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日々これ勉強(2002年8月の前半)

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十五夜お月さん見て8月(の前半)

(8/1) 月は変わっても、遅起きよ!(<セーラームーン風に) というわけで、木曜日は昼になっても暑い部屋で汗をダラダラ流しながら寝てました。暑い中でも平然と寝れるというのは、健康的といえば健康的ですが、寝過ぎといえば明らかに寝過ぎ。一体どういう了見でしょうか。ラジオ体操のために毎朝早起きをしていた頃が懐かしい・・。

 今日は8月1日で「やっぱ一番」だから、きっとT海テレビ(ローカルネタ)の日なんじゃないだろうかと勝手に予想してみましたが、別に知りたくないので確かめるつもりはありません。ちなみに9月1日はCBCが毎年祭りみたいなことをやってますね(こっちだけリンクありってところが贔屓さを伺わせるな)。ま、そんなことは9月1日に書けばいいようなことなので、本日のところはこれ以上の発言を控えさせていただきます(と言っておいて結局9月1日にはCBCのCの字にも触れないに違いない)。

 さてと、どうでもいい話はこれくらいにして、今日の夕食に関する話ですが(<いつから夕食にそんなウエイトを置くようになったんだ?)、現在は大学の生協も夏休みモードに入っており、夜は営業していないので、近くのコンビニに行って食料を購入してきました。買ったのは巻寿司メロンパン。それらを研究室のサロンで食べ、深夜までなんだかんだして過ごし日付が変わった頃に帰宅。涼しい夜です(っていうか、結局夕食の話も大した展開無しのどうでもいい話だったのかよ!)。

 えーと、8月はいろいろと行事がありますので、サーバの容量節約のためにも、特に何もなかった日は短かめの日記で運営されることをあららこめ宣言しておきましょうか?(<誰に訊いてるのか)


(8/2) 少しずつ起きる時間を早めていますキャンペーン中の金曜日は、午前11時頃起床。それでもしかし、なんだかんだやっていたら家を出るのが午後1時になりました。追い込みの実験は相変わらず継続中。

 午後は生協に行って、書籍部で英英辞典と英語関連の本をちょっと迷って1冊購入。今さらな感は拭えませんが、一応英語での学会発表に向けて準備をしておかないとなあという心構えの現れです(実際に役立てられるかどうかは別問題<役立てましょう)。あと、オーディオ関連のところで「アメリ」のDVDを発見し、こちらは迷わず購入しました。というわけで、この30分くらいの間に1万円以上の出費をしてしまいましたが、その価値以上のものを手に入れたと思われ、有意義な買い物に満足して研究室に戻りました。がしかし、喜んでいたのも束の間、この「アメリ」のDVDが実はちょっと残念なことに、うちのあいまっ君のドライブでは扱いにくいことが判明してしまったのです。あいまっ君のドライブはスロットローディング式なのですが、これに飲み込ませる段階からちょっと苦しそうにメディアを飲み込むし、飲み込んだら飲み込んだらで、今度は吐き出させるのに一苦労(再生自体は問題なく行える)。メディアがドライブの途中で引っ掛かって取り出せなくなってしまうのです。何度も何度も排出を試みて、最終的には数ミリほど出たメディアの頭を指で引っ張りながらなんとか取り出すことができましたが、これでは安心してあいまっ君では「アメリ」が観れないということになります。大体この症状に陥るDVDメディアの特徴は判っておりまして、表面の着色というかラベルというか、その部分が全体的にベッタリと表面を覆っているDVDなのです。おそらく僅かな厚みの差が、ドライブの許容量を超えてしまっているのが途中で引っ掛かる原因だと思われます。スロットローディング式はスマートで便利なのは便利なのですが、メディアの強制排出もドライブ任せになってしまうところが欠点ですね。そういう点では、自分で引っ張り出せるトレイ式の光学ドライブの方が良いような気もします。というわけで、「アメリ」は今のところあいぶっ君で観るしかなさそうです(ノートだからあんまり機会はないだろうなあ)。うーん、これは一時も早く新しいiMacを買えという神の思し召しかもしれない(笑)。あ〜あ、学会に行かなかったら、絶対iMacを買ってたのになぁ。

 そして、実験装置の面倒をたまに見たりしながら夜も更けていくのでありました。


(8/3) 少しずつ起きる時間を早めていますキャンペーンなんてものはすでに過去のものとなった(<早いな)土曜日は、休んでられないくせに休日という認識が先走ったせいか昼過ぎの起床でした。ま、こんなもんでしょう 。と一言で済ませてもいいところですが、別に理屈を捏ねてもいいのですよ(挑戦的だな)。歩くだけでもいちいち暑い昼間なんて、クーラの無い部屋で寝れるなら寝ているに限ります。その分比較的涼しい夜中に活動すれば、たとえクーラを使ったとしてもエネルギィ的には断然効率的と言えるのではないでしょうか。暑いところを冷やすよりも、ぬるいところを冷やした方が省エネになるのは誰でも判ること。暑い日中に、何も全員が全員クーラをガンガンに利かせて仕事する必要なんてないんですよ。躰にもその方が優しいだろうし。サマータイムもね、導入するのも構いませんけど、どうせなら1時間と言わず12時間くらいずらしたらどうでしょうか(笑)。今の世の中、昼間でも建物の中で電灯を点して仕事してる人が多いんだから、太陽が出ていようが出ていまいがもはや関係ないでしょ(影響あるのは交通機関ぐらい?)。ねえ。

 そんなわけで朝食は当然昼食も食べずに夕食の時間を迎え、食べたのはシーフードヌードルとおにぎりとサロンに置いてあったよもぎあんパン(クルミ入り)を食べお腹いっぱいに。夜は日記をまとめて書き、朝方になって那古野コネクションのオフ会用の名刺を作ったりでほぼ徹夜。結局明け方の30分くらいしか寝ませんでした。生活が逆転気味になっているとはいえ、さすがに眠かったです。


(8/4) で、日曜日。本日は那古野コネクションの定例オフ会の日。朝になってから帰宅しようとしたら雨が降り始めていて、折り畳み傘を差しながら帰宅。しばらくすると雨は急激に激しくなり、雷も鳴り始め、オフ会は大丈夫なのか?と心配になるほどでしたが、夕立ちみたいな一時的なものだったらしく、7時半過ぎに家を出る頃にはすっかり止んで、涼しい風が吹いていました。さて今回のオフ会で我々が向かったのは、那古野コネクション立ち上げ当初からずっと行ってみたいと言われ続けてきた「すべてがFになる」の惨劇の舞台となった妃真加島です。ここに来るまで長かったですが、森ミステリィのまさに原点、ここを訪れないでは死ぬに死ねない(別に死なないけど)という念願のその場所に、ついに我々は足を踏み入れることとなったしだいです。名前の上では実際に存在している日間賀島がその島に相当するのですが、訪れることとなったのは妃真加島の本当のモデルとなったとされている隣にある佐久島の方。季節も小説に合わせて暑い暑い真夏です(夏を待っていたのもすぐには訪れられなかった理由のひとつ)。そしてそんな暑い中用意されていたメインイベントはバーベキュー(笑)。本当ならキャンプまでしてしまいたいところだったのですが、泊りがけとなるといろいろ大変なことも増えるので、今回はとりあえず日帰りで昼食にバーベキューという形になりました。

 集合場所は犀川研のメンバも集まった一色港で、集合時間は島への定期船の時間に合わせて10時半という比較的早い時間でした。そこまでの道のりも名鉄を乗り継いで結構な時間がかかるため、今回はいつもよりかなり早く家を出る必要があったわけです。まずはN大学前からバスに乗って金山駅へ向かうつもりだったのですが、いきなりこのバスが時刻表に載ってる時刻を過ぎてもなかなか出ようとしやがりません。バスは待機していて運転手も中にいるんですが、後部座席の方で煙草をいつまでも吸っている風なのです。おいおい、ちゃんと時計見てるのか? いくらなんでも5分は遅れ過ぎじゃないか。時間を勘違いしているとしか思えない勢いです。くっそーこのせいで名鉄に乗り遅れたらどうしてくれるんだ。もし乗り遅れた場合、一色港の集合時間に間に合うかどうかが微妙だったため、気持ちはどんどん焦ります(イライラ)。早く!早く!早くバスを動かしてくれ! そう願いつつ時刻表から遅れること約10分、ようやく運転手はバスをバス停に入れ、乗り込むことができました。朝からヒヤヒヤさせられましたが、結果的には休日だけあって道路は空いていたので、乗ろうとしていた名鉄の出発時刻までには余裕で間に合いました。良かった良かった。しかし、もうちょっと運転手さんには時間を守ってほしいものです(せめて始発の停留所ぐらいでは)。

 金山駅の名鉄の改札口前に行ってみると、すでに幹事のKずえさんがおられました。基本的には一色港で集合だったのですが、何人かは金山から集まって行くことになっており、どうやらその組の待ち合わせで待っておられたようです。もともと単独行動で一色港まで向かうつもりでいましたが、ここで会ったが百年目(<遣い方間違い)、同じ電車に乗ることにもなるというわけで、ここから同行することになりました。しばらくしてMつるさんとAなあなさんとAさんが合流し、それぞれ切符を買って改札口を通りホームへ。さらに目的の電車がホームに入ってくるというときにタイミング良くFさんが登場され、6人でまずは碧南行きの急行で碧南まで向かいました。睡眠不足で眠かったものの、AさんもFさんも男性陣は座ろうとしないので、席が空いたあとでもなんとなく意地でも立ったままでいようと頑張ってしまいましたが(苦笑)、最後の最後で席がガランガラン状態になったとき観念して座ってうとうとしました。そこでFさんからは三重土産の海老せんが振る舞われたりもして、やがて終点の碧南に到着。ここで吉良吉田行きの普通に乗り換えたのですが、ディーゼルカーでワンマンの1両編成なので、電車でもなく列車とも呼べなくて困ります(一般にはなんて呼ばれているのだろうか)。周りの風景も相まって田舎を感じさせてくれる車両です。この車両の中で、LさんとMさんとも合流し、8人となった一行はワンマンカーに揺られながらゆっくり目的の三河一色駅を目指しました。途中吹きさらしの鉄橋なんかがあって迫力満点の路線です。で、三河一色に到着したのが10時頃。ちなみに乗ってきた車両はこんなやつで三河一色駅の外側はこんな感じ(暗いのは逆光のせいですが、実際寂れてはいます)。

 人っ気のない駅前から一色港の渡船場までは歩いて15分くらいです。途中にはこういう案内板があり、信号のある交差点を右折して川の手前で左折するとこういう土手道が続いていて、すぐそこに見えるのが船の乗り場のようでした。しかし、着いてみたら繁盛期の夏はどうやら乗り場が違うらしく、こういう貼り紙がしてあります。うーん、そうだったのか。というわけで、さらに500メートル川下に下ることになりました。だんだん強くなってきた陽射しに早くもやられ気味で、トボトボと歩く一行です(笑)。川に並ぶ漁船を眺めながらのんびり歩いていくと、比較的大きな渡船場が見えてきました。道路脇には沢山の駐車中の車があります。やはり結構島に渡る人はいるようです。海水浴場もあるらしいのでそのお客さんが多いのかもしれません。さらに近寄るとこんなふう。ここで、1時間近く早くに来ておられたらしいGんてつさんと、今回那古野コネクション初参加となるAすましさんとも無事合流できました。これで全員が揃ったことになります。総勢10名です。あるいはA0名か(にこ)。今回は会計係をGんてつさんがしてくださることになっていて、まずはバーベキュー代なども含めた一日分の代金として各自4000円ずつ預けて、Gんてつさんに乗船チケットをまとめて購入していただきました。その後、乗船までの間の時間を利用して名刺交換を少し。それから銀のエンゼルも2枚ほどお預かりしました。着実に貯まってますね。

 そしていよいよチケットをもぎってもらってこの船(はまかぜ)に乗船、午前10時40分に出航となりました。船上では心地よい風が吹いていてわりと快適です(室内は冷房も利いてるみたいでした)。海側を望む景色とか足元の水面とか、ついつい意味もなく写真を撮ってしまうほど清々しい感じです。船が動き出して後ろを眺める親子も清々しいです。前方を見るとこんな感じで、船の走ったあとの波が河岸の壁にぶつかっていく様はこんなふう(波マニアに捧ぐ)。河口近くになると魚市場らしきところがあり、内港を抜けると船は一気にスピードアップ、灯台もあっさり通り過ぎ三河湾へと出ていきました。船上ではエンジン音がうるさくて普通に会話することは困難でしたが、風はますます心地よくなりました。乗り出すと迫力満点です(<乗り出さないように!)。後方の波もより大きくなってます。風に髪をなびかせ子供に見つめられるお姉さんも絵になってます(笑)。途中どこからともなく現れたモーターボートが、我々の船が作った波で飛んだり小さな島や遠くに日間賀島(?)が見えたりして、15分ほどで佐久島の西渡船場に到着。しかしここではまだ降りないので、そのまま船と一緒に港を離れ、島の東側へ。どうでもいいですが船の操縦席はこんな感じで丸い羅針盤がかっこいいです。と目を逸らしているうちにすぐに船は東側の渡船場に近づきスピードダウン。途中地層が分かりやすいこういう露頭なんかも見えます。近づくとこんな感じ(地質マニアに捧ぐ)。そして東渡船場に到着。そこでみんなワラワラと下船。島の飲食店や旅館の関係者なんかも荷物を運ぶためかそこに居て賑やかです。でもって降りたところには歓迎の看板。さすがにこれは妃真加島には無さそうですが(笑)、歓迎されて悪い気はしませんね。ただし同時にこういった看板もあり、指定区域外のアサリの持ち帰りは歓迎されていないようですが(ちなみに大アサリはこの島の名産のひとつ)。なにはともあれ、こうしてついに我々は伝説の地(<いつから伝説に?)に一歩を踏み出すこととなったのであります(Aすましさんは昔訪れたことがあるとのことでしたが)。

 渡船場からは防波堤内の海沿いの道を歩いて、バーベキュー会場が用意されているという大浦海水浴場を目指しました。途中には旅館や飲食店が数軒並んでいます。しばらく進むと、やがてバーベキューの予約をしておいたみぎわさんの建物が現れました。が、とても営業してなさそうな趣き。いくらなんでもここではないだろうと判断し、とりあえず海水浴場の方へ移動。防波堤を抜けると左手にはこんな景色が広がり、右手に数軒の店が軒を並べている休憩所がありました。そしてこの中にちゃんとみぎわさんの店鋪も存在(良かった良かった)。さっそく予約席に通してもらって本日のメインイベント、バーベキューパーティの開始です。とりあえずの飲み物はGんてつさんとAなあなさんと私だけがビールを注文(これは別会計)、その他の方はMつるさんご持参のお茶などを飲まれていたでしょうか。店のお姉さんに火を起こしてもらって、さっそく金網のうえで大アサリなどの貝類を焼きつつ、隣ではAさんが火を育ててくれました。特に改まった挨拶もなく流動的にバーベキューは始まっていましたね。ふと足元を見ると、いつの間にか猫がにゃ〜とやってきて何かを訴えています。しかし、こいつらじゃ何ももらえそうにないと判断したのか(笑)すぐに店の奥に引っ込んでいきました(それ以来姿を見せませんでしたね)。

 そんなこんなで充分炭に火が回ったところで、鉄板を上にかぶせ、油をひいて、肉やら野菜やらをガンガン投入。最初の頃鉄板のお守をしてくれていたのは主にAさんでした。餃子の皮作りのときもそうでしたが、こういう作業ではAさんが大活躍します(笑)<こらこら「では」って言うな。いつもご苦労様です。そしてみんなは頃合を見計らって順次ワイワイと食べていきました。貝類のやけ具合はこんな感じで、肉と野菜がこんな感じ。う〜ん、少々油っ濃いけど、海のそばで汗をかきかき熱いものを食べるのはまあ格別です。ビールも美味しく感じます。個人的に肉は食べないので肉の味はどうだったのか判りませんが、雰囲気を含めればまあまあの味だったと思われます(<嘘でも美味しかったと言えんのか<嘘なのか)。必死で炭の火を保ちつつ夢中で肉・野菜・貝を焼きつつ食べているときは、「すべてがFになる」のこともすでに意識の端に追いやられていましたが、後半にいよいよ焼そば投入される段階になって、そうだそうだそうだった、とようやく本来の目的を思い出しました。そう、「佐久島で、バーベキューで、焼そばを食べる」これは今回のオフでは外せない重要課題なのです。こんな海岸を前にして泳がないことがあっても焼そばはぜひとも食べなければいけません。参加者の中には、萌絵のように焼そばを初めて食べるという人はさすがにいませんでしたけど、バーベキューの焼そばは久しぶり〜という人がほとんどでしたね。最初に焼いてくださったのはGんてつさんで、一度にこれくらいの量がさばかれました。その後私も焼かせていただいたりして、なんとかすべての焼そばが消費され、若干のお肉と貝類を残してバーベキューはほぼ終了。そしてデザートタイムです(にっこり)。火照った胃を休めつつ、この店で売っていたかき氷(これは抹茶か)を何人かが食べることに。紫色したシロップのやつを少し分けていただきましたが、普通のレモン風味でしたね。あと、まだ渡していなかった方にここで名刺をお渡ししたり、Gんてつさんの持ってこられたキャストパズルにLさんが挑戦されたり(しかし解けず)、Aなあなさんが行きしなに金山駅で買ったはいいけど食べる機会を逸したままお腹いっぱいになって食べれなくなったというおにぎりを、最後に焼きおにぎりにして食べることになったり(私がね)、まったりとしたひとときを過ごしました。焼きおにぎりはバーベキューのタレをかけて焼いてみましたが、焼き過ぎてちょっと堅かったです。

 さて、これで本日のメインイベントは終わりです。正直この島は、日帰りで楽しめるところは海水浴場を除けばほとんどない長閑な島なんですね〜(笑)。かといってすぐに帰ってしまうには早い時間です。まだ午後1時過ぎ頃だったと思います。というわけでちょっとした協議の結果、お腹いっぱいになってみぎわさんをあとにした一行は、西の渡船場までぶらぶら島内を歩いて横断することになりました。したがって以降の写真は長閑な風景ばかりとなることをあららこめご了承ください。歩いたのは、おそらく島の南側のメインストリートであろうこういう田舎道です。長閑な景色を見ながらひたすら歩いていきました。軽いアップダウンもありますが、基本的に海岸沿いでは平坦な道が続きます。陽射しは相変わらず強く、日なたでは肌がジリジリと焼けていきます。「今は夏。我らはそれを思い出す。」ってところでしょうか(思い出すも何も、忘れられないくらい暑いのですが)。ちょうど中間地点くらいにあった小学校の前には島の案内板があり、どんな場所があるのかを少し確認。再びもし訪れることがあったときのためにね。キャンプ場もあるようで、今回はやむなく夏に来たけど今度は涼しいときに来てキャンプするのも良いかもしれない、という話も出たり。近くの海岸にはまたしてもそそられる露頭があったのでここに一枚(地質マニアに捧ぐ再び)。振り返って海岸線を一枚

 さらに田舎道を歩いていくと海からは若干遠ざかり風が届かないようになって暑さ倍増でしたが、まあ慌てず急がずのんびり歩きます。特に目を見張るものはないですが、ふと道路脇を見れば、板の小さな穴から伸びる、島の逞しい植物を発見できたりします。件のキャンプ場へ続く道を通り過ぎ、しばらく進むと現れたのがリゾート地。ほう、なるほど、ここがリゾート地か(笑)。別荘でも建てられるのかもしれません。また畑らしきところにはこんな看板もありました。ショウコさんとユウヘイさんの「フラワーロード。」らしいです(イルカの鼻あたりに蝉の抜け殻付き)。そして我々が歩いているのはフラワーロードではなくて、しつこいですがこんな田舎ロード(ほんのり「スタンド・バイ・ミー」風味)。前方のグループと後方グループの差が開いてしまって、ときどき前方グループが日陰で待ってくれていたりします。追いついたところで行く先を見たのがこちら(相変わらずただの道ですが空は広い)。さらに先へ進んでいくと、遠くの方にこんな建物を発見。おお、きっとこれがあの真賀田研究所に違いないと勝手に妄想(笑)。まあ後ほど、実際は青少年キャンプセンターであったことが判明しましたが。ちなみにそこへと続く道は1本だけではなくここにもありました。そして再び遅れ気味だった後方グループが前方グループに追いついて合流の図。渡船場はもうすぐです。海が近づいてきて風も吹いてきました。終わりが近いと心なしか足取りも軽やかになるように感じます。いつの間にか少しだけ海水面よりも高いところを歩いていたらしく、渡船場への道は下り坂でした。その途中にはなんとこんなに大きなパイナップルが埋まっていました(笑)。坂を降りると今度は方言で歓迎の看板があり、午後2時頃、西渡船場に到着(Gメン風)。

 着いてみると次の船の時間までは1時間近くありましたが、うろうろするのも暑いのでチケットを購入したあとは屋根付きの休憩スペースに座り、日陰の中で休憩となりました。で、Gんてつさんに預けていた本日の参加費からのお釣を受け取り、各自自販機でジュースなどを買って飲んだのですが、その自販機がディスプレイされているものと微妙に違うものを出してくる箇所があって面白かったです。たしか「水・レモン・きれい」が何か別のレモン系のジュースになっていたのですが、商品の入れ替え時にディスプレイを入れ替え忘れたのかもしれません。そんな飲み物を飲みながら、まったりと雑談にふけっていました。Aなあなさんは自衛隊の勧誘を受けたことがあって興味はなかったけど年齢制限にひかかっていてなんだかなぁと思った話とか、Kずえさんに至っては大学の新入生に間違われて、嬉しいどころかいくらなんでも腹が立ったという話もあり、若く見られれば良いというもんでもないのだということを知りました。勉強になりますね(笑)。そんな話を聞きながら、長閑な時間は過ぎていきました。日陰は比較的涼しく、たまに吹く風で心地よくなってうとうとしてしまいます。寝不足も手伝って横になったら簡単に寝れそうな感じ。チケット売り場にはこんな犬が居ましたが、犬もそのうちに寝てました

 やがて3時過ぎに一色港行きの船がやってきて、一行は桟橋に移動。そしてすぐにぞろぞろと乗船しました。停泊時間は一瞬で、渡船場を離れた船は一気に海へ。あっという間に佐久島が小さくなりました。西に傾く太陽を左手に船は一色港へと向かいます。海を眺めるお兄さんも良い感じです(笑)。遠くは霞んでいてなんの変哲もないですが、見えるのはこんな海です。なんて外を眺めているうちに、Gんてつさんが船上キャストパズルをされていました。時間を潰すにはもってこいのアイテムですね。帰りはなんとなく早く感じましたが、やはり15分ほどで一色港に無事到着。こんなに乗っていたのかと思うほどの人々が一気に下船。そして我々は、ひとまずここでお疲れさまでしたとオフ会はお開きに。しかしまあ、みんな行き先は同じなので、揃って三河一色駅に向かいました。

 帰りはちゃんとこういう歩道を歩いて土手を川上に進みます。この歩道から見おろせる大きな用水路にはときどき大きな亀がぷかぷかしていましたが、残念ながら写真には撮れませんでした。駅に戻る前に一色町名物らしいえびせんをお土産にしようと、通り道にあったえびせんべい屋に寄って、買いたい人は思い思いのせんべいを購入。ポテトチップスのようにはいかず、どれも結構な値段がしますね。ちなみに私はお手ごろ価格だったイカ鉄板焼を買いました。全然関係ないですが店の向かい側にはカツオ君を発見。店をあとにして駅に着いたのが午後4時で、あと10分で電車でもなく列車でもないディーゼルカーのワンマンカーがやってくるという時間でした。グッタイミンです。空を見れば馬頭星雲を彷佛とさせる(させない?)こんな雲。10分も悠久の時のように感じられます。ワンマンカーを待つ間、駅前の当たりくじ付きの自販機で飲み物を買う人もいたのですが、聞くところによるとその自販機はしゃべるタイプのものらしく、言葉遣いがやけに丁寧だったそうな。まあそれくらいしかネタがない三河一色駅なわけですが(<馬鹿にしてるのか?)、そうこうするうちにワンマンカーがやってくる時間となりました。ここで一色町出身のAすましさんとはお別れとなり、残りのメンバは無人の改札を通ってホームへ。やってきたワンマンカーに乗り込みました。

 すると意外にも結構多くの人が乗っています(<失礼な)。この車両は碧南行きでまずは碧南まで戻ることとなりました。行きにも通った途中にある吹きさらしの橋ですが、渡ってるときに窓から外を見下ろすと、こんなふうに仕切り無しに川が見えてちょっと怖いです(解りづらい?)。どんな橋かをぜひとも見せたかったので、渡り終えてから急いで車両後方の眺めを撮ったのですがあえなく失敗写真。すでに橋からかなり離れてしまって見えませんね。碧南で急行に乗り換えると、今度は知立行きでした。つまり金山まではもう一度乗り換えが必要ということです。久しぶりに歩き疲れたのか、この電車の中では座れたこともあって堪らず断続的に寝てしまいました。その横ではAさんがGんてつさんから借りた例のキャストパズルを一所懸命解き始めておられます。さてさて終点までに解けるのでしょうか、なんて思いつつ寝ているうちに知立に到着。キャストパズルはまだ解かれていませんでした。どうやら次の電車に持ち越しのようです。ここでMさんとは別れ、次は特急で金山まで戻ることに。名古屋が近づくに連れて人の数は増え、車両内はすでに満員でした。そこに乗り込んだ我々はもちろん立ったままでしたが、Aさんはずっとキャストパズルを続けておられたらしく、金山到着直前についに解くことに成功された模様。おめでとうございます〜(にこにこ)。

 金山の先まで帰られるLさん以外の7人がここで下車し、Kずえさん意外の6人で駅近くのやまちゃんにて二次会となりました。睡眠不足に加えて歩き疲れ、その上おまけにアルコールが入ってしまうと、もう、眠くてしかたなかったです(苦笑)。大した量は飲まなかったのですけどね。ちびちびとアルコールと料理を摂取しつつ、いろいろな話題について会話がなされましたが、印象に残っているのは、「だだくさにする」(でしたっけ?)という言葉は名古屋弁で、粗末にするとかいう意味だという話から始まった名古屋弁に関する話題でしょうか。名古屋では疲れたときに言うのが「えらい」だったり(これは関西方面でも遣いますね)、「しゃびしゃび」が「水っぽい」という意味だとか、「ちんちんに冷やす」という表現があったりとか、いずれも関東出身のGんてつさんには通じなかった模様でいろいろ解説がなされました(笑)。個人的に解らなかったのは「だだくさ」だけでしょうか。あと、手羽先を食べていたこともあって名古屋名物の食べ物の話も出ましたね。ヨコイのスパゲティのソースに関して、あれは何とかソース(すみません、忘れました)を元にしているのではないか、というかそれを使うとかなり近い味のソースが作れるとおっしゃるAなあなさんの話があったり、料理が得意でいらっしゃるGんてつさんは名古屋名物をレパートリィに加えたいというようなことをおっしゃっていたり。ま、その横で私は半分寝ていたわけですが。それから、いわゆる学校で習うレベルの歴史の話がちょっと出て、Fさんと私が「理系なら地理ですよね」という話をすると、Mつるさんが地名を覚えるのが苦手だという話になったのですが、詳しく聞いてみると「苦手なものしかない」みたいなことまでおっしゃっていました(笑)。とまあ、途中記憶が飛んでいるところもありますが、なんだかんだで3時間くらい楽しく話して、8時半頃に二次会はお開きに。それぞれの交通手段で帰宅となったしだいです。何はともあれ、参加された皆様お疲れ様でした。

 9時のバスでN大学前に戻ってきて、その後家に帰りもせずに大学のサロンで寝たり、机に突っ伏して寝たり、椅子にもたれて寝たりしてしまったため、気づいたら朝になっていました。


(8/5) そんなこんなで月曜日はすっかり空が明るくなってからの帰宅。朝が早いT橋君とはちょうど入れ違う形です。避けているわけではありません(笑)。着替えずにそのまま大学にいるわけにもいきませんし、シャワーぐらい浴びておかないとね。というわけで平日ですが、スズメやらハトやらが賑やかなに飛び回る中、朝日を浴びながら家に帰ったしだいです。しかし昨日久々に歩き回ったことが響いたのか、帰宅してからも結局ぐーすか寝ることになりました。目覚めたのはお昼を過ぎてからで、午後になって再び大学へ。引き続き実験(どこに引き続いているかというと昨日の午前中ですが)を進行させながら、それまでに得られたサンプルはカラム分離をして希土類元素などを回収。

 昨日の二次会で出た名古屋弁の話題を記述するとき、「だだくさ」の意味が曖昧ではっきりとは思い出せなかったので、名古屋弁辞典のようなものがないか検索してみたのですが、それで見つけたのがこんなところでした。ディズニーランドのエレクトリカルパレード・ドリームライツのスポンサでもあるコンピュータ関連企業なのに、名古屋弁辞典が変に充実しているところが面白いです(中部支社のサイトですが)。ここで無事「だだくさ」の意味を確認することができ、「粗末」という意味を知ったしだい。また、せっかくなので他の言葉もいろいろ見てみたところ、少し気になるところを発見しました。おそらく名古屋弁を基本にした辞典だからでしょうけど、標準語で「スマートの反対」という項目があります。で、その名古屋弁にあたる言葉は「ごつい」となっているのですが、その反対の意味を持つはずの「スマート」にあたる言葉が解説されていなくてなんだか落ち着きません。名古屋弁でも「スマート」は「スマート」なの? もしかして「スマート」に対応する言葉はこの地方には存在しないのか?(<バカにし過ぎ) っていうか、そもそも「ごつい」を標準語にするときに英語を混在させるのは、なんか違うやろと言いたい(笑)。


(8/6) 広島に原爆が投下された日。そんなことをちゃんと覚えているのは広島人か受験生ぐらいではないでしょうか。もう57年目です。忘れろとまでは言いませんが、忘れても仕方ないくらいの年月ではありますね。戦争体験者はどうしたってどんどん居なくなるわけですから、いつまでもやられたことを恨みがましく訴え続けるのにも限界があるでしょう。遺恨がそんなに長続きするとも思えませんし、それに費やすエネルギィももったいない気がします。確かに被害を受けた側としてはそう易々と相手を許すことなんてできないでしょうし保障の問題もあるでしょう。核兵器の使用自体は、二度と繰り返してはならない愚かな行為だとは思いますが、そんなに長くない人生、せっかく平和に暮らせているのなら他の楽しみにエネルギィを注いだ方が賢いと思います。いじめと同じようなもので、やったほうはおそらく気にもとめていないことでしょう。やられた側がどんなに訴えても、これ以上状況が良くなるとは思えません。それに国どうしの戦争の結果とはいえ、世代が替わればやはり訴えもお門違いにならざるをえません。喩えるなら、親が殺人者だからといって、その子供が責められる筋合いはないのと一緒(そうじゃないケースもあるのかもしれませんが)。もう充分に平和な社会になったじゃないですか。これ以上何を望むというのですか。平和ボケしてる? 大いに結構。戦後の奇跡的な復興は、むしろ戦争のことを忘れるために進められてきたんじゃないかと思えるほどです。そうして作り上げられた平和ボケ社会。万歳ですよ。ボケてボケてボケまくれ。子孫に遺恨を残すよりは、不況の平和ボケ社会を残したいとぞ思う。黙祷・・。

 さて、平和な火曜日も昼頃の通学で、引き続き実験作業をいろいろこなしました。何を隠そう、広島の大学に通っていたにもかかわらず今日が広島の原爆投下の日だということを思い出すこともなかったほどです。目まぐるしい毎日。こうして忘れられていくのでしょう、はい。日が傾いてからは、バスに乗りの街へ本を買いに行きました。目的の本は皇なつき氏画の「黒猫の三角」コミック版です。まず向かったのはマナハウスでしたが品切れで、次に向かった紀伊國屋書店でゲットできました。他にも森先生のウェブ日記第2弾「毎日は笑わない工学博士たち」の文庫版と、プレゼンテーションのための英語の本を購入。英語の本はもちろんスイスでの国際学会に向けて購入したわけですが、今さら英語の勉強したってどうにもならないような気もします。今までに買った英語の本も活かし切れてないですからね(苦笑)。でもまあ、発表における決まり文句とか表現を知っておくだけでもましかと思ったしだい。

 帰りは地下鉄で本山まで戻ってきて、リニューアルしたマツザカヤストアに寄ってカレーの食材を主に買いました。しかし、大学に戻ってから空腹に耐えかねて夕食として食べたのは、100円だった「夜泣きの一平ちゃん」でした。まあ満足(腹が膨れれば良いらしい)。それから夜は徹夜で実験に伴う作業をしてました。2週間続けた実験もひとまず終了し、あとは元素分析に向けて頑張らなければなりません。さあて、学会までに間に合うのでしょうか(ドキドキ)。

 「黒猫の三角」を少し読みましたが、短編の「気さくなお人形、19歳」も収録されていたんですね。知らなかったので得した気分です(にこにこ)。しかし、全部を読んでる暇はなさそう・・。


(8/7) というわけで徹夜明け(といっても昼間寝てるから眠くはない)の水曜日の朝は、一旦帰宅してカレーを作りました。朝からカレーです。朝からお疲れ中辛カレー(<早口言葉?<なってない)。今回は昨夜ちゃんと野菜も買ってあったので具ありカレー。やっぱり具があるっていいですね(当たり前のこと言ってるなあ)。出来上がりまでには1時間くらいかかりますが、作ったからには食べないわけにはいきません。寝かせたカレーも美味しいですが、炊きたてご飯に出来たてカレーをかけて2合ぐらい食べるのもまた格別なのであります(<2合も喰ったのか)。

 その後大学へ出て来て、ひたすら実験。溶出実験で回収した溶液中の元素をカラムを使ってそれぞれ分離回収し、測定用として前処理を施していきました。まあ、わざわざ説明するまでもない化学をやってる人なら誰でもやってる作業ですが。その合間にちょっとした待ち時間はできますが、何をしていたのかは書けません。何故なら忘れたから(笑)。うーん、何をしていたのだろうか・・。少なくとも、論文を読んでいなかったのは確実だなあ(<読みなさい)。

 あそうそう、生協に行ってバスのチケットを買ったのでした。国際学会のあるスイスへ行く飛行機が出発する成田空港へ行く電車が出ている東京駅に行くための交通手段としての夜行バスのチケットです(<修飾し過ぎ)。15日の夜出発予定。さあ、だんだんとあとに引けなくなってきましたね。発表準備を急がせるために自ら外堀を埋めていってる感じでしょうか。追い詰めないとできないのは情けない話ですが、追い詰めてできるかどうかも怪しいです(苦笑)。とにかく今はデータを出すことが先決。頑張りましょう。

 夜になり、夕食にカレーを食べるため一旦帰宅。食後に意図せずちょっと寝てしまい、午前3時頃に目覚めて再び大学へ向かいました(我ながら凄い生活をしているな)。暗い夜道を歩いていると、目の前が暗くて足元もよく見えません(当たり前)。歩き慣れた道なのでだいたいの地面の感触は把握できているのですが、たまに段差でつまずくこともあります。そんなときにいつも思うのは、「ああ足が長かったんだな」ということですが(笑)、スイス行きが近づいてきた今ではもっぱら「このまま転んで怪我でもしたら、お先真っ暗だな」ということです(駄洒落かよ!)。夜道は暗いですからねぇ、気をつけましょう。

 ええと、まあ、そういうことで、今夜も実験の続きをしこしこ。日記を書く暇もない、と言ったら嘘になりますが、まともに書けるほど頭が正常に働く余裕はありません。緊急閉鎖モードってことでひとつ。ということを今さら(9/17現在)書いて何の意味があるのか疑問ではありますが・・、この一文(というのは前の文を指しているのではなく、今まさにあなたが読んでいるこの一文のこと)の存在で日記が1ヶ月以上も遅れて書かれたものだということがあとから読んでも判ってしまうばかりでなく、自分の怠慢なところをも同時にさらけ出してしまうという効果もあります。読者に誠実な設計と言えるでしょう(<ほんとに誠実なら毎日更新するのでは?)。


(8/8) 昨夜も夜通し元素の分離やらサンプルの前処理やらをして、木曜日も朝帰り。で、カレーライスを食べて、寝るつもりはなかったのに寝てしまって、午後3時に起床というどこかで聞いたようなパターン。起きてすぐにタイミングよくM2のO田君から電話があり、T中先生の放射化分析サンプルの測定があることを知って(というか、知っていたけど忘れてた)、シャワーを浴びてまったく急がずに大学へ(<ちょっとは急げよ)。4時半頃にサンプルをアイソトープセンタへ持って行き、3人揃って午後5時ぐらいまで作業をしていたでしょうか。プログラムを走らせて測定を開始させた後は、研究室に戻ってきて自分の実験に没頭というか奔走。それがいつものごとく夜まで続きました。いや、朝までだったか。

 昼間よりはましですが、朝晩もまだまだ暑い日が続きます。ちなみに英語の勉強は続いていません(あかんがな)。あとは、特に言うことはありません。う〜ん、白身のように淡白。どうでもいいけど、2005年に愛知で開かれることなんてきっと愛知県民以外は知らないであろう国際イベントって、環境がテーマなだけに各パビリオンも環境に配慮して実にあっさりした建物ばかりになるような予感(<愛知淡白と言いたいらしい)。


(8/9) あ、愛知淡白のテーマは「自然の叡智」だったのか。それにしてもあのマスコットキャラクタはどうなんだろう。あんまり可愛くないし、会場が緑の直中にあるだろうに緑色のキャラクタでは保護色になって目立たないような気もする。それが狙いなのかもしれませんが。昨今、万博への関心なんてへにょへにょに薄れているんだから、どうせ開催するならいっそのこと、Webやぎの目のアイコンをマスコットキャラクタに使うぐらいの度量を見せてほしかったなあ(笑)。そしたら絶対観に行ったのに。で、会場ではお土産としてチ●コTシャツとかが売られたりなんかすれば素敵(ぽわ〜ん)。「自然の叡智」からは遠ざかりますが・・。

 さて、相も変わらず華の金曜日も朝帰りで、午後から大学へ。そしたら先輩のT水氏が来ておられるではないですか(「ないですか」と言うほどの驚きはないが)。久々に会って、軽く会話を交わしました(時間もないので)。赤ちゃん奥さんともども元気なようです。今年T工大から、我が母校である広島のH大へ所属が変わるそうですが、良い研究ができることをお祈りしております。

 広島といえば、現在日本電気で働く友人のK藤氏なら広島カープと宣うところでしょう(彼はカープがH大を受験した動機だったと言ってましたからね)が、何も思い入れのない自分にとっては、訪れる前は広島といえば原爆ドームもみじ饅頭くらいの印象しか持っていませんでした。後者はおそらくB&Bの影響でしょう。それが実際に4年間住んでみると、印象はがらりと変わらずに、そこに広島風お好み焼きが加わったことくらいです(笑)。結局、東京人があまり東京タワーを訪れないのと同様に、原爆ドームを一度も訪れることなく広島を去りましたが、原爆資料館にはさすがに原爆饅頭なんて売ってないでしょうから(そりゃ売ってたら顰蹙もんだ)、別に行ってみたいとは思いませんね(<饅頭が喰いたいだけかよ)。あと、広島は河川の三角洲に作られた街なので、河川が多く地震に弱そうだなという印象はあります。激しく地盤沈下しそうな感じ。っていうか、日本の都市はどこも海に近いところに発達しているので、そういった危なさはみんな同じでしょうか。まあ、遠くの心配するよりも今いる東海地方の方を心配した方がいいような雰囲気ですが(地震予知連絡会の発表見てると)。あと2年くらいは起きないでほしいな。

 午後は、サンプルの測定に向けての準備を続け、夜までにはなんとか整いました。明日測定をする予定。蒸し暑い日に蒸し暑い部屋での実験を続けていますが、この暑さはどうにかならないものか、夏になると常々思います。どうにもならないのですけどね(うーん)。それとは別に用途が違う実験室もあって、こっちには冷房があります。ただ、前にも書きましたが、その部屋は機械のために冷房が設置してあるため、設定温度を変えることもできずに冷えっぱなし。で、冷房が無いくせに狭くて熱源はたんまりある実験室との行ったり来たりを繰り返していると、寒暖の差が激しくて体調を崩しかねません(上手い具合に往来するとどちらの部屋でも快適に過ごせる最適時間もあります)。とはいえ、快適な環境で実験をしようなどというのも贅沢な望みであることは解っています。時間が解決してくれるのを待つしかないでしょう(そのうち秋になるからね)。


(8/10) 昨夜は比較的涼しい風が吹いていて、家に帰るときは快適に歩けました。きっと、桶屋が儲かったことでしょう。風が吹けば桶屋が儲かるという話、具体的にどういう経過を辿って儲かるんだったか忘れましたが、適当に推測して以下に書いてみました。

【1】風が吹く
【2】ホコリが舞い上がる
【3】倉木舞も上がる
【4】人々の目にホコリが入りまくる
【5】目赤が急増
【6】人々が眼科に駆け込む
【7】眼科が繁盛
【8】その眼科の先生が桶谷さんだった
【9】桶谷が儲かる

でどうか(笑)<オケヤ違いかよ!<っていうか3番目は要らんのでは?<そもそもどこに上がるというのか。う〜ん(苦笑)。じゃあ、もう一度。7番目からやり直し(<結局3番目は良いのか)。

【7】眼科が繁盛
【8】眼科の先生大忙し
【9】風呂に入る時間もないくらい大忙し
【10】先生汗臭くなる
【11】このままじゃ客が減って商機を逃すってんで
【12】患者を診つつ看護士に濡れたタオルで体を拭いてもらう
【13】そのタオルを洗うのに桶を使う
【14】桶屋が繁盛
【15】と思ったら大間違いで
【16】汗臭い先生の評判落ちる
【17】眼科に行きたくない目赤の人々が目薬を買いに走る
【18】目薬馬鹿売れ
【19】そして目薬品不足
【20】目薬を買えない人々はとりあえず涙を流せばなんとかなると考える
【21】しかし噂とは怖いもので悲しめば治るという話が広まる
【22】手っ取り早いのは悲しい歌か?
【23】だな
【24】よし、じゃ歌いに行こう!
【25】カラオケ屋が繁盛
【26】オケ屋が儲かる

って、やっぱりオケヤ違いかよ!<っていうか最後の方は会話じゃないか。くだらんなあ(笑)。

 さて、気を取り直しまして、またしても昼起きとなった土曜日は、昼食にフツーツグラノーラを食べた後、大学に来て準備していたサンプルの測定をするつもりでした。が、機械のチューニングが上手く行かず、そのままやっても中途半端なところで終わってしまいそうだったため、測定前に終了し、翌日に託すことに。

 夕食は何も用意していなかったのですが、運良くサロンの冷蔵庫に大阪土産の点天とかいうお店の小さな餃子があり、正味期限が今日までなので食べても良いよというお言葉に甘え、鍋で焼いたり茹でたりして30個ほどを平らげました。タレを付けずともピリ辛の餃子。なんとまあ、痔に優しいことです(苦笑)。味はご飯が欲しくなるくらいの普通の美味しさでしたが、残念ながらサロンにご飯はなかったので(米を持ってくれば炊けるのだが)餃子だけで我慢。ごちそうさまでした。


(8/11) 日曜日は朝6時頃帰宅して、ご飯を炊いてから就寝。昼前に起きて、ホカホカご飯にゆかりをかけて朝食としました。昨夜餃子を食べて欲しくなったご飯を今日になってから食べたという形。合わせて2で割ればちょうど良いバランスでしょうか。気休めですが。

 午後からは大学へ出てきて、昨日できなかった希土類元素の測定を夜までかかって行ないました。6時頃、ちょうど帰省中のK藤氏が飲みの誘いに大学までやって来たのですが、まだ手が離せなかったので、とりあえずT中氏とともに先に飲んどいてもらうことに。1時間ほどして測定がひと段落して電話をしたら、家から呼び出されたらしいT辺氏も合流して3人は本山の居酒屋飛騨で飲んでいるとのことでした。測定終了後、自転車は例によってすっかり前輪の空気が抜けていて使い物にならなくなっていたため、自分の足で走って本山へ向かいました。これ以上待たせては申し訳ないという思いからというよりも、なるべく彼らが出来上がらないうちに同じ席に着きたいなあという思いからです(笑)。まあそれこそ気休めに過ぎませんが、少しでもアルコール摂取開始時間の差を縮めようという努力ですね。

 店に到着して中に入ってみると、日曜日だからかお盆前だからか店内は閑散としてます。走った努力も虚しく3人はほとんど出来上がっていてピークは過ぎた感じ。すでに1時間以上経過していたところへの途中参加でしたので、お酒はビール1杯だけに留め、食事中心にさらに1時間くらいおしゃべり。T中氏はいつものように眠たそうです。学会の準備が気掛かりでしたが、飲み屋を出たあとはそのままカラオケへと流れ、期せずして静かに歌う二人とうるさく歌う二人の対戦となりました(別に戦っちゃあいませんが)。自分はもちろんうるさい方に属します(カラオケの時はね)。それでも今回は少しセーブしたつもりだったのですが、結局いつものように歌ってしまって喉が痛くなりました(苦笑)。学会への出発が目前に迫っていることも忘れています(大丈夫か)。1曲目で「Do it! Now」が歌えただけで満足です(にっこり)。

 カラオケ後は3人と別れ、一度大学に寄りましたが、学会準備も何もすることができず敢え無く帰宅。さあて、これはいよいよ本格的に危なくなってきたかもしれません。どうなる学会。


(8/12) 今日こそは早起きをしようと思っていたのに、昼まで寝ていた月曜日。自分で言うのもなんですが、アルコールを摂取した日の翌日に早起きをしようってのが甘いですね。アルコールを抜きにしても、早起きできないのは体に染み付いた悪習なのかもしれませんが・・。いやいや、そんなネガティブに考えるのは止しましょう。ここは好意的に捉えてですね、旅立つ前からすでにスイス時間に体内時計を合わせているというのはどうでしょうか(笑)。つまり時差ボケを先取りしていると考えることができるわけです。日本にいてボケているのですから、当然スイスに行ったら正常になって、人並みに朝起きて夜眠るという生活ができるはず。なるほど、我ながら上手いこと言った(<上手いか?)。それはともかく、起きたら太ももが筋肉痛でした。おそらく昨日の夜走ったのが効いたのでしょう。あれくらいで筋肉痛になってしまうとは、つくづく体力の衰えを感じます(しみじみ)。

 さて、本日は以前より痛みを抱える右手の調子がいつもに比べて非常に良好な状態だったのですが、周期的に悪くなるのはだいたい経験で分ってきているので、海外へ行く前にとりあえず病院で診てもらっておこうと思い、診療時間をネットで確認したのちHちや整形外科に行くことにしました。自転車で行くと帰ってくる頃には空気が抜けて(いい加減修理すべきだが)、どうせ押して帰る羽目になるのは判っていたので、歩いて本山まで行き、地下鉄で隣の覚王山へ。ひと駅の移動で地下鉄を利用するのは割高でアホらしいのですが、暑い中を歩いていく気力もなかったのでアホになる方を選んだしだい。

 地上に上がって少し歩いたところにあるHちや整形外科に着いてみると、しかしロビーは暗く、入口には「本日の受け付けは終了しました」の看板が(がーん)。なんだよぉ〜もう! くっそー、平日だから午後もやってると思って来たのに、いざ来てみたら休日シフトかい。盆休みなのかなんなのかよくわかりませんが、せっかく意を決してここまで来てこの結果では、なんか浮かばれません(<浮かばれてもまずいだろ)。しかたがないので、再び地下鉄に乗り本山まで戻・・るようなことはせず、その足での街まで出かけることにしました。というか、旅行へ向けての衣服を少し買っておこうと初めから病院のあとに行くつもりだったのが、予定よりも時間が早まった形です。

 まずは先日電話までかかってきて留守電にお知らせが入っていた、三越の催事場で開かれているバーゲンのカールヘルムコーナを目指しました。バーゲンの最終日だし、電話をかけられちゃあ行かないわけにはいかないでしょうという単純な理由。う〜ん、なんて素直な消費者でしょう(笑)。まあ、店鋪に顔を出すわけではないので、バーゲンで何を買おうが買うまいが向こうには察知されない可能性大ですが、察知されたところでよく釣れる客だなと思われるだけでしょう(<卑近な考えやな)。いずれにしれも今回は必要なものを買うのみです。主に欲しかったのは長袖シャツでした。学会のあるスイスのダヴォスは標高が高く夏でも朝晩は冷え込むらしいのですが、カールヘルムの長袖シャツはあまり持っていなかったのです。じゃあカールヘルム以外の長袖ならあるのかと言えば、その通りいくつかあります。しかし、せっかくスイスに行くんだから新しいのが欲しいじゃない? で、どうせ買うならカールヘルムにしたいのが人情というもの。他のブランドを探すのも面倒だしね。というわけで、長袖シャツを物色。そしたら、なんと4月に買ったシャツ(KH3姉弟の制服大作戦で買ったやつ)が早くも半額で出ていてちょっとショックでしたが(苦笑)、薄手の手頃な長袖シャツを見つけ、その下に着る用のTシャツもついでにゲット。それから何気なく見ていたワゴンの中に、面白いズボンを見つけたのでそれも購入することに。このズボン、膝のちょっと上あたりに横向きのチャックが付いていて、半ズボンにすることができる代物なのです。ちなみにオレンジ色をしています(これがバーゲン品である理由かも)。バーゲンにしてはなかなか良い買い物をしたと言えるでしょう(にこにこ)。

 そのあと向かったのは丸栄ユニクロです。ここで下着と靴下を購入。見えないところはまあこんなもんで充分でしょう(笑)。それからロフトへ行って、ポスター発表用の色紙や名刺カードなどを購入。色紙はバラで売られておらず、赤緑青黄の4色もB4で買うと重くてしかたがなかったですが、手提げ袋をぶら下げて、次は大須へと向かいました。そこでアメ横の時計屋さんで腕時計の電池交換を頼みました。持っている腕時計がことごとく電池切れで、しかもほとんどが電池交換してまで使いたいと思えるものじゃなかったので(携帯電話もあるし)、最近腕時計をしてなかったのですが、スイスに行くにあたってやはり腕時計は必要だろうと思われたので、持っている腕時計の中ではわりとお気に入りのロボ時計を復活させたしだいです。帰りはバスで大学前まで戻って来ました。

 身の回り品はこれでだいたい揃い、あとやるべきことは、トラベラーズチェックを用意することと、ダヴォスでのホテルがどうなったのかの確認(もう無理そうですが)と、持って行く本の選別ぐらいでしょうか。音楽はiPodの発売日が間に合いそうにないので今回は諦めることになりそうです(荷物を減らしたいのでCDは持って行きたくない)。


(8/13) 昨夜はずっと学会発表用のグラフを作ったりしていて眠くなったと思ったら朝でした。しつこいようですがスイス時間で運行しております(にこ)。朝帰りをしてラジオを点けると、いつぞやの停電後以来チューニングが初期化されたままだったため、いつも聴いているCBCではなく、最初にセットされたのはNHKでした。そして時刻は6時半。そう、ラジオ体操の時間ですね。おぉ、久しぶりに聴くなあ。と懐かしさのあまり一緒に歌を歌ってしまいます。あ〜た〜〜らし〜いあ〜さがきた、き〜ぼ〜〜うの〜あ〜さ〜〜が、よ〜ろこ〜〜びにむねをひ〜〜らけ、あ〜おぞ〜〜らあ〜お〜げ〜・・・。結構覚えているもんです。しかも歌うだけでなく、その後の体操までちゃんとやりました。布団の上に立って。歌同様に体操も体が結構覚えていますね(第2体操はさすがに全部は覚えていなかったけど)。いやあ、真剣にラジオ体操をしたのは何年ぶりでしょうか。体も火照って清々しい気分になります。とてもこれから寝ようとしているとは思えません(笑)。最終的には寝ましたけどね、ぐっすりと。良い運動になりました。

 そんなわけで火曜日も午後から大学にやってきて、学会発表準備の続き・・ができるかと思いきや、T中先生の発表用のグラフ作成のお手伝いが待っていました(わーいわーい!<空元気)。放射化分析の放射線スペクトルを任意の範囲でプリントアウトしたいという要望で、以前にも同じ注文を受けたことがあるのですが、白黒印刷用に色を変えたりとか面倒臭い設定の変更方法を思い出すのに時間を要し、すべて終えるまでに小一時間ほどかかってしまいました(もうちょっと使い勝手の良いソフトにしてほしい)。こんなことをしに大学に来たんじゃない、と言いたいところですが、スイスへ行く旅費等は先生の科学研究費から給料という形でもらっていることになっているので、仕事だと思えば楽なもんです。甘んじて受け入れましょう(笑)。

 まだ準備すべきものが残っていました。スイスでパソコンのあいぶっ君(実は持って行くつもり)とデジカメの充電をするために、電源プラグの先の形を変換する器具が必要なのです。スイス用のがあれば事足りるのですが、それを求めて生協へ行ってみると、他の国用のものとのセット商品しか置いてなかったため、しかたなく一番安いやつを購入。いずれ別の外国へ行くことがあれば使うこともあるでしょうし、持っていて損はないでしょう。あとそれから書籍部で「子供の科学」も買いました。その後、原子吸光分析のサンプルの準備をして午後6時から10時頃までずっと測定でした。この結果を学会発表に使おうってんですから、恐ろしいものです。果たして間に合うのか? 用意周到という言葉とは程遠い次元に居ますね・・。

 深夜にコンビニへ行って、夕食としての冷やし中華とおにぎりと、自宅で食べる用にカレールーを買って、サロンで早速食事。最近よく深夜にM2のH君に会うのですが、彼も現在夜の住人になっている模様(おそらく測定の関係上でしょうが)。近くに他の人が存在している深夜って、なんだか落ち着けませんね(笑)。って落ち着いてる場合じゃないな。追い込みあるのみ。頑張れ自分! あ、トラベラーズチェック買いそびれた。


(8/14) もう完全にスイス時間で生活しています(何度もすみません)。というわけでまたしても朝帰りの水曜日は、帰宅してすぐにカレーを作り始めました。明日から長期間留守にするので、余っていたタマネギとジャガイモを消費しておきたかったからです(といって作った10皿分のカレーが全部食べられるのかどうかは微妙ですが)。その後ラジオを聴きながら熟睡はせずに軽く仮眠。目覚めてカレーライスを早速食べてからお昼頃大学へ。

 買いそびれていたトラベラーズチェックとスイスの現金をいくらか手に入れるため、大学内郵便局へ行ったのですが、現金の方は残念ながら売り切れていました。最近スイスフランの需要が高かいことを不思議に思っているらしい局員の男の人に「スイスで何かあるんですか」と訊ねられたので、素直に「学会があります」と答えておきました。ボケれなくて申し訳ありません(笑)。まあ、お笑い芸人ではないので公共の場では真面目に振る舞う人間なのです(<お笑い芸人でもそういう場では真面目なのでは?<っていうか、じゃあ、この不真面目な日記は公共の場に公開されていないのか?おう?という疑問が湧かないでもないあなたは鋭い)。もし応対してくれた局員が綺麗なお姉さんだったなら、「スイスで僕とあなたの愛が育まれるのです」くらいのことは言ったかもしれませんが、それでも全然笑えない(むしろ寒いぞ)ので言わずに済んで良かったと自分の胸を撫で下ろしているところです(<他人の胸だったらえらいことだ)。いずれにしても、ひとつだけ言えることがあるとすれば、現金は空港で手に入れるしかないなということです。銀行に行ってる時間はないからね。

 航空チケットもあるし、パスポートもあるし、着替えもあるし、観光案内の本もあるし、トラベラーズチェックも手に入れました。だいたいの旅の準備はほとんど整ったと言えるでしょう。まだ鞄に詰め込んではいませんが、それは10分もあればできる作業です。とりあえず今やるべき最重要事項は、学会発表のポスタを作り上げることとなりました。で、本日も夕方から夜中にかけて、引き続きデータをいじくり回して、ポスタ作りに精を出していました。しかし、データは揃っているものの、なかなか上手いことまとめることができません。出発日の前日でこの有様です。学会ではいわゆる自分の研究の手の内を見せてしまうわけですから、まだ論文にしていないことはなるべく発表しない方が無難です。そういうわけで、今回の発表もあまり突っ込んだ話はできないことになっているのですが、それゆえに話が作りにくいんですよね。だったら初めから発表しなければいいじゃんと言われれば、まあその通りですが(苦笑)。でも、もうここまで来ちゃったんだもんねぇ〜。今さらあとには引けないでしょ。やるしかないのです。

 帰宅して今日も夕食にカレーライスを食べましたが、出発までに食べ切れるかは依然として微妙な量が残っています。うーん、もし食べ切れなかった場合は冷凍保存するしかないかなあ。あでも、移し替えるための然るべき容器がないぞ。かといってそのまま捨てるのも忍びない。やはり無理にでも食べてしまうべきか。ポスタ完成の行方も気になるところですが、カレー完食の行方も気になってきました。どうなるポスタ?! どうなるカレー?!


(8/15) さて、一夜明けて迎える木曜日。学会発表用のポスタを含めスイスへ行く諸々の準備を整えなければならないタイムリミットの日です。日本を発つのは明日ですが、朝早い便のため夜行バスで東京へ行く必要があり、午後9時頃までには名古屋駅へ向けて出発しないといけません。とりあえず昨夜のうちにリュックに詰められるもの(衣類の一部とかあいぶっ君とか)はすでに詰めてあるものの、しかし昨日も書いたように一番大事なポスタがまだ出来上がっていないのです。ははは、どうしていつもこんなにギリギリなんでしょうか。いい加減呆れてきますよね。もうちょっと前から準備ができなかったのか・・と言いたいところですが、実際結構前から着手はしていただけに、今回はそう一概にもっと早ければなんて・・言える言える、言えるなあやっぱり(苦笑)。諸悪の根源はサボりがちな性格からくる計画性の無さ、それに尽きるでしょう。うんうん。だからこそちゃんと予定表を作った方が良いとは常々思っているのですが、それを作ることすら面倒に感じてしまう辺りが弱いですね。重い腰が全然上がらない。そういう方面でも、予定通りにいろいろこなされている森先生はほんと尊敬に値します。あららこめ具体的な予定さえ立っていれば、それを実行していく自信はあるんですけど、誰か立ててくれませんかね。マネージャが必要かもしれません(笑)。

 などと、今更そんなことを嘆いていても始まらないのです。期限は刻一刻と迫ってきています。もうやるべきことは、とにかくポスタを仕上げることです。カレーライスを食べて昼前に大学に出てきて、昼間から夜にかけてずっとポスタ作りに専念してました。半日の勝負です。どのグラフを使うとかどういうレイアウトにするかなどの大まかなところはすでに決まっていたので、だいたいは細かいところを詰める作業でした(鞄に詰めているわけではない)。しかしかし、それが結構長引いてしまい、ようやくT中先生にチェックしてもらったのが夜の7時過ぎで、それからアドバイスをもとに手直しして再び見てもらったりしていたらとうとう9時頃になってしまったではありませんか! しかも肝心のディスカッション部分は今の段階ではどうにも固まらず(ていうかまだ言えない部分がある)、しかたないので発表までに何かしら考えて現地で作成することになりました(嘘みたいなほんとの話)。確かにノートパソコンのあいぶっ君も持って行くつもりですし、プリンタぐらい向こうにも用意してあると先生はおっしゃるのでなんとかなるのかもしれませんが、しかしまあ、国際学会の発表がこんなんでいいのかと(苦笑)、すっごく不安になることしきりです。とはいえ、もう時間もないのでとりあえず出来ている部分だけを印刷して持って行くしかありません。ポスタといっても大きな一枚の紙(A1サイズとか)に印刷するプリンタがうちの講座には無いので、グラフや図などをA4サイズにちびちび印刷して、それを色紙(いろがみ)の上に切り貼りしたものを並べて発表する予定なんですが、最終バージョンのポスタはやっぱり綺麗な方が良いだろうと高品質で印刷を開始したのが運の尽きでした・・。


★さて、ここからは波乱万丈スイス旅行記となります★

 チケットを買ってあった夜行バスの出発時刻は午後10時で、バスターミナルのある名古屋駅までが地下鉄で本山駅から15分、そして大学から本山駅までが自転車でも5分はかかり、さらにポスタ以外の荷物は自宅に置いてあったので、それを取りに帰るのにどう頑張っても往復するのに5分はかかるでしょう。バスの出発に間に合わせようと思ったら、地下鉄の待ち時間も無い一番ラッキィな場合でも25分前には大学を出ないといけないことになります。もちろん最終的な荷物のパッキング時間も考慮しなければならないので、30分は見ておかなければなりません。つまりすべてがベストの状態でも9時半には出ておく必要があるのです。タイムロスも含めれば9時20分がギリギリのラインでしょう。で、そんなときにですよ、つい欲張って時間のかかる高品質な印刷を10数枚もしてしまったわけです(同時に紙の余分な部分を切る作業も進めましたが、これは長い印刷時間のおかげで比較的落ち着いてできました<いや、トータルとしては全然落ち着いてないのですが)。初めは間に合うと踏んでいたのですが、予想していたよりも印刷に時間がかかってしまい、すべてがプリントアウトされたのは、なんとジャスト9時20分(んがあ!)。

 おそらく、今までにこれほど慌てたことはないでしょう。なんせバスに乗り遅れたら東京へ行く手段がもうないかもしれないし、そうなると飛行機も絶望的となり、スイスへ行くことができなくなるんですから。そんなこと考えただけでも恐ろしいのです。ここまでの苦労はなんだったのかということはもちろん、何より、払ってしまった航空チケット代がパアになってしまうなんて・・(あわわ)。ひぇ〜、もう、それからは死にものぐるいでした。プリントアウトされた紙やら切り抜いた紙やらを片っ端からB4サイズのクリアファイル(色紙がB4だったためこのサイズ)に入れ、本棚に並んだ本の中から適当に持って行く本を選びクリアファイルもろともリュック(これはスイスに持って行くのとは別の普段使っているやつ)に入れ研究室をあとにしました。そして家までは全力ダッシュです。なぜ走る必要があるのかといえば、自転車はこのとき「半日で前輪の空気が抜ける病」にかかっていて大学まで乗ってきていなかったから(ここでも早めに手を打っておかなかったツケが回ってきている)。夜は涼しくなってきたといってもまだまだ蒸し暑い季節です、必死で走ってぜぇぜぇ言いながら家に辿り着いたら汗だくだくでした。この時点で残り30分。呑気にシャワーを浴びている時間は当然ありません(泣)。とりもなおさず大きなリュックに必要最低限のすべての物を詰め込みにかかりました。まず携帯電話は使えないのでポケットから出してそのまま放置。忘れちゃいけないパスポートやホテルのクーポン類はすでにリュックのポケットに。着替えは下着類と半袖シャツ4枚くらいとこの前買ったカールヘルムのオレンジの長ズボンと長袖シャツ1枚のみ。スイスの高地に行くには軽装過ぎる気もしましたが、リュックひとつで旅行がしたい主義なので衣類はなるべく我慢することに(いざとなったら現地調達もできますし)。代わりに場所を占めたのがあいぶっ君でした。意外に重いし場所を取るのですが、ポスタを完成させるためにもデジカメで撮った写真を保存するためにも(あるいは日記を書くためにも)彼は必要なのです。見捨てて行くわけにはいきません。もちろんデジカメも必要です。それらに付属するACアダプタと、電源プラグの形をスイス仕様に変換する器具も入ります。あと、歯磨きセットやタオルや爪切りやひげ剃りなども入れました。現地では英語での発表ですので、原稿を作る上でも(この時点で原稿を作ってないのもどうかと思うが)一応和英辞典と英英辞典も持って行きたいところ。しかし両方ともコンパクトサイズではないのでどうしても1冊が入りません。少し迷いましたが英語の勉強には英英辞典でしょうという思いから泣く泣く和英辞典を切り捨てました(あとで後悔するのですが)。それから邪魔なのに持って行った方がいいと思われたため、しかたなく詰め込んだのは一張羅のスーツとYシャツとネクタイ。残りのスペースを埋めるように、大学から持ってきたピーター・ラヴゼイ「苦い林檎酒」の文庫本や英会話のハンドブックやスイスのガイドブックなどが入りました。この詰め込み作業が約5分。本当は残っていたカレーを平らげてから出発しようと思っていたのに、言うまでもなくそんな時間はなかったため、応急措置として鍋ごと冷蔵庫に入れておくことに。とても帰ってくるまでカレーが無事でいるとは思えませんが、捨てている時間もないですし、外にほったらかして出かけるよりはましでしょうという判断。そして電気・ガスのチェックをして家を出たのでありました。

 が、すぐには出発とはなりません。そう、自転車の空気を入れなあかんのですよ(苦笑)。空気が抜けて行く病とはいえ、足で走って行くよりも断然早く本山駅まで行けるんですから、乗って行かない手はありません。玄関の外でヒーヒー言いながらシュコシュコと前輪に空気を入れました。30秒ほどで満タンになり、愛車に乗って本山駅までこれでもかってくらい飛ばしました。ちなみにすべてが詰まった背中の荷物は死ぬほど重いです。本山駅の周りにはいくつか駐輪スペースがあるのですが、空いているところを探している時間はありません。しかも、あいにく地下鉄入口付近の駐輪スペースに自転車がいっぱいだったため、少し横の厳密に言うと駐輪スペースじゃないけど自転車が何台か駐めてある場所に愛車を駐めて、流れるように地下へ。これからバスで一夜を明かすというのに、またしても汗くさくなってしまいましたが、急いだ甲斐あってホームに降りたときの時刻は9時45分、まさにギリギリのタイミングでした。しかし待て待て、それは最も良い条件の下でのギリギリであって、今の条件は明らかに悪い方。ホームで待つ人も少なく、地下鉄がすぐにホームに入ってくる様子もありません。時刻表を確かめてみると、案の定9時43分に行ったばかりだったのです(がーん)。次に来るのが9時51分・・。その瞬間、絶望感が全身を駆け巡りました。51分じゃ名古屋駅に着くのは10時5分、どうしたって10時発のバスに間に合わないじゃないか。2分遅れが5分遅れに増幅される形です(溜息)。パンパカパーン!乗り遅れ決定です!あはは、あはは。もう笑うしかありません。あははははは、はぁ・・。一体私はどうなってしまうのでしょうか。

 さて、こうして出鼻をくじかれてしまったわけですが、名古屋駅に向かう地下鉄の車両の中でずっと笑っていたわけではありません。ショックに打ちひしがれながらも、ほんの少しの可能性に思いを巡らせていました。バスのチケットは予約してあるんだし、もしかしたら、少しくらいなら待ってくれるかもしれないと。また、そんな淡い期待を抱く一方、逆に最悪のケースについても考えていました。予約してあるバスに乗れなかった場合、どうしようかと。今夜東京に出発するバスは他にもあったはずなので、その当日券が買えるだろうか。それも駄目だった場合は、JRの夜行列車で行くしかないのかなあ。でも、もしそれも駄目だった場合は・・。って、ダメだダメだ、そんな怖いこと考えるのは止めよう。きっとなんとかなるはず。とりあえずは希望を抱いて、地下鉄を降りたらバスターミナルまで走ってみるしかありません。話はそれからです。そう思うと少しは落ち着いてきました。しかし、冷静さを取り戻すと同時に、忘れ物の確認作業が頭の中で行なわれ始めたのです。う〜ん、なんだかイヤな予感。

 まずはじめに忘れ物リストにアップされたのは、ああなんということでしょう、先日わざわざ電池交換をしたあのロボット型の腕時計だったのです(とほほ)。スイスへ持って行くために電池交換をして復活させたのに、大学から一旦帰宅しようとしていたあのとき、机の上に置きっぱだったロボ時計のことをすっかり忘れていたのです。普段腕時計をしない習慣が身に付いていたのが仇となったしだいです。いきなりこの忘れ物は悲しいなあ(しくしく)。学会で講演を聴いたり自分の発表をするのに時計は必要なので、代わりの腕時計は空港ででも買うしかありません。まあ、パスポートや航空券を忘れるよりはましですが、バスに乗り遅れそうなこの状況ではショックもひとしおでした。その次に思い出した忘れ物は耳カキ。これもちょっと無いと辛い代物です。1日のうちで食事回数よりも圧倒的に耳カキ回数の方が多いほどの耳カキフリークですから、耳くそがほじれない生活なんて考えられません。爪切りはリュックに入れたのに、耳カキを忘れるなんてねぇ・・。たぶん、スイスには売ってないでしょうから、現地調達は無理そうです(綿棒みたいなのならありそうだが)。これも空港で手に入れないと。その他に持ってくるつもりだったのに忘れたもの(<持ってくるつもりがなかったら「忘れた」とは言わないのでは?)としては、分かりやすく実用的な表現だけに絞った英会話の本もあったのですが、これはなんとか、無くても大丈夫かもしれません(別の本があるし)。

 とまあ、このように旅の初っ端からつまずきまくってますが、人間慌てるとろくなことはありません。つまずきはそれだけに留まらなかったのです。名古屋駅に到着後、一縷の望みを胸に階段を駆け上がって地上に出て、バスターミナルへと走りました。それはもうメロスのように走ったのですが、2階にあるターミナルを隅々まで探しても東京行きに行くはずの見慣れたバスは見当たりません。バス停すらないのです。あれ? 何かが違う。色・・。そう、確かJRの高速バスは白色と青色のツートンカラーだったはず。なのにここに停まっているバスはどれもクリーム色と小豆色のツートンカラー。ん? あれ? ひょっとしてJRバスの乗り場はここじゃなかったっけ。必死で探し回った頃にようやく気づきました。そこは市バスのターミナルで、JRバスのターミナルはその下の1階だったのです。しかしそこから直接1階のターミナルに降りれる階段が見当たらず、再び彷徨ってしまいました。そうこうするうちに時間は進み、すでに時刻は10時15分。がーん。いくらんでも15分も待ってくれてるとは思えません。完全に乗り遅れです。その後、JRバスのターミナルへ行くには全然別の場所から建物内に入って行く必要があったことに気づき、そのターミナルへ走って向かったものの、時すでに遅し。やはり夜行バスは甘くなかったようです。しっかりビジネスライクに定刻出発したあとでした。 はぁ・・がっくり。この行き場のない汗はどうすればいいのでしょうか(<拭けば?)。すっかり意気消沈でしたが、早く次の手を打たないといけないので、まずは時刻表を確認。するとどうやらまだ東京行きのバスがあるようです。早速近くにあった発券所に入り、東京行きのバスの席はまだ空いているかどうかを訊ねてみると、11時20分発のバスに席がありました! 数少なかったもののまだ残っていたのです。やったー! わーいわーい! これでなんとか朝早いうちに東京へ着くことができます。いやあ、首の皮一枚で繋がった感じです。すでに代金を支払ってある予約乗車券は無駄になってしまい、新たに代金を支払う必要が生じましたが、新幹線で東京へ行ったと思えばどっこいどっこいの値段でしょう。そう思って自分を納得させないと、これから始まる長旅なんてやってられません(笑)。前を向いて行きましょう。

 これでバスの出発まで1時間近く暇になったわけですが、名古屋駅をぶらぶらしながら、どうせ遅れるならもうちょっとポスタの準備ができたじゃないかとか、今から大学に戻ればロボ時計を取って来られるかもしれないなあという考えが脳裏をよぎりました。しかし、それはそれでまたギリギリになってしまうだろうから、動かない方が安全だろうと思い直したしだいです。懸命な判断でしょう。そのあとの待ち時間は、キオスクでおにぎりとパンと缶コーヒー(キャップ付)を買って、それを食べながらガイドブックを読んでスイスの予習をしてました。やがて出発の時間となり、今度は無事にバスに乗ることができました。なんとか東京に行けるという大きな安堵感。ほっと一息です。しかしすぐには完全に落ち着くことはできませんでした。もう何か致命的な忘れ物があったとしても、取りに戻れないからです。ほんとに良いの?もう出発しちゃうよ?っていうかもう出ちゃったよ? そういう自問がしばらく繰り返されたのち、どうやら大丈夫そうだという確認ができて、ようやく落ち着くことができました。ただスイス時間の生活リズムだったため、なかなか寝つけません。それに若干汗臭いのも気になります(苦笑)。このままスイスまで行くのはイヤだなあ・・。



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