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日々これ勉強(2002年10月の前半)

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日本を10月にしてしまえ!(の前半)

(10/1) 月が変わって火曜日。台風が近づいているらしい。朝から雨です。10時頃目覚めたものの、二度寝をして次に気づけばお昼過ぎでした。やっぱり寝るのと寝ないのとでは目の疲労度合が全然違いますね。寝ていない場合、開けているのもやっとの状態でしたが、少しでも寝たあとは、腫れぼったくて開けていても開いていません(結局開いてないのかよ!)。いやいや、しかし頭は断然クリアです。内側も外側も(笑)。って、笑えないギャグだなあ・・(前にも書いたことあるし)。

 そういえば電気メータを交換されて以来、電気代の領収書が来なくなったのですが、ちゃんと検針されて電気代が引き落としされているのでしょうか。まだ確かめていないので、最近そのことが心配になってきました。今まで支払われていなかった(あくまでも故意ではない<未必の故意かもしれませんが)約3年間分の電気代を見積もるために1ヶ月間の使用状況を見るとかなんとか6月頃言っていたくせに、今に至るまで全然音沙汰がないんですけど・・。と思っていたら、つい先日電力会社からようやく電話がかかってきました。しかし前回アパートまでやってきた男性社員とは明らかに違う女性(声色を変えていない限り)が住所と名前を確認してきて、「基本料金のみの支払いになってるけど、まだこの住所に住むつもりなのか?」という主旨のことを訊かれました。なので「そうじゃボケ!」(誇張あり)と応えると、簡単に相手は納得し、電話は切れたのです。こんな対応してて良いのですか?>中●電力さん。今は浜岡原発でトラブルがあって大変でしょうが、消費者をほったらかしにして不安にさせないでもらいたいものです。こちらとしたら電気代くらいいつでも払う用意はあるんだから、さっさと払わせてくださいよ。な〜んて言ってて、すでにごっそり引き落とされていたら格好悪いな(笑)。通帳も見つかったことだし、今度通帳記入でもして確かめてみるかなあ。

 閑話休題。午後2時頃にやっとこさ大学へ出て来て、次の測定用のサンプルを作る準備を始めたのですが、これに結構時間がかかり、実験室を行ったり来たりしているうちに夜になってしまいました。充実していると言えば充実している生活ですが、本を読む余裕も無いのが辛いところです。深夜に帰宅して、夕食はコンビニで買ってきたおにぎりとレーズンロール。夜遅くの夜空にはオリオン座を見ることができる季節になってきましたね。この先だんだんと寒くなっていくんだろうなと、想像して身震いする、そんな秋が好きです(寒いのは嫌いですが)。


(10/2) そうそう、書き忘れていましたが、自転車の前輪は虫ゴムを替えて以来空気が抜ける様子はありません。ほ〜れ見たことか! 睨んだ通りですよ(にこにこ)。誰だ、パンクしてるなんて言ったやつは。下手に自転車屋に持って行かなくて良かったです(持って行くのが面倒だったという話もありますが)。普段自転車に乗っている人なら判るでしょうが、パンクしていたら空気を入れたあと半日もかけて萎んだりはしないでしょう。もっと速く空気が抜けてしまうはずです。それが徐々に抜けていく場合は、まず虫ゴムを疑えばいいのだということが、今回の件で判りましたね。もっとも、今現在の我が愛車の状況はタイヤどころかブレーキ関係からギア関係に至るまでかなりガタが来ているので、空気が抜けなくなったからといって喜んでいられないのですが(苦笑)。

 さて、いきなり夕方頃からの話になりますが(つまりそれまで寝てたわけですね)、生協でプリンタのインクカートリッジと食料を買ってきて、サロンでカップラーメンを食べました。これが本日初の食事。生協では新しいチョコエッグは売られていましたが、残念ながらチョコQの方は置いてありませんでした。生協の購買部はいつも精力的に食玩を扱ってくれるのはありがたいのですが、海洋堂のアニマテイルズがタカラのチョコQに引き継がれたことは考慮されてないっぽくて残念です。おそらく商品名だけでチョコエッグが再び入荷され続けているんでしょうね。生協職員の中に、海洋堂ファンの人がいればチョコQが入荷されただろうに・・、所詮一般消費者なんてそんなものなんだなあと悟ったしだいです。いくら犬のフィギュアとはいえ、今のチョコエッグはなんだかもう買う気にならないんだよなあ。

 午後7時前に、頼まれていた放射化分析の測定をスタートさせにアイソトープセンタに行き、夕食は夜中になってからコンビニで買ってきた海老天重を食べました。珍しくボリュームのある物を食べましたが、レンジで温めると容器がへにょへにょになって、何か有毒物質が溶け出てきてるんじゃないかと不安になりますね。温め方を間違ったのでしょうか。自宅にレンジがないのでいまひとつレンジでの温め加減とかが解りません。


(10/3) 深夜に帰宅して4時間睡眠くらいで朝に起床。ようやく日本時間に戻りつつあるような気がしますが、油断は禁物です。朝食として口に入れたのは、チョコQのチョコ(ちなみにフィギュアはハス)とコーヒーと実家から持って帰ってきて冷蔵庫に入れっぱなしだった20世紀梨でした。冷え過ぎで半分シャーベットみたいになっていましたが、これはこれで新しい食感。美味しかったです。

 その後洗濯物を干して大学に出てきて実験の続きを行ないました。天気は晴れで、陽射しが強い木曜日。最近昼過ぎに大学へ来ることがほとんどだったので当たり前ですが、今日の昼食は久々に生協で食べることができました。ご飯と、白身魚のカツにソースがかかったやつと、ツナといんげんの和え物、という組み合わせ。その後、実験の合間にM先生から頼まれた地化図のサンプリングポイントの緯度経度を読み取る作業を手伝ったり。夕食も生協食堂にてT辺氏とT中氏とU本君の4人で食事。このときは奮発して海老カツとご飯と味噌汁と納豆を食べましたが、それでも399円でした。生協での1食の食事代が400円を超えると、どうも遣い過ぎ感が感じられるんですよねぇ。だから結構贅沢したつもりで400円以内に収まったときは、妙に嬉しかったりします(笑)。っていうか、海老カツ程度で「贅沢」と思える自分に乾杯。

 本日より実験開始しました。詳しく書いても面白くないでしょうから書きませんが、大まかに書くとドモホルンリンクルの製造過程に近い感じでしょうか(待ち時間が長い程度しか合ってませんが)。同位体測定用のサンプル作りも依然として続いています。そんなわけで今夜も遅くまで実験でした。それから日記を書いていたため、夜明け前の帰宅に。


(10/4) やはり睡眠不足がもろにたたって金曜日は昼過ぎまで熟睡してました。家を出る直前(シャワーを浴びているとき)電話が鳴っていた(そして切れた)のですが、大学で何か頼まれていたことがあっただろうかと不安になってしまいました。だから急いで大学へやってきたのですが、どうやら何事も無かったようでほっと一安心。最近いろいろ頼まれているせいか、電話が鳴る度にびくびくしてしまうんですよね(苦笑)。特に昼前の電話なんか心臓に悪いです。また呼び出されて遠回しに午前中に大学に出て来ないことを責められるのかしら(ぶるぶる)なんて思ってしまって・・。弱いぞ!>自分。

 というわけで本日も午後から大学に出てきて、同位体測定用のサンプル作りを続けつつ、実験の様子も時々伺ったりして一日というか半日が過ぎてしまいました。午後7時頃になり、T中先生とともにアイソトープセンタに行き、新しいサンプルの放射化分析をスタートさせました。これは一応、共同研究者ということになっているらしいので、頼まれたら断れない仕事です。っていうか、デフォルトがあまり断れる性格ではないんですけどね、人が良いから(<自分で言うか)。森先生関連のイベントでもない限り、大抵のことは引き受けてしまうでしょう(後輩の頼みごとでもホイホイ引き受けてしまうし)。その代わり、森先生関連のイベントがあるとなったら、他の用事を容赦なくバッサリと切る勇気は持ち合わせております(にっこり)。もしくは、その他のすべてのことを引き受けますから森先生関連イベントだけには行かせてください、てな構えです。我ながらどこまでもマニアだなあ(笑)。

 夕食はコンビニで買ってきた味噌ラーメンとおにぎりをサロンにて食し、実験の続きをして、さらにパンなどをつまみつつ、日曜日の那古野コネクションのオフ会用の名刺を作っていたらすっかり日付が変わってしまいました。とりあえず表側は完成。明日できれば裏側を作りたいと思います。帰宅したのは午前3時頃でした。相変わらずの生活です。


(10/5) 日曜日のオフ会に向けて、生活リズムを改善するため帰宅してすぐに寝ようと思ったのですが、なかなか寝つけませんでした。で、気づいたらまたしてもお昼。ここまできたらあるひとつの可能性を考えざるをえませんね。根っからのスイス人なんですよ、きっと(え、誰が?)。ハイジ万歳!スウォッチ万歳!永世中立万歳!<実際にスイスに行ってきて小学生でも知っていそうなことしか並べられないとは。

 土曜日ということで少し家でのんびりしていたら、またしても電話が鳴りやがりました。寝起きだったためよく聞き取れませんでしたが、おそらく相手は「奥さんはいらっしゃいますか?」と言ったんだと思います。よくあるセールス電話でしょう。こういうとき、たまには声色を変えて「はい、代わりました」と奥さんのフリをしてみるのも面白いかもしれないなと思うのですが、そんな気分ではなかったので「一人暮らしです」ときっぱり断り、電話を切ってやりました。たとえ配偶者がいたとしても「奥さんいますか?」なんて言われたら「うちには奥という名前の者はいませんが?」と返すことでしょう(イヤな人間やな)。昨日のお風呂タイム中の電話の正体はこの電話だったのかもしれません。

 電話といえば、ほんとに極たま〜になんですが、女性から「たけしくんいますかぁ?」という電話が忘れた頃に掛かってきます。下手すれば1年に1回あるかないかという頻度かもしれません。それくらい間隔が空いていてほとんど記憶にも残らないのですが、何故か同じ人物からの電話のような感じはします。いい加減たけし君が居ないことに気づいてほしいんですけど、一体相手はどういうつもりで電話してきているのでしょうか。まず、たけし君なる人物を呼び出してもらおうとしていることから、相手がたけし君の知り合いだとしたらたけし君は実家に住んでいるのか誰かと同居していると考えられます。一人暮らしならわざわざ「いますかぁ?」とは訊かないでしょう。一方、相手がたけし君の知り合いではない場合、単にたけし君の生活環境を知らないで訊いている可能性もあるので、たけし君なる人物が一人暮らしか否かは不確定となります。って、たけし君の素性を推理してどうする(笑)。そうではなくて、考えられる電話の女性の正体は、たけし君の知り合いだとしたら電話の頻度が極端に低いことからたけし君にいつまでも未練たらたらな女性か、知り合いでないとしたら住所録を更新しようとしない悪徳セールスかなにかでしょう。今度掛かってきたら「はい、たけしです」って出てやろうかな(笑)。

 うちの電話番号は電話帳に載っているので、どこから掛かってきてもおかしくはありませんが、別に掛かってくる分にはどこから掛かってこようが構わないのです(鬱陶しいなとは思いますが)。それぐらいの覚悟はできています。っていうか、そもそもほとんど家に居ないので電話番号を知られようが住所を知られようが全然お構い無しという気持ちが強いです。知られたからといって有名人でもないので何も困ることがありません。効果があるとしたら相手に無駄に電話を掛けさせるか無駄足を運ばせるぐらいのものです(電話会社はわずかに儲かりますね)。まあ、私をストーカするような奇特な奴もいないでしょうし、いたとしても幽霊と同じで来るなら来いという構えです(できれば女性の美人さんを希望)。私のパーソナリティは電話番号や住所にあるわけではありません。名前には少しあるかもしれませんが、名前もあくまでも他人のための呼称であって私の本質を表すものではないでしょう。じゃあ何が私の本質なのか。そんなの、私が教えてもらいたいぐらいです(笑)。私が私であることの証明はどうしたらできるのですか? 私の心臓は私ですか? 私の腎臓は?角膜は? 脳が私と言うのなら、記憶の一端を担っているメモ帳やコンピュータも私? 臓器提供カードを持ちつつも、未だにどちらにも丸を付けていない理由はこのへんの疑問に関係あるのかもしれません(ほんまかいな)。「数奇にして模型」でも語られますが、人間はどこまででひとつなんでしょうか。

あの人の一部である長い髪は、
物理的な連続性を失った瞬間、
あの人ではなくなるの?
剥がされた爪は?
千切られた指は?腕は?足は?
首で切られたら頭と体、どちらがあの人?

 午後3時過ぎに大学へ来てみたら、稼働中だった実験システムにちょっとしたトラブルが発生していました(がーん)。幸い重大なトラブルではなく、すぐに定常状態にもっていくことはできましたが、やはり実験をしているときは家で余裕をかましてる場合ではない、起きたらすぐに大学へ向かうべきだと思い知ったしだい。これからは気をつけましょう(と言って明日には忘れているに違いない)。

 さて、今日も相変わらず同位体測定用のサンプ作りを続けつつ、コンビニで買ってきたおにぎりと手巻き寿司とカップそばを食べ、夜になりデザートのみかんヨーグルトゼリーを食べながら名刺の裏側の作成に勤しんでいました。今回はなかなか良いのができたと思います。明日は朝早く出発するつもりなので、早く寝ようと思っていましたが、結局帰宅は夜遅くなり、寝て起きれるのかちょっと不安。本当は、昼間にスイス旅行記も少しは書けるかと思っていたのですが、それも叶いませんでした。ちゃんと規則正しく寝ないのがいけないのです。それは解っています。とりあえず明日のオフ会が終われば、少しだけ時間が取れるので、そのときにでもまとめて更新できるだろうと見込んでいるのですが、はたして・・。


(10/6) 実は昨日、「日経アーキテクチュア」という建築雑誌が家に届いていたのでした。もちろん注文したからですが、何故購入したのかといえば、森先生のインタビュー記事が載っていると聞いたからですね。それ以外に理由はありません(キッパリ)。この雑誌は書店には置いてないらしく、ネット上でバックナンバとして購入しました。で、さっそくその記事を読んでみたのですが、ちょっと期待していたものとは違っていたなぁという感想。確かに筆者が森先生にインタビューしたらしい形跡は見受けられるのですが、直接その言葉が書かれているわけではなく、簡単に言えば、筆者が森先生の紹介をしている(小説を書いたコンクリート研究者として)だけの記事でした。しかしまあ、マニアにとっては森先生が取り上げられている記事というだけで嬉しいものです(にこにこ)。この調子で「日経ウーマン」も購入することになると思います。

 さて、日曜日の本日は那古野コネクションの定例オフの日である。今回は明治村へでかけることになっていました。個人的に訪れるのは初めてです。名刺は前日までに用意できていたものの、昨夜はなかなか寝つけず、結局午前4時頃まで起きていました。その時間から寝たところで朝早く起きれるのかどうか少し不安でしたが、4時間後の8時には目覚めることに成功。こういう時は緊張感のせいか早起きの神様が降りて来てくれますね。しかし、それでもギリギリの時間ではありました。朝食は食料のストックがなかったのでコーヒーだけで済ませ(いつものこと)、急いで身支度を整えます。持って行く荷物は前日のうちにまとめてあったので家をすぐに出ることはできました。ただ、大学で実験中のだったので大学に一度寄って装置の様子を見ておく必要がありました。それにお金も下ろしておかなければなりません。というわけで、銀行のATMで(郵便局はまだ開いていないから)お金を下ろし研究室へ。日曜日なので朝から来ている人はいません。したがって実験中の装置の様子を見るには、まず実験室の鍵を開けなければならないのです。さらにその鍵は別の部屋に置いてあるので、その部屋の鍵を開けるところから始める必要があったりして時間のロス。時間的余裕はないときに限ってこんなテイタラクです。走って鍵を取りに行って、実験室に入って実験装置に夜までほったらかしておいても大丈夫なように適切な措置を施し、再び鍵を締めてもとに戻し、荷物を持って大学をあとにできたのが8時47分。乗ろうとしている名鉄の電車はたしか9時12分出発(と、この時点では思っていた)。うぉお!やばいんでないかい?またギリギリかよ。まったく、いい加減にしてほしい。学習能力のない奴め。と自らを罵るようなことは自分が可愛いのでしません(しないのか)。

 とにかく自転車を飛ばして本山駅まで行き、少し待って地下鉄に乗れたのが8時53分でした。名古屋駅までが14分だから到着は9時7分頃か・・。余裕は5分間だけ。その時間で名鉄新名古屋駅まで移動して、切符と明治村の入場券がセットになっているというびっくりクーポンを買い、犬山行きの電車が来るホームまで行かないといけないのです。これはちょっと苦しい。間に合うのか?どうだ? うーん、自信がない。名鉄なんてほとんど利用したことがないので、新名古屋駅が地下鉄の出口からどれくらい離れているのかもあやふやです。こんなことなら、昨夜無理をしてでもびっくりクーポンを前もって買っておくべきだったかもしれないなあ。などと後悔しながらも、とにかく地下鉄を降りるやいなや走りました。そしたら意外と名鉄の改札は近く(<名古屋に4年も住んでる人間のセリフとは思えんな)、すぐに到着。しかし、まだクーポンを買わなければいけないので安心はできません。クーポンを売っているであろう窓口を見つけそちらに向かおうとしたとき、後方からクーポンを売る声が聞えてきました。振り返ると柱の前に臨時の発券所が設置されていて、駅員が立っているではないですか。そこでびっくりクーポンはあるかと訊いたらちゃんと売っていたので、明治村のびっくりクーポン(他にリトルワールド用とかモンキーパーク用とかもある)を購入。そして慌てて改札を通って時計を見ると9時10分。ふぅ・・なんとか間に合ったか。と思っていたらしかし、発車時刻の案内版を見上げてみると、実は犬山へ行く電車は9時14分発だったのです。12分というのは勘違いだったわけです。それならあんなに走る必要はなかったかもしれません。とはいえ、早い方に勘違いしていたのは幸いでした。これが逆だと乗り遅れていたところです。

 ホームに降りて電車を待ちましたが、同じ電車に乗られるはずの幹事のKずえさんの姿を探すも見つけられず、やがてホームに入ってきた犬山経由新岐阜行きの急行電車にそのまま乗り込むことになりました。車内は比較的空いていて座ることもできましたが、進行方向に対して直交する向きの座席がほとんどだったので(つまり相席までして座ろうとは思わない)ドアの付近で立っていることに。しばらくして、気になったのでKずえさんからの案内メールの確認(プリントアウトしてきた)をしてみると、「先頭車両に乗る予定」と書いてあるではないですか。そうか先頭だったか。それに気づいてすぐに移動しようかとも思ったのですが、睡眠不足でまだ人様に合わせられる顔ではなかったし、ウォーミングアップ(なんのだ)を兼ねてもう少し独りで居ようと判断。いや、決して避けているわけではないですよ(笑)。ただ、話題が増えて日記に書くことが増えると困るなあと思っただけです(そんな理由でか)。そうこうするうちに、電車は約30分で犬山駅に到着しました。電車を降りてすぐの階段を素早く上がり、改札を抜けたところで先頭車両に乗っておられるであろう人たちを待ちました。しばらくすると案の定Kずえさんたちが出て来られ、めでたく合流することができました。一緒に乗っておられたのは他にKつさんとFさんとGんてつさん。「お、こんな早くにどうしたの?」とか言われましたが、なんのことはない、同じ電車に乗っていただけなんですね(笑)。

 その5人で駅前のバス停に移動すると、そこにAなあなさんがおられ、一緒に9時51分のバスに乗って明治村へ。山道を上って20分ほどで到着。結構山の上にあります。明治村の正門前でバスを降り、すぐに入村(入館)。入ってすぐのところにあったワゴン販売にて「明治のりもの博覧会お楽しみガイド」を購入し、午前の部の集合時間である10時半まで正門前で待つことに。待っている間、そばにあったミュージアムショップで早速土産物の目星をつけたり、村内を巡回するバスの写真を撮ったりもしました。もうすぐ引退するという別の型のバスが並んだところ(余計な人々も並んでますが<こらこら)やバス停、さらにハイカラ3号に近づいて一枚。明治村の沿革がこれで、実はこの正門からして展示物で、名古屋大学の前身である第八高等学校の正門だそうです。

 さらに、大きな明治村案内板を前にボランティアガイド(そういう制度がある)のおじさんの説明を聴いたり、ジュースを飲んだり、おしゃべりしたりしているうちに、Tさんがやってこられ、今回初参加のS田さんとEルモの妹さんも合流。そして最後にKのはさんが加わり午前の部の参加者は全員集合となりました。軽く挨拶を交わし、いよいよ村内の見学へ。ちなみに今回の参加者の中で遠路はるばる来られた方は、関東方面からはGんてつさんとS田さん、そしてなんとKのはさんはずっと西のS賀県から来られたそうな(滋賀ではない<それを言ったらバレるがな)。うへぇ〜。初の西方からの参加者ですが、予想以上に遠いところからの参加だったのでびっくり。那古野コネクションもいよいよ全国規模になってきたということでしょうか。今回、博物館という特性上、それぞれ見たいものに個人的な嗜好や思い入れがあるだろうからということで、全員が一緒に行動する時間は午後の2時から4時までの間だけに設定され、その時間までは基本的に各々自由行動ということになっていました。今回のオフの参加者11人のうちあとakriaさんだけがまだ現れていませんでしたが、午後からの参加予定だし「そのうち会えるでしょう」と軽く流される感じで特に問題にすることもなく(笑)見学開始となりました。

 ここからは、午後の集合時間までほとんど独りでの行動となります。はじめの方こそ、同じような見学順路で建物を観ていったため、少しは他のメンバと会話することがあったものの、写真を撮るのに忙しくしているうちにだんだんと遅れを取るようになっていき、いつしか姿も見えなくなっていました。そういうわけで以降は建物や乗り物の写真ばかりになります。またそれらに関する詳しい解説もありませんので、気になる方は明治村のホームページでご確認くださいね。さて、まず向かったのは大井牛肉店。牛肉が置いてあるんでしょう(適当な解説!)。次に三重県尋常師範学校蔵持小学校へ。内部はこんな展示スペースとなっています。昔の教科書などがありました。教室の外側には小学生が使うにしては1段が高い大きな階段。次に向かったのは隣にあった皇宮警察署別館。当時の警察官がこの姿を見たらきっとこういうでしょう、「本官は本館がどこにいったのか気になります」(駄洒落かよ!)。この建物の前には人をバカにしたような偉人たち(例えばこの人<誰?)が並んでいて、中では偉人たちに関するクイズがあったり、グッズがあったり、資料を見たりすることができます。また偉人たちとツーショット写真が撮れるスペースもあり。外に出てすぐ横にあったのが赤坂離宮正門哨舎。そこから小道をぐるりと登って聖ヨハネ教会堂へ向かう途中、池にはアヒルがガーガーガー。教会のある丘まで登ると眼前には入鹿池がちらりと見え、そこを見下ろすように佇むのが聖ヨハネ教会堂です。この中の1階には小さな教室や床が滑り台になっている遊び場があり、2階に上がると、明るい部屋の奥でお姉さんがオルガンを弾いていました(ずっと弾いているふう)。振り返るとこんなステンドグラスの窓

 小道を少し引き返し、分かれ道を北へ進むと学習院長官舎が現れます。外観とは裏腹に、覗ける窓から見た部屋の中はハイカラでした。その東隣には西郷從道邸があり、重要文化財のわりには1階部分に喫茶店となっているスペースがあったりします。別の部屋ではこんな置き物を発見。なんか不自然な着色だと思って横から見てみると、おぼっちゃま君状態でした(笑)。さらに先に小道を進むと、木々の間から姿が見えてきたのは森鴎外・夏目漱石住宅です。漱石と猫が出迎えてくれています(にゃーにゃーいってました)。ここからは偉人坂を北に下りていきました(坂とはいえ階段状)。結構長くて何度か折れ曲がりつつ下っていきます。と、その途中で心配していた雨がいよいよ降り出しました。急いで偉人坂を下り、大きな道路に出てさらに下り、とりあえずの雨宿りをするために飛び込んだのが、蒸気動車でした。このときはまだGんてつさんも一緒でした。車両の中はこんな感じで、ここにもボランティアガイドのおじさんがいます。雨宿りをしつつしばし解説を聴きました。この蒸気動車は運転室・機関室・客室がひとつの車両に収まっていて、客室から見た機関室はこんなふう。雨は依然として降っていたのですが、傘は持っていたので頃合を見て蒸気動車をあとにし、次は近くの札幌電話交換局の中へ。この建物も重要文化財のようです。古い電話からテレビ電話まで展示されていました。さてこのあたりから、Gんてつさんともはぐれてしまい完全に単独行動になります(笑)。

 それからは雨の降る中、ひたすら建物の写真を撮りまくりました。レンガが敷き詰められたレンガ通り(そのままのネーミング)に沿って、安田銀行会津支店千早赤坂小学校講堂京都中井酒造東松家住宅(重要文化財)、第四高等学校物理化学教室が並んでいます。物理化学教室の中はこんな廊下があって、教室はこんなふう。隣の部屋は土川元夫氏に関する展示スペースとなっていて、囲碁の碁石とかもありました。外に出ると雨は小降りになっていて、次は向い側の清水医院へ。居間の奥に診察室という造り。レンガ通りの突き当たりにあるのがこれまた重要文化財の東山梨郡役所。中では土産物が売られているようでしたがこのときは入らず、建物横にあった外務省の天水受を覗いたのみでした。そうこうしているうちにお昼時となっていたので、昼食を手に入れるため明治村食堂に向かいます。地下道を通って道路の反対側に出て、食堂に行ってみると、ありましたありました、明治時代の駅弁を再現したお弁当が。食堂には女性陣が何人かいらっしゃった模様でしたが、自分の目的(できるだけ多くの建物を写真に収めること)を果たすべく、ここは静かに駅弁(900円)を購入し、すぐに食堂を立ち去るのでありました(いそいそ)。

 外に出ると雨は上がっていました。さっきも通ったレンガ通りを少し下り、道の傍らにあった井戸を撮ってから、レンガ通りの途中から階段を上って正門方向へ。正門近くのところにまだ観ていないものがあることに気づいたからです。そのひとつが三重県庁舎。県庁だけあってさすがに大きな建物です。各部屋の中には展示物もいろいろあって、鏡を覗いて明治時代の女の人(あるいは男の人)になって遊んでみたり(笑)。壁掛け時計いろいろ時計の仕組み、2階から外を見るとこんな感じで、知事室ダンスホールなんかもありました。あと、鉄道関係の双六とかポスタ(?)とかも。そんな三重県庁舎の正面には天皇家用の客車御料車が展示されている鉄道局新橋工場があります。御料車は「のりもの博覧会」のイベント期間中だけ内部も特別公開されているようでしたが、ガイドさん付きらしく、人が少し並んでいて時間がかかりそうだったため、諦めて次の場所へ移動することにしました。あとから思うともったいことをしたかもしれません。ガイドさんかぁ・・(<そっちが残念なのかよ!)。工場前には、大きな二重橋飾電燈が。ちなみに、村内のところどころには神戸市から寄贈されたらしいこんな瓦斯(ガス)燈が立てられています。

 そのあとは、再び坂を北に下って、京都七條派出所前を通り過ぎ、京都市電線路を渡り、品川燈台の方へ向かうことに。道の途中には北里研究所本館があって、外観の雰囲気はフランケンシュタイン博士の研究所みたいなイメージですが(そうか?)、中の展示は至って普通。医学の歴史のパネル展示やパスツールが発酵の原因が微生物にあるという証明に使ったスワン首のフラスコとか実験体験コーナがあったぐらいでしょうか。さらに進むと入鹿村古墳があったのですが、木が生えた盛り上がり程度しか判別できなかったので写真は看板のみ。その先には幸田露伴住宅「蝸牛庵」、その向かいに西園寺公望別邸「坐漁荘」があって、隣の茶室「亦楽庵」こんなふう(植木に隠れて見にくい)。そして市電乗り場を横目に見ながら坂道を下りて行くと、菅島燈台付属官舎(重要文化財)が現れ、その右側に目指した品川燈台がありました。その傍らには霧砲。燈台からは入鹿池が見渡せます。この時再び雨が降り始めていたのですが、もし晴れていればもっと綺麗に見えたことでしょう。付属官舎の中には燈台のライトとかレンズ部分とかが展示されており、建物前には日時計も。

 その後、京都市電に乗ろうかと思いましたが、人の多さに諦めて、歩くついでにぐるりと回ってさらに多くの建物を見学して(というか写真に収めて)おくことに。集合時間までにできるだけ多くの建物を観ておきたかったのです。神戸山手西洋人住居とか長崎居留地二十五番館(関係ないですけどしきみ(樒)を発見)とか、家族がお昼を食べていた宗教大学車寄を眺めつつ、途中に鉄道の信号機を垣間見て、明治村のほぼ中心に位置する馬のひろばへ。しかしここへはまたあとで来るだろうからと素通りし、とりあえずひろばの北側に建っている建物たちを観ることに。現代の住宅に近い形のシアトル日系福音教会では模型の展示を観たり、丘の上の名古屋衛戌病院(木が邪魔で見にくいですが)は近づくとこんなふうで、中に入ってレントゲン用のX線発生装置を観たり、正面側から建物を観たり。その隣には歩兵第六聯隊兵舎が佇んでいて、この中では迷路が体験できるようです。そこから再び馬のひろばへ体を向けると、左側に 日本赤十字社中央病院病棟があり、中はこんな感じ。また、ひろばの西側には第四高等学校武術道場「無声堂」が威厳のある佇まいで存在し、剣道場柔道場、そしてその境目などを見ることができます。一見静かそうですが、道場の中はずっとテープか何かで「ヤー! トリャー!」などというかけ声が流れていました。これは余計な演出のような気がします。この頃には雨はすっかり上がっていましたね。

 ひろばから七條坂を上り、京都七條お休み処のある場所へ戻りました。近くの市電乗り場にちょうど市電が停まっていましたが、タイミング悪くすぐに出発してしまったので、次の電車(というか同じのが行ったり来たりしているっぽいですが)が来るまで、ずっと持ち歩いていた駅弁をようやく食べることにしました。煮豆などの甘い味付けのおかずが多かったですが、明治時代の幕の内らしく、肉料理がひとつもなかったところが個人的には高く評価できるお弁当でした(笑)。ボリューム的にも満足です。このお食事処の横には昔の公衆電話の自働電話が設置してありますが、中には現在使われている普通の公衆電話があって普通に使えるようです。食事終えた頃、ちょうど市電がやってきたので、それに乗り込み、いざSL名古屋駅方向へ。走行速度はゆっくりしていて、激しく揺れながら電車は走ります。内部の様子はこんな感じ(ぶれてます)。5分もしないうちに終点に到着。目の前の階段を上れば集合場所のSL名古屋駅でしたが、まだ少し時間があったため、もう少し欲張って建物を見学して回ることに。すると上りかけた階段を下りる途中で、FさんとAさんに遭遇。どうやらAさんはお昼前に来ておられたようです。軽く挨拶だけしてお二人とはすれ違い、機械館となっている鉄道寮新橋工場へ。中には蒸気エンジンとか紡績機の類いが展示されていました。この機械館から入鹿池側に道を歩くと、ブラジル移民住宅ハワイ移民集会所があり、その少し手前には六郷川鉄橋の上に尾西鉄道蒸気機関車1号を見ることができます。それから再びSL名古屋駅へ。

 階段を上り駅に到着すると、他の方々は集まっておられました。KつさんはすでにSLに2回も乗られたそうです(早いなあ)。全員揃ったところで改札を通り抜けると間もなく、2時10分発のSLがホームに入ってきました。これに乗って1kmほど先のSL東京駅に向かうわけですが、その前に機関車の向きを変える作業があり、ターンテーブルを使ってこんなふうに人力で回されていました。ちなみに駅の看板はこれ。蒸気機関車が連結されようとしている三等客車に一行は乗り込み、しばしSLの旅を楽しみました。客車内の様子はこんな感じで、窓から外を見ると「世界の車窓から」風味。また、車内ではEルモの妹さんに写真を撮られましたが、ポーズは解る人にしか解らない「フレミングの左手の法則のポーズ」をとってみました(笑)。ここぞとばかりにそのポーズをとりましたが、理解してもらえたのはKずえさんとFさんだけだったみたい。約5分でSLの旅も終わり、SL東京駅で下車(ここで降りるしか無いんですけど)。駅舎にはこんな旅客乗車心得の看板があり、雰囲気を醸し出しています(下等しか無いのが悲しいですが)。東京駅を出てからは、とりあえず近くの帝国ホテルへ向かうことになりましたが、高架下へと続く通路の入口付近で、どんぐりによって作られた謎の文字(?)列を発見しました。一体何でしょうか、これは・・。謎です。

 帝国ホテルに到着した一行は、中にある喫茶室でお茶休憩をとることになりました。この建物は、入口付近は天井が低めだし、外も中もごつごつしてて壁にでっぱりが多く、頭を打たないか心配になってしまいますね(面白い建物ではあります)。壁や柱の素材はぶつぶつとチーズのように穴が開いています(穴の空いたチーズなんて古い?)が、礫(レキ)を含む凝灰岩のように見えなくもありません。しかし、きっとこういうコンクリートなのでしょう。石材を使った建物を見ると、その岩石は何かと考えてしまうのは一種の職業病かもしれません(まだ学生ですが)。さて、喫茶室ではKつさんが「日経アーキテクチュア」に載っている森先生のインタビュー記事のコピィをみんなに配らていました。ここで同じテーブルだったAさんとFさんには名刺をお渡しできました。行きのバスの中で、GんてつさんとAなあなさんとKずえさんにはすでに渡してあって、他の人にはあとで渡そうとこの時点では思っていたのですが、結局明治村では残りの人に渡せなかったですね。

 休憩後、一行は帝国ホテルをあとにして、名鉄岩倉変電所の前にいた結婚披露宴後らしき集団を遠目に見ながら、もう一度正面から帝国ホテルを眺めて、緩やかな坂を下って行き、視界の端に金沢監獄中央看守所・監房の一部隅田川新大橋を捉えつつどんどん歩きます。南下して池に掛かる天童眼鏡橋の上から水鳥たちを覗き込み、今度は覗き込む人々を撮ってみたり(笑)。この池の畔には小那沙美島燈台が立っています(奥に見えるのが川崎銀行本店)。そこから金沢監獄正門をくぐって丘の上に上って行くと、聖ザビエル天主堂が現れました。正面に廻ってもう一枚。なかなか綺麗なプロポーションです。中に入ると薄暗く入口側のステンドグラスが印象的な教会で、しばらく椅子に座って厳粛な雰囲気に包まれてみたりしました。そのあとは階段を降りて、半田東湯を覗いてみたり、呉服座の中の舞台を見たり、駄菓子屋となっている小泉八雲避暑の家では障子に浮かぶろくろ首、隣の本郷喜之床は昔の床屋さんです。駄菓子を買う人は買って、その後、宇治山田郵便局工部省品硝子製造所の前の道を通って、再び鉄道寮新橋工場へ行く・・と見せ掛けて階段下から振り返ってもう一度宇治山田郵便局!(意味も無く興奮) 新橋工場はさっき独りで来たところですが、今度は機械をそれなりにじっくり見ました(全体的に青いの電灯のせい)。紡績機もアップで。といっても5分ぐらいだったでしょうか。そしていよいよ馬のひろばへ。

 そこへ向かう途中のことですが、Kのはさんが「仕事で金庫に閉じ込められたことがある」という話をしようと切り出されたとき、それを聞いたS田さんがすかさず「え、金庫に閉じ込められる仕事なんですか?」と返されたのにはびっくりでした(笑)。何? 今この人は何て言ったんですか? 一瞬自分の耳を疑いました。さすがです。まさか、そう来るとは!(感慨) これが世に言うS田節なんでしょうか。いやあ、笑わせていただきました(うはは)。ご本人はそんな話がまさかこんなところに書かれるとは思っておられないでしょうが、ここに容赦なく暴露し、敬意の言葉に代えさせていただきたいと思います(にっこり)。

 閑話休題。さて、馬のひろばに到着すると、馬車が行ったり来たりしていましたが、ここでの目的は明治時代の自転車(前輪が大きくて前輪駆動のやつ)に挑戦することでした(積極的に乗ろうとしていたのはKつさんと私だけでしたけど)。個人的にはこの日のメインイベントと言ってもいいでしょう。受付(といっても小さなテーブルを広げているだけ)のお姉さんに代金を払って鍵を受け取り、自転車の置いてある芝生の広場へ向かいます。100円で10分間乗れるみたいです。自転車には昔の自転車を忠実に再現した大きいやつと、現代風に細部がアレンジされた小さいやつがあり、大きいのはKつさんが選ばれたので、小さい方を選ぶしかありませんでした。大きいのは乗れる人が少ないので数が少ないのだそうです(っていうか1台しかない)。鍵を見ると自転車には数字の番号ではなく、「い・ろ・は・・・」の名前がつけられている模様。そしていよいよ、停めてあった自転車の鍵をはずして乗ってみることに・・。

 自転車は前輪が大きく後輪が小さくて(オーディナリィ型)、ペダルは前輪に直結しているという昔の形はしていますが、やはりそれぞれのパーツは市販のものが使われているようで新しいものです。先に乗られたKつさんはすぐにコツを掴まれたようで、早くも滑るように芝生の上を走り回られていました。颯爽とすいすい走って楽しそうです。すごいすごい。あとを追うように私も自転車を車止めから外し、いざ乗車。車輪が小さいためか、案外すんなり乗れた(Kさん撮影)のですが、どことなく三輪車に乗ってる気分でちょっと気恥ずかしい。また、ペダルが前輪に直接繋がっているので、勢いよく漕ぐとハンドルが取られフラフラしてしまいます。だから変に全身に力が入って非常に疲れますね(はぁはぁ)。こんなんじゃ歩いた方がましじゃないかと思えるほどです。しかし乗りこなす楽しさはあるかもしれません。一輪車を乗りこなすのに似たような感覚でしょうか。

 そのうち他の人にも自転車を譲って、今度はKつさんが乗っておられた大きい方の自転車にも挑戦してみたのですが、間もなく、さっき受付のお姉さんが乗れる人が少ないと言っていたことの意味を知ることになりました。普通に乗ろうとしてもペダルに足が届かないのです(ザ・短足!)。乗り始めるところからしてかなり無理な姿勢が強要されます。それでもなんとか漕ぎ出そうとするのですが、サドルからペダルの最下到達点までの長さが明らかに股下よりも長く、連続して漕ぐことができないのです。ついには無理矢理乗ろうとして転んでしまいました。ある意味みんなの期待に応える格好になってしまった(苦笑)わけですが、マジコケです。Tさんによってバッチリ写真も撮られてます。ああ恥ずかしい。しかもそのとき右膝を自転車にぶつけたらしく、ちょっと痛むではないですか(イタタ)。KHのズボンも汚れてしまいました(しくしく)。しか~し、ここで引き下がってはなごな〜が廃ります(「なごな〜」とは那古野コネクションメンバの通称で、他に「なごら〜」や「那古野市民」などがあるのであった)。なんとしてでも乗りたい・・。

 とはいえ、普通に乗るのは物理的に不可能であることは判っています。現実世界では足が伸びるとかのファンタジー的展開は期待できません。でもそこをなんとかして乗るのです。そういうわけで、足よ伸びろ〜(<期待しとるがな)とかなんとかいろいろ試行錯誤したのち、ピンとひらめきました。足が届かないなら、届くところまで腰を持っていけばいいじゃないかと。つまりサドルから腰をずらし、直接スポークを跨ぐように乗れば、ペダルまでの距離がサドルの高さ分稼げるかもしれないということです。サドルを避けて乗るには前か後ろに腰をずらした状態で乗る必要があるのですが、前にずらす方はスペースが狭くてダメでした。一方、後ろにずらす方は、スポークが後輪側にいくに連れて極端に傾斜していて腰を浮かさざるをえないものの、ハンドルをしっかりと握って必至にしがみついた結果、見事乗ることができました!(わーい) その姿がこれ(Tさん撮影)。へっぴり腰ですね(笑)。いやしかし、ペダルにもちゃんと足が届いて、連続して漕ぐことができます! 素晴らしい! これで面目躍如といったところでしょうか(にこにこ)。怪我までした甲斐がありました。っていうか怪我だけして終わっていてはやりきれませんから必死です(笑)。そうやって喜んで乗っていたのも束の間、やがて時間となった(というか疲れた)ので、自転車を所定の場所へ戻し鍵を返して自転車大会は終了。膝を少し傷めてしまったものの、最終的に大きい自転車にも乗れて満足でした(自分の足の短さを思い知るというおまけ付きでしたけど)。

 その後は、七條坂を上りお休み処の前でS田さんとAなあなさんが帰路に就かれ、残りのメンバは坂を下って、レンガ通りを上り、千早赤阪小学校講堂へ向かいました。ここには祭りの屋台みたいな遊べるコーナがあるのです。「のりもの博覧会」のガイドブックに付いていた割引券を使って、矢場に挑戦しました。射的もありましたが、どうせやるなら弓で矢を射った方が面白そうだからという理由で選択。弓矢なんておもちゃ程度のものしかやったことがなかったので(ってここのもおもちゃみたいな弓矢でしたけど)自信はありませんでしたが、持ち分5本の矢のうち3本目の矢を的に当てることに成功しました。ちなみに矢の先は吸盤になっていて、的に当たってもくっつかないと無効なのです。結局くっついたのはそれ1本だけでしたが、弓道の面白さを少しだけ味わえたような気がします。1本当てたので景品がもらえたのですが、いろいろあるおもちゃの中から選ばされ、迷った挙げ句に選んだものは、でんでん太鼓型をしたシャボン玉製造器でした。プラスティック製のちゃちいやつです(だから太鼓としてはあまり使えない)。で、さっそく嬉しがってシャボン玉を作って遊んでいたら、変なところから液漏れを起こして手がベトベトに(いや〜ん)。急遽Kつさんからもらったビニール袋に入れて、鞄に収めることはできましたが、ちょっとショックですね。ベトベトになったことよりも不良品具合にです。まあ、交換してくれと言うほどのものでもないのでしませんでしたけど。そのあと、Kつさんも矢場に挑戦され、同じく1本当てることに成功(パチパチパチ)。選ばれた景品はプラスティック製のアメリカンクラッカでした(こちらもさっそく鳴らして遊ばれていました)。

 その後一行は、階段を上って三重県庁舎前を通り、正門前へ戻りました。ミュージアムショップで各々土産物を買い、地元民のEルモの妹さんとTさんとはここでお別れです。というわけで門を出るメンバたちの図。残りの7人は正門前のバスに乗り犬山駅へと向かいました。バスの中ではみな疲れて眠ってしまったようです。しかし、アクシデントは最後に待っていました。犬山駅に到着する直前に目覚めて、バスを降りようとしたところで、なんとトートバッグの中に入れていたはずの帰りの乗車券も付いていたびっくりクーポンが見つからないのです! まさにびっくりです(冗談言ってる場合じゃない)。捜索範囲を広げ、バッグの入っているリュックの中まで漁って探します。そうしてる間にも降りてしまった他の方々はバスの外で待っておられます。早く降りなければ。しかし探しても探してもその場ではとうとう見つからず、改めてお金を払うしかないかと諦めかけたのですが、運転手さんは「失くしたんなら良いよ」と言ってそのまま下ろしてくれたのです。ああ、ありがとう運転手さん。運転手さんによると、駅で説明すれば電車のチケットも再発行してくれるかもしれないとのことでしたが、本当にそんなことをしてくれるのかちょっと不安でした。と思って、バスを降りた後もう一度念のためバッグの中を漁ってみたら、なんとびっくりクーポンがあったじゃないですか(あはは)。どうやら帰りの分のチケットがちぎれていたので、想定していたクーポンの大きさと異なっていた(しかもフニャフニャになっていた)ため、見落としていたみたいです。なんだよぉもう、心配させやがって(ふぅ)。ああ見つかって良かった良かった。とにかく見つかって一安心。これで切符を買わなくて済みます。待っていていただいたみなさんには、申し訳ありませんでした(ぺこり)。

 さて、そんなアクシデントがあったものの、帰りも急行で無事名古屋駅まで戻り、駅前の居酒屋「やぎや」で二次会となりました。最初の話題は「臨機応答・変問自在2」でのKずえさんの質問についてだったでしょうか。かなり引っ張っていた気がします。ご本人は相当に恥ずかしがっておられましたけど(笑)。あとは次回のオフ会の話や、今年の森先生の誕生日企画はどんなのが良いかといった話などなど。結構食べて飲んだ割には安く済みました。何はともあれ、参加された皆様お疲れ様でした。

 夜はまた雨が降り出していました。オフ会解散後、本山駅からは傘をさしながら自転車で大学まで戻ってきて、実験の様子を見てから写真の整理などを行ない、帰宅したのはいつものように午前様。それから気の抜けたビールで迎え酒(?)をして就寝。もうぐっすりです。


(10/7) 疲れとアルコールで眠りこけ、お昼まで寝ていた月曜日。午後から大学へ出てきて、まずはアイソトープセンタへ。頼まれていたサンプルの持ち込み手続きを済ませ、その帰りに理系ショップで食料を調達。おにぎりのうなぎ(うさぎではない)とカレーうどんパンを昼食にしました。そうそう、その理系ショップで見かけたのですが、おにぎりの具でピートロというのが何なのか判らなくて気になっているのです。原材料が表示されていないので得体がしれません。ピートロ、ピートロ、ピートロ? ピートロの「トロ」はいわゆるマグロのトロと同じようなものと考えていいのでしょうか? それとも全然別物なのでしょうか・・うーん。「トロ」が脂分のトロのことだとしても、「ピー」というのが何のことなのかまだ判りません。そのおにぎりシリーズのラインナップを見ても、他のおにぎりに肉系の具しかないことから、ひょっとすると「ピー」も何かの肉のことを表しているのかもしれません。これを買うのは実に不安です。そもそもですね、おにぎりの具が肉系ばっかりというのが気に食わないんですよ。なんですか、焼肉とか鶏そぼろとかチキンマヨネーズとか。ただでさえ、お弁当のおかずがカルビやら味噌カツやらカラ揚げやらで肉ばっかりなのに、なんでおにぎりにまで領域を拡げてくるかなあ(ぷんぷん)。おにぎりぐらい非肉系で揃えてくださいよ(カラ揚げは皮肉系ですが)。肉系はあってもいいですが、2種類くらいに抑えて欲しいものです。とかなんとか憤りを感じつつ、結局得体の知れないピートロは買いませんでした。うなぎおにぎりは美味しくいただき、カレーうどんパンはまあまあの味。温めると少し美味しくなります。

 昼食後は、実験器具の洗い物をして、夜はずっと日曜日のオフ会の模様をメモ程度にまとめていました。その過程で確かめることがあって、森先生の本を読んだりしたのだがいけませんでしたね。ついつい読みふけってしまうのです(にっこり)。気が付けば真夜中でした。稼働中の実験装置の様子を伺って帰宅。またしても夜明け前。私自身の夜明けはいつだろうか・・(<もう日が暮れたんじゃないか?<というのが皮肉系)。


(10/8) またしても変な夢を見ました。どこかの道場っぽいところで弓道体験ができるのですが、結構そこは人気の道場で、長い列ができていました。そこに幾人かの知人たちと並んで矢を射る順番を待っていました。ひとつ前にいるのが最近の知人で、その前にいたのが高校時代の友人でした。矢を射れるのは一人一回きりで、的の当たる場所に応じて点数が設定されているようなのです(同心円の模様が描かれている)。やがて自分の番が回ってきて、大量に置いてある弓の中からひとつを選び(新品もありましたが使い古された方を選択)、ある壇上へ。前方にある的を見つめます。そしてその場にあった矢を弓にあてがい、弓を引き、呼吸を整え集中・・。一瞬の静寂。スパンッ。しかし放った矢は的を惜しくも外れ、0点に終わった。帰り際、ふと得点のランキングボードを見てみると、なんと最高得点の200点のつわものが! これは矢を的のど真ん中に当てた点数です。一体誰かと思ったら、なんとさっき二人前に並んでいた高校時代の友人ではないですか。その後、前にいた知人と話していて思い出したのですが、その友人はそういえば高校時代弓道部で、大きな大会で優勝した経験があったのです。どうりで上手いはずです。ふむふむ。と納得したところで目を覚ましたのでした。しかし、間もなく夢の中のある間違いに気づきました。実際にはその友人は剣道部だったのです。よくわかりませんが、道場のイメージから混同してしまったようです(袴を穿くからかな)。某うさぎさんの影響かもしれません(笑)。あ、もしかすると、先日の明治村で見た剣道場と矢場で矢を射った記憶がごっちゃになった可能性もありますね。何らかの影響は及ぼしてそうです。

 さて、火曜日も午後から大学へやってきて、実験の続きをした後、講座のノートパソコン(N●C製)が講座のデジカメを認識しなくなったため、直接繋がなくても写真を取り込めるようにしようということで、カードリーダを買いにお遣いで生協へ行きました。ついでに頼まれたMOドライブも公費で購入。O田君とU本君が一緒でした。食料も買って研究室に戻り、早速デジカメ内にあった画像をノートパソコンに移し、そこから共用のデスクトップパソコンにも念のためコピィ。

 その後買ってきたおにぎりなどを食べて小腹を満たしましたが、夕食は改めて理系カフェテリアにて食べました。大抵食べなくても平気なんですが、夕食の時間は単に食事をするだけでなく、研究室から離れて休憩をとる時間としての意味もあるので、まあついつい行ってしまうわけですね(<そんなに働いてもいないくせに)。


(10/9) 水曜日も気が付いたらお昼。寝違えて首は痛いし、躰の節々も痛い。特に右手首の痛みがまたぶり返していて、どうにも堪りません。いい加減病院に行った方がいいでしょう。しかし一体いつ行けというのだ。今は実験をしている期間中であるし、もう少ししたら測定も始まり、昼間は大学を抜けられないようになります。時間なんて作るものだということも解ってはいますが、作れる時間があったとしても、それはそれで溜まった日記を書くことに費やされる運命なのです。あるいは未読本の消化とか。それらすべてが達成されないことには落ち着いて病院にも行けません。とにかく現段階では病院行く時間なんてないのです。というのは、まあ言い訳で、単に病院が嫌いなだけなんですけど(笑)。

 何故そこまで病院を嫌っているのか、少し考えてみてもこれといったキッカケは特に思い付きません(じっくり考えれば判るかも)。具体的な原因があったというよりは、やはりそこには近寄りがたい感覚的なものが存在しているのかなと思います。あ、今思い付きましたけど、近寄りがたい人同士が近寄ってみたら案外意気投合してしまったとき、近寄り合体というのはどうか(そんな思い付きはいりません)。話が逸れました。要するに病院に対するイメージの悪さが自分の中にあるんですよね。それは医療ミスとか院内感染とかそういうイメージの悪さではなく(もちろんそれも含まれますが)、なんというか、ほら、病院に来ている人たちってみんな元気がないでしょ?(当たり前です) それがまずイヤ(笑)。中には変に元気な常連さんみたいな人も散見されますが、暗い雰囲気の中にそういう人がいるから余計に違和感が生まれてしまって、病院全体が歪んだ空間のように感じられてしまうのです(実際微小ながら空間は歪んでいますが)。不思議の国とかネバー・エンディング・ストーリーの世界にやってきたような感覚でしょうか(そんなとこなら行ってみたいぞ)。つまりファンタジィなんですね。そう、現代世界のファンタジィですよ、ホスピタル・ファンタジィ(英語にしただけ)。あるいはホラーと言ってもいいかもしれません。みんな元気がない癖に病気や怪我を治してもらおうという情念は強いから(そりゃそうだ)、数々の思惑が交錯し、淡い希望が渦巻いて混濁している、そんな目に見えない比重の重い空気に、ある種の忌避の念を抱いるのかも。どうしようもないくらいに病んだり怪我したりしたとき以外は、とにかくできれば行きたくない場所なのです。体の一部の不調のために、調子の良い残りの部分も一緒に連れて行かなければいけない、その不条理が納得できないのでしょう。まあ、そういう考えだから結局病院に行くのは最悪の場合になってしまって、その悪印象がさらなる病院嫌いを増長させているとも言えますが・・(病院価値のデフレスパイラルか)。えっと、病院に入院していたり通ってらっしゃる方には不快な文章になったかもしれませんが、こんなとこ読んでないで治療に専念してください(笑)。

 というわけで、本日は右手首の痛みに耐えながらの生活でした。大したことはしていません。夕方頃生協へ行って食料を買ってきて、おにぎりをひとつ食べました。これが昼食。それから再読となる「赤緑黒白」を少し読んでから、夜中に一平ちゃん焼そばを食べ、右手の調子が良くなってきた真夜中からはスイス旅行記を書き続け、気づけば朝になっていました。


(10/10) 徹夜して朝帰りとなった木曜日。昔は体育の日だったような気がします。大学からの帰り道コンビニで買った手巻き寿司と袋ラーメンとみかんゼリィを、朝食に食べて、そのまま寝ずに大学へ戻るつもりでいましたが、ちょっと横になったらそのまま熟睡モード。油断したらこの様ざます(<誰?)。ぐーすか眠ってやっぱり午後からの大学となりました。もう徹夜をする体力も無くなっているようです。だったら、ちゃんと夜寝て朝起きろという話ですが、それもまあなかなか難しい

 大学へ来てからは実験中の装置の様子を時々見たり、夕方頃やってきた業者さんと学生何人かですっかり話し混んでしまったり、それと同時に地化図データの打ち込みを手伝ってみたり。

 A川君のノートパソコンの調子が悪くなるというハプニングがありました。原因はよく判りませんが、電源関係が怪しいということに。近々修理に出されることでしょう。大事なデータはバックアップを取っていたみたいで大丈夫のようです。そんなこんなで夜になり、夕食はT辺氏とT中氏の3人で生協食堂へ。その後今日もスイス旅行記の続きをひたすら書き続けるも、書けたのは一日分。移動が多いとやはり長くなります。写真に対していちいち文章を付けて行くもんだから、写真を撮りまくった日の日記なんかは必然的に長くなるのです。毎日がオフレポート並みですね(笑)。


(10/11) そういえば昨日は「赤緑黒白」を再読了していたのでした。2回目でも充分に楽しめました。というかむしろ、2回目だからこそようやく理解が追いついたところもあります。1回目はなんというか、物語世界に浸ってとにかく読み進んでしまいますからねぇ。最初から冷静に森先生の作品を読むなんてことはできないのです(にっこり)。シリーズを初めから読み返せば、きっとまた新たな発見があることでしょう。

 さて、生活自体は昨日とほぼ同じことを繰り返していた金曜日。午前様で帰宅してコンビニで買ったパンを食べて寝ました。10時頃、保険の勧誘か何かの電話で一度起こされましたが、適当に断って(きっと呂律が回ってなかったに違いない)再び寝てしまいました。そして目覚めたら午後の2時。睡眠時間から考えたらほどよく寝た方です。余裕しゃくしゃくでシャワーを浴びて、大学にやって来たのが3時頃。実験中の装置の稼動状態を確かめてから、夕方頃生協へ行って雑誌と食料を買って来ました。買った雑誌は「子供の科学」「ダ・ヴィンチ」と先日宣言していた「日経ウーマン」です。「ダ・ヴィンチ」はささきすばる氏のイラスト目当てで買ったのですが、なるほど、あの特集のイラストだったのですね〜。なかなか官能的なイラストです(いや〜ん)。「日経ウーマン」はその名の通り女性向けの雑誌ですが、こちらは森先生のインタービュー記事目当て。森先生自身の言葉は少なかったものの、書斎の写真付きだったので満足満足(にこにこ)。記事を読んで今度発売される絵本がますます楽しみになりました。

 それから2つの雑誌をパラパラと読んでいて、ちょっとした発見をしました。両方の雑誌に大槻ケンヂが出ているのですが、「日経ウーマン」では女性の部屋についての座談会をしていて、「ダ・ヴィンチ」では女性作家の官能小説を読まされた感想の中で、「『日経ウーマン』を読んでいるようなOL」という言葉が出てきているのです。偶然というかそれだけメジャな雑誌(「日系ウーマン」がね)だということでしょうが、発売時期も近いのであるいは意識の中にあっての発言だったかもしれません。どうでもいいことですが、えーと、なんというか、やっぱりどうでもいいですね(笑)。大槻ケンヂは好きです。

 夕食はT辺氏とU本君の3人で生協食堂にて。久しぶりに玉子納豆かけご飯を食べました。玉子納豆かけご飯は、そういうものが始めからメニューにあるわけではなくて、玉子と納豆とご飯は別々に取って自分で混ぜたものを称して玉子納豆かけご飯と呼んでいるのです(判り切ったことをわざわざ詳しく言ってみる)。美味しかったです。玉子と納豆の組み合わせもさることながら、醤油の代わりにタレとして入れるしそ風味醤油ドレッシング(正式名称忘れた)が香り付けとなって、味を引き立てくれるんですね。食事中はちょっとした肉談義もありました。何を話したか忘れましたが、きっとまた「肉なんか食べなくても人生に支障をきたさない」とか「食堂のメインディッシュが肉料理ばかりなのが気に食わない」とかそんなことを言っていたのでしょう。夜は研究室の掃除(といっても自分の机周りだけ)して、ついでにサロンの掃き掃除もして、インド人研究生A氏の話を小一時間聞いて、スイス旅行記の続きを書いていました。


(10/12) そのまま大学で朝を迎え、6時頃生タイプのきつねうどんを食べて(生で食べたわけではない)一旦帰宅した土曜日。軽い仮眠のあと再び大学へ・・行くつもりが熟睡。ってまたそのパターンですか。何回繰り返せば気が済むのでしょうねぇ。というか、気が済む済まないの問題じゃなく、体が勝手に眠るんですけどさ(日本語が変)。

 昼過ぎに起きてトイレに入っていると(生活感丸出しですが日記だからご勘弁を)宅配便が届きました。ギリギリでしたがなんとか終わらせて(この表現がギリギリだなあ)トイレから出て荷物を受け取ると、ほぼ日「ほぼ日永久紙袋3」でした。また買ったのです(にっこち<引きつり笑い?)。この袋シリーズは、いつも3色セットでの販売なので、今までに購入した永久紙袋はこれで12袋ということになります。当然、全部活用できているわけではありません。一度に使っても3袋ぐらいだから、もはやコレクションみたいな存在になってますね。しかし腐っても永久紙袋。普通の紙袋なんかより遥かに機能的(そもそも紙製じゃないし)なので、物を運ぶ機会があれば活躍の場は比較的多いと思います。欲しいという人がいたら、誰かにあげることもできますし(可能であることと実行することとは別ですが)。今回のは前にも買ったものと形も色も同じタイプの袋なのですが、犬の顔のイラストがついたビニル袋がおまけに付いている点が良いですね。これが欲しくて注文したと言っても過言ではありません。たぶんそれも使わずに取っておくことになるのでしょうが、それこそコレクションと割り切りましょう。竹を割ったような性格だ、と言われたことは一度もありませんが、竹を割ったことはあります(笑)。竹と言えば昔父親と一緒に竹やぶに入って出てきたら全身蚊に刺されまくっていたという痒い思い出がありますね。ああ、思い出しただけでも痒いな。昔から蚊には好かれるタイプです(血液型じゃなしに)。

 同位体分析のサンプルの入れ替えを明日に控えていたので、本日はサンプルの準備をしておかなければならなかったのですが、午後より大学へ来てからは夜までスイス旅行記を書いていました。手作業は遅くなってもできますが、記憶のアウトプットは早くするに越したことはありませんからね(まれに熟成されることもありますが)。この旅行記を終わらせない限り、日記はいつまでたっても現在に追いつかないのです(※今これを読めているということは旅行記が終わったという証拠です<「今お前がこの手紙を読んでいる頃には、私はすでにこの世を去っているだろう」的な文章だ)。先日のオフ会のレポートも書けやしません。まあ嘘を書いても誰も困らないのですが、自分のために書いているような日記でもあるので、小説ように嘘ばっかりを書くわけにもいきません。だからできるだけ記憶が風化する前にアウトプットしておく必要があるのです。そして日記に書かないまでも最低限のアウトプットはメモという形で毎日残していたからこそ、食事の内容なんかが詳細に書かれていたりする日があるわけです。ただ、そんな些細なことが日記を面白くしてくれる要素になるかどうかは疑問ですが。

 さて、夕食にはシーフードカップヌードルを食べ、そのあと落花生を剥いて中のピーナッツを食べました。落花生は止め時が難しいですね。ついつい次の落花生に手が伸び、いつまでも食べ続けてしまいます。当然その間は他の作業ができなくなります。どんどん食べ続けるとお腹が痛くなってきますし(これは個人的な問題かも)困った食べ物です。ピーナッツってひとつのさやに2つ入っているからザ・ピーナッツも双子だったのでしょうけど、3つ入ってる落花生って見たことありません。遺伝子レベルで2つ入りと決まっているんでしょうか。品種改良して種無しスイカみたいなピーナッツ無し落花生というのはできるのかなあ(できても意味無しだけど)。っていうか、そもそもピーナッツが種にあたるのかどうかがまず怪しいな。うーむ。


(10/13) 夜中の午前3時頃からサンプルの準備で結局3時間くらいかかってしまい、日曜日はすっかり朝帰りとなりました(最近ずっとそうか)。コンビニで朝食を買って帰宅。本日は頼まれていた放射化分析のサンプル入れ替えもあるし、午後は同位体分析の方のサンプル入れ替え作業が待っているので寝るわけにはいきません。そこで久しぶりにテレビを観たりしながら起き続けることに。まだやっていた「所さんの目がテン」で山登りのコツを学んだり、別の番組でご飯の美味しい炊き方を学んだり、「ハリケンジャー」「仮面ライダー龍騎」(字不確か)まで観てしまいました。2つのヒーローものが連続して放映されているこの枠は昔から変わらないような気がします。「ハリケンジャー」の方は明らかに「ロボコン」の流れをくむオチャラケ感が漂うのに対し、「仮面ライダー」の方は特撮のチープさに似合わないくらいシリアスな展開で話がよくわかりません。両方とも同じ地球(しかも日本)を舞台として悪の組織と戦っているのに、真剣さが全然異なる2つの番組を連続で観て、子供達は違和感を覚えないのだろうか。と心配になってきますが、まあ、アラレちゃん孫悟空も同じ世界にいたくらいだから、同じようなものかもしれません。

 というわけで寝ないまま朝食を食べて、午前11時過ぎに大学へ。アイソトープセンタに放射化分析のサンプル交換に行ってみるとまだ測定が終わっていなくて、そこで約1時間待ってからの交換となりました。午後は2時半頃から同位体分析の方のサンプル入れ替え作業を予定通り行ない、夕食はコンビニで買ってきたインスタント焼そば一平ちゃんとお稲荷さんを食べてオナイパに。夜は翌日の測定に備えて早めの帰宅となりました。

 帰宅後、F1グランプリ最終戦を途中からですが、観ることができました。久しぶりのF1です。佐藤琢磨が5位入賞という結果で、母国グランプリにしてF1初ポイントだったらしい。おめでたいことです。彼は車に恵まれていれば、もっと上位に食い込める実力はあると思います。来年からの活躍に期待できそうです。車と言えばホンダトヨタも刺激しあって頑張ってほしいですね。っていうか、そんなこと言っている自分も頑張ってほしい(笑)。はよ論文書かなきゃなあ。


(10/14) 昨日寝なかったツケが回ってきたのか、本日は午前7時に大学へ来るつもりが起きたら10時でした(それでも午前中に起きただけ目覚ましい進歩と言えまいか)。あまり時間がなかったので着替えだけ済ませてとりあえず大学へ。すぐさま同位体の測定開始です。ひとつのサンプルに上手くいって4時間くらいかかるのですが、今回のサンプルは全然試料量がなくて、夜中までに測った5個のうちまともに測定できたのは2個だけという有様でした(とほ〜)。だいたい予想はしていましたが、準備に費やした時間を思うとやっぱり切なくなってきますね。

 午後3時頃、お腹が空いたのでコンビニへ行って食料を買ってきました。そばどん兵衛とおにぎりとレーズンロールパン。チョコQやトッポなどのお菓子も購入。昼食としてまず食べたのはどん兵衛とおにぎり。そのあとレーズンロールパンをちびちび測定の合間に食べていました。このレーズンパン、マーガリンを一切使用せずにオーストラリアで育まれたバターを使っていることが売り文句になっていますが、どちらかというとマーガリンだけを使ってくれた方が個人的には嬉しいんですよねぇ(笑)。まあそれだと「バターロール」とは呼べないけど、ウグイスパンもウグイス入ってないのにウグイスパンと呼ばれるぐらいだから、名前は大した問題にはならないでしょう。つまりウグイスパンと同様「バター(の色をしたマーガリン使用の)パン」と考えればいいわけです(PL法は大丈夫か?)。

 そうそう、最近すっかり報告するのを怠っていますが、上にも書いた通りチョコQはまだ買い続けています。売ってる限りは買うショゾンです。今日はザトウクジラが出ました。シークレットのキタダニリュウも初めて出ました(わーい)。ただ、すでにダブっているのは結構あって、イノシシが4匹と、ニホンザルが3匹と、スズメが2匹ずついます。並べて遊んだりしています(ウリボウ、ケンカ売られるの巻)。


(10/15) あ訂正訂正。家に帰って確認してみたらニホンザルは4匹もいました。チョコQのことです。他にも日本の動物シリーズ、ペット動物シリーズともにいろいろ集まっていますが、いちいちご紹介するのは控えさせていただきます。代わりといってはなんですが、写真を撮っていたのにご紹介するのを忘れていた写真を蒸し返すようにご紹介。まずは先月ついに封印が解かれ、バナナ味のチョコも溶けるような美味しさだったかどうかはともかく賞味期限切れだったことは確かな「娘。ポッキー」。2袋入りで、1袋食べて1袋はまだ手をつけずに保存しています(笑)。ちなみに箱の裏はメンバが描いたメッセージ。それからいつ撮ったのか忘れてしまったのですが、アパートの玄関先で見かけたこちらの様子を伺う黒仔猫など。

 火曜日は午前4時頃から同位体の測定をS田氏と交代して一旦帰宅。それから数時間眠ったのち、昼から再び大学へ来て自分のサンプルをずっと測定。測定の合間、午後9時前に理系ショップで食料を調達。買ったのは焼そばの「俺の塩」とおにぎりでした。それを夜中に食べました。ちなみに二日間の測定結果は全滅(ぐはっ)。まあ、想定していなかったわけではないのでそれほどショックではありませんが、どのサンプルも同位体測定ができるほど元素の存在度が高くなかったようです。そんなわけで予定よりずっと早く測定は終わってしまい、午後11時にはひと段落つきました。予定では明日の午前4時頃からまたS田氏が測定することになっており、その午後にはサンプルの入れ替え作業が待っています。

 思いのほかというか予想通りというか、測定が早く終わってしまったので早く帰るつもりだったのですが、そこはいつもの悪い癖でなんだかんだと無為な時間を過ごしてしまい、結局帰宅は朝の5時頃に(うおー)。気づけば10月も半ばを過ぎてしまいました。さて、いつまでスイス時間での生活が続くのでしょうか。


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