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日々これ勉強(2001年3月の後半)

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厚底3月(の後半)

(3/16) 基本的に医者が嫌いです。正確に言うと病院が嫌いです。怪我をしたときなんかは仕方なく行くこともありますが、それでもよっぽどの怪我をしない限り病院には行きません。それに薬も滅多に飲みません。小さい頃は喘息持ちで病弱だったこともあり病院には縁があった方で、薬もかなり飲んでいましたが、それがどれだけ効果あったのかは疑問です。最近の事情は改善されているのかもしれませんが、今でも薬が病気を治してくれるなんてのは幻想だと思っています。第一、病院なんて病人のたまり場じゃないですか。そんなところへ行ったら健康な人でも風邪をひいてしまうこと請け合いですよ。みんな本当に健康になりたいと思っているのでしょうか。まあそういうイメージを持っているというだけの話で、別に医療関係者に恨みがあるわけではありません。美人の看護婦さんがいれば喜んで病院に通いますし(笑)。病み上がりで、ちょっとディフェンスが下がり気味か。

 小さい頃と言えば、小学生の頃のことでたまに思い出すことがいろいろあります。たとえばそれは道徳の時間に書かされた人権問題についての作文など。今となっては道徳の時間に一体何を習ってきたんだという生活ぶりをしていますが(苦笑)、その頃はわりと道徳の授業も真面目に受けていました。そんな中で人権問題についての作文を書かされ、しかも教壇に立って一人ずつ朗読しなければなりませんでした。それが嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、題材については真剣に考えた末、思い付いたのは人種差別に関することでした。ちょうどその頃、黒人のダッコちゃん人形や黒人の子が主人公の「チビ黒サンボ」という絵本の発売が、人種差別につながるという理由で規制されたあとだったと思います。この話の内容は有名なので敢えて書きませんが、別に差別を感じるような箇所はありませんでした。それらのことに子供ながらに疑問をもったわけですね。つまり人種差別を恐れるあまりにとる行動が、逆に新たな人種差別を生むのではないかと思ったわけ。そしてそういう内容を作文に書いたのです(タイトルは忘れましたが)。具体的に言うと、黒人がモチーフになっていたり黒人が出てくる物語だからといって規制するのはおかしいとか、むしろ魅力的だから人形や物語になる価値があるんじゃないのかとか、だったら白人が出てくる物語はなぜ規制しないのかとか、そういうことをしているとそのうち白人でも黒人でもない我々のような黄色人種が差別されることにつながるのではないかとか、そういった生意気なことを書いていたのです(言葉はもうちょっと簡単に書いていましたが)。もちろんそれを前に出て朗読しました。クラスの反応は冷たかったですね(苦笑)。というか、おそらく言葉足らずで複雑な内容を書こうとしたため、ほとんどのクラスメートに上手く伝わらなかったかったものと思われます。あるいは全然興味がなかったのかのどちらか。このときの意見は今でも変わりなく持っていて、人類が存在する限り差別が無くなることはないでしょうが、無くそうとする姿勢は意味のあるものだと思っています。最近、「チビ黒サンボ」もダッコちゃん人形も復刻され、見直されてきましたが、それらがなくなった当時にすでにそういう現象の不当性を感じていたとは、我ながらなかなか先進的な小学生だったと感心します(笑)。しかし、そんな道徳の時間で得たものは結局、「世の中にはいろんな人がいる」ということだけでしたね。まあ、それが分かれば充分なのかもしれないけれど。

 本日は金曜日で、午後からは出るべきか出なくていいのか教室会議があって、夜は学科(専攻)全体の追い出しコンパに出席予定です。しかし、肝心の追い出される人の出席が少ないようで、本来の意義が崩壊の恐れあり。主催している3年生が少し可哀想ではあります。


(3/17) 昨日の教室会議は各種委員会報告や新研究科関連の話などがされましたが、学科主任が話している時間がほとんどだったという印象しかありません。3分2ぐらいと言っても過言ではないでしょう、本当に。まあそれは覚悟の上でしたけど(苦笑)。大学全体が抱えている問題でもあるらしいのですが、来年度からうちは新研究科に移るということもあって、新たに授業数も増え、ますます講義室が足りないみたいです。新研究科と言っても実際に建物が新しくできているわけでもないので、物理的には今ある講義室をやりくりしていかなければならないという苦しい状況。そこに加えて、ある講座で来年度から構成員の人数が増えて部屋が足りなくなるから、現在主にセミナ室として使われている講義室をつぶして提供するという話があって、さらに部屋は足りなくなってしまうのです。しかし、短期的にはそれは仕方のないことだなあとすでに決定された事項だと思って油断して聞いていたら、ところがどっこいです。その場で「そんな話は聞いてない」というちょっと待った宣言が、その講義室をセミナに利用していた先生から出され、バトル開始です(笑)。講座としてどうしても部屋が必要なんだとする先生と、共通の講義室を一部の合意だけでつぶさないでほしいと主張する先生とのやりとりがあり、さらにそういう決定をした委員会の委員長を務めている先生に鉾先が向いたり、最後の方では、別の講座で余っているスペースがあって提供しても良いという話が以前あったのでそこを使わせていただくのはどうかという意見が出たかと思えば、今度はその対象となった講座の先生が「そんな話は聞いてない」と言って寝耳に水宣言をする始末。そのまま議論はしばらく続きましたが、お互い譲れないところはあるらしくあっちを立てればこっちが立たず、こっちを立てればあっちが立たずみたいなにっちもさっちもいかない状況になりました。辛そうなのは議事進行を務める先生で、学生たちはまるで傍聴席に座っている気分です(見てる分には面白い)。結局は4月までには結論を出さないといけない問題だということで、短期的な解決策はとりあえず当事者たちで話し合ってもらうことになり、同時に部屋の不足をどうするのかという問題は別に長期的な議論をしていく方向に落ち着きました。あと、先日の学生での話し合いで決まった事項の報告も行なわれ、授業評価については是非やってくださいという好意的な意見が先生方には多かったですね。そのようなことが約3時間。こんなこと毎週のようにやってたら、そりゃ嫌にもなりますわいな。中には好きな方もおられるのかもしれませんが、先生方もお気の毒です。

 まだ頭に頭痛を残しながら生協に行ったら、森博嗣先生の「今はもうない」文庫版が大量に並べられていました。喜び勇んですぐ購入。早速土屋賢二先生の解説を読んで笑ってしまいました。本の後ろに「S&Mシリーズナンバーワンに挙げる声も多い」って書いてありますけど、アンケート結果か何かでしょうか。ナンバーワンとは言いませんが(言わんのかい)、好きな作品です。これを、まっさらな状態で読める人が羨ましいですね〜。

 何かと物入りなのでテディは自粛して買わず、夜は午後6時から追い出しコンパでした。もちろん追い出す側なので会費を払い会場へ入りましたが、心配していたとおり参加者が少なかったです。去年が多かっただけにやけに寂しく感じます。追い出される人で参加したのは実に5人。なんだか年度末の忘年会みたいな様相。それらしかったのは出て行く人への恒例のプレゼント贈呈の時くらいでしょうか。あとはひたすら方々でご歓談。飲んだり食べたりしゃべったり、普通の飲み会でした。果たして会費を回収できたのかどうかは疑問ですが、残った食料はいくつか確保してあって本日の(個人的な)食事代わりとなるのです(笑)。

 昼から小雨が降り出した本日は土曜日。20日に島根でスキーをする予定なので、それへ向けての諸々の準備を整えたいところ。明日、とりあえず経由地である実家に帰るつもりでいます。明日の更新がなければ次の更新は来週の水曜か木曜になる予定。


(3/18) まだいます(現在お昼過ぎ)。昨日、コンパの残りの巻寿司を食べようとルンルン気分でサロンの冷蔵庫を開けてみたら、15個くらいあったのが2個しか残っていませんでした。うっ(軽い目眩)。一体誰が!と思った瞬間、その場にいた先輩S田氏が「美味しそうだったからお昼に食べちゃったよ」とのたまうではありませんか。その残り物をかなり当てにしていたので大きなショックを受けてしまったのですが、そこは理性を働かせて何食わぬ顔で(実際何も喰ってないのだが)2個だけでも充分ですよという雰囲気を醸し出しつつ、その2個のお寿司を携えてその場を後にしたのでした。名前が書いてあったわけではありませんから講座のものとして捉えられても仕方ないのです。文句は言えません。いや、別に文句はありませんよ。ええ、ありませんとも。そんな小事で恨んだりするような心の狭い人間ではありませんからね。ただ、もう少し早く食べに行っとけば残っていたかもしれないなあと悔やまれるだけです。早く食べとけば食べられずに済んだのに・・。あ〜あ食べたかったなあ。この恨みいつか必ず・・(<恨んでるやん!)。冗談ですよ(>関係者各位)。

 そうだ忘れてたことがありました。先日ぱふぇら〜のKずえさんの日記を見て、そう言えば自分も以前「ものづくり」に関するアンケートに答えていたことを思い出したのです。で、その後回答内容がどうなったのか気になって、インパクに参加しているらしいそのパビリオン(勝手にリンク)に見に行ってみたら、毎日一人ずつのアンケート回答が紹介されている「ものづくり語録366」として少し前に公開されていたみたい。しかも2日間も(がーん)。みんな真面目に答えている中、かなり反抗的でお尻が割れるくらいひねくれた回答をしてしまったので恥ずかしいったらありゃしません(苦笑)。カタカナとはいえ本名で書いてるし。あんな回答を掲載せざるを得ない(2日間も)ほどアンケートが集まっていないのか、主催者の度量がよっぽど大きいのかのどちらかでしょう。まあ、いずれにしても採用者には記念品があると書いてあるので楽しみに待っていよう・・と思ったら、住所の欄にムツゴロウさんの住所(つまり北海道在住ってね)を書いていたのでした(とことんふざけとるな)。一体どのようにして記念品がいただけるシステムなのか気になるところです(笑)。

 さて、本日は雨が上がった日曜日。天気が回復して良かったです。これからビデオを返しに行って、スキー板を担いで実家に帰ります。一泊してから広島まで向かい、そこからバスで島根県の瑞穂町まで行く予定。結構行き当たりばったり的要素が多いので無事辿り着けるか少し心配です。顛末は次の更新で(水曜か木曜)。


(3/19) スキーの荷物をまとめ始めたときに気付いたのですが、手袋をK藤氏に貸したままだったのです。もう時間がなかったのでおかげさまで古いやつを引っぱり出してきて持って行くハメになりました。あまり機能的に優れていない手袋です。まさか、これが後々の悲劇の引き金になろうとは、このときは思いもよりませんでしたが、詳しくは後ほど。それからもう一つ気付いたことがあって、実は貸していた手袋は分厚めの外側と薄手のインナー部分からなるものだったのですが、どうやら貸していたのは外側だけだったみたいです。K藤氏がそれだけでスノーボードをしたのかと思うと愉快で・・いやいや悪いことをしたなという気持ちです(笑)。違和感なく使えたのなら問題ないですが、一応白状しておきましょう。わざとじゃないですからね。

 さて、準備も整い午後3時頃、スキー板やその他諸々を詰め込んだ重いケースとスキー靴を担いで自転車に乗って地下鉄の駅まで向かいました。しかし途中片手で肩に担いでいたスキーケースの一部が電信柱に接触、バランスを崩し自転車の前輪が歩道のガードレールにぶつかり、しこたま派手に転んでしまいました。それはもうぶざまなこけかたで、その様子はまるでぶざまにこけるブラッド・ピットそのものでした。幸い周りに人はいなくて怪我もかすり傷程度で済んだのですが、なんとも幸先の悪いスタートこの上なしです(苦笑)。ほんと、このあとに起こる悪夢の前兆のようなアクシデントでした(しつこいようですが、詳しくは後ほど明らかに)。転んだ後は恥ずかしさを誤魔化すために素早く立ち上がり、再び重い荷物を担ぎ直して自転車にまたがり駅に向かいました。地下鉄で名古屋駅まで行き、広島までの往復乗車券を購入。学割を取り損ねた(平日しか取れない)ため割引率は1割のみ。まずは新快速米原まで行って夕日を見ながら乗り換え。気温は穏やかで電車の中も暑いくらいでしたが、邪魔になるスキー道具を持っているのは自分くらいなものです。今どき電車(それも特急じゃない)でスキーに行こうとする人はいないんでしょうか、やっぱり。ちょっと白い目で見られ気味の道中です。米原からはまたまた新快速で大阪へ、このあたりの連絡は便利になりましたね。大阪からは福知山線快速三田(さんだ)まで行きました。三田駅からは私鉄の神戸電鉄で実家の最寄りの駅へ。そこからは歩いて実家に到着。2匹の犬に熱烈歓迎を受けました。どうやら忘れられてなかったようで一安心。

 その夜は、父親T氏と妹Y氏で夕食を食べました。母親M氏はちょうど旅行中でいません。餃子の王将の餃子や妹Y氏の即興料理などを美味しくいただきました。お酒も飲んだりしてしばし団らん。どうやら忘れられていなかったようです(笑)。その後、久しぶりに長々とテレビを観ました。F1グランプリも当然観戦して、マレーシアのスコールによるレース序盤の波瀾に少し興奮。BARホンダは残念ながら2台ともリタイアしてしまいましたが、なかなか面白いレースでした。ミハエル・シューマッハはやっぱり強いねぇ。なんて感心しながらお風呂に入って朝までぐっすり就寝でした。

 一夜明けて天気の良い月曜日。朝のうちに出発する予定でしたが、少しのんびり犬の相手なんかしたり。最近体調が悪くて安物のエサは受け付けなくなったらしい母親リトルアンニュイな姿にちょっと寄り過ぎアップ、そして元気盛りのその娘せいか望遠眩しげ後頭部。2匹とも番犬能力は抜群です(よく吠えるとも言う)。そんな犬たちと妹にしばしの別れを告げ家を出たのが午前11時頃だったでしょうか。もちろん重い荷物はそのままに広島までの電車の旅です。三田駅に行ってみると前夜は気付かなかったことですが、構内放送でしょっちゅうユニバーサル・スタジオ・ジャパンの宣伝ばかりしているのです。名古屋の駅ではこれっぽっちも宣伝を見たことがありませんでしたが、やはり新しくユニバーサル・シティ駅ができるJR西日本は力の入れ方が違うようです。そんな三田駅はこんな感じで、昔に比べれば格段に発展してますが基本的に田舎の駅です。尼崎から姫路までは新快速、昼間なのに人が多くて立ちっぱなし。姫路から岡山は普通電車に乗り換え、こちらも田舎のわりには利用者が多く立ちっぱなしで、途中中学生らしき集団が乗り込んできていきなり車内で写真を撮り始めました。何事かと思っていたら卒業式があったみたいですね。しかし何も電車の中で写真を撮らなくてもいいのに・・と思うもそんなことは口にしません。どうも田舎へ行くほどマナーが悪いような気がしてなりませんが、注意するほど優しい人間ではないのです。岡山から福山へは快速サンライナーで、福山から広島へは一部快速の電車でようやく座ることができました。

 広島に到着したのが午後5時頃。バスの切符を買って食料調達後、新幹線口から出ている浜田行きの高速バスに乗ったのが午後6時20分でした。目的の瑞穂インターチェンジに着いたのが8時前、近くに宿泊している後輩に電話をかけて迎えに来てもらうことに。しばらく暇だったのでインターチェンジの入口をバックに停留所を撮ったり、その中の止まった時計を撮ったりしていました。そしてやってきたやつらがこれだ!(あやしいぞ!) 相変わらずおバカな後輩が泊まっていたのは瑞穂ハイランドスキー場の社員宿舎(バイトも泊れる)でしたが、ここにこっそり泊めてもらうことになっていたのです(他に宿らしいところがなかったので)。その夜はそこにいない人の分も含めて翌日の中枝杯(OB・現役対抗スキーレース)のスタート順の厳正なる抽選を行ないました。そしたらなんと1番を引いてしまったではありませんか。今シーズン初のスキーが本格的なレースだというだけでドキドキなのに、しかも1番スタートということになってしまいますます先が思い遣られるばかりです(溜息)。翌朝は準備のため何と早朝5時半にスキー場に集合だとか・・。ということで早く寝たしだい。


(3/20) 車に乗せてもらう関係上一緒に付いていかなければならずこの日は午前4時45分起きです。しかし、前日電車の中でよく眠っていたので目覚めはすっきり火曜日です。宿舎の朝食もご飯と味噌汁、卵に海苔というシンプルな組み合わせながらもお腹一杯いただいて(内緒ですが)、いろいろバタバタした末予定をオーバしてからの出発となりました。今年からですがそもそも瑞穂ハイランドでスキー部の行事である中枝杯を開くことになったのは、そのスキー場の部長さんがうちのOBの方で、その方のご厚意によるものなのです。なのに集合時間を遅れてしまい申し訳ない後輩たちです。遅刻は相手の時間を奪ってしまう行為です。時間はちゃんと守りましょうね(説得力がないですが)。スキー場の駐車場に到着したら、他の部員も広島からやってきていました。事務所で1日リフト券をもらって(バイトをしていればもらえるのですが、今回はOBのくせして現役のフリをして流れでもらってしまいました)、ゴンドラに乗りゲレンデのある山の上へ。もうひとつリフトで登り、レースが行なわれるゲレンデに到着。すでに太陽が昇っていて朝のゲレンデは清々しいです。先に来ていた人間によってコース準備が始まっていてスタート付近はこんな感じで、下方を見るとこんな感じ。気温も低く雪もまだ固めでした。初め、準備は順調だったのですが、一般のコースとの境界に張るためのロープが絡まっていて、もう少しというところでそれをほどくのに1時間近くかかってしまい予定が遅れてしまいました。

 まもなくインスペクション(ポールセットの終わったコースを選手が下見すること)の開始となりました。久しぶりに感じるレース特有の緊張感、高揚感、不安感。懐かしいです。インスペクション後、開会式がありゼッケンが配られスタート付近には現役・OBが集まってそれぞれにウォーミングアップを始め、公式試合さながらの雰囲気です。ちなみにスタート台から見たコースはこんな感じ。午前10時過ぎ、2人の前走がスタートし、いよいよ選手のスタート開始ということでろくな練習もしないまま1番手としてスタート台に立ちました。が、そこで計測機器のトラブル発覚でしばらく待つことに。これで緊張が少し解けてしまったのがいけなかったのか、魔の手はすぐそこまで迫っていたのです。

 スタートバーを切ってスタート台から勢いよく滑り出し第1旗門通過。その後はひたすら前方を見て行くのみ。徐々に感覚を思い出し、スピードに乗ってきたころに、それは待っていたのです。コースの後半に差し掛かり、足の筋力は早くも限界を迎え遠心力に耐えるのもギリギリ。旗門への入りがだんだんと遅れ気味になってきたのが分かりました。それにもかかわらず焦るあまりついつい無理をしてインコースを狙ったのが間違いでした。なんとか通過できた青色の旗門の次の最後から3番目の赤色の旗門でポールと接触してしまい足を取られ転倒、そのとき右手の親指をひねってしまい激痛が走りました。その後体勢は立て直しゴールをしましたが、指には突き指のひどいやつのような痛みが付きまとい、ストックをまともに握ることもできない状態に。安物の手袋を使っていたからこんなことになったのかもしれませんが、そんなことを嘆いていられないくらい指は痛く、やる気は一気に下がってしまいました。2本目のレースも行なわれましたが、そんな調子だったので無難に滑り降りることに専念してそれなりのタイムしか出ませんでした。よくやるタイプの怪我なのでそのうち回復するだろうと思っていたのがいけなかったですね。パトロールで診てもらうこともせずそのままレース後の片付けも手伝ってしまい親指の付け根は腫れてくる一方です。しかしここまできたらやけくそで、解け始めている雪の上を少し滑ってから、午後1時からの閉会式に向かいました。会場は休憩所にあるラーメン屋。ここではレース結果報告と1位〜6位の人には表賞があり、その他挨拶などなど。主将挨拶の様子がこれかも。不手際なども多々あると思いますが、なにはともあれOBの参加数が増え、にぎやかになったことは非常に喜ばしいことです。これからもどんどん参加者が増え、ますます盛大に中枝杯が開催されることを願っています。今回入賞を逃したのは、手を負傷してしまったからだということを自分への言い訳にしていますが(確実にそれだけではないのですが)、こっそり次回のリベンジを狙っていたりします(笑)。まあそのためには現役以上に努力する必要がありますけど・・。

 閉会式が終わった後、後輩たちに大量のテディのマーブルチョコレートを配ることに成功。かなりさばけました(笑)。あんなものでも喜んで受け取ってくれる後輩たちに幸あれ。さて午後は、右手親指の痛みもあったので先においとま組に入れてもらい、先に帰ることにしましたが、もう着替えることが難しいくらい指は痛くて動きません。腫れはだんだんひどくなってきています。こんなんじゃ重い荷物も持てないということで特別に頼んでスキー板やスキー靴は宅配便で送ることにしました(最初からその予定でしたが)。午後3時頃、後輩の車で瑞穂ハイランドを後にし、一路広島へ向かったしだい。車中では運転手以外ほとんど眠っていましたね。午後の日射しが暖かで気持ち良いんだこれがまた(指は痛いけど)。気が付けば広島市内に着いていて、広島駅で下ろしてもらい、あとは電車で実家まで。今回も後輩たちにはいろいろお世話になりました。ありがとう〜。それにしてもえらく痛い土産をもらってしまったものだなあ(感嘆<してる場合じゃない)。帰りの電車の中では右手の腫れもますますひどくなり、内出血も目立つようになってきました。気分もあまりすぐれなかったので、岡山からは新幹線に乗り、新神戸から私鉄を使って早めに実家まで帰ることに。

 実家に着くと母親M氏が旅行から帰っていました。実はカナダにスキー旅行に行っていたのです。実に元気で活発な人なのです。で、ぱんぱんに腫れた手を見せるとすぐに病院に行くことに。急患を診てくれる病院まで行きましたが、レントゲンはこの夜は撮れないらしく、とりあえず指を固定されるにとどまり、薬をいくつかもらって終わり。その間に母親M氏からはカナダの土産話をいろいろ聞きました。充分に楽しんだようで何よりです。まさかこんな怪我で病院のお世話になってしまうとは、何日か前に「病院が嫌いです」なんて書いたのがいけなかったのでしょうか(苦笑)。その夜は一家4人でカナダ土産のワインやらサーモンの薫製やらをいただきながら久しぶりの家族団らんとなりました。お酒のせいで指の痛みはうやむやに。


(3/21) 指の早期の回復を願って充分な睡眠をとること12時間。しかし経過はあまり良くなく、腫れが引いている様子はありません。天気も晴れの水曜日。適当にご飯を食べて、荷造りして(土産を詰め込んだので手のようにぱんぱん)、午後3時過ぎ、バイトに出かける妹とともに近くの駅まで行きました。そこから三田駅まで出て尼崎まで向かい、新快速に乗るのはいつものパターン。草津で別の新快速に乗り換え米原まで。そこからも新快速で一気に名古屋まで帰ってきました。座っていられたのは大阪から草津までの間。手が手だけにずっと立っているのはさすがに辛いです。名古屋からは地下鉄で本山まで。あとは自転車に乗って帰宅しました。なんとか自転車には乗れます(片手でも乗れるくらいですから)。

 家でお菓子とも食事ともつかないものを食べてしばらくテレビを見て休憩。こたつに入って身体があったまったところで大学にやってきて、日記の更新に勤しんでいたというわけです。右手がずきずき痛むけども。


(3/22) ああしかし、キーボードが打ちづらいったらありゃしない! ここ数日の日記を書くだけでどれだけの時間がかかったことか。まったく、親指なんて怪我をするもんじゃありませんよ。こころなしかまた腫れがひどくなっているような気がします。記念に撮ってみましたがこんなんです(グローブみたい)。普段は全然意識していませんが、日常生活をする上では親指が固定されていると困ることがてんこ盛りですね。まず、親指が動かないと携帯電話が使いにくい(持ってないけど)。そもそも電話が使いにくい(そんなにかけないけど)。えっとそれから、電車の運転ができない(もとからできないけど)とか、美味しいミルフィーユが作れない(もとから作れないけど)とか、それに難しい数学の問題を解いたり、女性を口説いたりするのは至難の技です(親指と関係なく)。冗談はともかく、第一に服を着たり脱いだりするのが難儀です。それに手が洗いにくいとか、用を足しにくいとか、風呂に入りにくいとか、全自動の洗濯を除いては水まわりのことはほぼ全滅。キーボードはなんとか打てますが、鉛筆は持てません。柑橘類の皮もむきにくくて困ります。読書もままなりません。そうそう、財布から小銭を取り出すことも難しいのです。そしてなんといっても一番痛いのは、「親指ウォーズ」で一度に一人しか演じられないところです(そんなことか!)。「親指姫」も二人同時に演じることはできません(<親指姫は一人です!<というかそもそも親指で演じるものじゃありません!)。そんな多くの不便を感じる中で唯一良かったと思えることは、右手がまともに使えなくなって、一年間箸の訓練を続けてきた左手の価値がぐんと上がったことですね(笑)。まさにこういうときのための訓練だっと言えるでしょう(できればこういうことはあってほしくはないですが)。おかげさまで食事は滞りなく済ますことが可能です(ただし茶碗が持てないという問題はある)。

 本日は早くも木曜日。すでに明けた空はどんより曇っています。負傷した手で日記なんか書いてるから徹夜です。論文の原稿を書けない理由に手の怪我を挙げようかと思っていましたが、こんなことでは言い訳にもなりませんね(苦笑)。困った困った。今日は病院に行ってレントゲンを撮ってもらうつもりです。怪我の詳細がわかればのちのちの予定も立てやすくなることでしょう。残念ながらしばらく実験はできなさそうだし(にやり)。


(3/23) な〜んてにやけている場合ではなくなりました。骨折していたことが判明です!(がーん) 昨日は昼頃起きて、右手をビニール袋でカバーしながらお風呂に入ったりして身だしなみを整えてから、覚王山にあるHちや整形外科病院に行きました。外科病院は他にも数多くありますが、どうせ行くなら地下鉄のスポンサになっている(覚王山到着前にアナウンスされる)くらい儲けているところが良いでしょうという判断です。つまりそれだけ多くの患者を抱えていて信頼されているということですから。というのは表向きの理由で、実はその病院には美人のレントゲン技師がいるという一部の噂があり、もし病院へ行くことがあるのなら是非そこへ行ってみようと心に決めていたからだったりします(笑)。そんなわけで地下鉄で一駅の覚王山で降り、ちょっと迷った末にでかでかと建っているHちや整形外科病院の建物を発見。すぐに入って初診の手続きをしました。名前や症状などを記入しながら診察時間の午後4時になるまで待たされましたが、利き手を怪我してるのに文字を書かされるのは理不尽な気がしてなりません(苦笑)。やがて名前を呼ばれもう少し詳しい内容を訊かれ、またしばらく待ちました。4時過ぎにようやく診察。症状を説明し、とりえずレントゲンを撮ってもらうことに。どんな美人の人かとわくわくしながら待つこと少々。いよいよ名前を呼ばれてみると、待っていたのはごつい体をした丸坊主のレントゲン技師でした。おもいっきり男やん! もう大がっかりでしたが、作業はさすがに丁寧で、撮影も滞りなく終了(結局その後、胸の写真で女の人にも撮ってもらうことができましたが美人かどうかは・・)。しばらく後、再び診療してもらい、レントゲン写真がデジタル変換されてディスプレイ上で見られるようになっているのには感心。最近の病院を知りませんからね。で、結果は骨折だったというわけ。しかも手術が必要な骨折だと聞き、がび〜ん。表情には出しませんが内心はかなりのショックを受けていました(笑顔がひきつっていたかもしれません)。まさか手術をすることになろうとは。その後、手術のための採血や身体検査を行ない、トントン拍子に話が進み、普段はしない土曜日に手術をしていただけることになりました。担当するのは手のスペシャリストで良い先生だとか。とりあえず昨日の段階ではギプスで指を固定するにとどまり(腫れを防ぐためギプスをした部位は心臓よりも高い位置に挙げておかなければなりません)、入院に関する諸説明を受けお会計。このときも名前を書かされましたが、一瞬嫌がらせかと思いましたね(笑)。病院を後にして大学まで戻ってきたのは午後7時前でした(右手は挙げっぱなしで)。それにしても平日なのに患者の数は多くて診察室は修羅場でしたね。そんな慌ただしい中でも手を診察してもらった外来の担当先生は、気さくで患者に対しても言うべきところは厳しく言うし、次から次へと手早く診療を済ませて行きます。その様は威勢が良くて実にかっこいい。これぞ本物の医者という感じです。今まで見てきた医者の中でも一番かっこいいと思いますね。少し医者に対する好感度が上がったかもしれません。あと印象的だったのが心電図を担当していた技師の男の人で、これまたがたいが良く、着ているユニフォームがスタートレックのエンタープライズ号の乗組員を彷佛させるくらいピチピチでした(笑)。

 骨折したことだけでもついてないですが、悪いことは重なるもので、実は昨夜秘密活動があって数人で楽しく食事をしていたらしいのです。22日は時間があると言っていたので昨日することになっていたようですが、あいにく病院に行っていて情報が伝わらなかったというわけ。間が悪いとはこのことです、まったく。まあしかし午後8時過ぎに大学に電話をしてくれて途中から駆けつけることはできたので良かったです(にっこり)。2時間くらい、もうしばらくは会えなくなってしまう人たちとコーヒーを飲みながら楽しくおしゃべりができました。もちろんその間中はずっと右手を挙げっぱなしでしたけど(笑)。翌日入院するという身でこんなことしてたら世話ないですが、楽しければ良いのです、はい。あと、もうひとつ間が悪いことに、東京から一時戻ってくる先輩T水氏に宿の提供をする予定だったのですが、これも今日から入院するため、先程電話があってお断りすることになってしまったのです。非常に申し訳ないです。ほんと、何やってんでしょうか(とほほ)。

 金曜日の本日は入院初体験。はじめての手術で不安がいっぱいですが、3日間だけなので大したことはないのかもしれません。ということで、日曜日か月曜日までは更新がありません。こうなったら入院体験記でもつけたいところですが、左手だけではキーボード操作も限られているのでしばらくは閉鎖モードでしょうか。まあ、左手でペンを持って書くよりは断然速いですけど。生還を祈っていてください。ではまた。


(3/24) 昨日は早起きをして、入院準備をいろいろ整え、午前8時半頃家を出ました。途中大学に寄り、てくてく歩いて地下鉄の駅まで。本山から覚王山までは一駅です。覚王山駅に着いたのが9時過ぎ、Hちや整形外科病院はすぐそこです。この病院は東館と西館からなっていて、メインの入口は東館1階にあります。受付はそこにありますが、入院の手続きは4階にあるナースステーションで直接行なうことになっていたので、そそくさと4階まで上がって行きました。別段怪しまれる様子もありません(別に怪しい恰好をしていたわけではないけども)。

 さて、ナースステショーンで、入院申込書とカード状の診察券保健証を提出し、ちょっとした書類にサインと捺印をして(また左手で字を書く羽目に)入院手続きは完了。しばらく待たされ、暇だったのでナースステーションの窓口を撮りました(<デジカメ持っていったんか!)。やがて病室の準備ができたらしく、病室関係担当っぽいおばちゃんに案内されたのがナースステーションの隣にあるリカバリー室という3人部屋でした。朝の病院は慌ただしいです。そのリカバリー室に入って荷物などをチェックされ(必要なものを出してもらうという意味で)、すぐに楽な服装に着替えることになりました。ベッドに座って待つこと数分、次にやってきたのは若い看護婦さんでした(にこにこ)。まず、抗生物質に対する反応をみるために左腕の皮膚に2箇所注射をされ(ひとつが抗生物質でもうひとつが比較のための生理食塩水らしい)、その反応が現れるまで入院するにあたっての注意事項などの説明を受けました。で、反応の結果は皮膚が赤くなり陽性くさかったので、一度先輩看護婦らしい人が呼ばれ、主治医の先生に診てもらうため1階まで降りることに。そして、診てもらったところ、2箇所とも赤くなっていることからただ皮膚が弱いだけじゃないかという推察をされ、念のためもうワンランク下の抗生物質で試してみることなりました。ということでまた4階の病室に戻り、今度は右腕に2箇所同様な注射をされ、反応を待っている間、怪我をするに至った経緯とか、日常生活に関すること、趣味や家族構成までを聞かれ記録されていきました。性格なんかも聞かれましたね(何て答えたかは秘密)。病院側の策略かもしれませんが、その若い看護婦さんはなかなか可愛くて入院に対する不安は少し和らいだ気がします(単純だなあ・・苦笑)。気になる反応結果は、またしても赤くなってしまいました。再び1階の診察室に連れて行かれ先生に診てもらい、結局安全を見越して一番ランクの低い抗生物質を使用することになりました。初日から注射されまくりです。

 その後は、ただひたすら暇な時間を過ごしました。右手以外はいたって健康ですからなんか悶々としていましたね。暇過ぎてベッドを撮ったり(この部屋にはテレビもありません)、外の風景を撮ったりしたくらいです。こんな時は読書に限ります。ということで、「ホ−キング、宇宙を語る」を読了し、サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」にも手を出しました。ところで、隣に寝ている人はどうやらその日が手術だったらしく、お昼過ぎに看護婦さんがやってきては慌ただしくなんかしていました。カーテン越しに声だけが聞こえてくるのでなんとも言えない不安感が募ってきます。その人が病室を出て行った後は、何をするでもなくうとうとと寝てしまいました。目が覚めたのは夕日が差し込んでくる時間帯で、暑かったのを覚えています。そしていつの間にか隣の人も手術から戻ってきていて、手術後の諸注意を受けていました。その人はひざの手術を受けたようでしたが、排泄はしばらくベッドでしなければならないとか、食事はガスが出るまで採れないとか、そういうことをカーテン越しに聞いていて、ひょっとして自分もそうなるのかなあと不安におびえるのでありました。

 その夜、主治医の先生がやってきてレントゲン写真を見せられながら手術の説明を受け、術後は手も痛いだろうし抗生物質も点滴しなければいけないので、念のために入院日数が一日増えることになったしだい。そして夢を見ました。手術を翌日に控えているにもかかわらず、なぜか帰宅して寝ているのです。しかも実家で。目覚めるとすでに手術予定の時刻をオーバしていて「どうしよう、間に合わない!」と、えらく慌てた様子でしたね。本当に目覚めると当たり前ですが病室のベッドの上。やはり何か不安があったのでしょうか、その夜はずっと浅い眠りだったような気がします。いや、不安だけではありませんね。隣の人がナースコールを何度もしていたのも、よく眠れなかった原因かもしれません。


(3/25) 明けて手術当日の昨日は土曜日、早い目覚めでした。前日に説明されたことを思い出しながらとりあえず7時の検温(午前7時と午後2時に体温を測ることになっているのです)まで横になっていて、その後は用を足してから、右手にビニール袋をかぶせてもらいシャワーを浴びに地下1階に行きました。朝食はありません。シャワー後は指定された服を着て戻って8時、ベッドに横になり、左肩とお尻にかなりの鈍痛を伴う注射を打たれました。これで手足が動かしにくくなりました。2階にある手術室までは車椅子に乗せられての移動です。恐らく生まれてはじめての車椅子ですね。乗ってみると分かりますが、立っている人の顔を見るのが結構つらいです。

 手術室に入ると看護婦さんも先生も水色の服を着て準備をしていました。車椅子で手術台まで連れて行かれ、その上には自力で横になりました(足は依然おぼつきません)。それから右手をテーブルのようなところに投げ出し、視線を遮るように胸から右肩にかけて布が引かれたので右腕は見えません。主治医の他に手のスペシャリストらしい先生もいて、2人によって手術は行なわれました。まずは右脇の下に麻酔を打たれ、神経を刺激され、手のどこがビリッとくるか聞かれました(これがかなり痛い)。さらに骨折している場所付近の親指の付け根あたりに2本ぐらい麻酔を打たれました(これもかなり痛い)。止血のためのチューブを腕に巻かれ少し間をおいて痛みを感じなくなったことを確認されて、いよいよメスで切開です。局所麻酔でしたが見えないので後は何がどうなったのかはよく分かりません。たぶん指を引っ張られたり、くっつきかけていた骨を少し削られたり、針金で固定されたり、縫合されたり、レントゲン写真を撮られたりしたのだと思われます。途中いろいろ聞かれましたが、よく覚えていません。次に手を見たときにはぐるぐるにギプスが巻かれていました。手術が終わったのは午前10時前、実質1時間くらいの手術だったでしょうか。帰りも車椅子で、看護婦さんに病室まで連れて行かれました。麻酔のせいか非常にぐったりで、この看護婦さんは中堅どころかなというチェックするのがやっとでした(<やることやっとるがな)。

 リカバリー室に戻って間もなく、先生にレントゲン写真を見せられながら手術でどういうことをしたのかという説明をされましたが、こっちは意識がもうろうとしているので、うなずくだけです(苦笑)。それからすぐに病室の移動となりました。今度は3階の6人部屋です。ベッドに寝かされたままの移動。部屋に入るときにすでにいる住人に紹介されました(よろしくおねがいします)。ベッドの位置は入口に一番近いところ。さてここで、この部屋のメンバを一人一人紹介しても良いのですが面倒臭いので割愛させていただきます。ただ、足のかかとを骨折していた隣のおじさんは、大阪の人らしく世話好きで気さくによくしゃべる人でしたね。名古屋に仕事で来ていて怪我をして入院しているとのことでした。いやあほんとにこういう人が病院にいるんだなあと妙に感動してしまったしだいです(笑)。やがて食事が運ばれてきました。朝食のようです。書き忘れていましたが、西館(東館と4階で連絡)の2階には食堂があって、一昨日の昼食と夕食はそこで食事をしました。普段の食事に比べれば品数も多くさすが栄養満点という感じでしたがご飯はまずかったですね。まあそれはいいとして、昨日はとにかく手術した手が痛くて食事以外は何もする気になりませんでした。午前と午後に1回ずつ点滴もされてますし。で、ほとんど寝て過ごしましが、右手をずっと上げておくのは重くてつらいということで、こんなふうに添え木を付けられ寝ている間は釣り下げられるようにされました(これでさらに重くなったという噂もあります)。

 痛いときは我慢せずに痛み止めをもらうように、と先生に言われていたのでナースコールをして痛みを訴えてみたらやってきたのは看護士、はあ、男ですか(別に文句はないけどごにょごにょ)。しかも、麻酔が切れる頃だから痛いのは当たり前だとか、痛み止めを使い過ぎるのはよくないとか言う始末。そんなことは分かってるんじゃい!と思いながらもその場はもう少し我慢してみるということで手を打ちました(間違っても右手では打ちません)。しかし、後程この看護士、痛み止めの飲み薬を3日分持ってきましたね。わっはっは、たぶん先生に言われたに違いない、初めからそうすれば良かったのに、わっはっは。などと笑う余裕もなく、この日は一日が過ぎて行きました。病室には個人個人にテレビがあてがわれていますが、この日は観る元気もありませんでした。そう言えば夕方頃地震がありましたね。他の人たちはテレビで速報を確認していました。どうやら広島の方らしい。東海地震もそろそろでしょうか(といいつつ何年も経ってますが)。


(3/26) 痛み止めを飲んだものの、眠らないうちは右手のうずくような痛みは結構あってつらかったのですが、比較的良く眠れて昨日の日曜日も早い目覚め、天気は曇り、食事は食堂です。7時の検温(このとき24時間の尿と便の回数聞かれる)を済ませ朝食はパンでした。バナナも食べました。牛乳も飲みました。これで骨折も早く治ること間違いなしと錯覚させるメニューです(笑)。寝ながら読書しようとしましたが、片手では難しく右手も依然痛むので途中で諦め大人しく寝ながらテレビを観ていました。軒並地震のニュースでしたが被害は少なかったようで一安心。午前中、正面のベッドにいたおじさんが退院し、午後には別の人が病室を移ってきました。結構入れ替えの激しい病院なのかもしれません。

 手術などがある人以外はシャワー室の使用は昼だけということだったので、昼食後いざ地下に行ってみたらが〜ん、鍵が締まっていて入れないじゃありませんか。人陰もありません。どうやら日曜日は開いていないようです(確認はしなかったけど)。悔しかったのでまたもや病室の写真を撮りました(やけくそか)。自分のベッドがこれで、窓を見るとこんな感じ。午後2時の検温のときは迂闊にも寝ていて看護婦さんが来てから測ることになりました。検温や点滴の度に手の調子や気分などを聞かれます。それで困るのは、麻酔の切れ具合を診るためだと思われますがしびれてない方の手の感覚を「10」としてしびれている方の指の感覚はどれくらいかと聞かれることです。まあ、だいたいの目安みたいなものでしょうが、ついつい小数点以下まで答えたり10よりもはるかに大きな数を答えてみたくなりませんか(笑)。しかしそういう野望を抱きつつも結局はどうせ軽くあしらわれるだけだろうと判断して、毎回真面目に答えていましたけどね。ひねくれものですが、専門外のプロには案外素直に従う人間なのです。

 それにしても入院生活は退屈です。外出は許可されていませんし、持って行ったCDウォークマンは充電池が切れているはで、乾電池も買えずに音楽のない生活。本も読みづらい手をしていますしね(苦笑)。手術も終わって安心したこの日曜日ほど退屈な日は今までなかったんじゃないでしょうか。まさに生涯最高に退屈な日曜日です。しかも退院が一日延びたことを知らせることができたのは遠くにいる親ぐらいで、誰も面会に来ませんでしたし・・(知らせても来ない可能性大ですが)。いや、別にひがんでるわけじゃないですよ。ただ退屈だったなあということが言いたいだけで、決して淡い期待を抱いていただけに誰も面会に来てくれなくて余計に寂しかったなんてことはありませんとも。ええ、そんなことはありません。しかし、少なからず怪我をして弱っているとき不自由な生活をしていると、精神的に支えになってくれる人がいたらどれだけ楽になれるかなあという幻想を抱いたりはしますね(笑)。人間は所詮孤独だと強がってはいるけども(強がってたか?)、なんかこういうときは人恋しくなるということを実感。あ、でもでも断じてひがんでなんかいませんからね。見舞金はいつでも歓迎です(<要求するな)。


(3/27) 昨日の目覚めも早かったです(一日中寝てますからね)。退院当日の月曜日は快晴。検温も済ませ病院での最後の食事も食べて、少しづつ荷物をまとめ始めました。ようやく退院できると期待に胸を膨らませていたら、胸どころか体全体が膨らんだ看護婦さん(際どい表現だな)が最後の点滴を打ちにやってきました(苦笑)。今回の入院だけでもう何回針を打たれたか分かりません。今まで生きてきて打たれた注射の数とどっこいどっこいかもしれません(それは大袈裟か)。とにかく、ことあるごとに注射というのはご勘弁願いたいところです。点滴が終わるといよいよ1階に降りて、レントゲンを撮ってもらって経過は良好との診断が下りました。元通りに親指は使えるそうです(良かった)。それから次の診察の予約もして、先生(手のスペシャリストの方)の都合に合わせて来週の月曜になりました。しばらく通院することになりそうです。そんなわけで、退院の許可が出たので着替えて荷物を本格的にまとめ、あとは明細書と診察券が戻ってくるのを待つのみでした。しかし、しばらく待って戻ってきたのは診察券のみ。お金の計算にはなぜか時間がかかるらしく、後日明細を送ってもらって次の診察のときに支払うことになりました。出て行くときは同室の人に挨拶をし、ナースステーションにいた看護婦さんにもお世話になりましたと声をかけて、Hちや整形外科病院を あとにしたのでした。

 外に出ると太陽が眩しく、歩道に植えられている桜っぽい木には花が咲いて、すっかり春の陽気です。ギプスをはめている右手は上げたまま地下鉄に乗り、大学方面へ帰路に就きました。一度家に帰ろうと思っていたのですが、大学内を通り抜けているとき偶然にもK藤氏とT中氏に捕まってしまい、そのまま研究室へ。二人ともスーツ姿です。実は昨日は卒業式だったのです。しかも修士の部は午前中でした。つまり出れなかったわけですね。出ても長い話を聞くだけだったみたいですけど、出れなかったのは正直残念です。こういうところにも怪我の間の悪さが現れていると言えるでしょう、まったく・・。その後は生協のレストランで少しリッチな昼食を食べました。食べることに関しては左手を訓練してきた甲斐あって(笑)、それほど不自由ではありません。昼食後、久しぶり合う(それにしばらくは合えない)講座仲間で写真を撮ったり、研究室内の席替えのため滞っていた荷物の移動を少し行いました。

 そして夜は教室全体のM2の飲み会に参加することに。諸事情によりちょっと遅れてに到着。外に出ようとするときにはじめて気付いたのですが、肌寒いというのに上着が着られないのです。なんとギプスが袖に引っ掛かってしまうのです(涙)。このとき持っていたのはカ−ルヘルムの服でしたが、このままでは当分の間たいていの長袖のおしゃれ着が着られないということを意味します。いや、おしゃれ着どころか普通の長袖も悔しいことにUニクロのシャツくらいしか着られないのです。これは一刻も早く長袖のいらない陽気(特に夜が)になってもらわないと困ります。しかし、あまり暖かくなってもらっても今度はギプスの中が蒸れてしまうという問題が浮上するのです。う〜ん、ということは、案外この季節はギプスをするのに都合が良いとも考えられますか。さしずめ「ギプスをするのにうってつけの季節」というわけですね(笑)。なんだなんだそうか。骨折したこと自体は痛いけど、不幸中の幸いと思うのが正しいと思って生きていこう。飲み会でも散々話のネタになったことだし。ただ、やっぱり帰りは寒かったなあ(苦笑)。


(3/28) 一昨日の夜はアルコールがよく回り帰宅してからもふらふらしてましたが、昨日火曜日の朝はすっきりした目覚めで手術した右手もそれなりに快調でした。しかしやることなすこといちいち時間がかかるのはもどかしいですね。着替えるのもトイレに行くのも、両手が使えるときの倍以上の時間がかかります。そんなわけで10時に起きても家を出ることができたのは昼過ぎでした(いつもと変わらないのが不思議ですが)。大学に来てからはひたすら席替えに伴う部屋の模様替えや荷物の引っ越し作業。なんせ主戦力は左手ですから苦労します。やたらと時間がかかってしまって、ようやくすべての荷物を運び終えたのは午後8時頃でした。これまでは5階の部屋でしたが今度は4階なので、余計に面倒でしたね。とりあえず運びはしましたが、まだまだ整理されてはいません。整理しようという気を見事になくしてくれるオーラが感じられるくらい雑多な物が多いです。そのうち何割が研究に関係あるものなのかは聞かないように。人には誰でも聞かれたくない質問があるのです。

 引っ越し作業で疲れた体にむち打って、まとめてここ数日の日記を書いていた(当然左手だけでなのだ!)からもう夜が明けてしまいました。この調子なら論文だってすぐ書けそうですが、そうは問屋が下ろさないのが不思議です。世の中には不思議なことがあるのです。本日は水曜日で、そう言えば進学手続きが今日までです。証明写真は2年前のものが余っているのですが誤魔化せるでしょうか(誤魔化すな)。今年度も残すところあと3日。電化製品をゴミに出すなら今のうちです(出さないのが一番良いですが)。その他いろいろゴミに出すなら今のうちですが、なかなか捨てきれないものはあるものです(意味深長)。

 そうそう、忘れていましたが5ヶ月くらい伸びていたアゴヒゲを入院前にすっきり剃りました。なんとなく良いことがなかった気がしたので、気分転換ということで。


(3/29) 昨日は睡眠時間短く昼には大学へ。進学手続きのための証明写真をとりに行くついでに生協にて学生共済金の給付申請。どうやら保険金が下りそうです。まさかお世話になるとは思っていませんでしたが、今回の怪我で掛けとくもんだなと実感。あと、食料を買って席替えが一段落した部屋へ。一晩寝かしても小人さんが片付けてくれるようなことはなく(当たり前だ)まだまだ整理し切れていない机まわりですが、まあ手も不自由なことだし、ぼちぼちやっていこうというのんびりした構え(そのままほったらかしという可能性もある)。席替えに伴う写真があったので公開しておきましょう。これが今までいた部屋で、これが新しく移った部屋です(っていうか右手しか写ってないぞ!)。

 進学手続きに必要な書類はいろいろあって左手で書いていてはとても間に合わなかったところですが、実は右手を怪我する前に予め書類は書いていたのです。今思えば、我ながら用意周到なことをしたもんだ(笑)。ということで午後3時には手続き完了。しかし、事務の人からもギプスを巻いている右手を見ては「どうしたの?」と聞かれる始末。心配していただけることはありがたいですが、会う人会う人にその都度説明するのにちょっと疲れてきた感あり。初めのうちは説明するのも毛が自慢、じゃなくて怪我自慢みたいなものでわりあい楽しく詳細にできるのですが、何度も話すうちにだんだん内容が省略される傾向にありますね。そう考えると琵琶法師が口承で伝えたという平家物語も、本当はもっと長い話だったに違いありません(<怪我自慢と一緒にしないように)。

 昨夜は、えっと、何と言えばいいのか、送別会というのか一種のお別れ飲み会でした。とりあえず東京に行ってしまうK藤氏を囲む会、もしくはK藤氏だけ囲まない会でも可(笑)。なかなか楽しかったです。こんな日記でも楽しんでくれているというAさん、ありがとう(登場させてみました)。ところで、入院してからかもしれませんが、アルコールの回りが早く深くなった気がします。昨日もそれほど飲んだわけではなかったのに帰宅しても頭がフラフラ。まあ、省エネの時代ですからね、人間も燃費が良いに越したことはありません。

 本日は曇り模様の木曜日。大学内の桜も、ちらほらと咲き始めました。しかしまた寒くなりそうな気配。骨折した上に寝込みたくはないので体調には気をつけましょう。


(3/30) 今夜は「本棚に何を並べるか」というテーマで書いてみましょう(何だ突然)。よく「本棚を見ればその人の個性が分かる」と言いますが、それは間違いでしょう。第一、本棚は人ではありません。では「本棚を見ればその持ち主の個性が分かる」と言えば良いかと言うと、これも間違いでしょう。本棚を見たってせいぜい材質は何かとか、高さ・幅・奥行きはどれくらいかとか、何色とか、何段あるとか、犬にかじられているとかが判別できる程度です。ならば、「本棚に並べられている本を見ればその持ち主の個性が分かる」とか「本棚に並べられている本を見ればそれを並べた人の個性が分かる」いうのはどうでしょう。残念ながらこれらもまだ正確ではありません。例えば図書館のように本の持ち主とそれを並べた人とさらにそれを読む人が異なる場合があって、一体誰の個性が分かるのかはっきりしません。ていうか、のっけから話が逸れてるぞ!(しかも屁理屈ばかり) そんな表現の厳密性は今は関係ないのです(<自分で逸らしたくせに)。
 え〜とですね、言いたいのは、本棚に並べられた本が本当にその人の本質を表しているのかということです(『本』の多用)。確かに本を選び所有するという行為には、少なからずその人の趣味や嗜好が影響していると思いますが、それを本棚に並べるとなると話は変わってきます。ただ物置き代わりとして並べる人もいれば、効率的に本を活用するために並べる人もいて、右手を負傷しているからとりあえず並べただけという人(笑)や、本は持っていても並べない人もいます。また本の種類によってそれぞれ対応が変わる場合もあります。だからこそ個性を反映するんじゃないかという向きもあるでしょう。それも個人的な誰にも見られないような本棚の場合は当てはまるかもしれません。しかし、職場や学校など家の外にも存在する本棚は、並べる本の種類や他人に見られているというような制約が加わるので必ずしもその人の本質が表れるとは限りません。中には他人に自分を顕示したいがために意識して並べる人もいるでしょうが、それもある意味本質ではありません。しかも並べたところで、それらの本のどの部分をどういう風に活用し、何に役立てるのかは本人にしか分からないことで、他人が知ることはできないし知る必要もありません。これは本に限らず本棚に並んでいる物全般に渡って言えることです。なのにやはり見られている本棚は対外的な並べ方を強いられる運命にあるようです。例えば研究室内では、一見研究に関係のないもの(小説とか)が大っぴらに本棚に並んでいたりすると、後輩に対する教育的な問題からも好ましくないというような指摘をされてしまいます(というかされちゃいました)。おっしゃることはごもっともで良く分かるのですがいまいち腑に落ちないのです。本棚に並んでいるものを見て何がわかるんですか。研究をちっともしないで遊んでばかりいるということでしょうか。それとも本棚を見た後輩が研究をちっともしなくても良いところなんだと受け取る可能性があることが問題なのでしょうか。もしそうだとすると、明らかに本棚を見る人間を馬鹿にした心配だと思います。少なくとも自分の研究をするためにみんな大学に来ているんですから、他人が何をしていようと自分が何をするべきかは人それぞれちゃんと判断できるはずです。それでも、いかにも研究に明け暮れているというようなディスプレイをする必要があるのでしょうか・・。
 そんな疑問を感じた昨日でしたが、もちろん自分のことは本棚の上に上げた疑問です(笑)。身に覚えがあるだけに文句も言わず言われた通りに小説の類は昨夜、本棚から避難させました(弱いな>自分)。そしたら本棚がガラガラじゃないですか。いかに研究に直接関係のあるものが少ないかがバレバレです(苦笑)。こうなったら無理にでも論文のコピィとか並べたろうかしらとも思いますが、ボロはいずれ出ますし(出るのか!)、並べればそれで良いのかという問題は残ります。あ、とはいえ最低限の尊厳は守っていて、森博嗣先生に関するものは本棚にしっかり並んでいます(にっこり)。これだけは譲れません。研究のみならず人生においても多くの示唆を受けるものですからね。無人島にひとつ持って行くとしても、森博嗣大全集(全作品収録はもちろんのこと、一生分の食料完備の厨房がある豪邸と美人秘書つき)を持って行くつもりです。

 昨日は少し論文(メインじゃない)の原稿を書きましたが、左手だけを使っているにもかかわらず手に汗握って右手のギプスの中が蒸れ気味に。このままではそのうち匂ってくること請け合いです(いや〜ん)。本日は金曜日で、今は原稿書くしかなし。そろそろオフ会用の名刺を作らねば。


(3/31) 朝から肌寒かった昨日も、起きてから家を出るまでが長かった。朝食を食べるわけでも、ラジオ体操や髪型のセットをするわけでもなく、ただレギュラコーヒーを飲んで、トイレに行ってシャワーを浴びて(注:トイレにシャワーがあるのではない)服を着るだけなのに3時間もかかってる。一体何をしているんでしょうか。途中で宇宙人にさらわれて人体実験でもされているとしか思えないのは、矢追純一ぐらいか(何の話だ)。え〜と、とにかく家を出たのが午前11時頃。そして大学にやってきたらもうお昼です。天気は快晴。空にはオレンジ色の物体が・・あ、太陽か。

 昼食後、生協に行って本の物色をしていたのですが、右手にギプスをしていては立ち読みもろくにできないことに軽いショックを受けました。毎日なにかと不便なことが明るみになりますね。はじめはトイレやお風呂が辛いなあと思っていましたが(今でも思っていますが)、そういうのは片手でも何とかなるので言わば時間がかかるという意味での不便さで、慣れればそれほど苦ではありません。それに対して立ち読みとか、靴の紐を結ぶとか、お菓子の袋を開けるといった両手を使わざるを得ない行為は、慣れても辛いですね。ここ一週間で一番多く機会があって辛いと感じるのは、財布からお金を出すという行為です(注:別にケチだからではない)。特に小銭を出すときなんか、財布を右腕と胸に挟みつつ慣れない左手で小銭を選り分けるわけですが、これがなんとももどかしくて相手を待たせるだけに心苦しいったらありゃしない。レジで支払いをしてて後ろに他のお客さんが並んだりしたら、ますます「すまんの〜」って感じになります。いつまでこれが続くのでしょうか・・。あ、あと右手が使えないのでギターを弾くこともできませんが、もともとそんなに弾けないのでこれはそれほど苦ではありません(笑)。それから料理の腕を振るうこともできませんが、振るう相手もいないので問題なしです。というか振るう腕もありません(ないんかい!)。

 そうそう、久しぶりに新たなテディもゲットしました。骨折してから更新していませんでしたが、まだまだ手は引きませんよ〜。ちなみにチョコエッグもあちこちで見かけて気になっているのですが、未だ手を出していないのはひとえに生協に売ってないからという理由が大きいです(笑)。あれば買ってしまいそう。是非本棚に並べたい・・。

 夕方、荷物が届くことになっていたので一度家に戻り待機。H山通運が届けてくれたのは、スキー板とブーツです。実はこれ、一度島根のスキー場から自分がこちらに送ったのですが、届く前に入院してしまって(苦笑)しばらく留守にしていたためスキー場まで送り返されてしまい、再び送ってもらうようお願いしていたものなのです。ようやく届きました。もちろん着払いです。例のごとく財布からお金を出すのに苦労しました。配達員のお兄さんは「お釣がない」なんて言うもんだから余計です。ということを踏まえまして、これから私にお金を払わせるとき長い時間待たされたくないという方は、お釣をご用意いただくことをお薦めします(笑)。

 昨夜はあまり仕事は進まず、読書へ逃避。現在いろいろつまみ読みをしていますが、遥洋子氏の「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」が面白い。登場する研究者や学生の姿に、学問の現場はどこも同じなんだなあと妙に納得してしまいました。「研究は表出する現象の裏側に潜む何らかの発見なしでは研究たりえない」とか「オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない」といった、上野千鶴子先生の格言めいた言葉にしびれますね。とにかく発言が的確で率直でかっこいい。「なぜ?」と問うことの重要性に改めて気付かせてくれます。

 本日は土曜日。今年度も今日で終わり。大学まわりの工事も合わせたかのように一段落(たぶん合わせたんでしょうけど)。ようやく静かになりそうです。学内の桜は三分咲きから八分咲きといったところ。木によって結構咲き具合に差があるのは、土に何か埋まっているからかもしれません(ホラーだな)。


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