅を見ることに。今度は一番北側のホームに沿って最初に降り立った駅の構内へ。そこから繋がっている、やたらと広い空間(ぶら下がってるものが気になります)を写真に納め、あとは帰りにもう一度チューリッヒへ来たときのお楽しみに取っておくことに。荷物をずっと背負っているのも重いので、再び西側に歩いてようやくホテルのある通りへと向かいました。この通りの入口にはオープンカフェみたいな店があって、早くもビールを飲んでる人たちで賑わっていましたね。そして100メートルほど行くと、目的のホテルモンナタが見つかりました。三ツ星です。駅からは歩いて5分ほどの距離でした。スイスといえども結構気温は高くて、歩き回って少し汗ばみました。

 ホテルでのチェックインはあららこめ用意してあったクーポンを渡し、名前住所等を書いて完了。フロントのお姉さんから部屋の鍵を受取り、言われたエレベータで4階へ上がりました。4階といっても日本と違って実際は5階分の高さです。エレベータは中庭風なところにあってこんな感じ(下から上まで)。部屋は404号室。入ってみるとベッドが2つ、ツインルームを独りで使う形ですね。入口の方を見るとこんなふう。。独りで泊まるにはちょっと広いですが、結構綺麗な部屋で良かったです。ちなみに部屋の鍵はこんな形をしています。それから荷物を広げ、パソコンやら着替えやらを出して、日記でも書こうかなと思ったのですが、旅の疲れか単なる習慣か、眠気に襲われうとうとしてたら、いつの間にか熟睡してました。ベッドに寝ながら見れる位置にこういうテレビがぶら下がっていましたが、それも点けっぱのまま、シャワーも浴びないままでした。

 こうして初めてのスイスを体験した長い長い一日が静かに終わっていったのです。っていうか、ほんと長いな!(苦笑)


(8/17) 昨日眠りに就いたのは夕方頃でしたが、なんと目覚めたのは午前4時。寝過ぎです。夕食は街に出てレストランとかで食べようかなと思っていたのに、このテイタラク。時差ボケと言うにしてはちょっと早起きなだけでそれほどずれているわけでもありません。単なる旅疲れでしょうか。そのあと、さらに2時間ほど二度寝してしまったのですが、それはいつものことですね(笑)。で、6時頃に起きたとき、一瞬自分がどこにいるのか判らなかった、なんてこともなく、記憶は普通に再生されスイスに居るという自覚がありました。っていうかむしろ、俺ってスイス人だったよなぐらいの馴染み具合でした(<それは言い過ぎ!)。それはともかく、目覚めてからちょっと気になることがありました。それは。なんとなくこそばくてもぞもぞします。まあしかし、それはいつものことで、ちょちょいと耳カキで掻いてやればだなあ・・・。ん? 耳カキ? あ、しまった。ドアが? そう、閉まった。って、そんなベタなギャグを言ってる場合ではなく、耳カキを成田空港で買ってくるのを忘れているではありませんか!(ガーン) ああ、ショック。大学を出るときにも入れ忘れ(いくつか置いてある)、家を出るときにも入れ忘れ、それで空港では忘れずに買おうと思っていたのに、今の今まで忘れていたとは、ショックだなあ。腕時計と電子辞書を買った段階で安心してしまったんでしょうね。耳カキのことはすっかり忘れていました。おそらくここスイスでは、耳カキなんて売っていないでしょう。サンドの飯よりおにぎりがいい、じゃなくて、三度の飯より耳カキが欠かせない身としては、これからしばらく耳カキのない生活が続くのかと思うと、少し落ち着きません。たとえるなら、愛煙家が煙草の無い生活を強いられるようなものです。果たして耐えられるのかどうか・・、というほど禁断症状が出るわけでもないですが、耳の中が痒くなったときはきっと耳カキが恋しくなるだろうという予感はあります。でも、仕方ないですよねぇ。どうしても我慢できない時は指でほじくって誤魔化すとしよう、うん。幸い、ほじり過ぎてか耳の穴は大きい方ですし。もしそれでもダメなら、薬局に行って似たようなものを探せばいいことです。それにはまず薬局を探さないといけませんが。

 耳カキショックにしばらく放心状態だった(誇張あり)ものの、すでにスイスの朝は始まっています。今日は学会会場のあるダヴォスまで移動しなければいけないのです。気持ちを切り替えていきましょう。というわけで、とりあえずバスルームに行って昨夜浴び損ねたシャワーを浴び、汗を流して気分一新。一応身なりを整えて、朝食を食べるためにグランドフロアにあるホテルのレストランに向かいました。宿泊客以外も入れるように通りに面した入口が開けられ、開放的な雰囲気のところです。朝食はバイキング形式で食べ放題のようでしたが、そこにあったのは、パン類シリアル類と、チーズ類ソーセージ玉子焼きの崩したようなやつと、ヨーグルト類フルーツポンチと、ジャムやらバター程度でした。まあこちらの朝食なんてこんなものなんでしょう。これでも普段の朝食よりは豪華なラインナップですから贅沢は言えません(笑)。給仕さんに「コーヒーか紅茶はいるか?」と訊かれたのでコーヒーを持ってきてもらうことにして、シリアルに牛乳をかけたものとパンと玉子料理を皿に盛って、あららこめカップやナイフ&フォークが用意されているテーブルのひとつに着席。コーヒーは専用のポッドに入って出てきて、暖かい牛乳もポッドに入って出てきました。これを自分でカップに入れて飲めということですね。このクラスのホテルではこれが一般的な形式みたいです。パンとか玉子料理を何度かお代わりをして、ヨーグルトも賞味。プレーンなやつと、普通に甘いのと、ブルーベリーか何かが入っているのの3種類ぐらいあって、一応全部食べてみました。事前にスイスのヨーグルトは美味しいという情報を聞いていましたが、実際食べてみると、特に驚くほど美味しいというわけでもなく普通に美味しかったです。確かに昔給食に出て来たような、粘性の高いプリプリしたヨーグルトの味に比べればとても美味しいと思いますが、たぶん日本のコンビニで売っているようなM永M治のヨーグルトと、そう大差ないほどの味なんじゃないかなという感想を持ちました。帰国して確かめてみれば判るでしょうか。コーヒーは3杯分くらいあって、全部飲んだら苦しくなりました(残すのが普通なのかもしれませんが、貧乏性なもので・・)。

 目的地のダヴォスまでは電車で2時間ちょいくらいで行ける予定だったので、9時頃までのんびり朝食を続け、部屋に戻ってみるとルームキーパの人がちょうど部屋を掃除しているところに出くわしました。あらら、荷物や着替えが広げっぱだよ。恥ずかしい。もう少しあとでやって来るものだと思っていたので油断してました。その後すぐに荷物をまとめ、部屋を出たしだいです。基本的にスイスではチップは要らないそうなので、1泊だけでしたし、何も置いてきませんでした。それどころか、パソコンとデジカメの充電はバッテリ、っていうかバッチリ(くだらんな)にさせていただきました(にっこり)。これで安心して旅の続きができます。いろいろ忘れ物はありましたが、電源プラグの先をスイス仕様に変換する器具を忘れていたら、もっと日記が短くなったことでしょう(笑)。というわけで本日最初の写真は、部屋を出てエレベータ横の渡り廊下。その背面の壁に飾ってあったもついでにパチリ。エントランスに降りてフロントのお兄さん(朝はお兄さんなのか)にチェックアウト・プリーズ。鍵を返した後、部屋に備え付けのミニバー(冷蔵庫にビールやジュースが入っているやつ)は使ったかと訊かれ、使ってないと答えるとあっさり終了。サンキューと言ってその場をあとに・・する前に、ひとつ頼みたいことがありました。実は、日本を出発する前にダヴォスでの宿泊先の予約ができていなかったのです(行き当たりばったりやな)。つまり今日移動したところで現地でホテルを探さなければならないことになり、それはちょっと面倒です。そう思っていた昨日、部屋にいろいろ置いてあった冊子の中に、ここのホテルと同じ系列のスイス国内のホテルが載っているものを見つけ、そこにダヴォスにあるホテルも紹介されていました。それで、その冊子を持ってフロントのお兄さんに「このホテルを予約したいんだけど・・」と言ってみたところ、ホテルに直接電話をしてくれました。相手が空室を調べるのを待っている間、「ダヴォスはリゾート地だから週末は混むんだよね」と微笑みながらお兄さんは言ってきましたが、なんとか7泊8日の予約が取れました。わーいありがとう〜!お兄さん(にこにこ)。非常に助かりました。途中クレジットカードの番号を訊かれましたけど、いやあカード持ってて良かったです。

 晴れ晴れした気分でホテルモンタナをあとにして、直接チューリッヒ中央駅へ向かいました。天気は快晴、気温は低く程良い涼しさ、朝の通りはこんな感じです。駅に着いて、昨日気になっていたホールにぶら下がっている大きな天使(?)を撮影。それから電車の出発時刻まで時間があったので、そのホールにある石のベンチに腰を下ろし、昨日までの行動を忘れないうちに手帳に書いておくことにしました(それをもとにして今この日記が書かれているわけです<10倍ぐらいに膨れてますが)。結局パソコンを持ってきても日記を書かないうちに寝てしまう可能性があることを思い知りましたからね。30分くらい経って、切符売場でダヴォスまでの片道切符(確か105フランくらい)を買いましたが、ここでももちろん綺麗なお姉さんが窓口に居る列に並びました(にっこり)<それしか考えてないのか。でもって10時9分発のランドクォート経由クール行きのIC(インターシティ)、いわゆる特急に乗り込みます。ちなみにランドクォートで乗り換えの予定。その車両はこんなふうで、電気機関車が客車を牽引するタイプです(しかし写っている機関車は最後尾)。ホームのずうっと端の方の2等車両に乗ったのですが、同じ2等車両でもちょっと古めの車両で椅子が堅く小汚い感じ。そして10時9分、時間通りに列車は動き出しました。ヨーロッパの鉄道はいい加減だという話はよく聞きますが、スイスはさすが鉄道王国だけあって時刻表に忠実ですね。

 座ったボックス席の前には夫婦らしき2人組が座っていましたが、これといった会話はなく、眠ったりぼんやりと景色を見たりしてました(お互いに)。チューリッヒ市街を少し離れるとすぐに大きな湖(チューリッヒ湖かな)が見えてきます。なかなか綺麗ですが、日本の景色と劇的に違うということはありませんね。30分間も走れば景色はすっかり田舎になりました。チーズとヨーグルトの国だけあってほとんどが牧草地。しばらく湖沿いに走っていると、やがてこういう切り立った山が現れ、ようやく異国情緒が感じられるようになってきます。氷河地形特有の急勾配具合が美しいですね。上の方に行くに従って植物が少なくなっているのは、標高の高さと岩質が影響しているのでしょう。う〜ん、地質学者には堪らない土地です(笑)。さらに標高の高いダヴォスが楽しみになってきました。

 一度検札があり、約1時間でランドクォートに到着。車内放送はドイツ語英語でなされているようでした。しかし、それにしても車内は子供達が終始うるさかったです。2等車とはいえ、マナーっちゅうもんがあるやろと、言いたいですが、ドイツ語が解りません(苦笑)。前に座っていた2人組も降りるようでしたが、向こうが先に席を立ち「グッバイ」と挨拶されてしまったため、なんとなく少し遅れて時間差で下車(笑)。ここでダヴォス行きの列車に乗り換えとなります。ホームに降りるとこんな景色で、反対側はこんなふう。そして隣のホームへスロープを使って移動したら、なんと別行動だった講座の面々が揃い踏みでした。どうやら同じ列車に乗ってチューリッヒから来たらしい。目的地が同じだと、狭いスイスでは遭遇の確率も高くなりますね。いつ会えるかと思っていましたが、案外早く会えて良かったです。なんだかんだ言っても、日本語で話せる相手がいるというのは安心感がありますからね。先生とか同期のT辺氏とかと挨拶がてらに軽い会話を交わしたあとは、写真を撮るためにホームを少し歩きました。後ろの線路に停まっていたのはこの赤い列車。私鉄の列車です。ダヴォスへもこの私鉄を使って向かうことになるようです。それから、全員が学会関係者ではないでしょうが、ホームにはダヴォスに向かう人がいて、あと、近くにいた小さくて可愛いディーゼル機関車をアップで。

 そうこうするうちに列車がホームに入ってきて、2等車に乗車。みんななんとか座れてほっと一安心。ランドクォートは標高400メートルくらいで、ダヴォスは1500メートルくらいあります。その間を、列車はゆっくり登って行くわけです。途中は結構な勾配もありましたが、比較的静かだったので歯車式(アプト式)ではなく、機関車が2両連結して登っていたみたいです。どんどん山を登って、1時間ほどでダヴォスの町に入りました。外を見ると、パラセーリングをしている人(ちょっと見にくい)や、小さな湖なんかが見えてきて、澄んだ空も気持ちいいですね。窓から入る空気の冷たさに、標高の高さを伺い知ることができます。ダヴォスの町に主要な駅は2つありますが、そのうちの奥側ダヴォス・プラッツ駅下車し、すぐにそれぞれのホテルへ向かいました。当然他の人たちとは別のホテルだったので自分だけは別方向に歩いたのですが、集合時間等を決めないまま別れてしまったのは迂闊だったかもしれません。携帯電話も持ってないし、連絡手段が限られてますからね。でもまあ、同じ町に居てどうせ同じ会場へ向かうのだから、いずれ再会できるとは思います。なんとかなるでしょう。駅を振り返るとこういう景色が望めます。太陽に近い場所にあるためか、陽射しがとても強く目が疲れそうなくらい見るものすべてが眩しいです。常に露出オーバな感じと言えばいいでしょうか。フォトショップで思わず補正したくなりますね(フォトショップ普段使ってないけど)。

 さて、チューリッヒで予約してもらったホテルは駅のすぐそばのバーンホフテルミナホテルというところでした。まだお昼過ぎだったので、チェックインは無理かなと思っていたのですが、ロビィに入ってうろうろしてたら鼻ヒゲを生やしたホテルのオーナらしき人に「お、何か用かい?」と声をかけられ、たどたどしい英語で予約してある旨を説明していると「まあいいから、とりあえずここに名前と住所を書いてくんな」とフロントの方へ連れていかれ、宿帳みたいなものに名前や住所やパスポートナンバなどを書かされました。そしていつの間にかオーナらしき人はいなくなっており、予約の確認をしてくれたのは別の女の人でした。ちゃんと予約はされていたようです(良かった)。そのあと、その女の人に部屋の鍵を渡され、もうひとつホテルの入口の鍵の説明(部屋の鍵をフロント横の壁にある鍵穴に戻すとホテルの入口の鍵が取れるようになっていて、外に出るときはその鍵を持って出るようになっているらしい)も受けて、その他とてもグッドなサウナもありますよという話も聞いてから、エレベータで3階(日本で言う4階)へ向かいました。するとこのエレベータがまた変わっていて、ちょっと日本では見かけないタイプのものでした。ドアはスライド式じゃなくて部屋のドアと同じように一枚戸が開くタイプで、エレベータがその階にいるときだけ手で開けることができるようになっています。しかも二重にはなっていないので、エレベータに乗り込み、動き出すと、相対的に動いている壁や各階のドアに触れることができるのです(<触れないように!)。もしエレベータが動いている途中でドアが開いたりすると、ギロチンみたいな状況に陥る可能性もあるわけ(開かないけどね)。そんなドキドキのエレベータ萌え(<萌えとか言うな)。あとから判ったことですが、このタイプのエレベータは古い建物になら他にも結構ある、こちらでは一般的なタイプだったようです。

 部屋はエレベータに程近い303号室で、入ったところがこんな感じで、もう少し進むとシングルベッドが見えます。そのベッドの枕の上にはこんなチョコレートがひとつ。旅館のお茶菓子みたいなものでしょうか。スイスでの初チョコ、早速美味しくいただきました。窓からの眺めは良い感じ。空も山も綺麗です。と眺めていたら、突然変な物体が横入り! なんだこれは。え、逆光でよく見えない? それじゃ部屋の中に移動して・・ジャジャーン! って、おいおい、いつぞやのパペット君(名前はまだない)ではないか。なんでこんなところにいるんだ(笑)。ん?なになに? スイスの壮大な景色をバックに写真に写りたかったって? ほう、そうか。あんたの主人は電池交換までした腕時計を持ってくるのを忘れたくせに、そういうくだらん企画でキミをリュックに入れるのは忘れなかったというわけか(笑)。感心な心掛けですね(にっこり)。ええ、というわけで、パペット君はまたどこかで登場することでしょう(楽しみにしたい人はお楽しみに)。ちなみに今度の鍵はこんな形で下にあるのはフロントでもらった町の循環バスが乗り放題だったりケーブルカーなどが割引になったりする優待券です。さらに部屋の入口を見るとこんな感じで、バスルームはシャワーを浴びる場所に扉が付いていたり、トイレの水を流すレバーがこんなふう使用後)だったり、わりと機能的にできています。

 といつまでも写真を撮ってばかりもいられません。本日の午後2時から学会のレジストレーションの受付開始だったので、荷物の開封もそこそこに学会会場へ向かうことにしました。部屋を出て、再びエレベータ(おそらく「押してください」と書いてある)に乗ってグランドフロアへ。教えられた通り部屋の鍵をフロントに預けて代わりにメインの鍵を持って、線路に沿って東に歩いて行きました。途中で地図を確認して、メインストリートの方へ上り、道に沿ってさらに歩いて行くと比較的新しい教会らしき建物がありました。といっても会場はここではありません。もう少し先まで歩き、建物が少なくなってきたところに学会会場のコングレスセンタの入リ口がありました。段差のある土地に建てられているので地下と呼べばいいのか下から2階にあると言えばいいのか判然としませんが、とにかくメインストリートから坂を1階分下ったところにある入口からコングレスセンタに入っていきました。そこにあるレリーフ調の看板。入口は自動回転ドア(中に入ると勝手に回る)で、左回りでした。

 中に入ると、すでにレジストレーションの受付は始まっていて、事前登録が完了している人は表示されているイニシャルのところで封筒らしきものを受け取ることができるようです。レジストレーション自体はファックスで事前に済ませていたつもりでしたが、実は手続き完了のファクスもメールも返ってこなかったので、本当に自分が登録されているのかは判らず、少し不安でした。もし受付に行って自分の名前がなかったらどうしよう、でも行ってみないことには判らないし、いやだけどやっぱりヘルプデスク(困った時の相談所みたいなところ)に先に行ってファックスが届いているかどうかを確認してもらった方がいいだろうか、などとしばらく逡巡(意気地無し)。英語で訊かないといけないだけに、頭の中で話すことをシミュレーションするわけですよ、いろいろと。そうやって考えた結果出た結論は、講座の他の人たちがやってくるまで待とう、でした(苦笑)。まあ急がないしね〜。で、待つこと30分。待ち合わせをしている振りして待ち続けました。特に約束をしていたわけでもなかったので、講座の人々がやって来る保証はありません(すでに来たあとかもしれないし)でしたが、一度外に出てみたところ、入口付近でちょうど先生方と出くわしました。わぁ、我ながら良い勘をしてますね(笑)。少し後ろからやってきたT辺氏と一緒になって再び会場内へ入り、その勢いでレジストレーションの受付まで行くことができました(TとSは隣同士)。その結果、ちゃんと登録されてたました。受付番号なども手帳に書いて用意していたのですが、その場では名前を訊かれただけで、無事自分の封筒を受け取ることができたしだいです。中にはネームカードと登録料金の領収書(カード払い)が入っており、さらに学会のロゴなどがプリントされた大きめのショルダーバッグも渡され、その中には発表プログラムや分厚くて重い要旨集と、あとブロックが8つ(つまり1面が4ピース)からなるオリジナルルービックキューブまで入っていました(いらねー)。どうりで周りの人たちは同じバッグを肩に下げているわけです。っていうか荷物増え過ぎ。せっかくリュックひとつでスイス旅行しようと思って来たのに、いきなりバッグがもうひとつ増えるなんて思ってもみませんでした。しかも要旨集のせいで重い(ぐはっ)。ただ、ものは考え様で、パソコンを持ち運ぶのにはちょうど良いし、会場までの往復用の鞄として活用できそうではあります。それに帰りの飛行機でもパソコンを別にしてリュックを預けることができそうだ。うん、いいかもしんない。そうしようそうしよう。

 T辺氏は先生方とすでに食事を済ませていたようでしたが、レジストレーション終了後軽くお昼ご飯でも食べようということになりました。しかし、会場の外にあるトーテムポールを写真に納めてから、レストランかカフェを求めてホテルのある方向へ戻りかけたとき、研究員としてうちの講座に在籍中のインド人A氏に遭遇。彼も単独でスイス入りしていたのですが、偶然にも意外と早く会うことになりました。というわけで、急遽彼と行動を共にすることに(ああ、昼食が・・)。再びコングレスセンタに戻り、彼のレジストレーションが済んだあとは、時間もたっぷりあることだし、ダヴォスの町をブラブラ歩いて回ることになりました。とりあえずメインストリートを東へ。道路沿いに見られるキュートな家や雄大な景色はどこを見ても素晴らしい、とはA氏の弁。確かに景色は素晴らしいですね。まず最初は、A氏がメールのチェックをしたいとか言い出したので、歩いていたら運良く見つかったインターネットカフェ(というか電器屋さん)に入りました。彼がパソコンと向き合っている間、T辺氏と私はジュースを買って(その店で売ってた)飲みながら外で待っていました。そのときに駐車場に入ってきた車に犬が乗っていたので思わず一枚。ゴールデン・レトリーバーでしょうか、つぶらな瞳が可愛いです(にこにこ)。そのあとは、道なりに景色を見ながらただ歩いて散歩となりました。

 途中で南に下って、線路を渡り、少し住宅が集まっているところでに会い、その道をさらに南へ。やがて周りは牧草地となります。緑色が眩しいです。それから前方より歩いてきたおじさんにお願いして、美しい景色をバックに撮ってもらった3人の写真がこれ(右の人は首根っこを掴まれているのではなくて肩を組まれているんですよ)。あまり言葉は通じなかったものの、そのおじさんは快くボタンを押してくれましたね。お礼を言って堅い握手までして別れ、その後もこういう景色こんな景色に見とれるばかり。でしたが、さらに進んだところで工事中に出くわしました。工事中といえばそう工事中の看板ですね(にっこり)。おそらく森先生はすでに持っておられるとは思いますが、一応スイスの工事中の看板を森先生に捧げましょう。そしてその先に見つけたのは、TOYOTAの販売店。こちらでも日本車は結構目にするのです。あと、納屋らしきところにぶら下がっていたよく判らないものとかも撮りました。何かの魔除けでしょうか、十字架に見えなくもありません。反対側を見れば、遠くで農作業をする人がいたり、再び東側に目を向ければ、絵画のようなコントラストのはっきりしたハイジな景色。ちなみに今回は立ち寄る予定はないのですが、ハイジの里はダヴォスに来る途中のマイエンフェルトにあるようです(ペーターの小屋もあるとか)。実はこのあと午後6時から、学会の前夜祭みたいなアイスブレーカー・パーティが予定されていたので、それに出るために、十字路に差し掛かったところで右折して西へ進みました。途中小さなゴルフコースがあり、広くなった道を右折して、再び踏切を渡って北上しようとしたそのとき、ちょうど列車が近づいてきたらしく遮断機が降り始めました。さあ、シャッタチャンスです。A氏もカメラを構えてどちらから列車が来るのか気になる様子。あっちからじゃない? いや、こっちだろう。なんてやりとりをしているうちに、音が近づいてきたのは背後から。おいおい、逆やん!と気づいて振り返り、最後尾を狙って撮ったもののこの程度。この車両はおそらく氷河特急ですね。ダヴォスは氷河特急の発着地のひとつでもあって、この特急にはいずれ乗車する予定であります。

 さて、地図も無しになんとなく歩いてコングレスセンタに辿り着いたのがちょうど6時。1階(メインストリートから見ると地下2階)から建物内部へ入ってみると、すでにパーティは始まっていて会場は大にぎわい。パーティといっても立食で、ほとんど飲み物しかありません(ビールかワインかジュース)。ただし飲み物の量は半端じゃありませんでした。そんな飲み物片手ににっこり笑顔のT辺氏とA氏。みんな飲みながら談笑しています。中には地球化学界の重鎮もちらほらと(教えてもらわないと顔は判りませんが)。ほどなくして、今回の学会の取りまとめ役みたいな人が司会として壇上に上がり短くはない挨拶のあと、余興としてスイスホルンの演奏が始まりました。なるほど、こういうパーティなのか、と思ったのも束の間、ほとんどの人が話に夢中でだ〜れも聴いていないのです(苦笑)。おいおい、いいのかこんなんで。演奏者に失礼じゃないか。さらに壇上のおじさんたちはヨーデルも披露してくれたのですが、そのときも聴いているのは一部の人だけ。さすがに会場の雰囲気に腹が立ったのか、ヨーデルの終わりにはシャウトしていたほどでした。確かにこんな状況の中で演奏するのはバカバカしいだろうなと同情したしだい。これは明らかに主催者側の配慮不足ですね。せっかくのスイスの伝統音楽の生演奏を、BGM代わりにしてしまってはいかんやろ。という自分たちも、パーティは途中で抜け出して、午後7時半頃他の人たち何人かと一緒に夕食を食べに行くことになりました。

 メインストリートではなく、会場の外にあったこんな噴水(真ん中はクマですね)の前の遊歩道を通り、レストランを目指しましたが、その途中でなんと道ばたにが積もっていました。人為的に集められたものだとしても、ずっと残っているぐらいの気温だということです。このとき上着を持ってなかったのですが、半袖ではさすがに寒く感じます。坂を登ってメインストリートに出たところにあった、キーボードを演奏しながら生で歌っている人(お抱え歌手みたいな感じ)がいるレストランに入り、そこのオープンテラスで夕食となりました。空を見上げると欠けた月サマータイムの期間中にもかかわらず8時前で空がまだこの明るさなのは、緯度が高いせいでしょう。メニューを見るとドイツ語で、さっぱり解らないので英語のメニューを持ってきてもらったのですが、それでもどんな料理なのかは依然としてよく判りません。みんなそれぞれいろいろ注文しましたが、スイスカレーは不評でしたね(全然カレーじゃないらしい)。ちなみに自分が注文したのは無難そうなサフランリゾット。香りが強くてイメージしていたリゾットよりも水分が少なめでしたが、まあまあ食べられるレベルでした(笑)。他の料理もいくつか味見させてもらいましたが、これは美味しい!と言うほどのものは無かったです。そうそう、何かと料理にピクルス(漬け物みたいな位置付けか)が付いてきたのですが、量が多過ぎでしたね。こんなに酸っぱいものそう沢山は食べれません。あと、やはりチーズを使った料理が多いです。しかし、何故か小麦粉を練って作ったようなすいとんみたいなものも、いくつかの料理に使われていました。地方の郷土料理なのかもしれません。やがて辺りには夜の帳が下りて、気温もぐんぐん下がっていました。飲み物はビールを飲んでいたものの、全然寒いったらありゃしません。まるで冬みたいです。というわけで、食事が終了したあとは、のんびりすることもなく、そそくさとそれぞれのホテルへ。肌は寒くて仕方なかったですが、奢ってもらって食事代は浮いたので、懐が寒くなることはありませんでした。ごちそうさまでした。

 ホテルの自分の部屋に戻ると、そのままばったりベッドに横になり、そのまま眠ってしまいました。ああ、ポスタの準備もまだやらなあかんというのに、なんと健康的なことか(<布団はかぶってないけどな)。ぐーぐー。


(8/18) 昨日眠りに就いたのは9時頃でしたが、なんと目覚めたのは午前4時(って昨日と同じような書き出しやな。と書いておけば昨日の書き出し部分を確認するために画面をいちいちスクロールさせる人がいるに違いない<嫌がらせか)。昨夜はポスタの準備はおろかシャワーも浴びることもできずに寝てしまったわけで、普通に睡眠時間は取れているはずなんですが、あまり寝た気がしません。ふと気づけば布団をかぶってない。ああ、そうか。ちょっと横になったつもりがそのまま眠ってしまったわけね(服もそのままでしたが、これは寝巻きを持ってきていないのでほぼ予定通りの格好)。ちょっと肌寒し(ぶるぶる)。夏とはいえ、さすがに高地の夜は冷え込みます。せっかく早起きをしたんだから昨夜できなかったポスタの準備でもしようかと一瞬思いましたが、このあと布団をかぶり直し、睡眠第2ラウンドとなりました。3時間程度でしたが、この二度寝の方が心地良かったです(笑)。おかげで頭も躰もスッキリ爽快。うーん、それにしても寝過ぎ。どうしてこんなに眠いのか。日本にいた頃とは人が変わってしまったかのような小学生並みの早寝早起きになっています。やっぱり時差ボケによる影響でしょうか(時間は合ってるけど)。

 シャワーを浴びて体を温め、身支度を整えてから朝食を食べにグランドフロアにあるレストラン(このホテルには洋食と中華の2つのレストランがありますが朝は洋食の方だけ開いている)に向かったのが午前8時過ぎでした。ここもシリアル、パン、チーズ、ヨーグルトなどを好きなように取って食べる方式です。やっぱりこれが一般的なホテルの朝食のスタイルみたいですね。ハムとかゆで卵もありましたがそれらは取らずに、シリアルとパンとチーズとヨーグルトをコーヒーとともにいただきました。昨日の夕食と比べれば質素なものですが、個人的にはこの朝食メニューの方が好みかも。変にクセのある凝った料理を毎日食べるより、シリアルと牛乳だけの方が長続きするような気がします。単に食事にそれほど興味がないだけかもしれませんが。あ、ただ、ここの朝食メニューで、一見水分の多いツナとフルーツのマヨネーズ和えみたいに見えた料理が、食べてみたらツナなんて入ってなくてツナだと思っていたのは味の薄い穀物を練ったっぽいものだったのには、ちょっとガッカリしました。細かく刻まれたフルーツは入っていてほんのり甘いしまずくはないのですが、ザラザラした舌触り以外に特徴のない料理なのです。おかずとして食べるにはあっさりし過ぎだし、デザートとして食べるには炭水化物然とし過ぎといった感じ。その中途半端な食感のせいであまり沢山食べる気にはなりません。ツナ好きとしては、なんだか裏切られた気分(笑)。もうこの料理は食べないでおこうと決意したダヴォスで迎える初めての朝でした。コーヒーはここでもポッドにカップ3杯分強入っていましたが、朝から3杯以上のコーヒーは苦しいです(<飲まなきゃいいのに)。それからチーズは種類によっては美味しくないのもありました(好みの問題でしょうけど)。ヨーグルトは普通に美味しかったです。

 さて、朝食後はすぐに荷物を持って、学会会場に向けて出発しました。町の中を巡回するバスに無料で乗れる例の優待券を持っていましたが、ホテル横のバス停で時刻表を見たら次のバスまで15分ぐらいあったので、会場まではブラブラ歩いて行くことに。学会初日の本日はそれほど聴きたい講演も無かったので時間的余裕はあるのです。昨日とは違って、ホテルの窓からも眺められる駅前の教会の時計台の横の坂道を登って、ずっとメインストリートを歩いて行きました(右側通行ですね)。道路沿いには高級ブティックや土産物屋、レストランやカフェ、映画館や不動産屋、カジノまで揃っています。観光客を狙っているのか物価は高そうな町です。夏は避暑地として、冬はスキー客で賑わうところみたいですが、どことなく日本の軽井沢とイメージがダブります(軽井沢行ったことないけど)。空は相変わらずよく晴れています。こちらへ来る直前までドイツとかオーストリアの方では大雨が降っていたのでスイスは大丈夫だろうかと心配していたのですが、まったくもって心配無用でした。むしろ晴れ過ぎて目が痛いぐらい(サングラス持ってきてて良かった)。標高が高いところだけあって、日陰に入ると手が冷たくなるほど気温は低いのですが、日なたに出ると直射日光で暑くなるという板挟み状態。東に向かって歩いていると躰の正面側は暑いのに背中側は寒いんですよね。空気が薄くて対流による温度の均質化が少ないことを実感できます。乾燥しているのもその要因のひとつでしょう。だから肌の露出の少ない格好をしていれば快適に過ごせる仕組みです(蒸れることがない)。

 会場のコングレスセンタまでは結局20分くらいで到着。途中バスに何度か抜かれました(確認した以上に本数はあったみたい)。でもまあ、ギリギリ歩いて行ける距離だし、歩けばいろいろ店を覗きながら移動もできるので、今後バスには乗らなくてもいいかなという判断が下されました(自分の中で)。ここ数週間、日本では自転車の不調で毎日歩くことを強いられ、すっかり歩き慣れていますしね。まだまだ老いぼれてはいません。さて、会場内ではすでに各部屋でセッションごとの講演が始まっていました。建物はミステリィの舞台にできそうなくらい全体的に入り組んでいて説明するのが難しいのですが、メインストリートであるプロメナーデから入れる一番上の階、その下に今回の学会のメインの入口がある階があり(入ってすぐのロビィがこんな感じ)、一番下にいわゆるグラウンドレベルの階があります。そして各階は大きく3つのA,B,Cのエリアに別れており、エリアCとエリアBをエリアAが繋ぐ形。ただし、一番上の階にはエリアAがなく、CとBは分断されていて(この階のエリアを移動するには一度下の階を通らなければならない)、一番下の階にはエリアCにあたるところはエリアAから入れる部屋あるだけで、代わりにエリアAがかなり広い空間になっています(昨日のアイスブレーカーパーティがあったのもこの階のエリアA)。ええと、ややこしいですが(笑)、口頭発表用の部屋は、一番上の階のエリアCに2つ、エリアBに1つ、真ん中の階のエリアCに2つ、エリアBに2つ、一番下の階のエリアCに2つ(横に並んでいるのではなく、同じ面積内に半地下の部屋と中2階の部屋が積み重なっている形)、エリアAに1つ、エリアBに1つ用意されています。1日にだいたいひと部屋で15くらいの発表があるので、11部屋で165、それが中日(なかび)を入れて5日間続くから、全部で825もの口頭発表があるわけですね(うわあ)。もちろん各部屋同時進行なので全部を聴くことはできませんが、興味のある講演の数自体が限られているので特に問題ありません。地球化学といっても(書き忘れていましたが、地球化学の国際学会なのです)、細かい分野ごとに60個くらいのセッションがあって、そもそも発表の日程はセッションごとに割り振られているので、興味のあるセッションがかぶらない限り、聴きたい発表はだいたい聴けるようになっています。っていうか正直なところ講演よりも観光でしょ(にやり)<こらこら。

 口頭発表の他に、畳一畳分くらいスペースを使って壁新聞のような形で発表するポスタ発表も各セッションには用意されていますが、こちらの方がさらに発表者は多いのであります。一番上の階と真ん中の階のエリアCや、一番下の階のエリアAがポスタ発表用のスペースとなっていて、ボードが並べられ番号が振られています。すでに貼ってあるポスタもちらほら見られますね。ポスタ発表は口頭発表のようなプレッシャはないのですが、ポスタを貼った時から剥がすまでずっと人目についていますし、指定されたコアタイムにはポスタの前に立って訪れる人を相手に説明して、場合によってはその場で議論になることもあるので、ある意味楽ではありません(時間を気にしなくていいところは楽ですが)。身内で本日発表する人は教授のT中先生だけで、ほとんどが明日19日の発表、それ以外は22日の予定となっています。口頭発表はインド人研究員のA氏と助手のA原先生・M村先生、T中先生で、残りのメンバ(助教授のY本、N大博物館のY田先生、ドクタのS田氏、T辺氏、そして私)はポスタ発表です。ちなみに私は22日の発表。まだまだ余裕がありますね(にっこり)<早く準備をしなさいってば。

 そうそう、真ん中の階の入口近くの部屋で真田一という文字を見て「さなだはじめって誰やねん」と思いましたが、その隣に小さく書いてある文字を見てようやく解りました。どうやらスイスのダヴォスと長野県の真田町姉妹都市提携をしていて、それで町の名前が部屋の名前に用いられているようです。隣にはもうひとつ真田二という部屋がありました。つまり「さなだ・いち」と「さなだ・に」ってわけね。そういえば姉妹都市の話はガイドブックにも書かれていたような記憶。おそらく夏は避暑地で冬はスキーが盛んという町の特徴が似ているんでしょうね(姉妹だから当然か)。全然関係ありませんが、一番上の階にあったよく判らない銅像があったのでついでに写真に撮りました。クマでしょうか。

 会場探索はそこそこに、いくつか講演を聴いて回っているとT辺氏と遭遇し、そのあと行動をともにすることに。翌日のポスタ発表に向けてすでにポスタを貼ってきたらしいので見に行きました。場所は一番下の階のエリアA(つまりここね)の壁際。4日後に発表することになっている自分のポスタを貼る場所も、このエリアなのでちょっと下見。ボードの番号を確認してみると、舞台側(写真でいうと手前側)の比較的広いスペースでした。セッションによっては、狭い通路や奥まったところでポスタ発表をしなければいけないところもあるので、それに比べればここは断然ポスタがよく目に付く場所です。発表環境としては申し分ない感じ。ただし、それに耐えうる発表ができるかどうかは別問題。っていうかまだ出来てないし(苦笑)。

 ええと、そんなわけで、人の発表を聴いてる場合ではないのですが、せっかくスイスまで来て国際学会に参加しているんだから、少しぐらいは聴いておくべきでしょうと、T辺氏と合流してからもいくつか講演を聴いて回りました。講演は当然すべて英語で行なわれるため、大まかな内容しか理解することができないのですが、まあ、発表してる方も英語が堪能な人ばかりじゃないのでお互い様とも言えます。実は昨日、うちの講座のインド人A氏が「明日はハイキングに行こう」とかなんとかT辺氏と私を誘っていたのですが、具体的な話が出ないまま今日を迎えてしまい、当のA氏が見つからず行くのか行かないのか落ち着かない時間を過ごしていると、ロビィにてようやくA氏に遭遇。しかし傍らにはもうひとりいました。どうやら会場で友人を見つけたらしく、その友人を紹介されて握手なんかも交わしたのですが、それだけでしたね。ハイキングの話題が出ることもなくA氏とその友人は去っていくではありませんか。おいおい、誘っておいてそれかい。と、T辺氏と二人して突っ込んだことは言うまでもありません。ま、行けなくて残念というほど期待していたわけではありませんから、別に良いんですけどね、できればもう少し早く知りたかったなぁと思ったしだい(講演を聴く予定もあるし)。

 別れあれば出会いありと申しましょうか、そんな大袈裟なものでもありませんが、実はそのA氏らと遭遇する直前にうちの講座出身の先輩であるO田氏とも久しぶりに出会っていて、少し談笑したのち昼食をご一緒することになりました。会場をあとにしてプロムナーデ通りをとりあえず西へ向かいます。レストランなどのお店はコングレスセンタより東にはほとんどないのです。どこでも良かったのですが、知っているレストランで空いているところということで探して結局入ったのは、昨夜夕食を食べにきたレストランでした。今度は室内のテーブルです。魚料理もメニューには載っているのですが、値段的になかなか手が出ないため、肉を避けようとするとどうしても注文する料理が偏ってしまって、昨夜食べたサフランリゾットをまたしても食べることに。リゾットでもサフランだけでなく他のリゾットもあればもちろんそれが食べたかったのですが、選べるのは大きさぐらいで料理としてはサフランリゾットしか用意されていないのです。やはり米料理にあまり需要がないせいでしょうか(メニューにあるだけましだけど)。飲み物にはラテマキアート・チョコラータを良く解らずに注文。かなり甘いかもしれないと覚悟して飲んでみたら、単に泡の乗ったコーヒーで甘さはそうでもなくて拍子抜け・・と思っていたらカップの下に甘い成分が沈積していただけでした。後味を甘くしてレストランをあとにし、再び学会会場のコングレスセンタへ。

 会場へ着いたらそれぞれ別行動となり、またいくつか講演を聴いたりポスタを見て回ったりしました。3時過ぎには指導教官T中先生の発表も聴きました。比較的盛況でしたね。学会会場ではそれぞれのフロアに飲み物を提供するスペースが設けられ、午前10時前後と午後3時前後を中心として、だいたいいつでもコーヒーやらオレンジジュースなんかを飲めるようになっています。講演を聴かない人は飲み物を飲みながらロビィなどで談笑している人が多いです。たまに講演が行なわれている部屋にそのコーヒーを持って入る人も見かけました。飲み放題とはいえ、学会参加費として5万円ぐらい払っていることを考えると、まあそれなりのサービスでしょうか。

 さてその後、再びT辺氏と落ち合い、せっかく天気も良いことだし山に登ってみようかという話になり、会場を出てプロムナーデ通りをダヴォス・プラッツ駅に向かったのが午後4時半過ぎ。この駅の近くにロープウェイの発着場があり、ヤコープスホルンという山というか尾根の頂上(標高2590m)まで行けるようになっています。ダヴォスには他にもケーブルカーで登れる山もいくつかあるのですが、駅までの距離を考えてこちらに来てみたしだいです。メインストリートのある北側からダヴォス・プラッツ駅の線路の下を南側へ抜けて、すぐのところにあったロープウェイの発着場がこれ。しかし、近づいてみたらチケット売場らしきところにはシャッタが降りていて、入口らしきところから中を覗いてみても誰の姿もなく暗いではありませんか。案内版らしきものを見ても何が書いてあるのか良く解りません。うーん、もう営業時間が終わってしまったのか・・。と思ったのですが、ロープウェイ自体は発着場にはいなくて、山を見上げてみるとどうやら動いているっぽいのです(写真には写ってませんが)。ということは乗ってる人がいるというわけで、建物の周りをぐるっと調べてみたのですが、やっぱり他に入口らしきところは見つからず扉も開きません。もしかしたらロープウェイが降りてくれば中に入れるようになるのかもしれないと思い、しばらく待ってみることにしたのですが、ちょっと油断しているうちに乗っていた人はいつの間にか降りていて、どこから出て来たのかも判らず、結局入口も開かなくて建物の中には入れず終いとなりました(ショボ〜ン)。そして二人で出した結論は「上りの営業時間はすでに終わっていて下りだけ運行しているのだろう」というもの。あとで確認してみたら、案の定午後4時半で終わってたみたい。山登りは次の機会へと持ち越しです。

 というわけで、ロープウェイは諦めて、再び駅の北側に出て駅前にあるCOOPという名のショッピングセンタ(たぶん生協とは関係がない)に行ってみようとしたのですが、そこはそこで日曜日は定休日だったようで入れず、またまたプロメナーデ通りをうろうろすることに。そうこうするうちに夕食時となり、カジノがある建物横のレストランのオープンテラスにて、オムレットピザアイスビールとともにいただきました。食事中、おこぼれを狙ってか何匹かのスズメが寄ってきたのですが、これがまた人馴れしていて、まるで日本のハトのようにピザの欠片をついばんでいました。大きさは日本のスズメよりもちょっと太い感じです。それから高地だというのにハエも結構多くて、外で食事をしていると寄って来ないことはありません。チーズに吸い寄せられているのかもしれません。食事代はそれぞれ現金で払い、そのあとは近くにあったCOOPの小さな店鋪(ここは開いていた)に寄って、お菓子をいくつか購入。チュッパチャップスの飴の外側に動物のおもちゃが付いたやつとか、以前ゴムみたいな甘草入りの美味しくないお菓子で酷い目に合わされた製菓会社HARIBOグミキャンディのコーラ味(見た目コーラアップみたいな感じ)などを買って、ホテルへと戻りました。飲み物は、行きの飛行機内で貰ったevianのミネラルウォータがまだ残っていたので、出費を押さえるためにそれで我慢することに。

 ホテルへ戻る途中、噂に聞いていたあるレストランの前に置いてある木の彫り物(きのこ?)を記念に撮りました(たいしたものじゃないですが)。噂通り、これらにはちゃんと値札が付いていましたね。つまり売り物なのです。こんなデカイもの誰が買うねんという代物。しかも電動ノコギリか何かで雑に削って色を付けただけなのに10万円以上もします。顔だけの人形で文字通りとても手が出ません(笑)が、楽しそうな顔はしています。その後T辺氏とは別れそれぞれのホテルへと帰りましたが、プロムナーデ通りから我がホテルへ通じる坂道との分岐点にある小さな広場で、ちょっとした噴水を発見。小便小僧ならぬ肩車小僧たちです。それぞれの小僧の顔は微妙に違っていて、下から「ふ〜」「ん〜」「ヴ〜」「う〜」てな感じでしょうか。彼らの後ろにはほったらかしのチェス盤も。この駒、てっきり石でできているのかと思っていたのですが、触ってみたら樹脂製で軽いものでした(まあ、石だったら重過ぎて動かしにくいだろうけど)。そこから駅前のホテルまではすぐで、到着したのは午後7時半過ぎ。とはいえ窓の外はまだまだ明るいです。コーラ味のグミが結構癖になる味でバクバク食べて、そのあとは今日も眠気に襲われ何もする間もなく就寝。ほんとポスタの準備もせずによく眠れますね(他人事か)。


(8/19) でもって、目覚めてみたら、まだ午前1時でした。うーん、だんだんずれてきているのか、ようやく時差ボケになってきたのかも。と思いつつもすぐに再び眠りに就いて、もう一度目覚めたのが朝の6時(とにかくよく寝るなあ)。いよいよ本格的に学会が始まる月曜日です。ホテルの窓から外を見れば今日も快晴、冷たく清々しい朝です。いつものようにシャワーを浴びて、下のレストランでパンとシリアルとヨーグルトを食べ、8時過ぎにはホテルを出発しました。朝の8時45分からインド人A氏の口頭発表があったからです。学会会場のコングレスセンタまでの距離はすでに把握できていたので、今日もバスには乗らず歩いて会場に向かいました。日陰の割合が多く肌を切るような冷たい空気の中を15分ほど歩き、8時半頃コングレスセンタに到着。そして忘れ物に気づきました。デジカメです。大切な商売道具のデジカメを忘れては、いろいろ記録するのに支障が出るのですぐにでも取りに帰ろうかと思ったのですが、来てすぐに戻るのも億劫だし、もうすぐA氏の発表も始まるし、ということでデジカメは後ほど取りに帰ることに。

 8時45分から真田ニの部屋にてA氏の発表を聴き、そのあと興味のあった他の講演もいくつか聴いて回りました。そして11時頃からそれぞれ別の場所で始まったT辺氏とS田氏のポスタセッションの模様を見て冷やかしたりしながら、他のポスタ発表も見て回りました。で、ポスタを見るだけでなく発表者の話を直接聴く機会も何度かあったのですが、中には英語の発音にかなり癖のある人もいて、聞き取るのが非常に困難で質問するのに大変苦労しましたね。研究内容を理解する以前のところでつまづいている感じです(苦笑)。標準の英語を聞き取るだけでエネルギィをだいぶ消費するというのに、方言的な英語ならなおさら疲れるというものです。ひとつの発表を聴くだけで、なんだかぐったりでした(はぁはぁ)。T辺氏のポスタのあたりは人通りが多く、T辺氏は無理矢理人を捕まえてまで説明していたりしてなかなか精力的。さすがです。やっぱりそこまでしないとけないんだなあと思った昼下がり。デジカメを持っていなくてその姿を撮れなかったのが残念です。

 午前中はまた、ポスタセッションだけでなく、会場の探索も行ないました。で、真ん中の階のエリアCにある中2階みたいなフロアがインターネットセンタとして開かれていることを発見し、コンピュータがずらっと並んでいるそのフロアへ上がってみることに。実は昨日からその存在は知っていたのですが、そこへの上がり方が判らなかったのです(なんせそのフロアは会場の平面図に描かれていない)。そこに人はいっぱいいるのに・・。それで今日こそはと思い、うろうろアクセス経路を探して、ようやく扉で隠れていた階段を発見したしだい。こんなところ判りにくいぞ、と初めは思いましたが、実は階段は2ケ所あり自分が見つけた方とは別の方には扉に案内用の貼り紙がされていたのでした(それにしてもちょっと判りにくいのですが)。まあ、なにはともあれ無事に上がれたそのフロアには、液晶ディスプレイが装備されたパソコンが全部で30台くらい並んでいて、さっそくそのうちのひとつに触ってみました。基本的にウィンドウズマシンなので操作で迷うことはないのですが、当然日本語には対応しておらず、日本語のサイトが文字化けしてまともに見れないだけでなく、キーボードの配列がドイツ仕様みたいで入力には戸惑いましたね。“Z”がよく使われるからか、いつも使ってるキーボードの“Y”の位置にあったり、“@”がどこにあるのか判らなかったりするのです(書き忘れていましたが、実は昨日も別の場所に置いてあった共用のパソコンから自分のサイトの掲示板にアクセスしてローマ字で書き込みをして、そのときもキーボード配列に戸惑ったのでした)。ヤフーに登録してあるブックマークを使って、なんとか自分のサイトに辿り着いてみたものの、文字化けしていて絵以外は何がないやら判別できない状態だったので、諦めてそのパソコンには見切りをつけました。こういうところでせっかくインターネットにアクセスできる手段があっても、英語以外を日常の言語として使っている場合あまり活用できないのが悔しいですね(Mac OSXなら、たぶん標準で日本語を表示できると思うんだけどなあ)。な〜んてね、悔しがってるだけではありません。そんなことはだいたい予想できていたことで、このフロアに来た本当の目的は別にあったのです。同じフロアにはイーサケーブルと電源コンセントだけが用意されたスペースもあったのですが、そこで実際に我がiBookのあいぶっ君を繋げることができるかどうかを試しにきたのであります(にこにこ)。そのために重たいあいぶっ君を入れた鞄を朝からぶら下げて歩いていたんだから(ふっふっふ)。さーてさて、でっきるかな、でっきるかな、はてはてほほ〜、とネットワークの設定をちょちょいと変えて(再起動の必要がないのは良いですね)、いざケーブルを繋いでネスケを立ち上げてみると・・、繋がりました繋がりました!わーいわーい!やほーい! 実にあっさりとインターネットに繋がりましたよ。繋がってしまえばあとは日頃と変わらない環境でネットサーフィンができます。当たり前ですが日本語ページもバッチリ読めます。う〜ん快適快適。やっぱり自分のパソコンを持ってきといて正解でしたね。早速、スイス出発前には連絡できなかったところに顔を出して、一通り挨拶を書き込んで回りました(関係者の皆様すみませんねぇ)。もちろん自分の掲示板にも記念に書き込み。ひとつ問題があるとすれば、電源コンセントの形状がなんか出っ張りがあって、プラグの形状をスイス仕様に変換しても差し込めなかったことでしょうか。バッテリでパソコンを動かさないといけなくなり、だからあまり長居はできないのです。というわけで、主立ったサイトを見て回っただけでその場をあとにしたしだい。あとから振り返れば、このときもう少し粘っていつも覗いているサイトに目を通しておけば、後々の行動も変わっていたのかもしれないと思うと残念でなりません。それが一体何のことなのかは、帰国後に知ることとなります(そんなに引っ張るネタなのか)。

 さて、その後、T辺氏とS田氏と合流し、一緒に昼食に出かけることに。今度は昨日までのレストランとは別のレストランでした。本日のお薦めみたいな日替わりメニューがたまたま魚料理だったためそれを注文。飲み物にはミネラルウォータ。ヨーロッパではだいたいそうみたいですが、ここスイスでも水はドリンクメニューのひとつなのです。しかも、普通に注文しただけだとほぼ出てくるのはガス入りの水(つまり炭酸水)ですから、気を付けなければいけません。水道の水をそのまま飲む習慣のない国では、“水”といえば標準で炭酸ガスが入っているものなんですね。それで何度かレストランで注文するうちに、“ガス抜き”というドイツ語は覚えてしまったほどです。料理はデザートも付いて結構美味しかったです。ちなみにウェイトレスのおばちゃんが加藤登紀子みたいな感じのダンディな人でした(笑)。食事代はS田氏におごってもらってごちそうさまでした、となったあとは、デジカメを取ってくるためT辺氏とS田氏と別れ、一旦ホテルへと戻りました。

 ホテルの部屋に戻って来ると、ついうとうとしてしまい、少しだけ仮眠をとりました(よう寝るな)。そして今度はちゃんとデジカメを持って再びコングレスセンタへ出発。ホテルを出てメインストリートのプロムナーデ通りへ上る教会横の坂の途中で、野良猫(?)に出会いましたが、相手にしてくれませんでした。きっと日本語が通じなかったのでしょう(笑)。途中、例のCOOPショップに寄って、癖になったグミキャンディのコーラ味を購入してから学会会場へ。午後4時から始まった本日2回目のポスタセッションのコアタイムで、いくつか発表を見たり聴いたりして回りました。やはり英語の聴き取りには苦労します。その他、口頭発表もいくつか聴きました。午前中にあいぶっ君をインターネットに繋いだインターネットセンタのあるフロアはこんな感じ。午後6時前に会場の正面玄関前で先生たちと落ち合って、7人ぐらいで夕食を食べに行くことになりました。T辺氏も一緒です。今日で発表が終わった人たちがどこか晴れ晴れとした表情をしているように感じるのは、気のせいではないでしょう。羨ましい限りです。向かったレストランは、なんだかんだで初日に来て以来3回目となる、歌うお兄さん付きのレストランでした。屋根付きのテラス部分の席に座って、とりあえずコーヒーを注文。混み合っている時間帯でその後なかなか注文を取りにきてくれなかったのですが、迷った末に結局頼んだのは本場のチーズホンデュでした。メニューにもデカデカと書かれている料理なので、迷った割にはあまり深く考えずに注文してしまったのですが、あとで後悔することになるとは思っていませんでした。しばらく待って出てきたチーズホンデュは、まるっきり純粋なチーズホンデュで、鍋の中で溶かされたチーズとカゴの中に入った大量の細切れのパン以外には何も素材が付いていないのです。それでもまぁお腹も空いているしなんとか食べ切れるだろうと初めは楽観していたのですが、一口食べてみると世界は反転。ム・・な、なんだこのアルコール臭さは(ガーン)。えーと恥ずかしながら、実はわたくし、たぶんこのとき初めてチーズホンデュらしいチーズホンデュを食べたのですが、まさかチーズの中にワインが入っているものだとは知りませんでした(ははは)。てっきり単にチーズを溶かしたものをパンに絡ませて食べるもの程度に考えていたのです。それがどっこい、一口食べただけで完食は無理だと悟ることができるほどの酒臭さ。うーんこの感じ、ちょっと苦手かもしれない。と、のっけから弱気の食事となってしまったのであります(苦笑)。最初の方こそパンの美味しさもあって平気に食べられていたのですが、だんだん強いワインの香りにやられて、そのうち気持ち悪くなってきました。箸休め的な食べ物が他に付いていないため、徐々に飽きてくる(というか気持ち悪くなってくる)のです。根本的に注文の仕方がまずかったのかもしれません(しかしこれ1品でも結構な値段なんだよねぇ)。最後の方は他の人の料理を一部いただいたりしながら、なんとかパンがなくなるまではチーズを減らすことができたのですが、チーズは大分残ってしまいましたね。人生最初の本格チーズホンデュが本場スイスで味わえたことは嬉しいことなのですが、はっきり言ってもう充分です。これから先一生食べなくてもたぶん後悔はしません(笑)。それくらい気持ち悪い思いをしました。アルコールは摂取しないつもりだったのに・・。

 夕食後、またしてもCOOPショップに寄ってお菓子を調達してからホテルへ帰還。夜の帳が降りてきたホテル前のストリート。すっかり酔ってしまった体ではほとんど何をする力もなく、COOPショップで買ってきたお菓子のnippon(これを買おうと手にしたときに西洋人に何故か笑われた)を写真に撮っただけで、ベッドに横になってそのまま眠ってしまいました。なんだか毎日このパターン。ポスタ発表まであと3日。準備は全然進まないままに・・。


(8/20) スイス滞在5日目。相変わらず日本での生活では考えられないくらいの早起きが続いていて6時には起床。天気も相変わらず快晴です。さて、学会3日目の今日も会場へ行って昨日までと同じようなことを繰り返すのかと、そろそろ飽き飽きされている方に朗報です。ようやく退屈な毎日にも変化が訪れる日がきました(退屈だったのか)。意図したわけではないのですが、実は火曜日の本日は、学会会場で講演を見聴きすることはせずに、身内の人間が何人か揃って少し遠出をする日となっていました。どこへ行くのかというと、放射性廃棄物地層処分の研究がなされているナグラ(スイス放射性廃棄物管理共同組合)という団体の地下研究所を見学しに行くのです。う〜ん、森ミステリィ好きとしては「研究所」という言葉を聞くだけでワクワクしてきますねぇ(笑)。聞くところによると、スイスではその分野の研究が比較的進んでいるようで、Y田先生が以前に核燃料サイクル機構で働いておられた関係で、そのナグラで現在働いておられる日本人とコネがあるらしく、今回せっかくスイスに行くのなら見せてもらおうというわけで、見学に行く人の学会発表日とバッティングしない形で日本出発前にあららこめ予定が組まれていたしだいです。そんなわけで、今日と明日の2日間はダヴォスを離れ、ちょっとしたスイス国内旅行となるしだい。また写真が多くなるかと思いますが、どうかご了承ください。

 まず今日のうちに氷河特急アンデルマットの町まで移動しそこで1泊したのち、翌日そこからナグラの人の車に乗せてもらって研究所まで行くという道のりです。地理的な位置としては、アルプス山脈の北側でスイスの真ん中より少し南にあるグリムゼルという場所にその地下研究所はあるそうです。事前に話は聞いていましたが、具体的な研究所の場所などは知らなかったため、まさか氷河特急に乗って行くとは思っていませんでした。氷河特急には学会終了後に独りで乗るつもりでいただけに、早くも乗れてしまっていささかネタバレ風味でちょっと複雑な気分なのですが、まあ天気も良いことですし、車窓からの景色も綺麗だろうし、単純にスイスの鉄道に乗れること自体が楽しみではあります(にこにこ)。

 朝起きてから、今までにたまった洗濯物をバスルームで洗濯し、部屋の中に干して、シャワーを浴びてから朝食。メニューはいつもと同じでパン、チーズ、シリアル、コーヒー、ヨーグルト。洗濯物を留守中干しっぱにして良いものかちょっと迷いましたが、出かけている間も宿泊料金は払うことになるので大丈夫だろうとそのままに。昨日のうちにY田先生から受け取っていた切符や下着など最低限の荷物だけを学会でもらったショルダバッグにまとめて、8時45分頃ホテルを出て目の前のダヴォスプラッツ駅へ向かいました。ただ、ホテルの人に何も言わずに出てきてしまったのが唯一の不安。宿泊客が消えた!とか騒がれなければいいですが・・。

 駅に着いてみると、だいたいのメンバは集まっていて、すでに氷河特急もホームに停車中でした。やがて全員が集まったところで列車(2等車)に乗り込みました。全席指定席のようです。周りに座っている人たちも、いかにも観光客という人ばかり。席に座ってしばらくすると、発車時刻になっていないのに列車が前後に少し動いて一瞬焦りましたが、どうやら機関車の繋ぎ変えをやっていた模様。氷河特急はスイス南東のサンモリッツからマッターホルンの麓のチェルマットの間を東西に走っている列車ですが、ダヴォス駅が始発になっている編成もあり、この列車がまさにそれ。チューリッヒ側から山を登ってきたこの列車は、折り返して一度ランドクウォートを経由してから西のチェルマットへ向けて走って行くみたいです。とまあ、この時点でハッキリ判っていたわけではありませんが、ガイドブックも持っていましたし、だいたいそんな感じに進むんだろうなということは想像できました。そうして発車時刻の9時2分になり、定刻通り我々を乗せた氷河特急はダヴォスプラッツ駅を出発しました。

 車窓からの眺めはやはり壮大です。こんな日本風な風景もありますが、いかにもアルプスの麓といった感じの間近にそびえ立つ山々も見られます。ただ、窓際に座って写真を撮っていたので、車窓からの写真はどれも実際の風景の雄大さが判りにくいのが残念です。ランドクウォートを通り過ぎ、トウモロコシ畑の中に建っていたタンクの写真も撮ってはみたものの、間に合わなくてこんな感じになってしまいました。まあ、車内の様子が分かってもらえればいいでしょうか(暗いですけど)。そして10時40分、氷河特急の停車駅では一番標高が低いっぽいクールに到着。ここまで山を降りてくると気温も少し暑く感じるくらい高くなり、やっぱり夏なんだということを思い知ります。交通の要所みたいになっている比較的大きなこの駅では、乗車してくる人も多く、発車する頃にはほぼ席が埋まっていました。10時55分くらいに再び列車は出発。

 クールからはライン川に沿ってしばらく平坦な道のりを氷河特急は走ります。しかし、周りの山々は徐々に高さを増していき、段々に斜面崩壊を起こしたっぽい地形も見られました。すぐ下には民家があったりして、防災対策がちゃんとなされているのか心配になりますが、たぶん日本みたいに多雨な気候ではないので、思ったよりも崖崩れなどは起こりにくいのかもしれません。そして11時16分、ライン川の源流が合流する地点に位置するライヒェナウに到着。ここから南へ行くとサンモリッツまで行けます。つまりサンモリッツ発の氷河特急の行路とここで交わっているわけです。そのせいか人の乗り降りも多少ありました。さて、このライヒェナウから、さらにライン川の源流フォルダーライン川沿いに上流に向かって行くことになります。この辺りから、蛇行する川をの上を線路が何度も渡るようになっているのですが、その川の色は実に印象的な色をしています。氷河からの水によって石灰岩が削られているからだと想像されますが、正確なところはよく判りません。石灰岩というのもパッと見、そう見えるだけのことです(あまり信じないように)。徐々に標高は上がっていき、高い山もだんだん近くなってきました。ヨーロッパだから当たり前ですが、教会が集落ごとにひとつは建っていて、たいては小高い丘の上にあります。そうこうするうちに、川の蛇行はさらに激しくなり、こういう絶壁もところどころに現れるようになってきました。スケールとなるものが無いので判りにくいかもしれませんが、これでもおそらく高さが30mくらいはあるでしょう。しばらくそんな風景が続いたのですが、先の方に進むと線路脇の木がだんだん増えて、外の景色を見るのに邪魔になってきました。これはちょっとイライラしますね(笑)。景色を楽しむための氷河特急が景色を見せないでいいのかと。まあ、その間写真を撮らなくて済むので助かるっちゃ助かるのですが(助かってるのかよ!)。

 そして見晴しが良くなったと思えば、すでにそこは山の中腹で、緑一面の斜面にへばりつくように建物が点在しています。雲もだんだんと近くなってきたことが判りますね。しかしあんなところに人が住んでいるのでしょうか。転けたら下まで一気に転がっていきそうです。やがてイランツという駅に到着。ここで11時34分。ちなみに窓に列車の姿が映っていますが、左側が2等車で右側が1等車です。1等車は窓が大きくパノラマで景観を楽しむことができるようになっているみたい(外から見た限りでは)。11時46分にはタバナサという駅に停車。この辺りから岩相が変わってきました。白くのっぺりとした今までの岩石から、堆積岩が互層になっている風味です。風化もわりと進んでいる感じ。11時54分に着いたトルンを出発してからも、頂上に雲がかかった山や、牧草地の中に建つ民家や、急斜面に点在する民家ではないっぽい建物などを見ることができました。そして12時8分、比較的大きな駅ディセンティス(判りにくいな)に到着となりました。標高は1130mです。実は氷河特急の走る区間は3社の鉄道会社の営業区間に跨がっており、ここディセンティスまでが、レーティシュ鉄道(RhB)という鉄道会社の区間なのです。その関係か停車時間は長めで、一時車内の電気が消えたかと思うと機関車の付け替え作業が行なわれた模様(客車の数も減りました)。あと、ここから線路が急勾配になることも機関車を替える理由のひとつでしょう。つまりレールと車輪の摩擦力だけでは登れない坂があって、歯車が付いた機関車が必要になるわけです。2本のレールの間にギザギザのレール(ラックレール)がもう1本あって、そこに車両側の歯車を噛み合わせて登れるようにするいわゆるラックレール式(アプト式)と呼ばれる方法です(ちなみに一般的な鉄道は粘着式と呼ばれるらしい)。さあ、いよいよスイスって感じがしてきました。頂上までもうすぐですよ。本日の目的地アンデルマットは山を越えた向こうにあります。

 15分くらいの停車の後、ディセンティスを出発した氷河特急は、あからさまに急になってきた斜面を這うように登っていきました。外の景色もだんだんと氷河地形らしくなってきて、その先ではようやく遠くに氷河が望めるスポットも現れ始めました。さらに登って、今まで登ってきた方向を眺めるとこんな感じ。雲行きが少し怪しくなってきましたね。そしてセドルンという小さな駅を過ぎると、いよいよ氷河特急は急勾配に差し掛かり、スピードを落として歯車を噛み合わせ、ラックレール式で登り始めました。ガタガタガタガタと派手な音が響いてきます。どれぐら傾いているかというと、窓枠と比べてみればこんな感じです。っていうのは嘘で(笑)、この写真はたぶんカメラが傾いていたのでしょう。しかし、実際のところ車両の傾きは結構なもので、車内販売ではあららこめ傾けて作られたワイングラスなんかも売られているぐらいです(平坦なところでは使いにくいわけですが)。標高もかなり高くなっており、窓を開けている人もいたので外の冷たい空気が入ってきます。山の様子も岩がゴロゴロ転がったりしてて(といっても動いているわけではない)、川も小さなせせらぎみたいになってきました。こういう水の流れがいくつも見られ、背の高い植物もだんだんと減ってきました。さて、件のラックレール式ですが、我々が座っていた車両はディセンティスからは一番最後尾になっていたので、車両後部の出入口がある踊り場まで行って、後ろを眺めつつラックレールを撮ってみました。3本レールがありますね(正確には4本ですが)。真ん中のがギザギザカットになっているわけです。もうちょっと右の谷を視野に入れるこんな感じ。勾配がどの程度か判るでしょうか。もっとレールにズームしてみるとこんなふう。ちなみに、その出入口の壁には氷河特急の表札(?)が挿してありました。ギャラクシーエクスプレスではありませんよ(笑)。

 途中対向列車待ちなどを経て、険しいアルプスの渓谷などを眺めつつ、順調に列車は山を登り、トンネルを抜けるとそこはまさに別世界。車内からは感動のどよめきも上がりました。午後1時過ぎにくらいに標高2033mのオーバーアルプパスヘーエという峠らしき場所を通過。岩とコケと低草ぐらいしか目に入らない荒涼とした場所でしたが、しばらく進むとちょっとした湖なんかも現れ(人工的に塞き止めてありましたが)、えも言われぬ感覚に陥ります。こんなところを電車に乗って進んでいる自分のポジションが不思議に思えてくるのです。そうそう、良く考えたら機関車とはいえ電車なんですよ。よくもまあ、こんなところまで線路を引いてしかも電化したなあと感心せざるをえません。さすが鉄道王国スイスです。この辺りの山はおそらく花崗岩質の岩体で、見上げた山肌は白くコケか草か判らないようなものに覆われています。色合いが綺麗ですね。

 あとはどんどん下っていくだけ、谷間を静かに列車は進みます。左手の遠くに見える山の上の氷河をズーム、右手を振り返ればスキー場のリフト乗り場(判りづらい)、そして再び左手を向いてさっきの氷河含めた山の全景がこれ。夏だけあって大分後退してますね。さらに窓からカメラを出して「世界の車窓から」風味に撮影(これが撮りたかったのだ)。う〜ん、いい感じです。やがてこんな感じの崖にさしかかり、ここからはアンデルマットの町まで一気に600mくらいの高低差を九十九折りに下っていくことになります。下り坂がとても急です。歯車をガタガタいわせながらブレーキもかけつつ、列車はゆっくりと下りていきます。半分くらい下ったところで眼下の町を見下ろすとこんな景色が望めます。この距離でとてもあんなところまで降りていくとは信じられませんが、1回折り返しただけであっさり下りていきました(全部では3回くらい)。ほとんどケーブルカーみたいな勾配です。こうして氷河特急がアンデルマットの駅に到着したのは、午後1時15分頃だったでしょうか。

 ガイドブックによるとここは“アルプスの十字路”と呼ばれ途中下車の最適地だそうで、途中下車ではないものの我々も予定通りここで荷物をまとめてホームに降りました。線路を渡るための地下道へと続く階段入口には赤いLEDの電光掲示板があります。ここから向い側のホームに渡り、改札は無いのでそのまま駅の南側に出ました。道路を挟んだ正面には町の案内版があり、スキー場の情報などが表示されているみたいでした。冬は人が多そうです。駅を振り返って見るとこんな感じ。おじさんおばさんばっかりですね(笑)。そして今夜泊まる予定のホテルに向かうため、東側に歩いて行くと、前から歩いてきたのは可愛いロバの親子でした。後ろにおじさんを引き連れています。ちょっと離れたところから再び駅を見ると、周りはこんなロケーションになっています。山岳地帯でも鉄道だけで無く道路もしっかり発達していて、車で訪れている観光客も少なくないようでした。T字路を突き当たったところを右(南)に曲ると、見えてくるのは背後に山が迫っているこんな景色で、振り返って北側を見るとこんな景色です。いつの間にか空は雲で覆われていました。道路を南側に進んでいくと途中に5ツ星や4ツ星のバスなんかが停まっています。ホテルのように豪華な内装なんでしょうか。ちょっと気になったものの、中を覗いたりはせずに先を急ぎ、それほど歩かずに目的のホテルに辿り着きました。近づいてみると、入口にはこんなクマの置き物が。このときはこのホテル独自のものだろうと思っていたのですが、それはある意味正しくある意味間違いであったことが後ほど明らかになります。な〜んて伏線を張ってみちゃったりなんかしちゃったりして。

 さて、そんな奇抜なクマが出迎えてくれたホテルに入った一行は、A原先生&T木氏夫妻以外はシングルの部屋が割り振られて、それぞれチェックイン。それが午後2時ぐらいで、のちほど集合して町を散策する約束をしてから各自鍵を受け取って部屋へ。鍵のタイプはチューリッヒのホテルと同じもので、自分の部屋は3階(日本でいう4階)でした。荷物を置いてとりあえず一息。シングルルームだけあって、それほど広い部屋ではありませんが、まあ必要十分ではあります。窓は西向きの、ちょうどホテルまで来るときに通ってきた側で、背の高い観音開き(というのが適当かどうか判りませんが)の扉。それを開くとそこはちょっとしたバルコニィになっていて、霧に煙る山々を見渡すことができます。そしてそして、一部の方にはお待たせしました。幻想的な山々をバックに、ここで満を持しての登場となるのは、そう、あのパペット君です!<最小限の荷物の中にそんなものも含まれていたのか(笑)。相変わらず寝ぼけた表情がイカしてます。

 とかなんとか遊んでいるうちに集合時間となり、グランドフロアのフロント前に集合。全員揃ったところで町へ繰り出しました。ホテルを出てとりあえず建物が続いている南側へ進みます。途中交差点があって西を見ると、ちょっと向こうに教会らしき建物など。民家もホテルも、たいていベランダやバルコニィは鮮やかな色の花で飾られています。チューリッヒでもダヴォスでもその道中の車窓から見えた建物などを見てきて感じたことですが、観光産業が重要な資源のひとつである国だけのことはありますね。どんなに田舎に行っても、見られることを意識した外観が作り出されているような気がします。まあ、買い被り過ぎかもしれませんが、実際聴いた話によると、洗濯物も外には干せないような地域もあるそうですよ(もっとも、階級意識による習慣の違いもあるようですが)。

 それはともかく、さらに進んでホテルやらレストランやら土産物屋さんが密集する区域に入ると、地面が石畳に舗装されており、一応車用に石を替えたレーンも作られています。排水口も整備されていますね。土産物屋さんの入口には凛々しく遠くを見つめるビーグル犬(かな?)がいたり、小さな橋を渡ると、笛吹き少年がいます。いかにも絵ハガキに出てきそうな風景があちらこちらに広がっていて見ていて飽きませんね(3日も居れば飽きるでしょうが)。途中、土産物屋さんに寄ったりしながら、道なりに西に向かっていきました。土産物屋さんの数は町の規模にしては多い感じ。絵ハガキはどの店にも定番で、飾りの付いた大小揃ったカウベルや、可愛い犬のぬいぐるみ(中国製)や、キョンシーが冠ってそうな帽子(中国製ではない)や、登山グッズ(これは土産物じゃないか)など、いろいろ売られていましたが、ひとつの店であのお下品アニメのサウスパーク(SOUTH PARK)をパロってスイスパーク(SWISS PARK)とプリントされているTシャツを見つけ、これだ!と思いました(笑)。しかし残念ながら残っていたのはサイズが大き過ぎるその1着しかなく、結局買うのは断念したしだいです。たとえ土産にしても知り合いにこのTシャツが着れそうな大きな人はいませんし、自分で着るとしてもネグリジェ代わりにしかなりそうになかったですからね(って、普段ネグリジェを着ているわけではないですよ)。

 とかなんとか物色しながら通りをさらに歩いて行くと、あるホテルの入口上にこんなモノを発見。あーこれは、我々が泊まるホテルの入口にいたクマと同じ形ではないですか?! なんかサングラスかけてスキー履いてますけど、確かに形は同じように見えます。ということは別にさっきのクマはあのホテル独自のものではないかもしれないということか。いや、でもまだ2つしか見てないので予断を許さない状況です。ちなみに我々が歩いている通りはこんなところでしたが、さらに先に進んでみると、ガーン! やっぱりいました、今度は建物の軒上に「フランダースの犬」パトラッシュみたいなカラーリングのクマです(笑)。それから、高いところばかりでなく、通り脇にもタヌキみたいなクマがいたりします。実は子供が邪魔だったのですが、近くに母親がいたのでにっこり撮らせていただきました(にっこり)。こうなってくると、あの仮説は正しかったのだと認めてもいいかもしれません(<どの仮説だよ!)。どういう由来があるのかよく解りませんが、この町はどうやらSTUDIO BEARさんみたいにクマがシンボルとして扱われているようです。そしてクマを所有する各ホテルやお店によって、独自のカラーリングが施されているらしいということが判りました。一種の目印みたいなものでしょうか。なおも通りを進んで、比較的オーソドックスな茶色いクマ黒いクマを見かけました。ただ、全部のホテルや店にクマがいるわけでもないんですよね。それがちょっと不可解なところではあります(勝手に解釈して不可解だと思ってるだけですが)。

 さて、そうこうするうちに一行は通りの端っこまで到達し、めぼしいものがこの先にはないと判ると、同じ通りを引き返すことになりました。そして途中のケーキ屋さんみたいな店でケーキやピザ、ビールやコーヒーなどを注文し、店先でいただきながら休憩(なんか一見恐い人が写ってますが気にしないように(笑))。ふとこの店のウィンドウを見ると、そこには小さな例のクマがいるではありませんか。このサイズならちょっと欲しいかも、と思ったものの、売り物ではないようなので思っただけ。しばらく歓談をしたのち、休憩を終えた一行は再び土産物屋さんを冷やかしつつ、通りをゆっくりと戻りました。なにげに工事中の看板なども撮ってみたり(おじさんが1人モルタルを塗ってました)。するとあるところで雨が降り出し、ベランダにもいたクマを発見しつつ、この町にもあったCOOPに寄ってお菓子を買ってからホテルへ帰還。部屋から外を眺めると、山も町も霧というか雲の中でした。

 その後、午後6時半に待ち合わせて夕食を食べに再び外へ。その頃には雨は上がっていました。さっきも歩いた通り沿いにあった木造の暗めの店内が良い雰囲気のレストランに入りました。自分が何を注文したのかは覚えていないのですが、A原先生とM先生が、Y田先生に奨められて注文されたフォンデュ・シノアーズという料理が印象に残っています。聞くところによると、この地方の名物料理らしく、シノアーズというのは“中国風”という意味らしく、早い話がしゃぶしゃぶみたいな鍋料理なのです。チーズフォンデュのチーズがコンソメスープになり、パンが薄くスライスされた牛肉になったもの。食べるのに使う道具は同じものに見えました(先が小さく二股に別れた棒ね)。その店の女将さんみたいな人が丁寧に食べ方の説明してくれます。肉の量も多いですが、つけ合わせのフライドポテトもいっぱいでした。肉は食べないのでポテトをもらったのですが、塩辛くなく、あっさりしていたのが好印象。ただ、漬け物みたいな位置付けとして出てきたオレンジとか得体の知れない堅い野菜を漬け込んだっぽいやつが、初めて味わう味でびっくりしました。口に入れた瞬間は、ほんのり甘味が広がって、後味は悪そうだけど食べれないことはないかなと思ったのですが、次の瞬間、なんともいえない辛味と鼻に抜ける刺激が広がってくるのです。何故か懐かしい感覚を覚えます。何だろうこれは・・と思いを巡らせ、気づきました、そう、この辛さはワサビに似ています。舌にピリピリくる感覚といい鼻に抜ける感覚といい、まさにワサビです。甘いワサビって感じ。これは初めてです。不思議な味。でもちょっと食べ切れないし、口直しにもなりません。まずくは無いけど食べ切れない。漬け物みたいなものを期待したのが間違いでした。まだピクルスの方が救いがあります。こんなのをここの人は平気で食べるのだろうかと感心すらしました。しかし何故こんなところでワサビ? っていうか、たぶん使っているのはワサビではないでしょうけど、スイスまで来てあの感覚を味わうとは思っていませんでしたね。お土産に売っていたら買って帰って嫌がらせしたかもしれません(笑)。肉のエキスが抽出されたフォンデュの残りスープは、最後に飲むのが普通だと女将が言うので奨められるままに、全員お椀に分けてもらい残りスープをいただいてみました(肉は食べないけどスープは飲むのだな)。そしたら予想に反して意外に脂っこくなくあっさりしていてとても美味しかったです。思わずご飯を入れたくなる味。さっきの漬け物はなんだったんだと思わせてくれるほどギャップがありました。うん、これは確かにいい。

 レストランではビールも飲んだので、ホテルに戻ってからは、いつものようにテレビを観るのもそこそこに寝てしまいました。こうしてまたポスタ発表の準備ができないまま、1日が終わるのであった。まあ、はなから諦めていて、鞄にポスタなんか入っていませんでしたけどね(パペット君は入ってたのに)。えーと、つまり勝負はダヴォスに戻ってからの、発表前日の夜と当日朝だけということになったわけです。うわぁ、どうすんだろ・・。



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