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日々これ勉強(2001年5月の後半)

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5月留学(の後半)

(5/16) 昨日のコロキウムはM2二人の発表と、アメリカでの学会発表を控えたT中先生の飛び入り発表があって、全部で2時間くらいありました。最後の方はなかなか熱かったですが、なんとなく疲れましたね。早起きが堪えているのでしょうか。

 昼食は生協食堂でしたが、ここ数日、右手のギプスが取れてからレジのおばちゃんたちにはことごとく「あ、取れたね」と声をかけられています。で、つい「ええ、おかげさまで」なんて応えてしまいますが、全然おばちゃんたちのおかげではありませんね(笑)。たしかに、よく覚えているもんだとは思いますが、ひと月もギプスをしていてしかも比較的覚えられやすい外見ですから、当然と言えば当然でしょう。まあしかし、気にかけてくれているということは、素直にありがたく思うのであります。もう、お金を出す行為も難なく行えるようになりましたし。あ、そうか、そういう意味ではおばちゃんたちのおかげとも言えるのか。訂正しましょう。こうやって怪我から復活したのも、レジでもたつく私を気遣ってくれていたおばちゃんたちのおかげです(笑)。どうもご迷惑をおかけしました。これからはバンバンお金を出しちゃうよ〜(量ではなく勢いがね)。なおかつ、「釣り銭なし」という高等テクニックまでも早業で披露できちゃうかもだ。

 昼食関連でもうひとつ。昨日は生協で玉子丼を選んだのですが、その直前に納豆を取ったついでに生卵も取っていたのです。そしてしばらくしてから「かぶっている」ことに気付きました。さすがに卵料理があるときに生卵まで食べるのはもったいない。そう、あくまでも「もったいない」です。コレステロールの取り過ぎが気になるとかそういうのではありません(たぶん足りないぐらいでしょう)。これがもし牛丼だったなら生卵だけを食べていたでしょう(肉を食べないから)。ってそういうことではなくて、え〜と、そう、これがもし中華丼あたりなら生卵をそれにかけて食べていたはずです。カレーライスでも同じ。とにかくすでに玉子がかかっているところに、もうひとつ玉子をかけるという行いに躊躇したというわけです。さっき卵料理と言いましたが、かりに卵焼とご飯があるところに生卵があったとしても、やっぱり迷わずご飯にかけて卵焼をおかずに食べるような気がします。そんなわけで、レジを通ってしまった生卵は現在、講座のサロンの冷蔵庫の中で静かに眠っています(持って帰ってきた)。実はそれを夕食のときに生協に持って行こうかとも思ったのですが、見た目は向こうに置いてある生卵と変わらないので、お金を払わないで持ち込むのはなんとなく抵抗がありました(当然すでに昼食時に払っているけど、証拠がないからね)。かくして、持ち込むための妙案が浮かぶことはあたわず、その生卵は今もなお冷蔵庫の中に封印されたままだと伝えられている(笑)。朝ご飯にしようかな。

 昼食後、昨日も北部生協でまたまたチョコボールを3つ購入しました。そしてなんとそのうちひとつが銀のエンゼルでした。まあまあ確率は良い方でしょうね(にこにこ)。さて、あと2つ。今週中に見つけられるでしょうか。ところで、ここまでチョコボールを買っている理由にはいくつかありますが、一番大きな要因は365日のバースデーテディが生協から姿を消してしまったからですね(笑)。ええと、ことわざ風に言うと「テディのかたきをチョコボールで討つ」みたいな(<たぶん違う)。

 午後は、夕食時まで工作していました。具体的にはアクリルの筒をいくつかノコギリを使って切断していたのですが、思ったように仕事が進まず(つまり予想通り)、全体の20分1ぐらいしかできていません。久しぶりに右手を全力で使ったのでひどく疲れました。汗をかいて、気付いたら5時過ぎ、そのとき「残りは機械を使って切断しよう」という強い思いが心に刻まれたことは言うまでもありません(はじめからそうするんだったなあ)。

 本日は水曜日。アクリル切断も含めて実験をしつつ、コロキウム発表の準備ができれば万々歳。


(5/17) いつの間にか過ぎていましたが、このホームページもオープンから2年が経ちました(たぶん5/14で)。立ち上げた当初は何も分からず、いろいろやってやろうと意気込んでいたというわけでもなく(ないのか)、何のテーマ性もなしに何となく日記だけはつけていたという状態でしたが、時間が経つにつれ知識も増え少しずつ慣れてきたこともあって、2年経った今、大して状況は変わっていませんね(苦笑)。むしろますますその方向に磨きがかかっているとさえ言えます。こんなところでも飽きずに(飽きているかもしれないけど)見ていただいている方には改めて感謝申し上げるしだいです。

 それにしても、この2年で周りの状況もいろいろ変わりました。まず、季節が変わりました、8回も。24節季で言うと48回も。しかし、これは地球の公転状態が変わっていないことの裏返しで、安心できる現象です。えっと、それから日本の首相が何度か変わりました(カウントする気もなし)。ま、日本経済は相変わらずですが。もっと身近なところでは研究室のメンバが変わったことが大きいですね。出て行った人々は元気でやっているのでしょうか・・。そうそう、あと一大イベントとして、誕生日に森先生とお話できたことがあげられますね。このときのことは昨日のことのように思い出されます(ほわ〜ん)。いろんな人々ともお会いしましたし、もちろん別れもしましたし。もうほぼ治りましたが初めての骨折に伴う初めての入院や手術も経験したり、何かと激動の日々でした。ずっと変わらないのは大学近くの地下鉄の工事をまだやっているということくらいです。いい加減、早く終わらしてほしいところですが、予定ではなんとあと3年もかかるとか(ひょっとしたらその頃には名古屋にいないかもしれない)。とまあ、変わったり変わらなかったりの2年でしたが、一言で言うと帯に短しタスキに長し?(<用法が違う)

 昨日は工作に明け暮れでした。長さ1メートルくらいのアクリルの筒をだいたい20分割するのですが、ノコギリを使った手作業ではえらく時間がかかるうえ疲れることが先日分かっているので、昨日は工作機械を使って切断作業に勤しみました。いやあ確かに断然早い。早いです。しかし、歪まないように、そして怪我をしないように神経を使う作業なのでひどく疲れるのは変わりありませんね(苦笑)。それに切るのは1本だけではなく4本もあるので、ずっと続けていると指やら腕やら腰が痛くなってくるのです。午後は5時くらいまでその作業をしていましたが、結局全部を切断するには至らず、一番太いやつがまだ残っています。ちなみに切ったアクリルを並べるとこんな感じ。アップだとこんなふう

 夕食後は切断面をサンドペーパーで磨く作業をしていましたが、指が痛くなって飽きてきた頃、サロンで卵焼を作りました。先日生協から持って帰ってきた卵を使ってです。ゆで卵より卵焼の方が好きなので作ったわけですが、久しぶりに(というかほとんど初めて)作った割には、綺麗に仕上がりましたね。味付けもまあまあ。我ながら上手いもんだと自画自賛(笑)。とはいえ、フッ素加工の鍋が功を奏した結果には違いありません。あれなら誰だって作れそうです。

 その後は眠気もあって早めに帰宅。実は3時間くらい寝てからまた大学にやって来て、それからまた帰って寝ようという分割睡眠を目論んでいたのですが、失敗しました。夜中、目覚ましで確かに目が覚めたことは覚えているものの、そこから起き上がるだけの気力がなかったようです。朝、起きたら背中が筋肉痛でした(アクリルのせいだ)。

 本日は木曜日。これからアクリル切断の続きをして、午後は学生実験でチューターのお仕事。これまたハードな一日になりそうな予感・・。


(5/18) しりとり日記。記録はすべて文字しりとりになっています。すなわち文末の文字がその次の文頭にくるというシステム。「ムテキ〜ング!」というふうに、カッコで括られていても差し支えないというルールルル(<北の国からか?)。ルビーの指輪は寺尾聰だったかな(関係ないけど)。などのように丸カッコで括られている部分は基本的に本文ではないので、しりとりの対象とはならないの。のっぴきならないときは、突然意味不明の文章が紛れ込むこともあるでしょう。うっかりしてて、しりとりになっていない、なんてことにはならないように万全の注意を払っていますが、世の中何が起こるか分かりません。ん?ってのはちょっと反則気味だけど、ありかなあ。あ、それからしりとりを続けるための少しばかりの脚色は、ご愛嬌ということでお願いします。

 すみれ色にも似た青空が眩しかった昨日は、朝からアクリル切断に向かったのですが、作業を始める前に機械を動かした途端、ベルト状の歯が切れてしまうハプニングに見舞われました(がーん)。たまったものじゃありませんな。なんとも意気消沈。沈む夕日にも似た落胆ぶりで技官の人を呼びに行ったら、案外ちょちょいのちょいと溶接してもらえ、ようやく本来の作業を開始することができました。たまたま自分の時に切れてしまった歯ですが、これは予め起こりうると想定されたハプニングだったようで、一安心。心踊るような楽しい作業とは言えないものの、こういった工作はそれなりに没頭してしまうものです。すっかり残っていたアクリルを切り終わった頃にはすでに正午直前、どうやら昼食にはおいていかれたようで、ひとり生協でおにぎりを買ってきて食べたしだい。

 いろいろすることはあるものの、午後からは3年生向けの学生実験でチューターのお仕事当番だったため、それに向けての準備を少し(といっても白衣を着るぐらいしかないのだが、その白衣が洗濯でしわしわになっていて、恥ずかしいのでしわを伸ばしたりしていたのだ)。しばらくぶりの白衣。衣替えには早いですが、気候的には充分暖かで、実験室も暑いですね。ねじり鉢巻ならぬ、首掛けタオル状態で実験作業の補助を行ないました。たくし上げた白衣の裾に、想い出すのはほろ苦い夏、汗とともに流れた孤独、そして蜃気楼となった記憶は、今いずこ。

 この学生実験(担当した班)が終了したのが午後4時頃で、その後はアクリル磨きに精を出すという有り様。様々に浮かぶ由なしごとは、磨いていればひとまず沈んでくれることを発見。見た目をそんなに綺麗にしても、意味はないとはわかっちゃいるけど、何もせぬよりまだましだろと、ただひたすらにアクリル磨き。きっと、頭を使うことから逃げているだけでしょう(苦笑)。

 うどんという選択もあったなあ、と今になって思う夕食は、学生実験(他の班)が長引いたためいつもより遅く、食べ終わったのが8時頃という最遅記録。録画予約をちゃんとしているだろうと思われる若い学生たち(なんて言いたくはないが実際に若いのには違いない)が、珍しく夜の生協にうじゃうじゃいてとても賑やかでした。たぶん世代が変わったのだろうという持論を(ゴールデンウィークを過ぎても人が多いことに対する回答として)披露するO田君と、話を合わせるH君、否定も肯定もしないT辺氏という4人での食事。事実、世代の違いは感じますが、紫式部との世代の違いに比べれば微々たるものでしょう(笑)。うきうきしている姿を見れば、確かに羨ましいと思うこともありますが、どちらかというと微笑ましく思えるときの方が多いでしょうか(大人になったなあ!>自分)。かつて自分はどうだったろうか、と照らし合わせながら、生協からの道のりを歩いて戻るのでありました。ただなんとなく、仄かな酸味を含む風は、涼しく妖しく闇滑り、くだらない歌ひらめいた。たこの足といかの足、合わせてみたら約1本(つなげたのか!)。

 本日は金曜日。日に日に暑さが増してくる季節。節目節目も大事だけど、こういう中途半端な時期にこそけじめをつけて何かをやり遂げることも大切でしょう。う〜ん、いまいちかな。なんだかぱっとしない終わり方だし。しりとり日記もここまでか。


(5/19) えっと、忘れていましたが閉鎖モードです(笑)。しりとり日記なんて考えている場合ではないのです(>自分)。来週コロキウム発表を控えているんですから、その準備に勤しまなければならないのではなかったか。しかも全然進んでいなくて、結構せっぱ詰まった状態に自分を追い込んでいるような気がするし(<気がするならちゃんとやれ!)。しかし、まだまだ追い込みが足らないのか(難儀な性格だ)、こういうときに限って(いや、限ってではないけども)ネットサーフィンを楽しんだりしてしまうんだよね〜。ダメダメ人間ですな、まったく。はっきり言って現実逃避です。それでもまだちゃんとネットサーフィンをしているなら何かしら収穫もありそうですが、一番時間を割いているのは講座のホームページ(正式なものはまだ準備中なのです)のネタを考えているときですから、困ったものです。特に何かを任されているというわけでもないのに、いろいろ考えてしまうのだからますます質が悪い(笑)。なんかひとりで盛り上がっている気がしないでもないなあ・・(苦笑)。しかし、きっとそれで良いのだと思っておこう、自分のために。いや、むしろそれこそが楽しい行為なのかもしれない。人と共有して楽しめることなんてそう滅多にあるわけでもないからね。つまり自己満足の世界だ。そうかそうか、それで良いのか、なるほど。はっはっは、なんだ、それで良いんじゃないか。よ〜し、こうなったらもっといろいろネタを仕込んで、ぜひとも面白可笑しなページにしてやろうではないか。えっと、たとえばね、みんなが気付かないうちに、それぞれの日記を勝手に書いてしまうとか(笑)。みんなもう少しパソコンに詳しくなって、日記とか書いてくれたら楽しいだろうに、それはちょっと望めないからねぇ。それならいっそのこと書いてしまえってことだ。それぞれの日々の思いを勝手に想像して勝手に書いて勝手に公開するという、ええと、つまりフィクション日記ですね。おお、なかなか面白くなってきたぞ。ルルル〜ンルルル〜ン。そうやってせいぜいひとりで盛り上がっていれば良いのだ! きっとそうだ。わっはっはっはっはっはっは(やけくそか)。

 それにしても、世の中には日記を書いて(しかも公開して)いる人はたくさんいます(ここもその一部ですが)。そして、ある程度汎用性があって面白い内容の日記を書いている人というのも結構多かったりします。ただで公開するのがもったいないくらい。年齢も様々ですが最近そんな人たちの共通項を発見しました。そういうことろで決まって見かける記述に「クリスマス・イブは同性と一緒だった」とか「何事もなかったかのようにクリスマスは過ぎた」とかがあるんですね(笑)。ここから伺えるのは、つまり独り身ってことです。自分のところが面白いかどうかは自信がありませんが、確かに独りじゃないと毎日くだらないことなんて書いてられないわな、と妙に納得したしだい(<身に覚えがあるの?)。おそらく、失うものがないという捨て身の覚悟がないと、くだらなく面白いことは書けないのではないでしょうか。いやいや、決して自分がそうだとは言ってませんよ(笑)。失うものはまだいろいろありますので(にっこり)。もちろん面白い日記を書く人には、独り身ではない方もいます。それは、非常に心の広い理解ある伴侶がおられる方ですね。安定した面白さがあります。果たして、独りじゃなくなったとき、ここはどうなってしまうのか。正確なところは自分でも分かりませんが、たぶんネタに使ってしまうこと請け合いでしょう(笑)。さて、なぜそんなことを思ったかというと、ある言葉を検索したら、面白い日記に当たったからです。検索に使ったのはGoogleですが、その日記へ辿り着くに至ったその言葉とは・・「マギー伸司」なのです(笑)。某所で見かけて知らなかったので調べたというわけ。まさか、あのマギー司郎が弟子をとっていたとはね(名前を見た時点で想像はつくけども)。

 誤解されないように書いておくと、もちろん遊んでばかりいたわけではありません(笑)。昨日は久しぶりに実験を始めました。それで改めてわかったことですが、右手の握力が落ちているのです。実験といってもまだ器具などの洗い物しかしていませんが、それがもう辛いのなんの。ストロー状になった先から蒸留水が出る洗浄ビンってのがあるのですが、それを握って蒸留水を出すのにはそれなりの握力が必要とされます。健康なときでさえ繰り返し握っていると翌日筋肉痛になりかねないくらい疲れる代物です(それは言い過ぎか)。そんなものをですよ、骨折のためしばらく使っていなかった右手で握ったわけですから疲れないはずがありません。というか痛みすら感じるほどです(苦笑)。ああ、そういえばなんとなく腫れてる気もしてきました。ちょっといきなり無理をしたかもしれませんね。なんともまあ、いいとこのお嬢さんみたいにデリケートな手だこと。おーほっほっほ。って上品ぶってる場合ではない。やはり、真面目に処方してもらった軟膏を塗らないといけないでしょうか。しかし、塗ったら水が使えないんだなあ・・。

 昨夜、古処誠二氏の「未完成」を読了しました。こんなときに読書をしている暇があるのか、というご指摘もあろうが、少しずつ読んでいたのぢゃ。氏のHPからは伺い知ることができないほど(<失礼)真面目でまっすぐな内容です。自衛隊のことを考えさせられる作品。

 本日は土曜日。ほら、閉鎖モードとか言いながらこんなに書いてる。さ、気持ちを切り替えて、今日こそはしっかりコロキウム準備をします、ように・・(<神頼みかい!)。


(5/20) 最近うちのiMac(通称セレン君)の調子がなんとなくおかしい。調子ってのはつまりリズムですけど、どうも通常のリズムから外れているのではなかろうかという現象が目立つようになってきました。まあ、今のところ、大したことではないのです。ディスプレイに表示されている画面がたまに“うにょ〜ん”と伸びたり縮んだりするだけで。それ以外には特に異常も見られないので、全然危機的状況とは言えないでしょう。しかし、なんとなくですが、いや〜な予感がしたりしなかったりです。そろそろ寿命なのだろうかとか、いつか爆発するんじゃないかとか、買い替えるならG4Cubeがいいとか、ラッキーカラーは波長が400ナノメートルぐらいだとか、南西方向に行くと階段で足を踏み外す危険があるかもしれないとか、街に出たら案外素敵な出逢いが待っているかもよ〜とか、まさかまさかドリームジャンボ宝くじが当たる前兆なんじゃないだろうな、などと不安に怯える毎日です(ドキドキ)。<iMac占いか。 

 毎日と言えば、最近ほぼ毎日チョコボールを買っているのは、ひとえに森先生「おもちゃのカンヅメ」那古野コネクション(森先生のファンサークル)としてプレゼントするためですね(にこにこ)。しかし、こんなにやっきになっているのはチョコボール係としての責任感からだけではありません。今発売されているチョコボールで金や銀のエンゼルを送って当たる「おもちゃのカンヅメ」には、「過去缶」「未来缶」の2種類があります。実はすでにカンヅメひとつがもらえるだけの銀のエンゼルは集まっているのですが、どうせなら二つセットにしてプレゼントしようということになって、銀のエンゼル10枚を目指し、日々チョコボールを購入しているというわけです。で、経験則というのでしょうか、そのうちにだんだん狙って銀のエンゼルを当てることができるようになってくるのです(もちろん外れることが多いけど)。それで当たったときには、ほら見たか!と言わんばかりの喜びがありますね(笑)。まるで鬼の首でも取ったかのような。いつもたいてい保険として複数個同時に買うのですが、ひとつだけで当たったりしたら、もう自分の勇気に乾杯ものですよ(小さな勇気やな)。まあ、そんなこと今までありませんでしたが。しかし、昨夜のことです・・あ、でもこれは後ほど書くことにしましょう。

 というわけで、日々これチョコボールな毎日を送っていますが、毎日見ているので箱に記載されていることが気になることもあります。箱の裏側には「過去缶」と「未来缶」のイラストが描かれていて、それぞれのカンヅメに冠されている文句は「過去から発掘されたカンヅメ」「未来から落ちてきたカンヅメ」というものです。これは直感的にはなるほどと思います。しかし、なぜ過去から発掘され、未来から落ちてくる必要があるのでしょうか。おろらく、我々がそう感じてしまうのは、地球の重力が影響しているように思われます。たとえば雨をとって見てみるとわかります。すでに降った雨は水たまりとして低いところ(地球の重心により近いところ)に溜り、これから降ってくるであろう雨は上空から落ちてくるという具合に、経験的に下が過去で上が未来だというふうに感じられますね。地質学で有名な法則に、ニコラス・ステ−ノによって提唱され、ウィリアム・スミスによって初めて確認された「地層累重の法則」というのがあって、具体的に言うと『堆積してからしゅう曲したり、逆転したりして乱されたことのない堆積層では、どんな場合でも、いちばん若い地層はいちばん上にあり、いちばん古い地層は基底部にある』というものです。えっと、簡単に言うと地下に埋もれているものほど過去のものだという考えです。おそらく過去缶が「過去から発掘されたカンヅメ」だとされている根底には、この考えを基本とした感覚が流れているのだろうということが伺えます。これはまあ、なんとなく納得できる範囲ですね。
 しかし一方、未来缶の方はというと、いまひとつ「落ちてくる」説得力に欠けるような気がしませんか? さきほど雨は上から落ちてくると言いましたが、その雨の元となった水蒸気は、もともと地上にあった水が蒸発して上空に上がったんですからね。このように元を探っていくと、「過去から落ちてきた」と言っても間違ってはいないはずです。あるいは夜空に瞬く星の光を思い浮かべても良いかもしれません。あの光は事実、ず〜っと遠い過去からようやく地球に届いた光なのですから、「過去は上空にある」と言っても問題はないでしょう。ならばなぜ、「未来から落ちてきた」としたのか。やはりそこには「上にあるものはいずれ地上に落ちてくる(同様に未来もいずれ現在にやってくる)」という現象論的な感覚があるのかもしれません。つまり物体そのものが過去のものか未来のものかということは関係ないわけです。さらにもうひとつ、未だに一般人には手の届かない宇宙には未来的なイメージがあることも手伝っている可能性もありますね。確かに、スタートレックならタイムワープもありなので、未来から宇宙船で落ちてくることもあるでしょう。しかし、現実的にはむしろ逆で、宇宙船に乗って長旅をして帰ってきたら、浦島効果で未来の地球に落ちることになります。つまり、地球の人にとっては宇宙船で落ちてきたのは過去からやってきた人として認識されてしまいます。さあ、なんだか複雑になってきました(笑)。一体、落ちてくるのは過去からなのか未来からなのか。過去はどこにあるのか、未来はどの方向を向いているのか。いや、そもそも時間の流れとは何なのか・・。う〜ん哲学的ですな。いずれじっくり書いてみたいテーマではありますが、時間がないので今日はこの辺で(時間は戻らないのだ)。

 さて、昨日はお昼から大学へ来て生協で食料を買って昼食後、実験器具の洗浄の続きをしてからコロキウム準備をひたすらやるの巻。夜になり、疲れてきた頃夕食を買いにローソンへ行きました。そして、当然のようにチョコボールも買ったのです。ひとつだけ。しかも大きな箱から出ている半端ものを。しかし、そのときちょっとした推理を働かせました。その配置からするに、これはきっと大箱に入っていたときはあそこに位置していたものに違いないとかなんとか。で、戻ってきて開けてみると、見事に銀のエンゼルでした(万歳!)。面白いように当たってしまいました。さらに喜ぶべくは、これがなんと10枚目の銀のエンゼルなのです! そう、これで森先生にプレゼントできるのです〜(クルクル〜)。ということで、記念にエンゼルの写真をここに(上記の「過去缶」と「未来缶」の文句も一緒に)。

 本日は日曜日。今日こそはいよいよもって追い込みが佳境。休日ですが、一日中大学にいるでしょう。


(5/21) 昨日は一日中良い天気でした。まさに行楽日和。どこまでも晴れ渡る青い空、新緑を鮮やかに輝かせる太陽、そして時折肌を軽やかに撫でていく初夏の風、そんな穏やかな気候が、感じられない部屋の中で引き蘢り生活です(苦笑)。まあ、気持ち良い風くらいは入ってきていたし、ちゃんと頭を使った作業(断っておきますが頭突きとかではありません)をしていたので不健康な生活ではないと思います。それに、少なくとも大学には来ているわけですから、をかへまさんにはかないません(と勝手に引き合いに出してすみません>をかへま氏)。どこにも出かけられない点では同じですが、さすがにフルーツグラノーラ牛乳を買いだめして休日はずっと家にいるようなことは今のところ真似できませんね〜。しかし、家のネット環境がもっと整っていたならやりかねない所業ではあるなあ(笑)。食べて寝てパソコンで遊ぶなんて、ほんと夢のような生活だ・・(うっとり)。とか言って、人様の日記のネタを使ってずるっ子しないように。は〜い。

 えっと、じゃあ今日は未来日記を書いてみよう。

 「いよいよ始まった未来日記もこれで最後の一文である」

って、いきなり終わりやん!

 はい次。え〜と、遺言日記ってのはどうか。

 「これをお前たちが読む頃には私はこの世にいないだろう」
 「これをお前たちが読む頃には私はこの世にいないだろう、たぶん」
 「ええ、これをお前たちが読む頃には私はこの世にいないと今日こそは思う」
 「う〜ん、これをお前たちが読む頃には私はこの世にいないんじゃないかなあ」
 「もしかするとだが、これをお前たちが読む頃には私はこの世にいないに5000点」
 「いい加減飽きてきてきたが、これをお前たちが読む頃には私はこの世にいないことを願って止まない」
 「時々不安になる。これを書いているときにお前たちに読まれはしまいかと」
 「困った。もう書くことがなくなったが、まだ死ねそうにはない。明日からどうしよう」

って、死ぬまで書き続けるんかい!

 はいはい。次いってみましょう。今度は無言日記

 「・・・・・・」

やっぱり無言かい!

 じゃあこんなのはどうか。手話日記(なんだかオチが見えそうだぞ)。

 「右手と左手を軽く肘を曲げて肩幅で前へ出し、それぞれの人さし指を立てて向かい合わせて曲げる」

いちいち動きを記述するのか!(ちなみに“こんにちは”だ!)

 えええっと、つぎつぎ。それじゃあ、交換日記はどうか。

 「今日買い物に行ったら、君のお母さんに会ったよ。もうびっくりだった。心臓がひとつになるかと思ったよ。え、もとからひとつだって? ははは、ジョークだよジョーク。それよりもさ、君のお母さんはどうやら安売りの人参を買い過ぎてじゃがいもを買うのを忘れたって言うんだ。たまたまなんだけど、そのとき実は僕もじゃがいもを買い過ぎて人参を買っていなかったんだ。これはちょうど良いってんで、お互いの持ってるものを少しずつもらったんだ。おかげで美味しいカレーが作れたよ。それからね、止まっていた時計の電池も新しくしたし、今日の交換度はまあまあだったかな」

って、交換の日記かい!(まぎらわしい)

 えっと・・もういいですか(笑)。なんだか考えるのが面倒臭くて適当なこと書こう思っていたのに、結局いろいろ考えてしまいましたね。いつもこうなんですよねぇ。大事なときに余計なことに時間を割いてしまう。手抜きでやろうと思って実際手抜きなんだけどそれに見合わない時間がかかってしまうという有り様。ほんとに、今日もね、初めはこんなこと書くつもりじゃなかったのになあ。いつの間にか、気付いたらこうなってました。あ〜あ、やめておけばよかったなあ、やっぱり。さて最後のこれが、実は後悔日記だったというオチはいかがか(がーん)。

 本日は月曜日。今週は病院に行く必要はありません。右手もだんだん回復してきました。とりあえずコロキウム発表のレジュメは午前中に出さないと。午後は夕方から自主セミナ。あとはコロキウム準備が夜までに終わることを祈るのみ。もう少し閉鎖モードで潜伏中。


(5/22) ぷっはぁ〜(少し息継ぎ)。昨日はときどき洗い物をしつつ、一日中コロキウム準備でした。はっきり言って疲れます。曖昧に言うと、ふかれまふ(だから何だ)。まともな食事は昼食のみで、生協にも行かず、夕食も食べませんでした。でも、自主セミナには出席。今回は少人数でしたね。いろいろ重なって人が少なかったから。

 その内容は原子力発電に伴って出る高レベル廃棄物の地層処分問題について。S田氏が用意してくださった資料は、核燃料サイクル機構が発行しているパンフレット。書かれていることに嘘はありませんが、当然推進派の研究報告みたいなものなので、楽観的なテイストでカモフラージュされています(カモフラージュになってませんが)。ちょっと誤魔化し過ぎちゃうん?と小学生でも気付きそうな箇所もちらほら。しかし、もう排出されてしまった廃棄物は消えませんから、処分(もしくは再利用)の方法を考えざるを得ないのは確かです。その時代で最良だと思われる方法が他に考えられない場合、地層処分も仕方ないのかなとも思いますが、もしもっと良い方法が見つかったとなったとき、地下深くにあるものを取り出すのは困難でしょうね(簡単に取りだせたら地層処分の意味がない)。さて、何百万年も目の前で管理し続けるのと、見えないところにあるものを何百万年も忘れずにいられるのと、どっちが人類にとって実現できる可能性が高いのでしょうか。ま、その頃まで人類が生きていたらの話ですが(笑)。

 本日は火曜日。もうすぐコロキウム発表です。眠いです(睡眠時間3時間)。久しぶりの雨模様。あと少し閉鎖モードでぶくぶくぶく。


(5/23) 奇跡的にもまだ起きてます(眠っ!)。なんだか少し意識がもうろうとしていて、コロキウムが昨日のことのようです(実際昨日のことですが)。昨日のおやつ時にうとうととはしましたが、コロキウム発表が終わってからまだ睡眠をとっていません。発表の出来は、まあ、あんなもんでしょう(そんなもんでしょう)。昼食後は実験器具の洗い物をしみたり、論文を読んでみたり、生協に行って書籍で散財してみたり、なかなか活動的に過ごしました。夕食後も読書をしたりでまだ粘っている状況です。我ながら案外起きていられるものだと感心。ひょっとすると寝起きの辛さを乗り切れば、3時間睡眠でも毎日続けることは可能かもしれないと思えてきます。やりませんけどね。

 先日、銀のエンゼルが目標枚数集まった(「おもちゃのカンヅメ」応募済み)のでチョコボールを買うのは少し自粛気味なんですが、少し前から発売されている縁起ものキョロちゃんは買い続けています。もちろんおまけのかぶりものキョロちゃんが目的です(笑)。見つけたときすぐに買ってしまいました。おまけのキョロちゃんは全体として携帯電話のミニストラップの形をしていますが、森先生もおっしゃっているとおり、人形部分だけだったらもっと良いのにと思ってしまいます。あれじゃ、ヒモが邪魔で平らなところにキョロちゃんを立てられませんからねぇ。ディスプレイ方法が限られてしまうのが残念です(現状はとりあえずぶら下げている)。そもそも携帯電話を持っていないんだから、なおさら必要ない部分ですね(笑)。

 そんなわけで、今まで集まっているキョロちゃんストラップを並べてみました(下部のヒモの処理は森先生の真似っこ)。左から、だるまししまいりゅうインドゾウうちでのこづち。実はだるまはもうひとつ持っています(種類は少ないのにかぶったのだ!)。あと持っていないのは、まねきねこひょうたんたいぐるまですね。で、ちょっと思ったのですが、かぶりものという観点から見ると、「うちでのこづち」と「ひょうたん」は無理あるんとちゃうか、と。「たいぐるま」も微妙です。かぶりものってのは少なくとも顔のあるやつを対象とすべきではないでしょうか。「うちでのこづち」をかぶるんだったら、お神輿をかぶっても良さそうなものですし、「ひょうたん」をかぶることは、形的には落花生をかぶることと大差ありません。もしピーナッツキョロちゃんが落花生をかぶったりしたら、単なる「チョコレート入りの落花生」じゃないですか(それはそれで旨そうだが)。その辺をきっちりしてもらわないと困ります。ってのはウソです。ほんとは全然困りませんね。えぇ、えぇ、かわいけりゃいいのです(笑)。

 中途半端な雨が降っていた昨日は少し蒸し暑かったですね。だんだん暑くなっていきます。5月でこれですからね、このままいくときっと、12月は11月の次ですね(だから何だ)。・・・・・・はっ! 今寝てました(苦笑)。やっぱり油断すると引きずり込まれます。おかげで何を書こうとしていたのか忘れてしまいました(という言い訳もある)。

 本日は水曜日。古紙回収の日だぞ、とここにメモ。その他、書類の提出とか。一応閉鎖モードは解除です。


(5/24) 昨日も朝から雨だったので、自転車に乗るのは見合わせました。6時間くらい寝て、お昼前に大学へ。学生実験のために予習をしたり、実験器具の洗浄は相変わらず。昼食は生協で買ってきたおにぎりで済ませました。縁起ものキョロちゃんの在庫はなし。これはたまたまだと思われるので入荷されないということはないでしょう。午後は予定していた放射化分析のサンプルが届かず。これはちょっと心配しています。

 一緒に夕食を食べたのは自分を含めて3人だけでしたが、近くに座っていた女性のファッションに対して少しばかりのディスカッションがなされました。しかしそれはその女性が立ち去ってから。なぜかというと、座っているときは気付かなかった部分についてだからですね。えっと、ズバリ言うとスカートの長さについて。いやあ、なんというか、短いんだなこれが。ちょっと違和感を感じるくらいにさ。で、なんで違和感があるんだろうね、ということが話題になったしだいです。個人的には、森高千里のファッションに通じるものがあるなという印象。まあ、文句はありませんが(笑)。ミニスカートの話から最終的には「夏の良いところは肌の露出度が高くなることだ」という意見の一致をみたことは言うまでもありません(セクハラだなあとは自覚しつつ)。

 話は変わりますが、手に入れてしまったもの(あるいは受けたサービス)に対して、何年も先まで分割でお金を払い続けることには抵抗があります。それから逆に、まだ手に入れていないもの(あるいは受けていないサービス)に対して、一括して先払いをするという行為もできれば避けたいところです。前者の場合は時間が経つほどに何に対してお金を払っているのか分からなくなったり、インフレやデフレで払っているうちにお金の価値が変動してしまう可能性がありますし(得をするなら良いですが)、後者の場合はまだ存在しないものに対してお金を払ってしまうわけで、自分がいなくなってしまったら払ったお金は戻ってくるのかとか、戻るなら一体誰に戻るのかなど、いろいろ不安になってしまうのです(笑)。この傾向には、そのときそのときで対等な交換をして余計な心配をしたくないという動機があると考えられますね。つまり商品と等価である分のお金の受け渡しを一瞬で済ませたいという欲求です。えっと、要するに、お金なんか信用していないと言ってるようなものかもしれません(笑)。というかお金を含めた人間活動そのものが、そもそもそんなに信用できないということでしょうか(もちろん自分の活動も含めて)。まあ、そんなことをみんなが言ったら、資本主義社会なんて成り立ちませんし、そんなことを思いつつも実際には簡単に人を信用して(当然自分のことも過信して)しまう人間ですからね(本当ですよ)。性善説を支持しているわけではありませんが、滅多なことでは人を疑ったりはしませんし(本当だってば)。とはいえ、どうしても疑わしい人も中にはいるということぐらいは予想がつきます。しかし、それでも今までの人生でそんな記憶がないということは、たぶん無視をして気付かないか、単に忘れているだけでしょう(どっちにしても重要視してないということだ)。

 とまあ、以上のような価値観を持っているわけで、カードを使って分割払いなんてしたことがありません。今までで一番大きな買い物だったミニコンポを購入したときでも20万円くらいを一括現金払いでした。クレジットカード自体を持ったのも1年前に生協の組合員証がそれになったからで、積極的な動機があったわけではありません。カードを持っている現在もできれば使いたくないと思っているほどです。ああしかし、もう一台マックが欲しくてたまらない(苦笑)。iBookもいいけど、G4Cubeあたりを大学用に新しく買って、今のiMacを家に連れて帰るという選択肢もあるんですよね〜。ああどうしよう・・悩むなあ、お金がなくて(ないのか)。かと言ってカードは使いたくないし、分割払いもしたくない。さて、どうすればいいのでしょうか?(答:お金がたまってから買えばよい)。

 自分で「性善説」という言葉を書いといてちょっと思ったことですが、「性善説」とか「性悪説」という分類化というか定性化はちょっと気にくわないですね。だって善とか悪って相対的なものでしょう? 「この人よりは善い」とか「あの人よりは悪い」という言い方はできますが、「その人は本当は善い人なのよ」みたいな表現はちょっとウソっぽいです。さらに善悪の対象になっているのはもちろん人間です。たとえば「地球環境にとってあいつは悪だ」というときの地球環境も、人間にとって都合のよい環境を意味しているはずです。人間がいなければ善も悪もありませんし、人間がひとり(いや二人もかな)しかいなくても善悪は生まれないでしょう。見方を変えれば善悪が入れ替わることだってありえます。だから「人間は本来善だ」とか「人間はもともと悪でしょ」とか言うのは、なおさらおかしいような気がするのです。「みんな本当は善なんだ」といったときの「善」とは、一体誰に対しての善なのでしょうか。比べるべき人間もみんな善だと言ってしまっているので、それが本当に(本当もなにもないのですが)善なのかどうかなんて判断できないはずです。もちろん、比べているのは人間個人個人それぞれの性質だという見方もできますが、それだと悪人はみんな性善で、善人はみんな性悪ということになってしまいます。それこそ言葉の意味からいって矛盾しています。善悪パラメータみたいなのがあれば定量的に「あいつは50善だ」のような表現ができて便利なのですが、そんなものはありませんからね。この宇宙では時間や空間ですら相対的なものなんですよ、善悪が相対的でないはずがありません。もうこの世で絶対と言えるのは、光の速度と「夏はスカートが短い」ということぐらいでしょう(<スケールが違い過ぎるぞ)。

 本日は木曜日。昨日出しそびれた書類を出して、午後は学生実験(チューター)です。


(5/25) 昨日も雨。ときたま、肘とか足の小指側が痛くなるのですが、低気圧のせいかもしれないと最近思うようになりました。嘘です、たった今思い付いただけ。でも、足の痛みは持病のように持っていて、騙し騙し今まで過ごしてきたのは本当です。高校のときぐらいからでしょうか。痛むときは歩くのもやっとというときがあります。おかげで50m走が遅くなりましたし、足を使うスポーツも全力でできなくなりました。まあ夢中になれば痛みも忘れるので、そのときは大丈夫なんですが、動き終わった後が大変です。スキーなんかしようものならブーツを脱ぐとき(はくときもですが)地獄を見ます。痛過ぎて笑いが出るほどです。お風呂に入って一晩寝ればいくぶんましになるような気もするんですが、本当に気がするだけですからねぇ(苦笑)。マッサージしてもあまり効き目なし。かと思えば、ふとすっきり痛みがとれる日もあります。この痛みの原因が何なのかはよくわかっていません。リュウマチみたいなものだろうと自分では勝手に判断していますが、病院でちゃんと診察してもらったわけではありませんので、実は全然どこも悪くなかったという可能性もなくはないですね(笑)。それにしてもちょっと痛いんちゃう?って感じ。そうそう、以前友人K藤氏にこの痛みをブーブー訴えたところ「本当はみんな同じような痛みを持っているんだけど、おまえの我慢が足らんだけじゃないのか?」という内容のことを言われたことが何度かありました(もちろん冗談で、ですが)。もしそれが本当だとすると、他の人の忍耐強さには敬服してしまいますね。信じられません。というか、むしろ自分の忍耐力の無さに呆れてしまいます。あ、もしかしてこの痛みは成人するために耐えなきゃいけないものだったりして(バンジージャンプか)。これに平気な顔して耐えられるんだったら、そりゃあ大人だろうという気はするなあ・・。うわ〜だったらまだまだお子様ってことか。そうか。わーい(<喜ぶな!)。いやいや待てよ。痛みなんてものはそもそも主観的なもので、他人がどんなふうに痛みを感じているかなんてわからないではないか。同じ痛みを他人が感じていると、どうやって判断できるというのだ? 痛いのは神経がずば抜けて敏感なせいかもしれないしね。他のみんなが鈍感なだけかもしれない。感じていない痛みには耐える必要もないやね、うん。あ、そうか。もしかして、赤ちゃんが生まれたとき泣くのは初めて皮膚に触られて痛いからかもしれない。痛くて泣くんですよ、たぶん。ということは、ここで痛みについて泣き言を言っている僕って、赤ちゃんのようにナイーブな神経の持ち主か(笑)。生まれたままの神経だ。そうだそうだそうに違いない。そういうことにしておこう。ところで、みんな本当に痛くないの?

 昨日の午後はずっと学生実験に立ち会っていたので、夜は異様な眠気に襲われましたね。日記を書いている途中で、そのまま無理な体勢で寝てしまったほどです。目が覚めると首やら背中やらが痛い(笑)。あまりにも眠くて辛かったので、昨夜はさっさと帰りました。午前2時をまわっていましたけど。なんか無意識で歩いている感じでしたね。気付いたら朝でした。いや、それは大袈裟か。せいぜい、気付いたら家に着いていました、ってとこかな。とにかく眠るまでが早かったです。のび太には負けますが。

 と眠くはあったのですが、読書をする元気はあって、竹内薫氏の「ペンローズのねじれた四次元」という科学読み物を読みました。内容は、相対性理論量子力学を結び付ける鍵となるのはツイスターかもしれないとか、ペンローズって人は天才だという話。結構先端的な数理物理学の話ですが、かなりわかりやすく書かれています。専門外の人でも感覚的に理解できるようになっています。それに面白い。さすが、ミステリィも書かれる著者だけのことはありますね(それは読んだことないけど)。そのペンローズという学者さんはいろんな分野に影響を与えているのですが、驚いたのは、あのエッシャーの不可能図形のアイデアは子供の頃のペンローズが父親とともにエッシャーに教えたものだということでした。天才は子供の頃から天才なんですね。

 本日は金曜日。天気は上々。朝はやっぱり眠いですが、涼しいのは良いですね。実は一昨日からiMacの位置をまるっきり反対側に変えたので、見える世界が一変しました。今は南側の窓を向きながらキーボードを叩いています。今まではずっと部屋の内側を向いて暗い(物理的にね)生活を送っていましたが(笑)、外の景色が見えるというのは確かに気分転換にはもってこいかも。ただ背中が無防備になるのがタマニキズなので、対策を考え中です。


(5/26) 多摩出身の二人組のアイドルグループ、タマニキッズってのはどうか(何が!)。そしてそのキャッチコピィが「見る者誰もが魅了される完全なるビジュアル。でも、歌唱力がいまひとつなのがタマニキズ」とかいうのだ(キャッチになってない)。すみません、思いつきで書いてます(笑)。

 昨日書いたペンローズの話でひとつ訂正。エッシャーに不可能図形を教えたのはペンローズが大学院に入った頃だったようです。それに、一方的な教授ではなく、お互いに影響し合っていたみたいですね(Nさんにご紹介いただいた佐藤文隆氏との対談記事によると)。

 さて昨日は久々に余裕のある時間を過ごしました。朝から大学に来て、まず余裕を持って日記の更新(笑)。それから昼食を食べ、午後はたまに科学書を手にとってパラパラを踊りながら読んだり、ってパラパラ踊ってどうする。違う違う、パラパラとめくりながら読んだりです。あとは放射化分析のサンプル入れ替えをしたり、研究用の工作でプラスティックをニッパでひたすら削るという単純作業の繰り返し。あまりクリエイティブな作業ではありませんね。これならまだミニ四駆でも組み立てている方がいくらかクリエイティブと言えるでしょう。

 ミニ四駆と言えばラジコンですが(いや、ミニ四駆はラジコンではありませんが、田宮模型つながりってことで)、近所の友達がラジコンカーで遊んでいるのを見て自分も田宮のラジコンが欲しくなって、買ってもらったのが確かブーメランという四輪駆動のバギーカーだった、というのが10年以上前の話です(ああ、もうそんなになるのか)。友達の持っていたのは二輪駆動のタイプで、おそらくそのときは二輪よりも四輪の方がきっと性能が良いに違いないという単純な判断のもと、四輪駆動を選択したかと思われます。で、しばらくはそれで遊んでいたのですが、そのうちにフロントのサスペンションが壊れてしまい、新しいパーツを買ってきては改造したりもしていました。しかし、その頃も全然プラモデルとかラジコンに詳しいというわけではなかったので、一日の長がある友達のラジコンカーの方が速いんですよね。主にオンロード(鋪装された道路)で走らせていたので、二輪駆動の方が有利だったということもあると思います。それがちょっと悔しかったのでしょう、さらに改造を施そうとはせず、新しいラジコンカーを買い求めるという形で自分を満足させていました。しかも、スピードという同じ土俵で競うことから明らかに逃げ出したとしか思えないような選択でしたね(今思うと)。確かグランドバスターとかいう大きなタイヤを持った、パワーでは負けないクルマでした。このクルマはその当時出たばかりで珍しい4WS(前輪も後輪もステアリングになっているやつで、旋回半径が小さい)を備えている代物です。ただ、このラジコンカーで遊んでいた頃はその友達ともあまり遊ばなくなっていて、だんだん走らせる回数も減っていきました。
 それよりも数年前には、同じ田宮の模型の、木を使って組み立てるリモコンで遊んだ記憶があります。コントローラが本体とコードでつながっているやつです。いろいろな種類が発売されていましたが、確か初めに組み立てたのはブルドーザのリモコンですね。まだ小学校低学年くらいで、ちょうど父方の田舎に遊びに行っているときだったと思います。独り旅だったのか、そのときはたぶん両親は一緒じゃなかったはずです。そもそもそのリモコンは親から送られてきたものでしたからね。田舎の家には従兄弟が3人いて、その従兄弟たちにも同様に田宮のリモコンが送られていました。そして、みんな一所懸命に組み立て、いざ動かそうとしたとき、自分のだけが上手く動かなかったんですね。これにはかなりショックを受けたような気がします。みんなはちゃんと動いているのに、なんで自分だけ・・ってな具合に。もう、悔しくて情けなくて涙が出ました。ホームシックの効果も重なったのだと思います。どうしようもなくなって結局どうしたかというと、夜中にこっそりと実家に電話をかけて、これまた新しいリモコンを送ってもらうという行為に出たのです。今思うと、ほんと情けないことですが。単なる甘えんぼです。従兄弟に負けたくないという気持ちがそうさせたのでしょうね。しかし電話をかけた時点でもう負けてます。新たに送ってもらったリモコンはフォークリフトでした。今度は上手く動きましたが、それで本当の満足が得られたのかどうかは、今となってはわかりません。
 どちらもおそらく、今でもホコリをかぶって実家に保存されているでしょう。いろんな切ない想い出とともに・・。

 なんて綺麗にまとめるつもりはなかったのだ(笑)。本題はここからです。なぜラジコンとリモコンの話をしたかというと、をかへまさんとこの週間使用法のページで「リモコン」と「ラヂコン」という言葉が使われていて、それが実は入れ違った意味で使われていますよ〜、という私的指摘をここでこっそりしておこうと思ったからです(やらしいな)。しかも、ネタの書き換えの時期が近い週末になってから今さら指摘するという質の悪さです(笑)。えっと、紐がついているのがリモコンですよ(にっこり)。

 本日は土曜日。さて、先生がいないうちに休むのがいいのか、頑張って事を進めておくのが望ましいのか、悩みどころの週末です。テディの買い出しにも行きたいし、観たい映画もいくつかあるしね〜。


(5/27) 勘の良い方ならすでに気付いておられるでしょうが、リモコンは線がついていようがいまいがリモート(遠隔)でコントロール(操作)すれば「リモート」だ、ってのは通りますね(笑)。でもやっぱり、ラジコンは無線でコントロールすることなので、「有線のラヂヨ」ってのを通すのはちょっと苦しいかもしれません(笑)。ええと、そこを何とか通そうとするんだったら、コントローラにストラップか何かが付いているということにすれば「有線」かもしれない(笑)。この場合、どのくらいの長さのものが付いていたら「線」になるのかが問題になってきますが、少なくとも「紐はついている」と言えるので大丈夫でしょう(笑)。なので「有線のラヂヨ」はありです(笑)。通ります(笑)。ってゆーか、ここで言っていることを理解できる人はきっと少ないと思われますが、私信だと思っていただきたい(笑)。それにしても、ちょっと笑い過ぎか(笑)。

 日付けが変わってからもなんだかんだやってて、昨日寝たのは午前4時でした。にもかかわらず午前8時には目を覚まし、ギターを鳴らし、用を足し、汗を流し、洗濯物を干し、いとをかし(いや、別に趣き深くはない)。えっと、お昼前に大学へ来て、インスタントラーメンとおにぎりをブランチに、午後は相変わらずの工作作業を破廉恥に(<韻を踏めばいいってもんじゃない)。それからはひたすら眠かったです。無理な早起きがたたったのでしょうか。どうにも耐えられなくなって、またもや机でしばらく寝てしまいました。そうそう、実はこういうときのために小さな枕が常備されているのです。信州の土産屋さんで購入したこんなやつで、使い心地もさることながらそのネーミングが気にいっています(笑)。そのまま夜まで寝てしまいそうな勢いでしたが、最大精神力で夕方頃動き出し、放射化分析のサンプル入れ替えを少し。

 その後、バスに乗って方面に出かけました。まずは大須のパソコンショップに行き、展示されていた新しいiBookを実際に触る。思っていたよりも結構小さいです。画面も小さく感じますが、まあそれは仕方ないでしょう。見やすいし、キータッチは良好だし、キュートだし、ますます欲しくなったのは言うまでもありません(にこにこ)。しかし、「G4Cube+15インチApple Studio Display」の組み合せも捨てがたいという思いも強くなってしまいました(いやんいやん)。腰を据えて使うのだったらG4Cubeなんだけど、やっぱり次はノートが欲しいんですよね〜。ああ、どっちも欲しいよ(笑)。一瞬どっちも買うという夢のような想像をしてしまいましたが、それだったらPowerBookG4を買ったほうが安く済みますね。と、いろいろ悩んではいるけど、そんなお金はどこにもないんだなあ(笑)。皮算用ここに極まれり! まあ、とりあえずあちこちショップをわまって値段は確認しましたけども。

 さて、そうこうしているうちに午後8時が近づいてきたので急いで栄に戻り、主目的のロフトへ。そして閉店間際に買ったものは、テディです。噂には聞いていましたが、本当にレジ横のワゴンの中にいっぱいありましたね。近所では(というか生協では)完全に姿を消していたので、ちょっとびっくり。まだあるやんって感じ。早速そこから、まだ手に入れていないと思われるテディを探し出します。そのワゴンには誕生日とテディの写真が照らし合わされている本が置かれていましたが、そんなところで確認している余裕はない(さらに他の人が見ていた)ので、自分の記憶だけを頼りにこれぞと思うテディを3体選び出しました。久しぶりの購入だったにもかかわらず、全部まだ持っていないものでした(わーい)。出かけた甲斐がありましたね。ただ、定価で売っているのがちょっと痛いところかなあ(交通費もかかるし)。次に行くときはもっとまとめて買うように心掛けましょう。あんまり何回も通い続けて店員さんに顔を覚えられてしまうのも何だしねぇ(<何か不都合でも?)。そうだ、次は東急ハンズで買おう!(笑) で、ロフトと替わり番こで買うのだ。そうすれば、きっと顔なんて覚えられないに違いない(何としてでも覚えられたくないらしい(笑))。

 大学に戻ってきてからは、大須で買ったMOにiMacのバックアップを取っていました。それに結構時間がかかってまた夜更かし。すでに午前4時。日曜日の本日は、言った尻から東急ハンズへ行くかも。しかし、今日は英語を読むデーなので(たった今決めた)、長時間の外出はできませんね。


(5/28) 昨日は朝に目覚めるも力尽き、結局昼まで寝ていました。昼食(日清焼そばカレーUFO)を食べてから大学へ。英語を読むとか言っときながら、思ったようには進まず、森先生「恋恋蓮歩の演習」を再読し出すという有り様。しかし、何度読んでも時間を忘れます(ほわ〜ん)。

 夕方、名古屋駅に行って、三省堂でまずは本探し。目的の本が見つからず、検索機を使おうとするも先客がいて使えずぎゃふん。閉店時間が迫っているのであきらめて、今度はCDショップを覗く。名探偵ホームズのDVD Boxはちょっと欲しいなと思いました(でも3万円は高い)。それからいよいよ東急ハンズへ行こうとエスカレータを下りてフロアを歩いていたら、やたらと店員さんが頭を下げて「ありがとうございました」と言ってくるのです。「いやいや、これから買うんだよ」と思いつつも居心地悪く歩いていたら、気付きました。歩いていたのは東急ハンズとつながっている高島屋側だったのです。高島屋はすでに閉店時間を過ぎていたので、やたらと帰らそうとしていたのですね。きっと心の中では「早く出ていきやがれ」と思われていたのでしょう。どうりで居心地が悪かったわけです(苦笑)。それはともかく、ギリギリシャッタが締まる直前に東急ハンズに辿り着き、見つけましたよ大量のテディを。もうね、400個ぐらい置いてあってウハウハです(笑)。しかし、顔には出しません(出したら怪しい人です)。そこにはやはり、誕生日とテディが照らし合わせられるようにリーフレットの拡大版と例のテディ占いの本が置かれていました。これは確かに目的の誕生日があれば、大量の中から探し出すのに役立ちそうです。しかし、自分の場合、持っていないテディを探し出すというのが目的なので、本があろうがなかろうが、結局自分の記憶力の問題に帰結してしまうということに気付きました(うむむ)。なかなか大変な作業でしたが、おそらく持っていないだろうと思われるものを9個購入。それをレジで買うときですが、店員さんは、

「こちら贈り物ですか?」と訊きてくるではありませんか(そんな余計な親切見せなくて良いのに)。そりゃあこんなに大量に買い込むのは贈り物かもしれないと思いたくなるのも分からないではないですがね、こちらとしてはそんないらん詮索はしないでほしいのです(笑)。だってここで、

「いや、自分のです。集めているんですよ。もう少しで全部揃うんですけどね、近所になかなか売ってなくて、ここなら大量に置いてあると聞いたものですから。ホームページを作っていましてね、そこで・・」なんて言えるわけないでしょ(苦笑)。だからとりあえず、

「ああ・・・」とだけ言って、その間に目まぐるしく思考を働かせ、相手はきっとラッピングをするかどうかを訊ねているの違いないと判断すること約1秒、果たして出た言葉が

「いえ、結構です・・」だってさ。はは、全然かみ合ってない会話だぞ(笑)。贈り物かどうかを訊ねているのに、イエスでもノーでもなくノーサンキューとはなんたることか。まあ、向こうもさるものこちらの意図を察したのか察していないのか、そのまま袋に入れ始めましたけどね。もう少し気の利いた返答ができなかったものかと反省するしだいです。

 昨夜はF1モナコグランプリを観るために一度帰宅したら、その間に一雨降ったみたい。その後、しばらくテレビを観てしまいました。そしてまた大学へ来て、テディ怒濤の9体追加です。眠いったらありゃしませんが(苦笑)。あと、ようやく立入禁止のページに充実の3ページ目ができました。相変わらず立入禁止です(笑)。

 本日は月曜日。午前は病院で、右手の経過を診てもらいます。そろそろ診断書を書いてもらわないといけません。午後は自主セミナ。あ、そうだ、環境学研究科の大学院担当から放射線関連の書類について呼び出しを受けいたんだった(忘れないようにここにメモ)。面倒臭いなあ・・。


(5/29) やってしまいました、あ・さ・ね・ぼ・う(いや〜ん)。って色っぽく言っても誤魔化せません(色っぽいか?)。朝寝坊ですよ。非常ベルのような音を鳴らす目覚まし時計の力も我が睡魔には及ばなかったようです。ていうか寝るの遅過ぎ(午前5時に寝て8時に起きようってのには無理がある)。慌てて起きたときには、すでに予約していた病院の診察時間をとっくに過ぎていました。ノーーーーー!!と叫びたい心境でしたが、寝起きなので実際はノンノンッくらいの軽い嘆きが精一杯(念のために言っておきますが、辻希美のことではありません<知ってる人少ないぞ)。とりあえずHちや整形外科病院に電話をかけて、行けそうにない、というかすでに予約の時間を過ぎてしまったことを伝えました。しかし、こちらが名乗るたびに名前を訊き返してきます。しっかり聞かんかい!と思いましたが、どうやら舌が上手く回ってなかったみたいです(苦笑)。寝起きですからね。それから、予約をすっぽかした言い訳をいろいろと考えたのですが、こんなところで嘘をつく必要もないので正直に「寝坊しちゃいました(えへ)」と言いました(脚色あり)。たとえ予約の時間通りに行ったとしても、いつも1時間は待たされるはめになることはわかっているので、そのことを交渉手段にして「すぐ行って無理矢理診察してもらえないかどうか」という提案をしようとも思ったのですが、やはり約束の時間を守らなかったこちら側に全面的に非があるわけで、ここは大人しく電話口のお姉さんの言う通りに。診察は来週に延期となりました(とほ〜)。ここで教訓:予約は午後に入れましょう。<っていうか早く寝なさい!

 さて、そうやって結局病院には行けなかったのですが、大学に来てみると、公式には病院に行っていたことになっていたようです。昼食のときにいなかったから、病院に行っていてまだ大学に来ていないと思われていた模様(本当は夢の世界に行っていた)。その後も直接訊かれることもなかったので、これ幸いとばかりにしばらくは黙っていたのでした(笑)。何も自ら寝坊を暴露することもないだろうしね(ってここで暴露してしまっては意味ないけど)。

 何も食べていなかったので生協で本やら食料などを買ってきて昼食。ちなみに購入した本は竹内薫氏の「ゼロから学ぶ量子力学」。最近この著者の本ばかり読んでいます(わかりやすいので)。午後3時頃、放射性廃棄物の廃棄処分をしました。約1年分のサンプルを捨てるわけで、これがまた大変なんです。おおまかな流れを以下に書いてみます。

 まず重い腰を上げる(笑)。助手先生とともにアイソトープセンターに出向する。サンプルがある貯蔵庫に移動する。の前に手続きする。ついでに諸々の確認事項を確認される。ようやく貯蔵庫に移動する。サンプルを選りすぐる。戻ってくる。サンプルの数だけ紙をプリントアウトする。面倒である。それぞれ廃棄量を記入する。単位はベクレル(Bq)。紙の数を数える。数え間違える。もう一度数える。チェックする。ようやく一致する。サンプルを移し替える。ひとつにまとめる。袋がないことが判る。取りに戻る。もう一度まとめる。確認を依頼する。不透明な袋はまずいと指摘される。ショック。実は袋は用意されていることを教わる。再びショック。先に言ってほしいものである。めげずに移し替える。テープで留める。名前とか記入する。ドラム缶に入れる。一安心する。と思うのは早かったりする。ドラム缶No.なるものを紙に記入する。ちなみに40枚ぐらいある。提出する。戻ってくる。とまあ時間がかかる。そして疲れる。

 すべての作業が終わったのは午後5時半になろうかというときでした。自主セミナには途中参加。O田君の発表は残念ながらエピローグしか聴けませんでした。そして来週はなんと自分の発表当番。よりによって来週だったか・・。週末は遊ぶ予定なので辛いかもだ。せいぜい平日のうちにネタをしこんでおくことにしましょう。名刺作りの片手間にでも(笑)。

 昨夜は、ず〜っと部屋に置いてあったビーカをようやく洗いました。何を隠そうこのビーカ、今はなき(というか東京にいる)K藤氏の置き土産です。人が使ってそのままにしてあったものを洗わなきゃいけないのは、なんとなく理不尽な気がしないでもないですが、実は地学辞典(マイナだからやたら高い)を安く譲ってもらうこととの交換条件として請け負った仕事なのです。だから文句は言えません。ええ、言えませんとも。というか文句なんて言うつもりはありません。たとえ、「発つ鳥後を濁さず」という言葉があろうともです(にっこり)。有り難く洗わせていただきました(正確にはまだ洗浄中なんですが)。

 本日は火曜日。もう1週間がたったのかと感じるコロキウムデー。今日こそ寝坊は許されません。たとえ徹夜してでもです(笑)。しないけどね。


(5/30) 「で、どうだったの?」「結局徹夜はしたの?」「コロキウムにはちゃんと間に合ったわけ?」「朝食は食べたの?」「靴下は左右で違うやつを履かなかった?」「社会の窓は締め忘れてない?」「財布はどう?」「もちろんガスの元栓は閉めたよね?」「急いでいて事故ったりはしなかった?」「綺麗なお姉さんは好きですか?」「あんた、あの娘の何なのさ?」「そういや携帯電話はいつ買うの?」「富士山は噴火する?」「ていうか地球寄ってく?」「でっきるかな〜?」「ノッポさんは高見さんだっけ?」「あなたの将来どうですか?*」「何とかなると思いませんか?*」「ニッポンの未来はWow Wow Wow Wow?」などなど数々の疑問を抱いておられた皆さん、どうかご安心下さい。大丈夫です。徹夜をすることもなく、昨日は無事寝坊をしませんでした!(笑) いやあ、絶対ダメってときはどうやら危機意識が高まってバッチリ目が覚めるみたいですね。危機管理能力はまだまだ衰えていないということでしょうか(衰えてるからたまに寝坊するのだという説もある)。とにかく、コロキウムには余裕で間に合って、途中寝ることもなく発表を聴くことができました(一安心)。
(*『つくつくほうしが鳴く頃に』/松本深夜より)


 昼食後は、量子力学をかじったり実験器具の洗い物の続きをしたり生協に行ったり。そして夕方、非常に激しい雨が降りました。文字通り夕立ちです。すべてを洗い流すかのような恵みの雨でしたね。雨が上がった後は気温がぐんと下がり、肌寒くなりました。

 夜のことですが、先生方が講座のサーバを触ってホームページを公開する作業をしていました。サーバの切り替えに伴い、講座のホームページも作り直して今まで準備していたわけですが、それを外に向けて公開できるようにしていたのです。最初のうちはセキュリティの設定とかで苦労されていたようですね。で、最終段階になり、いよいよ講座のホームページがインターネット上でブラウザを使って見ることができた、と思ったのもつかの間、トップページの「index.html」すら表示されなかったのです。「NOT FOUND」ってやつです。しかし、よく見てみると探しているファイル名が「index.css」となっています。アドレスではちゃんと「index.html」になっているのですが、どうも実際に読もうとしているのは「index.css」なのです。なんじゃこりゃ、としばらく先生たちと一緒に悩んでいました。そのとき使っていたブラウザはNetscape Communicatorだったのですが、同じものをInternet Explorerで見てみるとなんと今度は上手く見れたのです。しかし、ブラウザの問題だろうということ以上には原因は分かりませんでした、そのときは。しかしその後、実は独りで自分のiMacを使ってあれこれ試してみたところ分かったのです、原因らしきものが。

 えっと、まず「css」ってのがスタイルシートのことだということはすぐにピンときました(見た記憶があったので)。詳しい説明は省きますが、わからない人はWebページを作るための高度なひな形みたいなものだとでも思って下さい。さて、ここからです。スタイルシート関連のエラーだということと、ブラウザによって見えたり見えなかったりするということから考えて、おそらくブラウザの初期設定を変えればNetscape Communicatorでも見れるようになるのではないかと推測しました。そして実際に「スタイルシートを有効にする」のチェックをはずしてみたところ、ビンゴです。ページが見れるようになりました。しかし、なぜ有効でなくすと見ることが可能になるのか分かりません。だって講座のホームページにはスタイルシートなんて使っていないのです。有効にしようがしまいが見れなきゃ困ります。それに見る側にいちいち設定を変えてもらわないといけないページはちょっと不親切です。そこで、今度はInternet Explorerの設定も確かめてみました。すると、こちらではスタイルシートは有効になっているではありませんか。う〜ん、どういうことだ。としばらく悩み、もう一度どこが問題なのかを考えてみました。それはつまり、「index.htmlというのを、index.cssと読み違えてしまう」というところですね。ここでまたピ〜ンと来ました。ははぁ〜ん、ブラウザの設定が直接影響しているのではないなと。そしてあるとしたらファイル自身にそういう操作をするように書かれているんじゃないかと。で、ページのソースを確認してみたところ、やはりそうでしたね。ホームページ作成ソフトを使って作成されているページはことごとく、スタイルシート関係の記述があるのです。スタイルシートを使っていないにもかかわらずです。デフォルトで書かれてしまうんですね、きっと。しかもその操作がNetscape Communicatorでは対応していない操作なんだと思われます。それで結果的にスタイルシートを有効にしているとエラーになってしまうというわけ。解決策はファイルのぜい肉を落とすことです。やはり、無駄な記述はいけませんね。ソースはシンプルが一番です。ページはいたって簡単な構成で高度なこともしていないので、手書きで書いても大した手間にはならないと思うのですが・・。と、以上のようになんとか分かった原因をここに書いてみましたが、先生には教えていないんだよね〜(笑)。いや、あんまり出しゃばっても何だしさあ、それに気付いたときにはたぶん先生は帰ってたっぽいしね。はいはい、だから今日ちゃんと伝えますって、旦那。

 そんなわけで、一部ですが一応うちの講座のホームページは現在公開中です。まあ興味がある人は少ないと思いますが、私のページ(表向きの?)にはここのトップページから行けるようになっているはずですので、よかったらどうぞ(大したことは書いてません)。本日は水曜日。天気は下り坂でしょうか。まだまだ洗うべき実験器具はあるし、工作もあるし、自主セミナの準備もあるし、平行してやらないと週末までには終わらない感じ。夜はオフ会用の名刺とか久しぶりのテディカードを作りたいところ。


(5/31) 近頃キミ・ライコネンが頭から離れない。知る人ぞ知る、F1ドライバーのルーキーでなかなかハンサムなフィンランド人の名前ですが、ことあるごとに何かにつけてライコネンなのです。おそらく、そこそこ活躍しているのでF1グランプリを観る度に耳で聴いて頭の中に残っているのでしょう。それだけでなく、名前の独特な響きも影響していると思われます。ほら、どことなく関西弁の「君、どこ行くねん」みたいな感じでしょ(笑)。それで、もう四六時中ライコネンなのです。例えば、以下のような具合に。

目が覚めたらライコネン。玄関開けたらライコネン。自転車こいでもライコネン。ふとした瞬間ライコネン。昼食食べてもライコネン。可愛い人みてもライコネン。雨が降り出しライコネン。空を見上げてライコネン。洗い物しててもライコネン。うとうとしながらライコネン。カレーに納豆ライコネン。生協で立ち読みライコネン。お菓子を食べてもライコネン。書類を提出ライコネン。いい国つくろうライコネン。三度の飯よりライコネン。工作しててもライコネン。ゴホンときたらライコネン。鼻から牛乳ライコネン。のべつ幕なしライコネン。思い込んだらライコネン(『巨人の星』?)。呼吸を止めて1秒あなた真剣な目をライコネン(『タッチ』?)。好きよと言い出せないうちにライコネン(『エスパー魔美』?)。ニッポンの未来はライコネン(<またそれか)。

という感じで意味不明のものも含まれていますが(笑)、それぐらい「キミ・ライコネン」というフレーズが頭に浮かんでしかたがないのです。そしてさらに、頭の中で展開される会話があったりします。シチュエーションは何人かが集まってF1ゴッコ(具体的にどんなことをするのか不明ですが)をしようとしているところで、リーダらしき人物が残りの人に役割を分担していくのです。

 「えっと、俺はミハエル・シューマッハね」
 「で、お前はミカ・ハッキネンってとこやな」
 「それから、あんたはジャック・ビルヌーブをよろしく」
 「そして一番若いから、君、ライコネン頼むわ」(くだらんなあ・・)

なんていうしょうもないこと言って油断してたら、なんとキミライコネンドットコムってのがちゃんとあったりします(笑)。個人サイトにしては手が込んでるし、ファンサイトか何かでしょうね。別に興味はありませんが(がーん。フレーズは気になっても人物そのものには関心なかったのか!)。

 話は変わって、先日分厚くて重たいNTTの電話帳が届けられていました。名古屋に来て2年強になりますが、この電話帳の厚さには毎回うんざりします。タウンページ5センチくらいあるんですよ。しかし、こんなけ厚くても名古屋市全部をカバーしているわけではないんですよねぇ。自分の住んでる区とその周辺の区だけしか載っていません。これじゃ調べたいところが載っていなかったりすると困ります。かと言って、名古屋市全部を1冊にしてしまうと巨大なサイコロのような電話帳になって使いにくいだけですが(笑)。なんとかしてほしいものです(ほんとはどうでもよい)。
 えっと、そんなことよりも、もうひとつ電話帳にはハローページってのも配られますよね。個人の電話番号が載っているやつ。これっていわゆる固定電話の番号が載っているわけで、おそらく携帯電話の番号は載っていませんね(当たり前か)。ということはいずれ固定電話がなくなればこのハローページもなくなるということでしょうか。いずれにしても、そろそろ電話帳という形態が古くなりつつあるのは確かでしょう。とはいえ、せっかく配られたものなので、とりあえずパラパラと眺めてみました。まず、気になったのは自分と同姓の人がどれくらいいるのかということです。調べてみたら結構いました。びっくりです。西之園さんは一人もいないというのにです(<そんなのも調べたのか)。それから自分と同じ姓で、名前が「九州男」って人がいるのです(まさかとは思いますがご本人が見られていたらすみません)。もうこの人は絶対、九州男児に違いないって思いません?(笑) まあ、そういう人に限ってイメージと掛け離れているものですけども。
 さて、さらに名前を眺めていくと、なんと自分と同姓同名の人物がいるではありませんか! ほお、世間とは案外狭いものだなあと思ったのもつかの間。電話番号および住所を見てみると、自分とこやん!(が〜ん) そりゃそうだ、同姓同名がこんな近くにいるわけないもんね(苦笑)。はははは・・っていうか!おいおい!名前載っとるがな。いつの間に公開されていたのかと一瞬悩みましたが、そういえば契約するときに「電話帳に載せても良い」にチェックしてしまったことを思い出しました。しかし、個人の電話番号(自営業は除く)って公開してしまって良いものなんでしょうか。そもそも電話番号を一個人が公開することにどんなメリットがあるのか、すぐには思い付きません。ダイレクトメールとか、いらん勧誘の電話がかかってくるとか、マイナスのイメージしかありませんね。普通、電話帳を見て電話をかけてくるような人はこちらが知らない人間ですよね(電話をかけるだけなら犬の可能性もありますが>リダイヤルとかね)。電話番号なんて、かけてこられても良い人にだけ教えれば済むものでしょ。不特定多数に公開する必要性が感じられないし、たとえそれでかけたとしても、その人が電話に出られなければ意味がありません。そういう意味では、電話番号の公開に意義を持たせようとするならば、むしろ携帯電話の番号こそを公開するべきはないでしょうか。いや、あくまでも公開するならですよ。もちろん公開しないに越したことはないと思います。せめて電話番号が宝くじの当選番号になる可能性があるとか、何かおまけ要素でもあれば公開されても良いかなと思いますけどね(笑)。

 昨夜は、いつもギリギリになるオフ会用の名刺を珍しく作りました。まだ印刷はしていませんが、デザインはほぼ完成。気が変わらない限りそのまま印刷することでしょう。本日は木曜日。午後から学生実験がありますが、チュータの当番じゃないので特に仕事はなし。と思ったら、助手先生が学生実験でいないので放射化分析をしないといけないのでありました。ありゃりゃん。


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