Go Home日々これ勉強
日々これ勉強(2001年9月の前半)

目次に戻る
人生楽ありゃ9月もあるさ(の前半)

(9/1) そうか、18才未満は深夜の番組に出れないので「『モーニング娘。』だよ!全員集合!」とか言っても、実際に生で出演していたのは飯田安倍保田矢口の4人だったというわけか(ローカルで申し訳ないですが昨夜のCBCラジオについての話)。ちぇっ、9人でわいわいやってたあのコーナは録音だったのね。ふむぅ。ま、いいけどさー。それはそうと、4人ですら誰が誰の声やら判断つけるのが難しいラジオにおいて、いわんや9人で同時にしゃべられたとあってはをや、です。これはもう何がなんだかわかりませんね(笑)。今後13人で出演するようなことになれば、さらなる混乱は避けられないこと必至でしょう(重複してる)。さて、その9人で何をやっていたかと言うと、「牛タンゲーム」「山手線ゲーム」「早口言葉」のそれぞれのゲームをして、負け抜け方式で順位を決めてその合計獲得ポイント(最後のは一発逆転のチャンスありだったけど)によって誰がDJとしての素質があるかということを決めていましたよ(にこにこ)。そして、その結果は、意外にも3つのゲームすべてにおいて1位になった我らが(<誰ら?)石川梨華が、見事DJクィーンに輝いたのでありました(わーいわーい)。おめでとうございます〜。良かった良かった、それでこそ写真集を2冊買った甲斐があったというものです(<何か関係があるの?)。ただ、このゲームの最中気になったことがひとつありました。誰が言ったのかは覚えてないのですが、耳を疑う言葉、そうモーニング娘。がおよそ言いそうにもないような言葉がラジオから流れてきたのです。その言葉とは・・

「乳輪だぁ」

はぅ! な、なんですとー!? このときお茶漬けを食べていたら間違いなく豪快に吹出していたでしょう。食べていなかったことを神に感謝しつつ、衝撃が全身を駆け巡り、ラジオでは姿が見えないことを良いことに、一瞬にして頭の中ではあらぬ妄想が膨らみまくりマンボです(うわーうわー)。どんな恰好しながら放送しとんねん、みたいな。いや、でもしかし、やっぱりいくらなんでも唐突にそんな言葉を発するようなことはしないはず。と冷静になって会話を聴いていると、どうやら先程の言葉が向けられた先は、飯田のような雰囲気です。しばし沈思黙考・・。そして気づきました。耳を疑って正解。本来のその言葉は「ニューリーダー」だったのです(たぶん)。それにしても、一体ラジオを聴きながら何を考えているのでしょうか(苦笑)。月のはじめから下品ですみません。でも、似てるよねぇ?

 閑話休題。土曜日の今日は目覚ましのおかげで午前6時に目が覚めました。その目覚ましとはラジオです。そしてボーッとすること30分。聞こえてきたのは、CBC開局50周年記念特別番組「おうちへ帰ろう」でした。ちょうど50年前の9月1日午前6時30分に、CBCは民放としては初めてのラジオ放送(当然テレビはまだない)を開始したのであります(回し者か)。以前にも書きましたが、まさか日本初の民放がここ名古屋の地にあるとは思っていませんでした。テディに代表されるように、新商品の発売に際しては、西と東の中間にあるこの地域で先行発売されることが多いと聞いたことがありますが、そのことと何か関係があるのでしょうか(たぶんない)。などという疑問を胸に抱きつつ、ゴロゴロしながらずっとラジオを聴くこと数時間。できれば11時間半ある特別番組をずっと聴いていたかったところですが、ずっと家にいるわけにもいかないので、昼前には切り上げ家を出ました。ほんとは優香が登場する第4部まで粘っていたかったんだけど、今日は去年度までうちの講座にいたM氏が、はるばる三重県の熊野から昼頃にやってくるということを聞いていたので、お昼に大学に出てきたというわけ。にもかかわらず、なかなかM氏は現れませんでした。M1の犬Z君が電話をするも、連絡がつかない様子。確かに熊野からは相当の時間がかかると思われますが、それにしても連絡がつかないのはおかしい。地下鉄に乗っているという可能性は考えられますが、何時間も地下鉄に乗り続けているのでない限り、それはちょっとありえません。手をこまねいて待っている間は、放射化分析の手伝いをこなしたり、お菓子を買って来たり、ネットサーフィンをしたりです。はたしてそのまま時間は過ぎていき、午後3時を過ぎてもM氏は現れませんでした。待ち切れず帰ってしまう学生もちらほら(もともとそんなに人はいませんでしたが)。やがて5時が過ぎ、半分諦めかけてサロンに入ったその時、K辺先生と話をしているM氏発見! しかし先生の話が続いていたため、「やっほ〜久しぶりぃ〜」などと再開を大袈裟に喜ぶことはできず、軽く挨拶を交わした後はしばらく座って聴講に参加(苦笑)。そこには犬Z君もいましたか。途中でK村さんも現れたり。そんなこんなで午後6時。

 M氏が本日やってきたのは、修士時代の研究上のデータを犬Z君に引き渡すためでした。それが終わった後、せっかくだからどっかに食べるか飲みに行こうということになり、M氏と犬Z君と私の3人で、本山方面へ歩いて行きました。訊けばM氏は*千円までならおごってくれると言う。わーいわーい、さすが持つべきものは社会人ですね(<用法が違う)。ありがとう〜。そしておごってくれるなら飲みに行こう、ということでほぼ決まっていたのです。しかし、本山駅周辺に近づいたそのとき、M氏の言った一言が我々の運命を変えることとなったのでした。その一言とは・・

「乳輪だぁ」

って、またそれか!<というか、そんなわけあるかい! 嘘ですよ(笑)。ええと、本当はこうでした。

「あ、CoCoにも壱番屋できたんやぁ」(一部、文字を意図的に変換しています。寒く感じられることがあってもM氏のせいではありません)

つづく・・。


(9/2) 昨日のつづき。さて、M氏が言った一言に触発されたのが犬Z君で、「カレーが食べたくなった」とおっしゃる。あ、言われてみればそんな気もする(おそらく「お好み焼きが食べたくなった」と言われても同様だっただろうけども)。そして、どうせ資金は*千円あるんだから食べるならカレーにトッピングをしまくりマンボというのはどうか、というくだらない提案が飛び出す始末。少し、お酒を飲むのと迷いはしましたが、スポンサのM氏を含め、我々は話のネタ欲しさに(笑)結局カレーハウスCoCo壱番屋に向かったのでした。

 店内に入り、まずはメニューでトッピングできる具の確認にかかります。水を持ってきた店員さんがついでに注文を訊こうとしましたが、トッピングしまくるつもりの我々に、そんなに早く注文できるはずはありません。ということで、後で来てもらうことにし、ひとまずその場を立ち去ってもらいました。で、決めなきゃいけないのはトッピングの数。はじめ、3つでいいんじゃないかという意見がありましたが、それだと結構普通でしょという意見も出て、結局5つまでトッピングすることに。しかし、つい、組み合わせを頭の中であれこれ考えてしまうんですよね〜。美味しい組み合せとか、別の意味でおいしい組み合せとか。なかなか決めることができません。しばらく悩む3人でしたが、このままでは埒があかないということで、店員さんを呼んで勢いで注文してしまうことにしました。そして迷いながらも最終的に注文したカレーは以下のようなものでした。

M氏:ポークカレー(ライス500g)に、納豆オクラ豆腐チキンカツほうれん草、そして生たまご
犬Z君:ポークカレー(ライス400g)に、牛もつソーセージチーズ温泉たまご、そしてコーン
私:ポークカレー(ライス400g)に、オクラ豆腐イカやさいツナ納豆、そしてもうひとつ納豆(笑)。

 私のトッピングが6つになってしまっているのは、納豆カレーにトッピングを5つしてしまったからです。注文している最中は適当なので、ちゃんと数を数えていなかったのでした(苦笑)。そんなんだから注文してからも自分が何を頼んだのかうろ覚えの3人なのです。しばらくしてまず店員さんがもってきたのは、小鉢に一種類ずつ入ったトッピングの具(突然ですが、これを略して「トッピン具」というのはどうでしょう?<すでにありそう)でした。はじめ全部の具がカレーに載せられて出てくると期待していた我々は、ちょっと拍子抜け。一部の具は単品メニューとして小鉢で出てくる仕組みのようです。具体的に言うと、生たまご温泉たまごコーンツナがそれでした。それぞれ、「えっと・・」と一拍おいてから自分が頼んだであろう具を受け取ります(笑)。カレーの他に、タマゴサラダも注文していたのでカレーが出てくるまではそれを食べて待ちました。ちなみにサラダ用のドレッシングは2種類ありましたが、もちろん両方ともかけるのです。福神漬まで混ぜてましたね(苦笑)。やがてカレーがやってきました。ここで面白いのは、店員さんが確認のためにカレーに何が入っているかをいちいち言うところ(当然なんでしょうけど)。カレーを持ちながら「えっと、チキンカツ・納豆・オクラ豆腐・ほうれん草ミックスカレーのお客さま」という調子です(笑)。そこにはもちろん単品メニューは含まれていないのですが、もっとトッピングを増やせば、暗唱するのも大変なことになりそうですね(嫌がらせか)。

 さて、出てきたカレーを観察してみるとどれも溢れんばかりで凄いことになってます。犬Z君なんかは、脱いでも凄いんです(何が?)。っていうかそうではなくて(笑)、牛もつカレーにソーセージが数本載っていて、そこにチーズが混ざり込んだ上、さらにコーンと温泉たまごを載せるんですけど、全体的に見た目が黄色〜茶色でまったく色彩感なしです。「もっと見た目を考慮すべきだった」とは犬Z君。一方、M氏の方を見れば、チキンカツが載って山盛りになったカレーに生たまごをかけたもんだから、流れに流れて皿から少し溢れてしまう有り様(笑)。私は私で、オクラ豆腐に納豆が2つ分も混じりあって、えも言われぬ粘り気を出しています。う〜んまろやか。で、いよいよいただいたわけですが、途中テーブルに備え付けの醤油とび辛スパイスを加えることも忘れませんでした。味的にはそれほど悪くはなく美味しくいただきましたが、トッピングが多かったせいか意外にもお腹が膨れてしまい、最後の方は苦しみながらの食事でしたね。M氏なんか、食後1時間経ってからようやくお腹の具合がましになったというくらいです(苦笑)。これほど食べても料金が目標の(?)*千円には届かなかったため、全額M氏に払ってもらっちゃいました。いやぁ太っ腹。重ね重ねお礼を申し上げたいと思います。ごちごちそうそうさまでした(<そういう重ね重ねかよ!)。その後、「10月の松本深夜のライブにはぜひ来て!」と言うM氏とは別れ、犬Z君と大学まで戻ってきたしだい。

 上記のような活動は犬Z君に言わせればアホ活動に分類されるようです(笑)。そんなアホ活動が強いて言えばこの夏のブームであるという犬Z君の活動の一部には、モーニング娘。の「平均年齢の推移」をグラフにしてみた、というのがあるという話を食後に聞きました。うっわー、そんなことしてたのか! すごいな。コアなファンというわけでもないのにそこまでするとは、まさにアホやなあ(にこにこ)。しかし、どこか悔しいのはなぜでしょうか(笑)。度重なるメンバの増減以外に、もちろん全員が誕生日を迎えればそれぞれ歳をとることも考慮されたグラフで、これはもうファン垂涎の代物となりえるかもしれません。本人曰く、「作っている時は楽しかったですよ」。というわけで、大学に戻ってきてからそのグラフが送られてきました。せっかくなので、ここに公開しておきましょう。これがモーニング娘。の平均年齢の推移だ!(※このグラフの著作権は犬Z君に帰属しますので無断複写転載禁止です) 注目すべきは「中澤ひとりの脱退」による平均年齢の低下幅が、先日の「新メンバ4人加入」のときとほぼ同じだというところか(笑)。ちなみにこのままの傾向が続けば、2010年にはモーニング娘。の平均年齢が12才くらいになるそうな。小学生のど自慢大会か。わけー。

 それにしても、すっかりカレー日記になってしまったなぁ。あるいは犬Z君出過ぎだよ(<自分で書いたくせに)。本日は日曜日。買いたい本があるので出かけたいところですが、空を見ると雲行きが怪しい。明日は雨だな・・。


(9/3) 世の中には“親切”“不親切”がある。不親切にされるよりは親切にされた方が、大体の場合においてその対象にとって都合が良いことは間違いないが、対象によっては、親切な行為は時として“イラン親善大使”・・もとい、“いらん親切”になってしまうこともあるのだ。例えば、電車の中で立っているお腹の大きな女性に席を譲ろうとしたら「私は妊婦じゃないわよ!」と怒らせてしまったり(そんな人は見たことないが)、レンタルビデオ店で恥ずかしいビデオを借りる時に店員がご丁寧にもビデオのタイトルを読み上げたり(例えばの話である)、もっと身近なところでは本の裏表紙に小説の粗筋が書かれていたりすること(結局読むのだけど)などである。不親切な行為をしないようにすることはそんなに難しいことではない。不親切とは最大公約数的なところがあるように思われる。誰もが嫌がることはだいたい想像の範囲内である。しかし一方、親切な行為というものは、実体がつかみにくくなかなか上手く行かないものだ。確実に誰に対しても親切だと言える行為はおそらく存在しないのではないだろうか。結果、運が悪ければその行為は“いらん親切”となってしまう。善かれと思っても迷惑になる。いわゆる大きなお世話もこの部類に入るだろう。つまり、親切にはリスクが伴うということである。小さな的を射ったり、山の頂上を目指すことに似ている。目標を避けることは容易いが、そこに近づくのは難しい。人を愛することも同じかもしれない。

 で、一体何の話がしたいのかと言うと、親切にも星座別にタグが色分けされていて、外から見るだけであららこめテディの誕生日を絞り込むことができる365日のバースデーテディ第2弾の話です(そんなことのための親切論だったのか!)。ずっと前にロフトに行ったときですが、そこでもテディ第2弾を買ったことがあります。大量に入荷されていて、一向に入荷する気配のない大学生協よりはその心意気を買いますが、ただひとつ、ワゴンの中で星座別に箱を並べてしまうのはどうかと思います。さらに箱には色違いのシールまで貼られているとあっては、選ぶ楽しみもなくなるというものです。これぞまさしく私にとっては“いらん親切”なのです。シールはいかんわシールは(ぷんぷん)。全部が全部そうなっていたわけではなかったので、そのときは別のワゴンから手に取ったものをそのまま購入したしだい(星座の確認はせずに)。入っている物が判るおまけほど、管が異様に細い排水口(つまらないものはない)。でも見えてしまう。ならば見なければ良いだろうということで、目を背けつつテディを買う毎日(笑)。そういう縛りを自分に課しているわけですね(アホなことしてるな)。

 さて、ここまでは実は前置きで、本題はこれから(笑)。今回のテディは出荷量が初めから凄いらしく、兼ねてからどこどこのスーパーに山積みになっていたという話を聞いていたので、昨日の夜は八事ジャスコまで買い物に行ってみました。そしてついでだったので、久しぶりにカレーの材料も買うことに決定。食料品売り場の中、まず向かったのはやはりお菓子売り場。テディ確保が最重要課題なのです。よっぽど山積みになっていると思っていましたが、案外こじんまりと売られていて少し拍子抜け。まぁ、それでも3つのカゴに入っていたり、それとは別の場所にも多く置いてあるので、他のお菓子よりは力が入ってるのでしょう。で、いよいよ自分の買い物カゴに入れる段階ですが、せっかく来たんだから2、3個しか買わないのでは意味がない、よし、少なくとも8個くらいは買おうぞ、と決意しテディの売り場を眺め回してみました。するとどうでしょう! 一番上にストック分と思われる大きな箱の姿が見えるではありませんか。どうやら「10個入」と書いてある模様。キラ〜ン。これはまさしくウッテツケです。まとめて10個も買うことができるし、大きな箱の中に入っているので幸いにもテディの姿やタグが外からは見えないときた。これなら、わざわざ自ら目を背けることなくテディを購入できるのです(笑)。一石二鳥だ、わーいわーい、と喜び勇みその箱を買い物カゴへ。あとは玉ネギやら人参やらカレールーやらをカゴに入れ、さっさとレジへ向かいました。「箱買い」というものをするのは初めてです(どきどき)。レジで少し並んでいよいよ自分の番。で、そのテディの大箱をどうするのかと固唾を飲んで見守っていたら、レジのお姉さんはお菓子売り場に走り行き、バラ売りになっているテディを1個持参の後、「これが10個でよろしいですか?」と確認してきました(にこにこ)っていうか恥ずかしい(苦笑)。それでいいですと答えると、中身も確認されることなく無事購入することができました。そんならなにかい、もしかすると大箱の中身を入れ替えれば、もっと高価な物を安く買うこともできるってわけか?などという悪巧みを思い浮かべつつ、支払いを済ませたのでした。後に恐ろしい事実が発覚するとは思いもせずに・・。

 ジャスコを後にし、杁中三洋堂書店に行って、浦賀和宏氏の「彼女は存在しない」を購入。帯にある森先生の言葉を見ただけで期待してしまいます(笑)。少しずつ読みましょう。一度、大学に戻ってきてからテディの大箱を鞄から出し、代わりにあいぶっ君を鞄に入れて帰宅しようとしたとき、ふと気になったので「10個入」のテディの大箱を開けてみました。するとどうでしょう!(今日2回目) 眼前には目を疑うような驚愕の事実が転がっていたのです! その大箱の大きさからして普通ならひとつひとつのテディの箱は立った状態で入っていなければならないはずなのに、そこには6つの立った箱となぜか転がった箱があるのみだったのです。がーん。全部立っててきっちり入る大きさの大箱の中で、横になっている箱があるということは・・足りない。そう、足りないのです! 慌てて数えてみたところ、全部で8つの箱しか入っていませんでした、「10個入」の大箱に。はは、はははははは。もう力なく笑うしかありません。わざわざ遠出してまで買いに行ったテディ、レジで確認までされて10個購入したことになっているテディ、それが実は8個しかなかったなんて・・(とほほ)。これはジャスコの陰謀か? 私は騙されたというのか。金返せー。あ〜あ、ちゃんと中身を確認しておけば良かった、なんて思っても後の祭りなんですが。くっそー、こんなの笑い話にしかならないぞ。しかも、それで充分もとがとれたような気もするから余計に腹立たしいな(笑)。

 その後である。帰宅途中、テディが2個足りなかったことが悔しかったので、コンビニに寄って牛乳とテディ2個を買って帰った。これで本来あるべき10個になったことになる。そう、昨日はたまたま牛乳が360円ほど値上がりしていたと思えば、帳じりが合うではないか。それでいいのだ。万事丸く収まる。私は騙されてもいないし、夕食のカレースパゲティはジャガイモがなくて正解だったし、テディはちゃんと10個手許にある。ただ、ちょっと牛乳が高かっただけだ(笑)。やっぱり騙されているのだろうか。


(9/4) この日から2日間は母方の祖母の通夜葬儀のために、京都へ行っていました。外見は坊主ですが、別にお坊さんではないのでお経をあげてきたわけではなく、親族としての参加です。事が事だけにあまり面白可笑しくは書けません(普段も面白可笑しくないぞという声もあるでしょうが、そこはまあ)。随分前から弱っていたのは分かっていたので、前日に祖母が亡くなったという知らせを聞いたときには、すでに心も荷物もだいたい準備ができていました(人の死を待つのってあまり気持ちの良いことではありませんが・・)。その日の昼に新幹線のチケットを買いに生協へ行ったところ、学割で買うよりも大阪までの回数券で買った方が安いと言われそれを購入。初めは実家まで行くつもりでいたので、大阪までのチケットを買ったのです。しかし、家族はすでに京都入りしているということを聞き、そのチケットで直接京都へ向うこととなりました。

 朝、夜のうちに慣れないアイロンをかけたスーツとシャツを持って、一度大学へ。新幹線の中で読むための本を鞄に入れるためです。ただ、よりによって入れたのがハードカバー「彼女は存在しない」(浦賀和宏著)だったので重いったら(苦笑)。しかも実際に読むことができたのは一緒に入れていたもう一方の本(こちらは文庫)「人間の土地」(サン=テグジュペリ著)だけという有り様ですから、なんとも無駄に重い荷物だったことか。しかし荷物を一番重くしていた要因はあいぶっ君です。ひょっとしたら使うかもしれないという甘い推測のもと持って行ったら、これが見事に使いませんでしたね(笑)。そんな暇も元気もありませんでした。まぁ、この時点ではそんなことを知る由もなく、出かけたのでした。がそのとき気づきました、靴がいつもの普通の靴だったことに(がーん)。このままでは様になりません。いや別に様になる必要はないのですが、親戚たちが集まる手前、葬儀の場につり合わない恰好をするのは憚られます。ということで再び家に戻って黒い靴に履き替えました。出かける前に必ずと言っていいほど慌ただしくなるこの悪習はどうにかならないものでしょうか。そんなこんなで、コーヒー片手に新幹線に乗り込んだのが午前9時半頃でした。

 乗ったのはひかり号でしたが、京都駅まで各駅停車。それでも1時間かからずに京都に到着しました。意外と近かったので、じっくり本を読むこともできず。新幹線がスピードアップすることは結構なことですが、それにより失われるのは時間ですね。読書の時間と睡眠の時間が短くなって、移動中にゆっくり休むことも難しくなってきた感あり。その分出発前と到着後に時間が分配されるなら良いですが、そうもいかないのが現状でしょうか。車両はそのままにゆっくり走ってくれる新幹線があれば、迷わずそっちに乗ることでしょう。

 久々に京都駅に降り立ちましたが、あの駅ビルを見ることなく、ホームから地下に降りずっと地下道を歩いて地上に出たのは近鉄百貨店の中からでした(笑)。そこから祖母の家までは歩いて5分くらい。携帯電話で連絡を入れて寄り道もせずに向かいました。細い路地に入り、まっすぐ進んでいくと祖母の家の入口があるのですが、その入口横にあった家が新しく建て替えられている最中だったため、見慣れた景色とは変わってしまい危うくそこを通り過ぎるところでした。えっと、これは実際に見てみないと解らない状況だと思うのですが、京都の民家は間口が狭く奥行きが長い家が多く、祖母の家も道路側かは見えない奥まったところに建っていて、道路に面しているのは幅1メートルほどの通路だったのです。で、その道路側にあった家が現在建て替えられていて、柱をつりあげるための大きなクレーン車がその横にいたわけ。つまりほとんど完全に祖母の家までの道が塞がれている形です。通ってはいけないような隙間しか空いていません。普通なら絶対通らないようなスペースです。なんせ、そのクレーン車の差さえの足を跨いでいかないと通れないくらいなんですから(苦笑)。本当に通って良いものか迷いましたが、他に道はないので強行突破。道路が狭い京都では家を建て替えるのも一苦労だなと実感したしだい。というか、こっちはこれから遺体を運び出すというのに、隣ではめでたい棟上げをしているわけですよ。しかもクレーン車が無茶苦茶邪魔。まぁタイミングが悪かったと言えばそれまでですが、なんだかなあ・・。

 早めに着いたので、昼食を食べたり弁当を食べたり(※つまり2食食べた)して、しばらく休憩。びっくりしたのはすでに来ていた従弟たちが大きくなっていたこと。しかもなんかいちいち面白い(笑)。それもそのはず、ひとりは吉本興業の学校に行っていた言わば芸人の卵です。かなり久しぶりに会ったはずですが、ブランクを感じさせないのは従弟だからなのか、関西人だからなのか。とにかく「大きなったなぁ」と感慨深くなるのでした(おじさん気分)。持ってきたスーツは妹Y氏の手によって再びアイロンがかけられ自分でかけた意味なし。食後に着替えて少し待機。やがて葬儀屋さんが来て、祖母が棺の中へ入れられました。いくつか遺品も一緒に。男数人で運び出す時は例のクレーン車も退いていていささか通りやすくなっていました。棺を載せたのは派手派手な霊柩車ではなく、ご近所への配慮から目立たない黒いステーションワゴン型のベンツでした。最近はこういうのが増えている模様。棺は葬儀会場へ。数人の親族が同行。残りはしばらく後にそれぞれの車に乗って葬儀会場へ。会場はいわゆるセレモニィホールと言われるところです。前のとき(母方の祖父の葬儀ですが)は自宅での葬儀だったので、今回のような広い会場は設備も良くて綺麗ではありますが、なんだかこそばゆい感覚を覚えます。どこか嘘くさいというか。まず椅子に座って儀式が行なわれるということからして違和感を感じますね。楽は楽ですが、儀式なんだから楽してどうする!みたいな。う〜む、こういうところでの法事に参加するのが初めてだからそう思うのでしょうか。一般的なのかなぁ。布団を使ったりするとお金は取られますが、ここは家族風呂みたいな浴場もあって泊まることができる施設です(お風呂は無料)。しかし、待ち合い室には何にもないくせにお風呂にテレビがついているというのがどうも解せません(笑)。もちろん浴室の中にですよ。確かにお通夜の間に待ち合い室でテレビを見るのもどうかと思いますが、お風呂にテレビはイランやろって思いますね。あるいはクウェートに侵攻はイラクやろって(<それは関係ないやろ)。

 「通夜の儀」が始まる前に葬儀屋の人からいろいろ説明を受け、受付係は妹Y氏と従姉のT氏がすることに。記帳してもらったり、香典を受け取ったりする役です。そして私は香典のお返しとして焼香を済まされた人にお供養を渡していく係。そのうち親族も集まってきて午後7時の開式。お坊さんが入場されてお経が始まります。会場は100人以上は座れそうなところで葬儀屋さんのご好意もあって祭壇も豪華なものしてもらったのですが、親族は20人くらいで実際に焼香をあげに来てくださった方もそれほど多くおられたわけではなかったので、何と言うか、どことなく寂しさを感じるバランスの悪さも否めません。こういうセレモニィホールでのお通夜は初めてだったので、緊張しましたね。名前を呼ばれて焼香に向かう様は、まるで卒業式で卒業証書を受け取りに行くような趣でした。1時間で「通夜の儀」は終了。その後、故人を前に夕食。これがまた高い。一人前2000円もする握り寿司。量は少ないし、特別美味しいというわけでもないですが、そんなもんなんでしょうか。軽くビールやジュースや烏龍茶も飲んで、残る人は残り、一度帰る人は帰ることに。香典を一旦預かったうちの家族は祖母の家まで戻り、近所のラーメン屋で夕食を食べ直して就寝。何をする間もなく、すぐに寝てしまいました。だから全然通夜になってないのですけれども・・。明日は葬儀と告別式です。


(9/5) 一夜明けたら、布団からはみだして寝ていて寝起きがすこぶる悪かったです。ずっと焚いていた蚊取り線香の匂いのせいもあるかもしれません。煙系に弱いのです。起こされて目が覚めたのが7時頃で、準備をして祖母の家を出られたのが8時頃。9時には集合写真を撮る(葬式に写真まで撮るのだ)ということで慌て気味。それでもすぐに会場に着いて、父親以外の3人は近くのファミリィレストランでモーニングセットを食べました。コーヒーを飲んでようやく覚醒。それから9時が近づくにつれて会場には親族たちが続々と集合、そして待ち合い室を移動。しかし慌てたわりには写真は9時半からということでした(拍子抜け)。しばし休憩する一同。お茶を飲んだり、トイレに行ったり、話をしたり。写真は祖母の祭壇を背に親族が並んで撮りました。記念写真ですが笑うわけにもいかず、いまいち表情が作りにくいです。まぁそんなに悲しみにうちひしがれているわけでもないので(どちらかというと和やかムード)、笑っても問題はないでしょうけども。

 「葬儀」ならびに「告別式」は午前10時から始まり、お坊さんの衣装も豪華になっています。今度は通夜のときとは逆で、一般の方から焼香をあげていきました。初めのうちは親族の席に座っていましたが、一般の焼香が始まってからは会場の祭壇に向かって後方へ移動。もちろん再びお供養を渡す役として。この日は弔問の人も30人くらいに増えました。中には通夜と両方出て頂いた方も。一通り一般の焼香が済んだ段階で、弔辞の読み上げがあり、最後に親族の焼香がありました。葬儀が終わった後は、すぐに棺が手前へ出され、告別式へと進みました。棺のフタが開けられ、祖母に花を捧げます。これで顔を見るのも最後です。生前の祖母の姿をいろいろ思い浮かべながら別れを告げました。目の前にいるのに、祖母はもういないのです。解ってはいるけど不思議な感覚。その後、喪主から弔問に来てくださった方々への挨拶があり、親族一同はぞろぞろと退場。やっぱりなんだか卒業式っぽい。

 祖母の棺を男数人でベンツの霊柩車に載せ、出棺。合掌して見送りました。その後ろから親族も火葬場へ同行。ただし、お骨が帰ってくるまで、妹Y氏と従姉のT氏と私の3人は待ち合い室に残り留守番をしました。いただいた香典を預かっておく役割のようです。待つこと1時間半。12時半にはお骨ともども親族が帰ってきて、部屋を替え、さっそく「初七日」をしました。近頃は一緒にまとめてやってしまうんですね。お坊さんのお経を聞きながら焼香をあげ、最後にはお坊さんからのありがたいお言葉を聞きます。仏教だからといって別に宗教めいたお話をされるわけではなく、もっと一般的な故人に対する感謝の念を忘れてはいけませんよ、というようなことを上手くお話されましたね。さすがはお説教のプロです。

「故人が亡くなる前には看病などで迷惑をかけたこともあったでしょう。しかし、それよりもっと長い間故人はみなさんのために生きて来られた期間があったはずです。人間はともすれば5年10年の期間で物事を考えてしまいがちですが、故人の弛まぬ営みがあったからこそ、今日の自分があるんだということを忘れてはいけません。それに故人の姿は明日の我が身。自分もいずれそうなるのだということを忘れないでください。生きるということは死に近づくということであり無情のことではありますが、だからこそ今急がなくてはならない事柄は何か、ということを考えながら生きていけば、生きることの意味も解ってくるかもしれません」

正確ではありませんが、だいたい以上のようなことをおっしゃっていたかと。

 「初七日」が終わってからは待ち合い室で遅めの昼食となりました。料理は懐石風で一人前5000円とか。これはそれなりに量も品数も豊富でギリギリ納得できる値段でしょうか。食べ始める前には喪主からの挨拶があり、祝い事で「乾杯」にあたる「献杯」というものを初めてすることになり、みんな戸惑い気味。なにはともあれ食事は美味しくいただき、ほろ酔い気分にもなりました。もう少しで何のためにここにいるのかを忘れてしまうくらいの雰囲気だったでしょうか、お骨を前にして(笑)。食後は、料理を含めたこの葬儀屋(というか冠婚葬祭会社)のサービス内容に関してのアンケートに答え、着替えたり荷物を持って会場を後にしたしだい。持ち帰ったお骨や位牌や遺影は家の祭壇に据えられ、長い時間、兄弟間でいろいろなことについて話し合いがもたれていた模様。その間残った人々は別の部屋でテレビを見たりパンを食べたり、のんきなものです(笑)。午後5時くらいになり、祖父の兄弟にあたるおじさんをうちの車で京都駅まで送っていき、その帰りにシューアイスを人数分(1人につき1、2個)買って帰りました。そしたら別の家族がすでにアイスクリームを買って来ていてそれを食べていたため、みんなシューアイスはいらないと言う。う〜ん、考えることは同じということでしょうか。仕方がないので余計に食べました。それでも残っていたので、名古屋への帰り際に4つほど鞄に詰めました。京都土産を買って、新幹線に乗ったのが7時半頃。車内では眠ってしまい、またもや本は読めず。京都から名古屋まではノンストップのひかり号で、8時過ぎには名古屋に到着。本当に近いですね。大学でメールをチェックして、シューアイスをひとつ食べて帰宅。ぐったり寝てしまった水曜日でした。

 バタバタした2日間でしたが、費用のみならず葬儀にまつわるエトセトラの大変さをますます実感しましたね。子供が少なくなってきたこれからの社会では、葬式という儀式を行なうのがとても困難になるだろうということは容易に想像がつきます。おそらくだんだん規模が小さくなるか無くなっていく方向でしょうが、確実に言えることは、あの葬儀屋の従業員に一人可愛気な女の子がいたということです(<葬儀中に何を考えているのか!)。京美人ってやつでしょうか。今度葬式があったら声をかけてみようかなぁ(笑)<一生言っとけ!というか縁起でもないことを言うもんじゃありません。


(9/6) 思い出しましたが、昨夜は帰宅後に残っていたカレーでカレースパゲティを作って食べていました。そのことも忘れるくらい睡眠は深かったということでしょう。目覚ましにも気づかずに9時頃起床。のそのそと起き上がりコーヒーを一杯。しかしなかなか目覚めず、目は腫れぼったいまま。突然ですが、これからこの状態にある人のことをメガハレボッタイマーと呼ぶのはどうか(使う機会が少ないのが難点<というか使うことによるメリットもない)。なんてこと言ってるうちに時計の針は10時半を指し、直っていることを3%くらい期待したシャワーは相変わらず冷たく(苦笑)、これは本格的に壊れたことを確信。いよいよ修理を呼ぶ日が来たようです。ただし今日ではありません。明日でもないでしょう。湯沸かし器の修理を呼ぶにしても、家を留守にしない日がないのが難しいところです。

 11時頃に大学へ来ても、メガハレボッタイマーのまま(<無理矢理使おうとしてないか)、昼食までにできたのは実験装置を動かすこととメールのチェックくらい。昼食時に生協で並んでいる時、O田君に指摘されて初めて気づきましたが、着ていたカールヘルムの白いシャツの首元から胸元にかけてが、ほんのり赤く染まっていたのです(ショック!)。同じカールヘルムだからといって、横着して赤いTシャツと一緒に洗ったのが間違いでした。この分だと、他のシャツにも色染りしている可能性がありますね(不安)。ただでもらったシャツとはいえ、首元に付いている部分はパッと見、口紅に見えなくもないこともあってちょっとイヤ〜ン(苦笑)。人前では着れなくなりました。今後、この染みが落ちないようであれば、このシャツには寝巻き候補として降格してもらうしかありませんね(とほ〜)。そのショックのせいか(あるいは、メニューに魅力的なものがなかっただけか)昼食は、小ライス、納豆、味噌汁、ツナといんげんの和え物と少なめでした。

 ずっとほったらかしにしていて、すっかり出すのを忘れていましたが、H大学時代のスキー部OB総会の出欠のハガキをようやく出しました(“の”多用)。今年は創部30周年の記念総会でもあり、ぜひとも参加したかったのですが、開催日は運悪く10月の第2日曜だったのです。10月の第2日曜に何があるかと言えば、那古野コネクションオフです(笑)。その他の行事だったならスキー部行事を優先していたところですが、今のところ森先生関連のイベント最優先事項なのであります(にっこり)。たとえ森先生ご本人が参加されないとしても、森ミステリィゆかりの地や森先生が好きな仲間たちが集まる場にいる方が(スキー部の後輩たちには申し訳ないけど)楽しい時間が過ごせるのです。ということで、OB総会には欠席させていただくことにしました。広島までの交通費もバカにならないしね(去年まではバカにしていたが)。同じお金を使うなら、過去とのつながりを太くするよりも、未来にかけてみたいと思ってみちゃうわけ。ただ、OB会費は払いましたので、そこんとこよろしく(見てないだろうけど)。冬の中枝杯には参加したいと思っています。

 生協で「ダ・ヴィンチ」糸井重里氏の「インターネット的」を購入。森先生「奥様はネットワーカ」第17回を早速読みました。混迷を極めてきた感ありで、ますます目が離せないですね(離さないと他のことができないけど)。そういう状態のことをメガハナセニィと言うのはどうか。「これは次週もメガハナセニィ展開が目白押しです」というふうに使う(なんか津軽なまりになっただけのような気もするが)。ちなみに目が離せない度合をメガハナセニティと言う(言っとけ言っとけ)。

 夕食は、先日スイスから帰ってきたA原助手先生と二人っきりでした。いろいろ話を聞きましたが、スイス銀行という銀行は実際にはもうなくて、スイスの銀行全体のことを指して「スイス銀行」と呼んでいるらしいことや、そこに先生は口座を作ったことや(汚いお金を預けてもバレることがないのだ<汚いって言うな)、新鮮ではないけど寿司も売っているし目の前で握ってくれる店もあること、スイスでは冷蔵庫に食料品を入れたからといって安心してはいけないこと(カビがすぐ生えるらしい<チーズやヨーグルトでさえも)などが、へぇ〜と思ったことですね(<「へぇ〜」だけかよ!)。

 一日中曇り空の木曜日でした。台風がまた近づいてきているようです。いずこかに、なりをひそめる名月の、薄明かりにぞ夢を語らむ。秋ですね〜。


(9/7) 「つもり貯金」というのがあって、何々したつもりでその分のお金を貯金箱に入れていくという、類い稀なる自制心を必要とする崇高な行為ですが、残念ながら今までそんなことをした経験はありません。あることをしたつもりで貯金をしたとしても、結局はその後にそのことをしてしまう自信があるくらいです(自制心のない人間よのう)。むしろ、本気でやりたいこと(あるいは買いたい物)がある場合、それに向けてすべての生活をシフトさせるくらいの覚悟をします。だから必然的に、同じくらいやりたいことや欲しい物が複数存在するという状況は生まれにくいのです。ゆえに、それらのうちいずれかを我慢していずれかを成就させるということもありえないわけで。そもそも貯金をして我慢ができる程度の欲求なんて持たないのかもしれません。たとえば、旅行に行ったつもりで数万円を貯めるとか、豪勢な料理を食べたつもりで貯金をするということはできない人間なんですね。逆に旅行や料理のために貯金をするということはありえます。つまり目的のない貯金はできないということでしょうか。江戸っ子風に言うと「宵越しの銭は持たねぇぜ!てやんでぃ」。いや、それは話がちょっと違うな。「つもり貯金」も一応目的はありますからね。あ、ここまで書いて気づきましたが、「つもり貯金」はなにも複数ある同レベルの欲求の中からひとつを成就させるためにするものでもなかったかも。日々の生活の中で、ちょっとしたことを少しずつ我慢して、ある目的のために貯金していこうということで行なわれる場合もありましたね。いやいや、ちょっと待て。やっぱりそれは単なる節約じゃないのか?(笑) そうだそれは節約だ。「つもり貯金」はそんなネガティブな方向ではなくて、もっとプラス側に向いているような気がします。今ある生活の何を犠牲にするわけでもなく、最低限の生活基盤は確立した上で敢えて無駄遣いをした、と想定してその分のお金を貯めるという行為ではないでしょうか。ええと要するに(笑)、もともと収入の中に無駄遣いができるだけのポテンシャルがある人だけが、「つもり貯金」という行為ができるのではないかと思うのです。何かをしたつもりになれるだけの余裕があるということですね。言わば金持ちの道楽です。これは、トイレットぺーパの1回分の使用量を短くするとか、食事の品数を1品減らすというような、生活を切り詰める行為とは明らかに性格を異にします。ということはですよ、恐ろしいことに、「つもり貯金」ができないのは自制心がないからではなく、単にお金持ちじゃないからだという結論に至ってしまうのでありました(がーん)。

 などと、「つもり貯金」の構造を明らかにしたかったわけではありません(笑)。そんなものはどうでも良くて、言いたかったのは「つもり貯金」の逆方向バージョンも存在しうるということなのです。名付けるなら「つもり浪費」でしょうか。これはお金を貯めるのが目的ではなく、お金を浪費してしまったことに対する後付けの理由のようなものだと看做すことができます。たとえば、本をちょっと買い過ぎてしまったとします。あららこめ考えていた予算より1ヶ月あたり3000円のオーバです。さて、ここで登場してくるのが「つもり浪費」。余計に遣ってしまった3000円分の出費を、日常的に出ていく出費(家賃や光熱費など)に自分の中で割り当ててしまうのです。どういうことかというと、「その月はたまたま家賃が3000円高かった」と思うわけですね(なんというゴツゴー主義!)。家賃のように、割り当てる出費が動かしようのないものならより効果的で、諦めもつくことでしょう。これほど精神衛生上適した浪費の解決方法があるでしょうか(笑)。勘の良い方はお気づきかもしれませんが、9月3日の日記でバーステディテディを余計に買った分を「一緒に買った牛乳がたまたま高かっただけだ」とした心理的解決も、この「つもり浪費」の応用と言えますね(にっこり)。まぁ、自分を騙しているだけじゃないかと言われればその通りですが、完全に騙せたらしめたものです。自分では無駄遣いをした感覚がないわけですから。自分を騙す自信が無い方には、少し過激ですがもっと効果的な「つもり浪費」がお薦め。それは、浪費分に相当する物品を捨てるか再起不能なまでに壊してしまうのです。その物品を新しく買ったり修理したつもりでいれば、無駄遣い分はチャラってことになるでしょう? 部屋に物が溢れ返ることもなくなり一石二鳥と言えます。さあ、これであなたも今日から夢の浪費生活だ! どことなく詭弁っぽい話ですが(笑)。

 今日は睡眠時間が短かかったわりには早めに大学へ(と言っても午前10時半)。昼から夕方頃にかけては雨でした。午後4時頃一度家に帰り、荷物が届けられるのをうとうとしながら待っていました。過ごしやすくなったせいか、やたらと眠い季節です。待っていた荷物とはほぼ日刊イトイ新聞で注文した「ほぼ日永久紙袋3」です〜! 紙袋といっても実際は丈夫なナイロン製で、今までと同じ3袋で1セット。色は“白”と“ベージュ”と“濃紺”という内訳です。今度は肩からも下げられるようになってますます便利に(にこにこ)。おまけにはゴムフーセンまで付いていました。あと、永久紙袋を誰かにお裾分けするためのプレゼント用の紙袋(これは本当に紙袋)も付いていて嬉しい限り。おサルがとってもキュートです。

 荷物を受け取った後も少し寝てしまい、大学に戻ってきたのは午後6時前。夕食はT辺氏と二人。夜はのんびり読書。実験もこれからが大変だけどまぁまぁ進んでいて、快調の金曜日だったかな。


(9/8) ふふふ、あ〜なんだか気分えぇわぁ(にこにこ)。え、何がやって? イヤやわぁ、そないなこと言えますかいな、あんた。花も恥じらう今年25歳になる乙女でっせ。乙女ってのは嘘やけどな。あはは、まぁそない言うほどのもんやないって。これから言うけどな(笑)。えっと、ほら、冷凍庫って、ほっといたらなんや霜がごっつぅ成長しよってからに、鬱陶しいなぁ思うことあらへん? グラス冷やそう思て入れようとするんやけど、その霜が天井にもっこり引っ付いててな、もう、ちょっとどいてんかって感じやねん。そんな経験あらへん? まぁ、霜取りをちゃんとやっとったら、そないな苦労せんかてええねんけどな、そこはなんて言うの、霜だけに霧が無い(上手くない)、じゃなくてキリがないっていうか、どうせまた出てくんねやろみたいな諦めの境地っていうか、つまりどこで手ぇつけたらええんかわからへんの。そういうことあるやろ? ない? ま、どっちかてええんやけど、もっと、こう、霜取りサインみたいなん出してくれたら、取り易ぅなる思うんやけどなぁ、ホンマ。もしかして最近の冷蔵庫は霜もできひんのやろか・・。そうそう、グラス冷やす言うたかて、それでビールを飲もうとかそういうなんやないんよ。そりゃまぁ、たまたま誰かが家に来てビールでも持ってきよったらそのグラスに入れてやらんでもないけどやな、普段からそないな殊勝な心掛けしてますかいな。うちはこう見えても案外献身的な女性やないんやで。もともと女性でもないけどな。二度目はしつこいか?(笑) ま、ええわ。そいでや、なんでグラスをわざわざ冷やすんか言うたら、単なる収納なんよ。置き場所がないだけ。言うたら食器棚代わりやね、冷凍庫が。ほんでもって冷凍庫やから、しゃあなしに冷えるっちゅうわけや。だから冷やそう思て入れるっちゅう表現は不適切やったな。ちなみに他にはな〜んも入れとらへんし、氷すら作ってへんさかい、ホンマ、まったくの食器棚と化しとると言えるわな。しかも霜製造機能付きときたもんや。南門やないで。北門や。うっわぁ〜寒いな。寒冷前線停滞中や。それはともかくその冷凍庫を砂漠にでも置いとけば、空気中から貴重な水分を凍らせて取ることができるんかもしれへんけど、それかて結構な時間がかかること請け合いやから、大した機能やないわな。第一、電力確保が大変やわ。で、何の話をしてるんや?(笑)

 そやそや、気分ええ話やったな。あ、言っとくけど、上の話は全然どこも気分ええことないで(笑)。つまり、何も関係あらへんことを長々と言うとったっちゅうわけ。余談ていうやつ。だって他に書くことないんやもん(ぶりっこ)。まぁまぁ、堪忍したってぇな。気分ええ話はこれから言うさかい、な?(にっこり) それがひいては土曜日分の更新が遅れてしまった原因にもなってるんやから、人生はドラえもんやなあ・・って、ちゃうがな。ドラえもんがどないしたっちゅうねん。えーと、そうやなくて正しくは、わからんもんやなあ・・ってことね。あ〜あ、なんかくだらんことばっか言うてるけど(苦笑)、ようやく本題。気分が良くて、更新が遅れてしまったんは、何を隠そう、森博嗣先生の新刊「六人の超音波科学者」を読んでいたからです〜(にこにこ)。口調が変わってるけど気にせんといてな。とにかくそれをずっと読んどったさかい、日記どころの騒ぎやなかったっちゅうわけね(別に騒いでへんけど、なんでも大袈裟に言うんが関西人の性ってもんや)。そう、そして気分はもう、ほくほく星人。ほくほく星から地球にやってきたほくほく星人。でもって、宇宙船に乗って故郷に帰るとき、その中でも偉いほくほく星人は下っ端のほくほく星人に命令するわけ、「ほくほく星に進路を取れ」なんてね・・。くだらんな。えっと、実は、もうひとつ気分がほくほくしている理由があるんやけど、それは秘密。

 冷凍庫の霜のように、人はいつでも大切に育てているものがある。冷やし続ければどんどん大きくなるが、他のものが入る余地は減る。その冷凍庫の容積は人それぞれだ。かといって冷やすことを止めれば、いずれそれは落ちるだろう。そんな危うさをはらんでいるからこそ、人生は貴重で面白い。それに、古いものを落とさなければ育ってこないものもある。自分の冷凍庫の大きさはどれくらいだろうか。

 さて、天気の良かった土曜日は、お昼から少し出かけてました。まずは名古屋駅のJR高島屋に行き、三省堂書店で森先生の「六人の超音波科学者」「ミステリーDX」を購入。他にも買いたい本は講談社ノベルスをはじめとしていろいろありましたが、月曜日になれば大学生協でも買えるだろうとここは我慢(どうせすぐに読まないし)。その後合流して(誰と?)お茶を少し。それからすぐさま電車に乗ってM区の方へ。ここへ来るのは初めてです。小さな駅で降り、お見送り(誰を?)。あとは駅のコンビニで昼食とテディを買い(<ここに来てまで)、メインストリートっぽい道路を東へ歩きました。昼食を食べられそうな場所を探してです。しかし、天神というところまで歩くも適当な場所が見つからなかったので、そのまま引き返し、結局帰りの駅のホームでおにぎり1個を食べたのみ。残りは午後4時頃大学に戻ってきてから食べました。そうそう、届いたばかりの「ほぼ日永久紙袋3」の“白”をずっと持っての行動でしたが、使い勝手も評判(誰の?)もなかなか良かったです。

 夕食はまたしてもカレースパゲティ。今度は具なし(苦笑)。そして夜は前述の通り夜中まで読書。ワインを少し飲んでしまったためか、泥のように寝てしまいました。


(9/9) すっかり一日遅れの日記になってます。う〜ん言うなれば過去日記か。カコ〜ン(真似っこ)。ていうか日記は普通過去のことしか書けないのです。だからここは勇気を持って、もう月曜日になってしまったけども、過ぎ去りし日曜日のことを恥ずかしながらではありますが、今さら思い出しつつ、いくつかの項目についてかくかくかくかくごです。漢字で書くと、各斯く書く覚悟です(わかりにくい!)。ええと砕いて言うと(笑)、せいぜい、それぞれ次のように書いちゃうかもよ〜、という程度ですが(ゆるゆるやな)。

 昨日も書きましたが、午前中はずっと家で森先生「六人の超音波科学者」を読んでいました。まぁ日曜日だし、のんびりしてもバチは当たらないでしょう。天気はそこそこ良く、そのうち部屋の中が暑くなってきたので水シャワーを浴び(寒くても水しか出ないのですが<まだ修理頼んでなかったんか)大学へ。その段階では実はまだ「六人の〜」を読了していませんでした。エピローグだけを残して家を出てきたのです。いつまでも余韻に浸っていたいという思いからでしょうか、なんとなくエピローグはしばらくとっておこうという判断でした。もしこの状態のまま、不慮の事故か何かで死んでしまったら、もう読了できなくなってしまうんだなぁ、とふと考えたりしましたが(笑)、ここはぐっと堪えてもう少し後になってから読むことに。昼食には土曜日に買った残りのパン。実験の方もそこそこ進行。

 夕方というには陽が傾き過ぎていたかもしれない時間に、あることを思い出し田代本通経由(ローカル過ぎ)のバスに乗っての街へ出かけました。何か用事がなければ出かけられない質なのです(普通?)。無目的に街をぶらぶら歩くことはできません。どことなく不安を感じるのでしょうか。最近でこそ服にお金をかけるようになったので、服を眺めて回ることに苦痛を覚えなくなりましたが、それでもやはり、最終的に購入する気がある場合のみですね。もちろん購入するのはその日じゃなくても可。つまり、梅干しを漬けといて、次に来た時には酸っぱい梅干しを手に入れることができるという寸法・・じゃなくて(笑)、目星を付けといてですね、次に来た時にその服を購入するという方法もありだということです。これぞ目先のものには捕われずに確固たる目的を持って行動している分別ある大人であることの証拠とは言えないでしょうか!(にこにこ) ちなみにバスの中で「六人の〜」を読了しました。エピローグが案外短くてあっという間でしたが(笑)。

 で、その日に思い出した目的は何だったかというと、DVDです。少し前から次に買うならこれだなと目をつけていた「ザ・セル」なのです。森先生も買われていたやつですね〜。目的はこれのみでしたが、映画「FINAL FANTASY」のエンディングテーマをラルクが歌っているのを知り、その曲を試聴。日本語版と英語版があるんですね。シングルは買わないかもしれないけど、その曲も収録されている映画のサントラは買うかもしれません。「ファイナルファンタジー」で音楽と言えば植松伸夫氏ですが、残念ながら映画のコンポーザは向こうの人のようです。まぁ何十時間も聴くゲーム音楽と一度きりの映画音楽ではスタンスが違いますからね(想像ですが)。それはともかく、「ザ・セル」ですが、とにかく映像が素晴らしかったですね。空想の世界というか頭の中の世界という条件を際限なく活かしています。まさに何でもあり。監督がターセムという名前だけでファミリィネームがないので不思議に思っていたら、インド出身でしたか。なんとなく納得。インドならなんでもありそうだし(偏見か)。このように家でもDVDが観れるようになったのは、あいぶっ君のおかげですね。よきかな。特典映像なども観てしまい就寝は夜遅くに。

 そうそう、実は帰宅してから夕食にカレーライスを食べようと思っていたので、まずお米をといで炊飯器にセットしていたのです。それでご飯が炊けるのを待つ間、「ザ・セル」の鑑賞をしていたわけ。そして鑑賞後、もう炊けただろうから残っていたルーだけのカレーを温めようと台所に向かった時、なにげなく炊飯器のフタを開けてみました。そしたらがーん! 湯気とともにそこに現れたものとは、お湯に浸かっただけのお米だったのです。くっそー保温しただけかよ! これからまた1時間も待ってられなかったので、夕食は諦め(苦笑)、炊飯器のスイッチを入れて布団に入ったしだいです。


(9/10) そして朝起きたら、今度は無事ご飯が炊けていました(笑)。外は台風の影響か雨模様の月曜日。朝食にはカレーライスを食べ、自転車に乗らずに、徒歩で傘をさして大学へ。着いた頃にはズボンの裾と靴の中がびしょびしょです。確かに風は吹いていましたが、それほど強い風雨でもないのに意外と濡れてしまう足元です。ていうか、雨の日は昔から人一倍足元を濡らしているような気がします。特に靴への雨の侵入が顕著。靴の素材が水を通しやすいのはもちろん原因のひとつですが、それ以上に影響を与えているのはどうも歩き方だと思うのですが、いかがでしょう?(って訊いても仕方ないけど) 断っておきますが、雨が降ったらはしゃいで自ら水たまりに足を突っ込む、子供のような真似をしているわけではありません。いたって普通の歩き方をしているはずです。少なくとも端から見れば、スムーズな直立2足歩行をしている点においては、ブラッド・ピットと瓜二つと言って良いでしょう。あるいはちょっと疲れたキアヌ・リーブスに見えるかもしれません。それがですよ、なぜに靴が濡れるのか。疑問に思って、雨降りの日に歩いている時の自分の足の運びを観察したことがありますが、その時は全くと言って良いほど濡れていませんでした。まぁ、部屋の中を歩いていただけですが(叙述トリックか)。もちろん外を歩いている時も観察したことがあって、どうやら足を前に出す時につま先についた水滴が跳ね上がり、ちょうど足の甲の辺りを濡らしていくということが判明しました。この度合いが人より高いから多く濡れてしまうのでしょう(ちゃんと比較したわけではありませんが)。ええと、つまり歩くときに足首のスナップ(?)を利かせ過ぎということでしょうか(笑)。そうか、ということはブラッド・ピットやキアヌ・リーブスも足首のスナップが強いということ?(<それは違う!) う〜ん、このスナップ力をただ足元を濡らすだけに使うのはもったいない気がしますが、今のところ他に有効な使い道が思い付かないからなあ・・。

 昼食は質素に294円。午後は修士論文中間発表会の練習会が催され、いろいろとコメントや質問などが多発。本番は3日後です。M2の方々の健闘を祈ります。その後、北部生協に行って書籍と食料を購入。またまた本が増えました。具体的には「子供の科学」高田嵩史氏の短編集「試験に出るパズル」森先生の解説付ですね〜)と舞城王太郎氏の「暗闇の中で子供」(1作目をまだ読みかけなのに2作目購入とは)と、清涼院流水氏の「Wドライブ 院」です。とりあえずはこれだけ。しかし、まだまだ読みたい本はあるのです。きっと近いうちに購入することでしょう(予言)。

 読みかけの本の数では負けていません(誰に?)。古いところでは「ソフィーの世界」なんてのが半分も読まないまま眠っています(苦笑)。もちろんハードカバー。最初は面白かったんですけどね。ハードカバーでは他に、アガサ・クリスティ「マン島の黄金」とか、筒井康隆氏の「エンガッツィオ司令塔」とか、「数学的経験」とか、瀬名秀明氏の「八月の博物館」などがあります。ノベルスや文庫にいたっては、もういちいち挙げてられないぐらい(苦笑)。特になかなか読み進まない(一度読んだだけでほったらかしの本よりはましだけど)のが「ライ麦畑でつかまえて」でしょうか。文体も何でもない話も好きなんですけどねぇ、なぜか未だ読了できず。インターバルが長いと、だんだん話の内容を忘れてしまうから余計に時間がかかります。たぶん、本を買い過ぎるのが原因でしょう。買った本はちょっと読みたくなって読み出すんだけど、そのうち新しい本をすぐに買ってしまうから、またそっちを読みはじめてしまって・・ということの繰り返し。分かっちゃいるけど止められないんですよね〜。ひょっとしてコレクションの対象になっているのでしょうか、本が。しかし、恐ろしいのはそのうち専門書が占める割合が10%にも満たないということです。大学で何やってんだ?

 夕食は理系カフェテリアで済まそうと数人で向かったのですが、建物に電灯が点いていないじゃないですか。営業時間内なのに。ここで北部生協で見た貼り紙を思い出す。確か台風の影響を考慮して、職員の安全のために臨時閉店するかもしれないという内容でした。つまり、みんな早退したってことですね。とほ〜。仕方がないので部屋に引き返し、ピザを注文することに。台風でもデリバリィをやってるようです(稼ぎ時と言えば稼ぎ時だけど、偉いなあ)。日本一大きいらしい直径45センチのピザを6人で食べました。それが7時半くらい。それから9時まで読書して、いざ帰ろうとしたところ学部生が部屋にやってきて、試験問題(レポートとして再提出らしい)のことで質問してきました。部屋には自分一人。しかもそんな問題今まで見たことないし、いや〜ん。しかし、むげに断るわけにもいかないので、しばらく一緒に悩み(悩んでんのか)あれこれ考え、どうにか、解答が導き出せそうな方法を伝授することに成功。正解かどうかは自信がないけどね☆(<星でごまかしてもダメ!)。彼のレポートが受理されることを祈ります。

 そんなことがあったので予定よりも1時間遅くの帰宅となりました。帰りも徒歩。台風が東側にいるためか、風雨はそれほど強くなく、台風らしい光景と言えば、道路の交通量が少ないということくらい。ちぇっ、またしても外れかよ(当たってほしいのか)。ひょっとして名古屋って台風が直撃しにくい地理的条件にあるんでしょうか。


(9/11) う〜ん、これといって書くことがないなあ。何も無さ過ぎる。漢字を飛ばして読むと「もさぎる」(だから何?)。とか無意味なことを書いてるのがその証拠だ(笑)。仕方がないのでまずは天気の話題から。

 台風一過で天気の良かった火曜日。吹き返しの風が心地よかったですが、昼間は少し暑いくらいでした。こんな日は洗濯物を干してくれば良かったなぁと後悔させられますね。干すべき洗濯物はなかったけど(ないんかい)。見上げる空はどこまでも高く、見下ろす地面はすぐそこに。ええと、つまり「自分より上の立場にいる人のところには手が届きそうな気はしないのに、逆に下からの突き上げはひしひしと感じている大学院生の悲哀」を歌った詩でしょうか(詩だったのか)。秋ですね〜。

 大学に来てからはそれなりに研究活動をした結果、「彼女は存在しない」を読了しました(つながってない)。これは、うん、面白かった(この「おもしろかった」を変換すると最初に「尾も白かった」と変換されるんですけど、こういうくだらん変換はいつまでも覚えているのね>ことえりちゃん)です。後半は寒気を感じましたね。浦賀和宏氏の作品はどれも、比較的狭い世界の中で展開されているような印象があるのですが、それはやはり、森先生の言葉にもあるように「浦賀和宏の世界は確かに浦賀の内にある」からでしょうか。素敵に暗い作品群だと思います(笑)。

 あ、そうこうするうちに、ほらほら、だんだん思い出してきました(前もこういうこと言ってたな)。10月のはじめに、主に理学部の学部生や理学部以外の学生向けに催される、毎年恒例の学外セミナがあるのですが、その巡検先でちょっとした余興として(と言ったら語弊があるけど)行なうかもしれない実験の予備実験を、夕食前に行ないました。その実験とは自動車の排ガスをビニル袋の中の水に溶かし、その溶液のpH(ペーハー)をpHメータという機器で測定しようというものです。というわけで暗い中、駐車場に行き、ある学生の自動車を使って実際にやってみたというわけです。その結果、排ガスが溶けた溶液は弱酸性を示し、さらに、そこに岩石の粉を入れることによって中和するというところまで確かめられました(完全ではないけど)。これで上手くいきそうだということは判りましたが、目で見て劇的に変化するわけではないので、いまいち感動が薄いというのが難点でしょうか。ある程度見せ方の工夫が必要かもしれません。

 携帯電話は紆余曲折あって(やらせくじを引いただけですが)現在J-phoneを使っています。で、そのサービスの中にJ-skyステーションとかいうのがあって、ニュースとか自分がいる場所に応じた情報などが、お節介にも勝手に携帯に降ってくるサービスです(暇つぶしにはなるかな)。実際「メインリスト」の中で、役に立ちそうなコンテンツは天気予報位置情報(自分のいるだいたいの住所がわかる)くらいでしょうか。と言っても、山の天気が知りたい時とか、知らない土地に連れていかれた時など、一番情報を必要とするそういう時に限って、そこが電波の届かない場所である可能性が高いのであまり実用的であるとは言えませんね(笑)。というかそれ以前に電話が使えない。その他占いとか、グルメガイドとか、百貨店情報とか、いろいろコンテンツがありますが、それらメインリストの中にあるコンテンツのうち、気に入ったものを登録しておく用だと思われる「マイリスト」なるフォルダみたいなものもあります。そこにはまだ何も登録していません(する気もない)。ただ、初期状態で「緊急情報」という項目があららこめ登録されていました。そしておそらくこれは削除ができないものだと思われます。で、その中を見てみても、いつも「情報はありません」と言われる(<実際に言われるわけではなくてディスプレイに表示されるという意味<そんなこと今さら説明せんでも)ばかりでした。だから集中豪雨とか、地震とか、殺人犯がうろついているとか(うわっ)、貸した金が戻って来ないとか、シャワーが水しか使えないとか、浮気がばれた時とか、よっぽど身近に危険が迫っている状況じゃないと情報が提供されないのだろうと思っていました(笑)。がしかし、つい先ほど(午後11時前)その「緊急情報」に情報が入ってきて、何も操作していないのにその内容が表示されたのです。その内容とは「ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機が衝突した」というニュースでした。うっわ、そりゃえらいこっちゃな。でも、そんなわけないやろー、な〜んて思っていたら数十分後、「続いて国防総省にも航空機が激突」というニュースまで届き、なんかちょっと嘘くさく感じてしまったのですが、エイプリルフールでもないですし、いくらなんでもそんなデマは流さないかなと思い直したしだいです。しかし、今現在まだ何も確認していないので、本当のところはわかりません。本当だとしたら今頃テレビでも大騒ぎなんでしょうね、きっと。まぁ、確かに組織的な犯行の匂いがする(まったくの憶測です)一大ニュースかもしれませんが、それって「緊急情報」に送ってくるようなものか? ということが言いたかっただけです(そのために長々と携帯電話の話をしていたのか)。もしかすると、そんなニュースは全部嘘で、こうやって話題にすること自体が踊らされていることになっている、という可能性も半分くらいは見ておいた方がいいでしょう。


(9/12) 世界中がグルになって自分を騙している可能性は極めて低いので、あの大惨事は本当なんだと認めざるを得ませんが(この期に及んでまだ信じていないのか?)、やはり映画だったらよかったのにと思いたくもなります。今のCG技術を使えばあれくらいの映像は作れるんじゃないかとか、考えてしまいます(でもやっぱりリアル過ぎですが)。ただ、映画でもあそこまでの惨事を描くことはおそらくないでしょう。そんなことあり得るかよ、と一笑に付されるのがオチです。それくらい想定外で出来過ぎの犯罪だと思います。ミサイルの代わりに航空機が使われ、たとえそれがビルにぶつけられると判ったとしても、乗客のことを考えると手が出せないわけですから。恐ろしく狡猾で卑劣な計画です。ビルなんてそこら辺にあるし、飛行機だってそこら中を飛んでいます。もし自分がビルの中や飛行機の中にいたとしたら、と想像するだけで鼓動が速くなりえも言われぬ恐怖感を感じてしまいます。

 昨夜、帰宅してテレビを点けてみると、さらにビルが崩壊している映像を目にし、ただただ唖然でした。あんなにもろくも崩壊するものかと。笑ってしまうくらい綺麗にタワーがなくなっているではありませんか。解体工事のように。あれじゃまるで清涼院流水氏の「カーニバル」の世界ですよ。もしくは「アルマゲドン」。救助のためにビルに上がっていたであろう、多くの消防隊員や警察官までもが巻き込まれてしまったことに無念を感じずにはいられません。直接自分とは関係ないところでの出来事とはいえ、アメリカであれほどまでの被害が出てしまうということに非常にショックを受けました。人間の仕業だけにやりきれなくなります。そして繰り返し流れるテレビの映像に釘付けになり、明け方まで眠れませんでした。人間の恐ろしさと、弱さと、ずる賢さを痛感し、その場に居合わせた人々の不幸と、居合わせることなく平和な朝を迎えた自分の幸運を感じながら、束の間の眠りに落ちました。そう言えば台風はどうなったのか、なんて思い出す余裕もなく。

 さて、これ以上この件に関して書いても自分が面白くないし、意味がないと思うのでできるだけ控えますが、テロリストたちにはひとつだけ言っておきたいことがあります。それは・・、「正しいテロってのは、こういうことだ!」<それもどうかと<っていうか解る人ってあららこまーだけでは?

 夜更かしをしてしまったので、午前9時に起きても鼻がつんつんして眠くてたまりませんでしたが、体力を振り絞って大学へ。ぜーはーぜーはー、と息を切らすこともなく(ないのか)大学に到着した後は、特にテロ事件のことを口にすることなしに普通に研究活動。でしたが、昼食のときはやっぱり話題に上りますね。話さずにはおれないって感じ。話のネタにはもってこいの話題ですが、明日は我が身とも限らないので、笑い飛ばすこともできずもやもや感は残ります(自分だけかもしれませんが)。午後もあまり集中できなかったなぁ。

 今まで黙っていましたが、実は今日の昼食と夕食で、メインおかず(発音は「メイノカズ」だ)が一緒でした(今日のことかよ!)。甘酸っぱいタレのかかった鰯の南蛮漬けです。鰯の下には申し訳程度のレタスの切れ端が敷いてあります。理由は判りません。H大学の北1生協の春巻きの下に敷いてあるキャベツと同じく、滑り止めの役割を果たしているのでしょうか。しかし、南蛮漬けの入れ物は淵が盛り上がった金属製の皿で、鰯が滑ってこぼれる可能性は低くく、特に滑り止めが必要だとも思えません。だとすれば、彩りでしょうか。たぶんこれが一番ありそうです。ただ、なぜレタスでなければならないのかは、依然として謎のままですが、そんなことで悩んでいてはいけません。別に悩んでもいません。そしてオチもありません(が〜ん)。

 明日は修士論文の中間発表会があります。うちの講座ではY下君とK村さんが発表する予定。順番は午後の初めと終わりみたい。聴く方としてはどっちかにまとめてもらいたい(わがまま!)ところですが、氏名の50音順なので仕方ないですね。健闘を祈ります。


(9/13) 毎日毎日文章がくどい!とお嘆きのあなたに送る(笑)、あっさり日記〜。

《あっさり日記の「あ」》

 あの事件のことは今日の朝になっても、まだまだ大きなニュースとして扱われていましたが、少しは落ち着いてきた感じ。ラジオでもレギュラコーナはやるようになりました。それにしても、あの映像が全世界に流れたというだけでテロリストたち(テロリストの仕業だとしてですが)の思うつぼなんじゃないでしょうか。もちろん、それを興味津々に見てしまう自分が一番踊らされているのですが(苦笑)、やっぱり気になるよねぇ、ミニモニ。のカップリング曲(そっちかよ!)。10時半頃大学へ。

《あっさり日記の「っ」》

 っていうか、これって単なる「あいうえお作文」なのでは?という疑問をお持ちの方もおられることと思いますが、どうかお気になさらずに。大学に来てからは実験を進め、昼食は生協食堂で控えめに294円(安っ)。メインに取るものがないときはこんなもんです。それでも小ライス豆腐ハッシュドポテト味噌汁酢の物で、品数はわりと豊富。豆腐が豆腐に豊富な豆腐の絵を描いた(何を言うか)。

《あっさり日記の「さ」》

 さて、午後になりうちの専攻の修論論文中間発表会(実は朝からやっていたのだけど聴く義務はないので)を覗きました。と言ってもK村さんの発表を聴き終わったところで会場から外に出て・・どころか大学からも外に出て秘密活動(にこにこ)。当初は、順番が最後のY下君の発表の時間(4時くらい)までには戻ろうと思っていたのですが、結局大学に戻ったのは6時頃でした。マツザカヤストアで買い物までして来るという有り様です(笑)。まぁ、Y下君には悪いけど、そんなものよりも大事なものが世の中にはあるってことだ(<後輩をそんなもの呼ばわりか!)。などと、わざわざ自分から大学にいなかったことを吐露してしまうのはいかがなものか、と思わなくもない。トロ〜ン。脂の乗ったマグロの半魚人のことをトローン人間と呼ぶのはどうか(<思いつきで書かないように)。

《あっさり日記の「り」》

 りんご(<そんな書き出しありか)。は買いませんでしたが、マツザカヤストアではカレー用の材料諸々と、バースデーテディを買いました。まあまあの数が置いてあります。ジャスコに行くよりは断然こっちの方が近いので、今度大量にテディを購入するときはこっちに行くことにしましょう。ちなみに今日は訳あって、自転車には乗らずに行っていたので、もちろん徒歩の南果歩(<しょうもない韻を踏まないように)。それはそうと、段落ごとにくだらないこと言って、全然あっさりしていない人はだれ?(笑)

《あっさり日記の「日」》

 日が暮れるのが早くなり、夕食どきには外は真っ暗。家に帰ってカレーを作るつもりではいたのですが、実験が長引きそうだったためそれは諦め生協へ。しかし、自分のことだからカレーはきっと夜食に食べるだろうと推測し、夕食は昼よりも少なめの252円に抑えました。その後、実験してメール書いたりしてたら夜中の12時前。もうだらだらと日記を書いてる時間はない。書く内容は淡白にならざるを得ない。ということで書き始めたこの「あっさり日記」でしたが、途中で眠気に襲われ、更新できずに机で寝ること3時間(苦笑)。気力で目覚めたものの、まぶたは重く体はふらふらです。予定外でしたが実験を少し進め日記は諦め、即帰宅。当然カレーも作ることなく布団の中へ。

《あっさり日記の「記」》

 記憶に夢の欠片も残っていないほど、とにかく寝過ぎ。死んだように眠って、目が覚めたのは翌日(14日)の午後1時。今週の寝不足分を一気に取り戻したという感じ。「寝る子は育つ」と言いますが、特に自分が成長したようには思えません(むしろ逆行しているとさえ感じるなぁ・・苦笑)。やはり育つのは子供の時だけなんでしょうか(しみじみ)。現在一日遅れでこの日記を書いています。せっかくその日のうちに日記を書くリズムになろうとしていたのに、実にあっさり一日遅れ。これがほんとの「あっさり日記」(オチもあっさり)。次は「こってり日記」にしようかな(しないけど)。


(9/14) もう諦めて、いっそのことずっと一日遅れの日記にしてしまおうかと思い始めている現在は、本当は9月15日敬老の日の午後ですが、さも14日に書いたかのように以下の文章が書かれていることを、あららこめご了承ください(そんなことばっかり言ってる)。

 人の運命とは、いつどうなるか判らないものです。もしあの時あそこにいなければとか、もしこっちの道を選ばなかったならとか、後になって自分が通ってきた道を振り返り、他の可能性についてあれこれ検討してしまうことが往々にしてあります。そう、もし高校の先生にH大学を進められなければ、東広島市にある八本松駅が「山陽本線で一番標高の高い駅」であることを知ることもなかったでしょうし、スキー部の先輩から森博嗣先生の名前を聞くこともなかったでしょう。そして同期のK藤氏に森先生のホームページが存在することを教えてもらわければ、そのファンクラブに入ることもなかったかもしれません。そうなると、N大学の大学院を目指すこともなく、未だにH大学でくすぶっていた可能性も考えられます(今も充分くすぶっていますが)。おそらく、森先生の存在を知らなければ決して出逢うことのなかった人たちも沢山いることでしょう。そういう数々の選択を経てきた上に成り立っている現在の生活は、いわば大きな木の無数にある枝葉の中のひとつにしか過ぎないということは誰もが認めるところだと思います。したがって、逆に言えば、現在に至る選択肢を選んできたことによって当然出逢わなかった人たちもいるし、逃してきたチャンスもあるはずです。昔の人も言っています、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、花粉症には苦しまなかっただろう」と。違いますか? そうですか。だからと言って、あの時に戻ってやり直せたらなあとか、そういった後ろ向きの幻想を抱いているわけではありません。別の道を今の道と比べることはあまり意味がありません。また、どう転んでも同じような道を辿ることもあり得るでしょう。H大学に行かなくても森先生のことはどこかで知ったかもしれないし、就職して名古屋に来ることになっていたという可能性もあります。「僕たちはこうなる運命だったんだ」なんて恥ずかしいこと言う人もいますが、それはまぁ暗黙の了解みたいなもので、単なる思い遣りでしょう(ただしそれが大事だとは思う)。いずれにしても、人生において明暗を分ける瞬間や、一寸先は闇という状況は結構あるものです。今日という日も、まさにそういう日だったと言えるでしょう。

 昨日も少し書きましたが、今日は昼過ぎまで寝ていました。ただし、実は一度朝に目が覚めた時があって、その時はかなり激しい雨が降っていたのです。ああ、今日は雨かぁ、歩いて大学に行った方が良いかなぁ、と思った記憶もあります。でも思っただけ。結局再び深い眠りに陥ったことは先刻ご承知の通りです。そして昼過ぎに目が覚めた時には雨は上がっており、濡れることもなく悠々と自転車で大学へ来たしだい。まぁこれは良いでしょう。寝坊が良い方に転がったと見るべきです。問題はこの後。大学に来るのが遅れたせいで、まず昼食を食べ損ねます。前日の夕食が少なめだったのでお腹の空き具合は桑名マイカルの映画館の客席並みに。しかし、今日〆切の書類を事務に提出するためにちょろちょろっと書いたりしてたら午後3時。実験もあったのでそちらに時間を費やしていたらすでに午後5時。そしてようやく昼食の調達に北部生協へ向かうことができたのです(夕食前でしたが空腹には勝てず)。食料だけでなく、本も見たかったのでちょっと離れた北部生協に行ったのですが、そのときはまだ曇り空で、すぐ戻ってくるつもりだったし、邪魔になると思っては持って行かなかったのです。京極夏彦氏の超分厚い文庫版の「鉄鼠の檻」などの本を買い、食料も購入(めぼしい物がなかったので結局お菓子だけでしたが)して、さあ帰ろうと外に出たときです。雨が降っていました(が〜ん)。まさかすぐ降るとはね。なんという運命のいたずらでしょうか(笑)。傘がないので仕方なく走って帰ってきましたよ(とほ〜)。入れ違いでM助手先生に会ったのですが、悔しいかな先生はしっかり傘を持っておられましたね。まさに建物を出た数分の差が明暗を分けたと言えるでしょう。そう、そこが運命の分かれ道だったのです(それが言いたかっただけか)。

 しかも、午後6時頃、夕食に向かうときには雨が上がっていたとあっては、なんだか悔しさ倍増です(苦笑)。ちなみに夕食は昨日にも増して(減らして?)安く、220円で済ませました。今日こそはカレー作るぞ、という決意の現れです。

 夜は実験器具の洗い物などをこなしつつ読書。読んでいたのは高田崇史氏の「試験に出るパズル」。森先生の解説が読みたくて一心不乱に読み進めております(笑)。もちろん本文も面白くて、サリンジャーのような文体が好き。帰宅後、カレーライスを作りました。久々にジャガイモも入れ、焦がすことなく美味しく仕上げることができました。もちろんニンジン入りです(にこにこ)。それを食べて、「試験に〜」の続きを読んで、結局日記は書かずにそのまま就寝。雨読日和の金曜日でした。


(9/15) 降るか降るかと思われていた(誰に思われていたかと言えば自分だ)雨も降らなかった頑張り屋さんの土曜日。一部地域では土曜日は昔から我慢強いことが知られています(嘘です)。今回もすでに日付けが変わり、一日遅れで書いているので実際はもう日曜日です。えっと、つまり、言いたかったのは、土曜日は去ったデーということでした(のっけからくだらんな)。

 さて、そんな土曜日は何の日だったかというと、ご承知の通り敬老の日です。養老の日ではありません(間違わんって)。養老の滝というところがあって(もちろん居酒屋ではなく)、立山に登る途中でバスの中から見たことがあるような気がしますが、ひょっとしたら間違っているかもしれません(自信なし)。立山と言えば夏スキーで有名でもありませんが、空気の薄いところでスキー板を担いで登っては短い距離を滑って降りたことを思い出します。上の方は夏でも雪が残っているのです。国立公園に指定されているのでリフトもありませんし、ゲレンデが整備されているわけでもありません。ロッジの近くで雪がついている手頃な斜面を使って、歩いて登ってスキーで滑るということの繰り返し。一体何が楽しいのでしょうか(笑)。いや、そのときはきっと楽しかったのです(酸欠で苦しくて涙が出たけど)。雷鳥も見れたし。もう一度行ってみたいところではあります。ただ、夏スキーをするなら今度は月山(がっさん)ですね。っていうか敬老の日はどこへ?(笑) ええと、そうそう、「敬う」と「養う」では全然意味が違ってきますね。「敬う」の方は高尚な響きがありますが所詮気持ちの問題で、「養う」の方は気持ちはともかく実行が伴うぶん実用的ではあります。おそらく、これからの高齢化社会においては、いかにご老人を敬っているかではなく、どれくらい養っているかという点が重要になってくるでしょう。冗談ですよ。

 今日は午前7時くらいにはラジオで目覚めたのですが、ついゴロゴロしてしまって結局家を出たのは12時前、「人生相談」のコーナも終わってからのことでした(<判る人が何人いるのか)。きっと睡眠の秋なのでしょう(<言い訳に秋を使わないように)。大学にやってきて洗い物をしつつ、昨日の日記を書いたり(笑)、読書をしたり、比較的有意義な時間を過ごせたでしょうか。休日は静かなもんです。しかしそんなことお構いなしに、指導教官には実験を急かされて、ちょっといや〜ん(苦笑)。まぁ自業自得なので素直に返事はしましたが、はたして結果はどうなることやら。本当に今日は敬老の日なんでしょうか。休みなしですな(先生がね)。

 今まであまり書いてこなかったことですが、小学生のときからテレビゲームはよくやってた方で、一番最初に遊んだのはファミリーコンピュータの「ドンキーコング」だったと思います(懐かしいな)。素朴ながらも充分楽しんでいました。ほんの十数年前のことです。その当時に比べると現在のゲームの発展は物凄いものがありますね。映像も音も豪華になって、臨場感溢れるものばかり。でも、それが凄いと感じられるのは素朴な映像と音しかなかった時代を知っているからで、いきなり現在のような豪華なゲームに触れる子供達はそれが普通と認識してしまいかねません。制作者側にしたら歯がゆさを感じるのではないでしょうか。せっかく作っても驚いてもらえないわけですから。まぁいつの時代もそんなことの繰り返しなんでしょうけど。テレビがなかった時代の人から見たら、生まれたときからテレビがあった人たちのことが贅沢に見えるでしょうし、チャンネルの切り替えがリモコンじゃなかった世代と、すでにリモコンになっていた世代との間にもそういうギャップがあるでしょう。何ごともどんどん発展していくことを善しとする社会ですから、それはそれで仕方がないことかもしれません。とはいえ、ゲームに関しては単純にそういう発展が良いのかどうかは少し疑問に思っていて、ゲームの面白さというのは「ドンキーコング」に集約されるとさえ思っています。そういう意味でプレイステーションが嫌いなんです(笑)。今までに買ったゲーム機と言えば、ずっと任天堂のものばかりで、頑固なまでのエンターテインメントに対する姿勢には共感できるところがあり、好きなメーカのひとつですね(京都の会社だし<これがウエイト高し)。ということで、もちろんNINTENDO 64も持っていて結構遊ばせてもらいました。はっきり言って子供だけに遊ばせておくのはもったいないでしょう。実はプレイステーションも借りて遊んだことがありますが、そのときの印象があまりにも悪かった(個体差かもしれませんが)のがいけません。それ以来買う気にはなれませんでした(トラウマか)。あ、これって食べ物を嫌いになる仕組みに似てますね(笑)。ま、それはともかく、最近は時間がなくすっかりゲームから離れた生活をしていました。

 さて、それが、ここにきて、いよいよって感じですよ。PS2にも動かなかった食指が動かされる物が発売されたのです。その名も、「ザ・三・7・10人祭」<ってDVDかよ!というかゲームの話はどこへ? シングルは持っていないので見つけてからは迷うことなく購入しました。ええと正直に言うと狙いは三人祭だけなんですが(笑)、ビデオクリップもついて、おまけに7人祭と10人祭が付いてくると思えば安いもんです(<おまけって言うな)。で、早速観てみたところ、やっぱり三人祭が抜きん出てますね(にこにこ)。10人祭なんて、誰が誰やら判りません(特にメロン記念日の人たち<結構判ってるのでは?)。100回は観ようぞ。

 話を戻してと。ゲーム生活から離れていた中、いよいよ発売されたものとは、任天堂のGAME CUBEです。これは久々に心引かれます(マックでG4Cubeが買えなかっただけに<そんな理由でか)。またゲームをしても良いかなと思わせる魅力が感じられますね。というわけで、夜になってショップに行き、ちょっと見てきたのです。売り切れているかと思ったらまだ在庫はある模様。そのときは見ただけでしたが、近いうちに買っちゃうよ、たぶん。その後、手ぶらで帰るのもなんなんで、三洋堂書店に寄り「ザ・三・7・10人祭」を見つけて買ってきたというわけです(笑)。


▲次のページを読む(9月の後半)
▼前のページを読む(8月の後半)
★目次に戻る
Go Home日々これ勉強