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日々これ勉強(2001年1月の後半)

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若気の1月(の後半)

(1/16) ようやく逆転生活はもとに戻って朝から大学に来ています。本日は火曜日で、久しぶりに朝マック(持ち帰り)。今日はじめて知りましたけど、サーモンマックって午前10時半からの販売だったんですね。朝から意気込んでいただけに、少しぎゃふん(笑)。まあ半額フィレオフィッシュは朝から売っているのでそちらを2つ買ってとりあえずはノルマ達成でしょうか、フィレオフィッシャーとしての。

 それにしても寒い。降るか降るかと思われていた雪もそれほどでもなく、天気は良いですが、部屋の中は地獄の寒さです。と言いつつ地獄の寒さというイメージがあんまりわきませんけど。そういえば灼熱地獄とは言いますが、極寒地獄ってあまり聞きませんよね。鬼も寒さには弱いのでしょうか。それとも寒いのは重ね着をすればしのげるけど、暑いのは脱いでも防ぎようがないというイメージからかな(しかし、冷却機能のついたスーツを着れば済む話ではある)。あ、地獄って地下に落ちるイメージだから、地熱で熱いんですね、きっと(マントルとかあるしね)。それに世界中どこからでも下に向かうだけで行けるという立地条件ゆえかな。たしかに寒いところが地獄だったら北か南に向かわないとだめだし、そんな行きにくいところに地獄があってもねえという気はします。もうひとつ寒いところに行くには上空に向かうという手もありますけど、なんせそっちに行ったら天国ですからね(笑)。何の話だ。

 さて、逆転生活が戻ったのは、昨日の夜中からお昼にかけてず〜っと、放射線化学のレポートを書いていたからです、12時間くらい(苦笑)。その間は、O田君から借りた矢井田瞳(断っておきますが、本人を借りたわけでなくCDね)がエンドレスでぐるぐるぐるぐると、これでもかというへヴィローテーション。少し食傷気味になるくらいです(<そこまで聴くな)。午前4時頃にはインスタントラーメンを食べるも、こっちの方はもの足りず(よその講座の夜の住人からマメもちをいただいたりもしましたが)。レポートの内容の大部分は本の要約なんですが、それがまた進まなくて進まなくて。本格的に調子に乗ってきたのは午前6時くらいからでした。それからほとんど休みなく書き続けてなんとか昼食までには仕上がり、午後の授業で無事提出。そんなんだから授業中は眠かったですね(笑)。たまらず少し寝てしまいましたことよ。

 その後はもちろん修論を書いていたわけですが、さすがに眠くて10時には帰宅となりましたとさ。えっと合計30時間くらい大学にいたことになりますか、はは。ちょっと短かめで失礼させてもらいますが、実は今閉鎖モード中なの、知ってた?


(1/17) 1・1・7で「いいな〜の日」(ウソ)。もしくはいち・いち・ななで、何をするにしても何かにつけて毎度毎度木の実ナナが出張ってくるという「いちいちナナ登場の日」かも。うわあ、もうあのアクティビティでやって来られた日にゃ鬱陶しくて仕方ありませんよ(<やって来ません!<というか鬱陶しい言うな)。ええと、「いちいちなな」と言えば、天気予報か時報のどちらかだったような気がしますが、まあ天気にも時間にもそれほど興味がないので確かめる気もなし(ないんかい)。はい前振りはここまでね(笑)。本題は後半に。

 リズムとは恐ろしいもので、寝る時間を元通りにずらしたからと言って、昼間に本来の働きができるとは限りません。ということで昨日は実質修論が進んだのは夕方になってからでした(苦笑)。まあ、昼食後はT辺氏の放射化分析のサンプルをアイソトープセンタに持ち込んで測定までのお手伝いをしていたことですし、いいんじゃないの〜と自分を納得させております。それにやはり夜のほうが調子の良い体になってしまったのか、夕食後はそれなりに論文が進んだ気がします(気のせいか?)。相変わらず読書ができない日々であります。せめて森先生「今夜はパラシュート博物館へ」は読了しないとね(キラリン☆<なんだこの効果音は?!<効果音だったのか?!)。

 さて、本日は水曜日。九州でも雪が降って積もるほど寒さの厳しい夜です。6年前の今日の天気はもう忘れてしまいましたが、おそらく寒さは同じく厳しかったことでしょう。今の生活からは想像もできないほど、あの日は随分と早起きでした。しかしそれは寒さのせいではありません。ちょうど大学入試の年で、センター試験を受けた2日後。それからしばらくの日々のことを考えると、もう思い出すこともできないその2日間が本当につかの間の休息だったんだなと思います。とりあえずの試験が終わった安堵感から、その日の前日は少し夜更かしをしていたかもしれません。温かい布団に潜り込み、心地よく襲ってくる睡魔。やがて夢の中へ・・。そして日付けは変わり、6年前の今日。そのときは気付きませんでしたが、安らかな眠りから初めの覚醒を促したのは、全身の細胞それぞれが捉えた微かな弾性波だったのでしょう。やけに早い目覚めに首をひねりながらも時計を確認。まだ6時前か、と脳が認識した次の瞬間です。どこからか聞こえてくるドドドドという重低音のような震動が身体全体で感じられたかと思うと、すぐさまそれは世界をひっくり返すほどの揺れに膨れ上がりました。激しく突き上げられ揺さぶられる肉体は、覚醒によって獲得していた少しの自由をも失い、ただただ布団の上で屈辱的にひれふすのみ。目の焦点も定まらず捉えるべき対象はぼやけ、全方向からはあらゆる物が発する悲鳴にも似た音、音、音。タンスの自慢の鈍重さも冗談のように覆され、ほとんどの物が設置面との静止摩擦係数をことごとく打ち破られ、自由になったものたちは四方八方へと滑り落ちます。生まれて初めて経験する揺れでした。人間の心までも揺さぶる震動、正常な判断をする余裕もありません。安全が保証されているジェットコースタのような恐怖とは全く別物の恐怖に全身が襲われるのです。いわば生命が感じる根源的恐怖。もう自分の本能的判断に身を任せる以外はありません。生命としての強さやしたたかさが問われる瞬間とも言えます。そんな恐怖とダメかもしれないという諦めが繰り返される数十秒間。・・・そして減衰。どんなものにも終わりがくるように、永遠に続くかと感じられた揺れも小さくなっていきました。とはいえ、依然として床はマッサージ機のような細かな微動を足に伝えています。ただ、マッサージ機と違って心地よさは微塵もなく感じられるのは不安のみ。冬の早朝、外はまだ暗いですが停電しているらしく廊下の電灯もつきません。恐る恐る階段を1階へ降ります。こんなときまず必要とするのは情報です。一体何があったのか、いや、何があったのかは分かっています、気になるのは一体どうなったのかということ。つまり被害状況です。この時点で使えた情報入手手段は携帯用のラジオだけでした。さっそく臨時ニュースを聴いて、大変なことになっているらしいということは分かりました。今のように地震計も細かく整備されていませんから、初めは情報が少なかったのです。もちろん外にも出て近所の様子を伺います。幸いうちの周りでは大きな被害はなかったようです。さらに時間がたてばたつほど、詳しい被害状況も伝えられるようになりました。家屋のみならずあの高速道路までもが倒壊しているという情報に驚愕し、どんどん増える死者の数に信じられない気持ちは膨む一方でした。それからの数カ月というのはまさに悲惨な状況です。どこから手をつけていいのかわからない崩壊した街並。分断された交通網。家を失った人々。日に日に顕在化する水の供給不足。日本標準時を刻んでいた明石天文台の大時計も、しばらくの間、正しい時刻を示すことは一日に2回となり、望むとも望まざるとも人々の記憶に深く刻み込まれることとなったその瞬間を誇示し続けました。焼け石に水だったかもしれませんが、高校で各家庭からおにぎりとお米を集めて被災地に送ったりもしました。受験を控えた学生にできることと言えばそれぐらいしかなかったのです。後悔はしていません。その場に行ってできることもあるでしょうが、まず大事なのは身近にいる人々で、家族です。そのもとを離れてまで社会に貢献するつもりはなかったのです。そのときはまず、大学に入ること、それが重要課題でした。きっと社会への貢献なんてもっと後でいくらでもできると思っていたのでしょう。しかしそのときの精神的不安定はかなりのものだったと思います。今でこそ実家から2時間で行けるようになった広島まで、当時は5時間くらいかけて試験を受けに行った記憶があります。あれから6年の間、結局長く実家を離れる生活を続けています。4年間は広島で、そして2年間はここ名古屋。楽しい時間は辛い記憶もクリーミィにしてくれるようです。忘れることも人間の能力のひとつでしょう。被災地に住み続けていても、たぶん記憶は薄れていきます。忘れることで精神安定をはかる一種の防御機構かもしれません。直接経験していない人たちにとってはなおさら、忘れないなんてことは難しいでしょう。個人としてはそれが当然で、健全なことだと思います。「これを教訓に〜」なんてことは言いません。無理に覚えておいてもらおうというつもりもありません。ただ、あの揺れを経験した人間として、ほんの少しでも何か伝えられることがあれば良いな、という想いがあるだけです。そう人間には、後世に情報を伝えていくという能力もあるのです。1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部地震発生。なお、この記述はその地震によってもたらされた阪神淡路大震災の一個人から見た姿を、未来の人々へ伝えるための、そして何よりも未来の自分へ伝えるための少し大きな覚書ということで。最後に、この震災で亡くなられた方々に黙祷の歌を・・。

いいな、いいな〜、にん〜げ〜んていいな〜(「日本むかし話」より)。やっぱり今日は「いいな〜の日」ですね(あ〜あ震災の話が台無しだ)。


(1/18) 昨日はまたまた朝まで起きていました。家に帰ってコンビニで買ったものを食べながら、久しぶりに早朝のテレビをスイッチオン(古い表現だ)。そしたらちょうど震災の追悼式典みたいなのをやっていましたね。あれっていくらぐらいかかっているのか気になります。式典にかける費用があるなら現地の人々に寄付しても良さそうなものなのに・・と思いながら心の中で黙祷(声には出さんわな)。まあ、死者を悼む気持ちも分からないではないですが、それは個人個人がすれば済むことです。何も集まってすることじゃないでしょ、と思うのですがいかがでしょう? 現実問題として、もっと大事なのは今一所懸命に生きている人々なのでは? とは言ってみたものの、う〜ん、この問題はちょっとシビアかなあ。しかし、式典という場があることでケアされる人たち、つまりそこまでできる余裕のある人たちというのは、ある程度すでに生活が保証されている人間だと思うんですよ。やはりテレビを通じて見えるものというのは、ほんの一側面でしかないわけで。本当に生活のケアを必要としている大多数の人々というのは、おそらくテレビには映されることのない人々でしょう。それを踏まえた上で観なきゃ危険だなあと身の引き締まる思いでした。などと、ラーメンをすすりながら考えているのもどうかと思いますけどね(苦笑)。

 その後も引き続きテレビを見ていたのですが、ある朝番組の中でブックランキング(たぶん売り上げ)をやっていました。そしたら4位あたりに森博嗣先生の「今夜はパラシュート博物館へ」がランクインしているではありませんか(わーい)。いやあ、自分の本でもないのに思わず喜んでしまいましたよ〜(笑)。そんなに売れていたんだと改めて認識(今さらですが)。いつも大学生協での売れ行きしか知りませんから(もちろん絶好調)、森先生の人気ぶりを思わぬところで実感できました。ま、ランキング自体は良いのです。文句はありません。問題はこの本を紹介するときのアナウンサのコメントです。短編集の「タ」の字も言わず、見開きに書かれている内容紹介の文を超要約しただけの文章を読み、あたかもその作品だけで一冊であるかのような印象を与えてしまう紹介の仕方なのです。おいおい!そんな言い方じゃ誤解されるって(ぷんぷん)。となぜか腹を立ててしまいましたが、次の瞬間には気を取り直し、所詮マスコミはその程度の情報しか伝えられないのだと、大人らしく自分を言い聞かせたしだい。追悼式典の話にも通じますが、テレビなんてあくまでも見せ物小屋ですからね。良い悪いという話ではなく、その程度だと思って観るべきでしょう。あ〜あ、ちょっとテレビを観ただけでこの文句の嵐だ(苦笑)。いかんいかん自粛しよう。

 その後、ちょっと休んでからそのまま大学に行こうと思っていたら、なんと眠れる森のファンになってしまいました(はにょ〜)。やっぱり生活リズムは簡単には戻らないようでとほほな感じ。そしておそらく目覚めの直前で、流氷の話が出てくる夢を見ていました。北海道にやってくる流氷の話なんですが、なぜか南からやってくる流氷の話をしているのです(普通はオホーツク海側ですよね?)。しかもいつの間にか、北海道全体をぐるりと取り囲んでしまうという流氷について力説しているのです。たぶん夢の中では知り合いなんですけど、顔はわからない人がです。高校の教室かどこかで。そこを船がガガガーッと流氷を割りながら進むんだとかなんとか言ってます(南極みたいやな)。そして場面は変わり、どういう関係があるのかわかりませんが、ちょっと気になる女の子が登場したりもするわけだ(誤解のないように断っておきますが、現実にいる人ではなくて夢の中で気がある人ね)。その子の帰るルートは毎日決まっていて、流氷の話を聞いたあと、なぜか今日は追い掛けてみようと思ったのね(うわ〜ストーカだ)。でも思っただけで残念ながら(?)夢は終わってしまいました。なんとも恥ずかしい現実的な夢ではありましたが、相変わらず脈絡のないこと。そして目覚めてみたら、案の定ラジオで流氷の話をしていましたね。またこのパターンです(笑)。しかもすでに夕方(寝過ぎ)。

 太陽の光を浴びることもなく過ぎた昨日も、忘れずにフィレオフィッシュサーモンマックを買ってから大学に向かいました(他にはいろいろ忘れているくせに)。しかし夕食は生協で済ませ、マックたちは夜食と相成りましたとさ。愛でたし愛でたし(犬をね)。本日は木曜日で、そろそろ論文見せなあかんのとちゃうん?という感じの日々です。書いた文章を英語に訳すのも面倒臭いけど、日本語を考えるのもかなり面倒臭いときはどうすれば良いの?(心のぼやき) ちなみに、今のマクドナルドのキャッチコピィって「オイシサの嵐」だったような・・(え〜と、前述の「文句の嵐」にちなんでるのです<分かりにくい!)。


(1/19) 昨夜じゃなくてえっと、昨日の深夜から早朝にかけてですね、森博嗣先生の「今夜はパラシュート博物館へ」を眠れないことにかこつけて読了しました。というか、読み出したら止まらないんですもの〜。短編集なのでいずれもバラエティに富んだ作品であることは当たり前なんですが、どことなく漂う不思議な統一感、コジマケン氏のイラストも少なからず影響していますね、きっと。客観から主観への流れとでも言えば良いのでしょうか。読み進めていくうちにだんだん内部に入っていく感じです。この本の中で一番衝撃的で震えたかもしれない作品は、「卒業文集」ですね。思わずページを戻って読み返したほどです(にこにこ)。ああ、そうかそうか、なるほど、ってな具合です(笑)。そしてこの作品の前が「私の崖はこの夏のアウトライン」になっているというあたりが、読み終わってこれまた憎い順番になってるなあとほくそ笑んでしまいました。ああ、あんまり書くとネタばれになるのでこの辺で止めときましょう。修論に追い立てられながらする読書は、スリルがあって格別ですが、森先生の作品はいつだって格別なのです(しあわせ)。

 以上のように、すっかり読書で過ごしてしまった夜だったので、当然のごとく修論を書く時間は削られんぼ、そのまま寝てはまた夕方まで眠り姫で一日を棒にふってしまいかねないと判断。一時帰宅して風呂、洗濯、食事の三大家事(風呂は家事か?)を素早く済ませ、横になることもなしに大学へとんぼ返りいたしました(どっちに住んでるんだか)。午前8時半頃、久しぶりにN大学の教養棟にあるマクドナルドに寄って(おお、この辺は「ぶるぶる人形にうってつけの夜」に出てきたところではないか、などと思いつつ)、サーモンマックを2個購入(残念ながらここには今、フィレオフィッシュがないのです)。毎日着実にサーモンマッカーの道を歩んでますね(感心感心)。それにしても、このあたりは朝から活気があって、華やかで、理学部一帯とは大違いだなあ(苦笑)。教養の授業はこの一帯で開かれているらしいので、1、2年生がほとんどなんでしょうか(どきどき)。混ざって授業受けたら浮くかな(むしろ沈んだりして>いろいろ背負ってるしね)。え〜と、大学1年と言えば19歳くらいだから・・うわっ結構離れてるな、ってやめやめ!歳の差を考えるなんて年寄りくさいことをしていてはいけないのだ。断固思考遮断。考えなかったことにしましょうましょうましょう(エコー)。

 昼間は断続的に襲ってくる睡魔との死闘を繰り広げながらも、なんとか頑張って総合成績は2勝7敗というところ(<寝てるじゃん・トット<またマニアックな駄洒落を・・)。ほんと死ぬかと思うくらい眠かったですが(ちょっとオーバ)、いろいろ仕事はこなせたかと。夕食後も論文書いては寝て、寝てはお菓子を食べたりで、受身形の分割睡眠を余儀無くされる夜でした。最近アップルが発表した無料ソフトのiTunes(まだ英語版のみ)がなかなか良くできたソフトでちょっとはまり気味です。音楽CDからMP3ファイルが簡単にできてしまって朝からどんどん手持ちのCDを圧縮してしまったり、世界中のラジオまで聴けてしまうので、それでケルト音楽なんかをずっと聴いていたから眠くなったのかもしれません(笑)。ちなみにマックユーザしか使えないソフトなのでウィンドウズユーザの方はあしからずです。

 本日は金曜日。1・1・9で、救急の日ってわけじゃないですよね(たしかそれは9月9日だったような記憶)。さ〜て、ぐっすり眠って今日も朝から論文モキュモキュ書いちゃおうっと(女子大生風<そうかあ?)。


(1/20) 昨日も意に反して眠ること約12時間(ぎゃふねすと)。あ、念のために説明しておきますと、「ぎゃふねすと」というのは「ぎゃふん」最上級のことです。別に「最もぎゃふん」とかでも良いんですけど、それだとどことなくあからさまに説明的でルーチンワークに載せてしまったかのようなつまらなさがありますし、かといって「most ぎゃふん」だったりすると、なんだか某ヒゲソリの宣伝の「very 切れてな〜い」みたいでちょっと後ろ寒くなる無理矢理感が否めない感じです。というわけでそれらは却下。で、「切れてな〜い」と言えば、昔H大学のスキー部にいた頃、合宿中このヒゲソリ広告のコピィのパロディが異様な盛り上がりを見せていたことがありました。はじめはちょっとした言い間違えから始まったものだと思いますが、日々の練習の疲れも手伝ってかそのパロディがバカ受け状態で、笑いが止まらなかった記憶があります。今思えばくだらないことでよくもまああそこまで笑っていられたなと感心すらしますが、笑いにはコンテンツだけではなく状況も必要であることの証拠かもしれません。ですからここでそのパロディ化したコピィを書いたとしても、おそらく面白くないでしょうね。んがしかし、「別にここはお笑い道場じゃないぞ!無理して笑いを狙う必要はないのだ!もっと気楽に行け!」と自分にしっかり言い聞かせた上で(笑)、書きますと、それは本来の宣伝なら、ヒゲを剃ってる最中にアクシデントでヒゲソリを横に滑らせたにもかかわらずあごが切れてなかったので、それを確認しつつ「切れてな〜い」と外国人的アクセントで言うところを、「剃れてな〜い」と言うのです(笑うところ)。そしてツッコミは「ダメじゃん!」ね。ヒゲを剃ることが目的であるはずのヒゲソリを使ったにも関わらず、剃れてないとはこれいかにってな具合。伝わるかなあこの可笑しさが。弱めの田中邦衛っぽい発音で言うことも重要なファクタとなりますので使用の際は気をつけましょう。そして、姉妹品として、飲み会のときにお酒を残しているやつに向かって「飲めてな〜い」とか(アルハラだな)、渋柿を知らずに口に含んでしまったときに渋い顔をしながら「熟れてな〜い」とか、修論も頑張った甲斐あって今日でいよいよ完成だぁと思ったら実は夢を見ていただけで「できてな〜い」などがありやなしや。そしてもう少しレベルが上がると、普通の剃刀を使ったために気付いたら「切れてるぅ〜」とか、あるいは何の変哲もなく普段通りにヒゲが「剃れてるぅ〜」などが使いこなせるようになるでしょう。ちなみに比較級は「ぎゃふな〜」なのです。って一体どこにちなんでんだか。さあ、もう何の話をしたかったのか分からくなってきましたが(笑)、こういうのを話が逸れてるぅ〜と言うのです(というか、逸れるほどの話をまだしてないぞ!)。

 そんなわけで(どんなわけなのかもはや不明)、朝からどころか、昼からも論文を書けなかったという有り様で、夕方頃にのこのこ大学にやってきて、とにかく日本語で書いている部分を英語に訳す作業をしこしこと。しかしすぐに夕食で中断。思考が中途半端で途切れることもあるので、本当は食事なんかしない方が望ましいのですが、そこはそれ、あそこはここで、港のヨーコは横須賀です。夕食後はそれなりに論文書きも進み、生協で買ったマイフレンドという見たことのないメーカのカップラーメンを食べました(それなりの味)。今いる部屋(もちろん大学の)はストーブのおかげでぬくぬくですが、幸福の木は元気がありません(葉っぱの色がやばい)。そろそろ部屋(自宅の)も年末の掃除の時期を逃したせいでほこりが積もって床への荷重が増えつつある冬も真っ盛り、冷蔵庫の中に入っている物といえば土産でもらった使いかけの納豆味噌キンキンに冷えた空気(しかも納豆味噌の香りつき)くらいですが、その横に去年の秋頃から仕掛けてあるゴキブリホイホイの中身はまだ見ていません。などとどうでもいいようなことを脈絡もなしにつらつらと書いているときは、特にどこへも出かけず何も書くことがなかったのだなと判断していただきたいスケ。まったく、こんなことしてないで論文を少しは進めなさいって(>自分)。ふぁ〜い(<返事がだれとるぞ!)。

 本日は土曜日で、どうやらセンタ試験ですか。先生方が何人か駆り出されているようで、ご苦労様です。


(1/21) 昨日はお昼から雪が降り始めました。夜にはそれが雨になって積もった雪もシャーベット状態です。朝になってからの冷え込みが少し心配ですね。地面が凍ったらまたあちこちで転ぶ人や事故が多発しそうです。そうそう、センタ試験を受ける受験生は特に気を付けましょう。滑って溝に落ちたりしたら、シャレになりませんからね。って、この受験シーズンに平気で滑るとか落ちるなんて言葉を使ってて(それもわざわざ太字にして)、いいのかあ?(笑) まさかこんな時期にこんなとこ見てるような受験生はいないと看破してのことですが(わくわく<すんなって)。もしいるんだとしたら、こんなとこ見てる暇があるなら勉強しなさい!って、ほんと。まあ、修論で忙しい時期に飽きもせず毎日長々とこんな日記を書いてる奴に言われたかぁないでしょうけど(苦笑)。

 センタ試験と言えば、天気によっては全国で受験条件をそろえるために開始時間が遅れたりしますよね。しかし、そもそもみんな同じ条件のもとで試験を受けさせようとするところに無理があるような気がします。日本全国で同じ日の同じ時間に同じ問題を何万人もの人間が一斉に解けるという状況の方が奇跡的ですらあります。季節柄、毎年日本海側では大雪が降ることもあり得るでしょうし(現に今降っているのでは?)、それに伴って交通機関が乱れることは簡単に想像できますよね。確かに同じ条件で実施された試験の結果はそれなりの客観性がありますし、全国での順位もつけやすくて便利でしょう。しかし、それで選択できるのは、せいぜい決まった日に体調を整えられて、制限時間内に集団の中という条件のもとで資料も見ずに問題を解く能力を持った人間、あるいはサイコロでマークシートに記入して高得点を取るような強運の持ち主ぐらいです。あとの部分は何の保証もされてないんですよ。そろそろ大学もセンタ試験に頼るのをやめてみてはいかがか。学生の学力低下を嘆く前に、選抜方法を少しは工夫すればいいのに(やってる大学もあるんでしょうけど)。なんて言ってますけど、別にセンタ試験を無くしてしまえなどとは思っていません(笑)。試験は試験で意味があるものだと思いますし。えっとつまり、学力試験以外の評価基準にも学力試験と同じくらいの社会的価値を持たせるべきではないかというお話です。まず学力試験、という関門があるからなんとなく学生時代というのは進む先の方に偏った閉息感があるんじゃないでしょうか。学力試験だけじゃないと子供たちが認識できるような社会だったら、なんかもっとのんびりできそうじゃないですか、ねえ。その辺を新しくなった文部科学省あたりに期待します。と、偉そうに言ってはみたものの、そうは問屋が卸さないでしょうね(ふむ〜)。そうこうしているうちに、朝が来ればセンタ試験が始まります。全国で条件をそろえられるのは、やっぱり日本の国土の狭さゆえなんでしょうね。これがアメリカだったら、広すぎて全国一斉に同じ条件で試験を実施するというのは無理でしょう。まず時間からして全国一緒じゃないし(時差でね)。

 お、いつになく真面目に語ってますが(笑)、ここからはギャグです(宣言)。修論を英語で書いていることもあり、今さらながら英語の構文とかを確かめたりするのですが、一昨日チャート式の英語構文の本(O田君のを勝手に見ました。しかも別に調べるためではなくなんとなく)を見ていて面白いものを発見しました。構文なんて勉強したのは何年も前のことなのですっかり忘れていたのですが、比較級にはなんとラテン系比較級という代物があったのです(常識?)。この文字面を見た瞬間もう頭の中では、ランバダの映像しか浮かびませんでしたね(笑)。ラテン系ですよ、ラテン系。血沸き肉踊る陽気なラテン系ですよ(修飾しすぎ)。一体どんな比較級なんだあと思って詳しく見てみたら、例えば「senior to 〜」(〜より年上の)という形で表される比較級でした。つまり、「junior」とか「superior」など、「or」で終わる比較級がラテン系ってわけだ。しかしこれは「オア〜!」だからラテン系なのではなく、ただラテン語から来ているというだけでラテン系なんですよ、たぶん(不満があるのか?)。ほら、ここまで来たらもう展開が見えてきたような予感。そう、そこで21世紀に相応しい比較級として、「チョーすごーい」とか「チョーいい感じ〜」などと何でも「チョー」で済ませてしまう渋谷系比較級というのはどうか(笑)。21世紀に相応しい? というか渋谷系というのを雰囲気だけで使ってるけど合ってますか?

 ああ、またもや書き過ぎの感ありありで読みづらくてすみません。しかし実はそれ以上に書きづらいのです(<やめれば?)。本日は日曜日。雪が凍っていませんように、と願うばかりか、修論がひとまず書き上がることを切に願うショゾンです。


(1/22) 閉鎖モードとか言いながら、最近ちょっと書き過ぎなので今日は控えめに生きます。ってもっと全面に出て生きれ! 違う! そういうことじゃなくて、控えめに逝きますってことだ。ほおそうそうか、人目を忍んでこっそりと息を引き取るわけだな。ノー!そうじゃない! 違うちが〜う! そういうことでもないでしょ。しっかりしろ。本当は控え目に活きます。ってそれじゃ無理矢理連想すると、活きは良いけどまな板に乗せたら大人しくなるというまな板の上の恋のようではないか。そう、恋なんて案外狭いところで展開されたりするということの喩えですね。う〜んなんとも言い得て妙だなあ(心当たりが?)。というか、お〜い!どんどん方向がずれてるぞ〜。そろそろやめといた方がいいんちゃうか? 戻りなさい! しょっぱなから便秘のように下らん変換ミスネタで引っ張るな〜。いい加減にしないと呆れられてしまうのがオチだ。気をつけろ(>自分)。はい、了解。ではでは控え目に行きます(今さら〜)。そうだ、控え目って英語で言うとスペアアイかな?(しつこいぞ)

 昨日の昼頃、福祉事業に関する夢を見ました。主な話は老人介護に関することで、なぜか分からないけど、アシスタントっぽい人にたけし軍団水道橋博士が力説しているのです(いつものあの調子で>ってそれほど知りませんが)。それにしても語っている内容がお笑い芸人に似合わずえらく真面目なんですよね。詳しくは忘れましたが実にもっともらしいことを言っているのです。そして目が覚めてみると、案の定ラジオから福祉に関する話が流れていました(笑)。面白いように耳で聞いてる情報と夢の内容がリンクしています。そしてやっぱりというか、当然というか、ラジオで語っている人の口調はどことなく水道橋博士を彷佛とさせるものでしたね(しかしよりによって水道橋博士が出てこなくてもねえ)。このパターンばかりで申し訳ないですが(誰に対して?)、これはこれで使える方法ではないかと思うのです。つまりですね、今のままなら一方的にラジオから流れてくる内容にリンクした夢を見ることしかできないわけですが、それを逆手にとって、自分で見たい夢の内容(ストーリーやセリフを含む)を具体的に予め録音しておいて、寝ているときに自動的に流れるようにセットしておけば、わりと近い内容の夢が見られるような気がしませんか?(笑) ただ、見たい夢の内容によっては録音するときに虚しさと恥ずかしさが伴うのが辛いところ。一人で何役もするのは大変だし、ほら、見たい夢って、たいてい恥ずかしい内容でしょ?(いや〜ん)

 とまあ、夢を見て午前中に一度目を覚ましたんですけど、次に気付いたときラジオから流れていたのは、広島で開かれていた都道府県対抗の駅伝のゴール模様でした。ちなみに愛知県が初優勝だったようです。それが午後3時。せっかくの日曜も半日を寝て過ごしてしまったなあと、えも言われぬ罪悪感に苛まれながらお風呂にのんびり入って歩いて大学へ(帰りが雪で徒歩だったため)。随分雪は解けたようですが、まだところどころに残っています。今夜も凍ってしまいそう。昨夜はサーモンマックも食べずに(実は買いそびれただけ)相変わらず修論を書いておりました。あー楽し。

 本日はもう月曜日。レポートを書いてからもう1週間が経ったのかという放射線化学の授業があります。なんか再来週あたりにテストがありそうな予感。テスト勉強なんてしてる暇あるのか・・う〜む。


(1/23) 昨日は午前中に起きる日でした。どうも、午前中に起きる日と午後に起きる日が交互にやってくるようです。朝は大学マクドでサーモンマックを2つ買い、1つを論文書きながら食べてやがて昼食。午後は工学部の授業で昨日が最終回でした。そしてなんと来週が、その光化学・放射線化学のテストでした(やばいなあ)。その後生協に寄るも、これといった収穫はなしで研究室に帰還。あとはひたすら修論を書く一日でした。

 ずっと英語で文章を書いていると、さすがにキータッチも慣れてくるもので、はじめは中学生1年生打ち(キー入力がたどたどしいことのたとえ)だったのが、今では英会話教室に通い始めた中堅サラリーマン打ちぐらいに上達しました(それで上達と言えるのか?)。そこで改めて気付いたのは、キーの配列が英語が打ちやすいようになっているということです(当たり前か)。英語の文章では、単語を入力する旅に、そうそうキーボードのキーひとつひとつが全国に散らばっていて、文章を書こうと思ったら各地でひとつづつキーを打ってこないといけないわけか。だからそういう鉄道の旅に出るんだな、ほほう。駅弁とか食べながら、途中下車したりして一文字づつキー入力をしてくわけね。そうなると、もちろん青春18切符がお得で便利だよね。今は18切符も5枚つづりになってしまってちょっと使いづらいけど、なんせ単語入力の旅だからね、長い文章を打つときはそれぐらいあっても足らないくらいじゃないかな。そうそう、冷凍みかんなんかも懐に忍ばせておきたいアイテムのひとつだね(冷たいけど)。ってまた話が逸れてるぞ!(しかも鉄道の旅になってるし) またこのパターンか。二日続けて同じパターンじゃあまりにも芸がないんじゃないのか。手抜きというのがばれるぞ。いや、ちょっと待て。別に手を抜こうが足を引っ張ろうが勝手ではないか。好きにさせて欲しいものだ。そんなことお前にとやかく言われる筋合いはない。というかお前って誰だ! そもそもこれは誰の心の中を書き表わした文章なんだ? それは後ほど明らかになる・・なんて書いてみても、これは小説じゃないんだから、無理があるってもんだぜ。どこから見ても日記じゃねぇか(見えないかもしれないが)。だったら本人の心の中を書いているのは明らか、そんな疑問自体が馬鹿げてるってもんだぜ。ってなんか口調が不良っぽくなってるぞ。ところで本人って誰だ? 本人とは僕だよ。もしくは私のことですよ。たまにゃ俺ってこともあるぞ。ところどころでうちのことやろ。つまりは色んな人が書いてるんですね。おお、なんと共作だったのか(凶作の間違いじゃないのか?)というわけではなく、見た目は一人の人間です。しかし、一体一人って何なのか。エラリー・クイーン藤子不二夫は二人で一人だったし、マイケル・J・フォックスエディ・マーフィなんて一人で何役もやっている。何をもって一人とするのかという疑問は、当然「一つとは何か」という問題に帰結するわけで実に興味深いテーマではありますが、その問題につきましては紙面の都合上、議論を控えさせていただきます(別に紙に書いているわけじゃないけどね)。なんて言ってるから、ほら! もう何の話だったか・・えっと、あ、そうそう、単語を入力する度にスペースを打たないといけませんよね、英語の場合(ようやく戻った)。それがはじめは面倒臭いなと思っていたわけです(ああ、なんだか関係ないこと書き過ぎたので、もうこの話をすること自体が面倒臭さくなってきたな・・苦笑)。しかし、慣れてくると案外無意識にスペースを打っているもので、スペースを打つ速さにかけてはアメリカ連邦裁判所で裁判記録をタイプする人並みくらいにはなったんじゃないでしょうか。というのは嘘です、すみません。ご存じの通り実は日本語を打つときでも変換するのにスペースキーをしょっちゅうたたいていますよね(笑)。別に英語で慣れたわけではありませんでした。それにスペースを打つのが速いってのも、ただスペースキーを連打するだけなら速いっていう裏技だったという話(>裏か?>というか技か?)。とにかく、論文書くのがタイプライタの時代じゃなくて良かったと思う今日この頃です(打ち損ないの嵐だからね)。

 さて、本日は火曜日。単調な毎日。嫌々ながらも英語を書く毎日。今日も似たような日になることでしょう。メールのリプライが遅れ気味ですがご容赦を。こんな新世紀の幕開けからすでに世紀末的廃退感が漂う最近の終末的状況を、あえて想像困難な擬態音で表現してみると、なんとなく、ぞにょみろ〜ん。


(1/24) 昨日もなんと朝に目覚めました。二日連続で午前中に起きるとは、輝石ですね。ってそれじゃパイロキシンではないか(変換間違いがマニアックだぞ。しかもカタカナで見るとパイロゲンと間違えそうだし)。単語登録の優先順位が論文仕様になっているのです(笑)。偶然ですからね、狙ったわけではありません。さすがに三日連続で同じネタじゃねえ(と言いながら書き直さない人は誰?)。正しくは奇跡です。と正してはみたものの、そこまで言っては大袈裟でしょう!(自分で言っといて即刻否定かい) 二日連続で午前中に起きれたからといって、それを奇跡と言っちゃあ、マリア像が涙を流しただけで奇跡になってしまいます。おっと、違う違う。また間違えた。「マリア像」ではなくて「マリア象」ね。つまりマリアと言う名前のゾウさんだって涙を流すことくらい普通にあるよ、という意味です。だから午前中に起きることも奇跡なんてことはないわけですね。ああなんというわざとらしい間違え方だこと(笑)。こんなことしてるから話が先に進まないのだ(そして先に進めても何もないのだ!がーん!)。「本当に日記か、ここは」という、内なる声を抑えつつ・・。次いってみましょう。

 少し前の話になりますが、留守中に荷物が届いていてそれは当然持ち帰られ、代わりに「郵便物の預かりのお知らせ」がポストに入っていました。そして、そこに書かれてあった受取人の名前が間違っていたのです(つまり私の名前ですね>今日は「私」らしい)。具体的に言うと名字が「栗田」になっていました。う〜んおしい! というか違う(笑)。残念ながら私の名前は栗田でも栗ボーでも栗リンでもありません(見た目はクリリンだが<言うと思った)。確かに字面的には似てなくもないですけど、栗田と間違われたのはおそらく初めてです。あ、念のために言っておきますが、差出人の方が間違えたのではありません。つまり、郵便配達人が名前を間違って読み取ったということですね。さあ、こうなると気になってくるのが私の本当の名字ですが、しかし、ここを見てる人はたいてい知ってるんだもんなあ(苦笑)。やりにくいったらありゃしない(<文句を言うな)。とにかく栗田と間違われるとは、夢にも思ってなかったぞ、どういうつもりだ、ぷんぷん。という話(全国の栗田さん、すみません)。まったく、しっかりしてくれ、え〜っと、総務省

 栗で思い出したけど、小学校の同級生で栗原君っていたなあ。彼の家は近所にあって、何度か家に上がらせてもらって遊んだ記憶がありますね。門を入ってから玄関までが25メートルプールくらいある大きな家でした(プールの何があるんだ?)。庭には二羽鶏がいることはありませんでしたが、裏庭には栗の木が植えられているという良くできた話もありません(ないのか)。家の中も広くて(うちの実家に比べれば、ですが)、今となってはその内部構造を思い出すことができないくらい複雑怪奇な時計が置いてある玄関が印象的だった、という友人の証言が得られています(そんな話は初耳だ)。それにひとつひとつが広くて掃除が大変そうな各部屋もとても整理整頓されていて綺麗な家でしたね(うちの実家に比べれば、である)。しかしそんな家も、やり栗上手な栗原君が引っ越してしまった後は、空家となってしまいました(やりくり上手というのはダジャレのためのフィクションです、念のため)。噂によると父親が県議会議員に栗上がり当選したから引っ越した、という話もフィクションです(笑)。今頃どうしているかなあ。

 さて、昨日は少し単調ではなかったようで、昼食後は新しく届いた放射化分析用のサンプルを測定するためアイソトープセンタで1時間くらい作業。これは一応自分の仕事です(半分ほどですが)。それからとりあえず書き上がった第一稿論文を添削してもらうため助手のM先生に渡し、コーヒーフィルタを買いに行くという名目でK藤氏とH君とともに生協へ。ついでに大学内のマクドナルド(リンクしてみました)へ寄りサーモンマックをゲット(本当はこっちが本命)。もちろんサーモンマッカーたるもの、2個ですね(笑)。戻ってきてすぐサロンでひとつを食しました(やぱり美味しい)。これでいくつめでしょうか。サーモンマックはどうやら2月4日までの販売らしいので急がねばなりません(何を?)。あといくつ食べられるかな〜。

 そして夜、修論もまだまだやることが残っていて、書き足りないところを書き出したり表や図を作ったりの作業。さあ、心の締め切り日は近い(26日)。それまでに一体どれだけできてるの(季語なし)。本日は水曜日。実はひとつ残っているサーモンマックはこれから食べるのです(にこにこ)。


(1/25) 快晴だった昨日もなんとか午前中に大学へやってきて、昼食後から本格的に修論作業の巻。と思っていたら、今日も放射化分析のサンプルが届いて(予定通り)、まずはアイソトープセンタで測定のための前作業に1時間ほど消費。それから2時間は再び修論に伴う作業をこつこつ。午後5時頃にお菓子の調達ついでにアイソトープセンタへ寄ってサンプルの自動測定開始。いや逆か。測定のついでにお菓子の調達です。まあ、どっちでも良いことですが(現象としては同じなので)。そして夕食後は、ずっと修論作業が続いています。

 論文はたいていの場合が必要とされます。もちろん論文の本質は文章で述べられていることに尽きると思いますが、視覚的に訴えるものがあった方が論証にもより説得力が付加されるのは間違いありません。印象にも残りやすくなりますし。とはいえ、グータラ学生の場合(誰のこと?)、読み方が浅いと図しか印象に残っていないという状況に陥ることが多々ありますけどね(苦笑)。そんなわけで修論にも図が必要不可欠なので先程も図を作っていたのですが、やっぱりアナロギィな作業は時間がかかります。性格上の問題もあるかもしれませんが、ひとつの図にどっぷり3時間くらいかかってしまいましたからね(疲れるったらありゃしない)。もうこれで完全燃焼してしまった感ありです(ほら、眠気も襲ってきた・・)。しかし、なんせグータラ学生が書くような論文ですから、論証を補強するといった効果的な図が作成できるわけもなく、敢えて形容するなら破れた服に縫い付けるアップリケというか、ひび割れた壁に土を埋め込む作業にも似たその場しのぎの取り繕い、あるいは猫騙し的めくらまし効果を狙ったような、取って付けた飾り物の域をなかなか抜けらないそんな姑息な図に力を入れるしかないのであった(わはは)。しかしながら、そんな図を作ったところで所詮見かけ倒し、取り繕うことができるかどうかは疑問の余地ありですな(苦笑)。そんなことを思う夜更け。

 うちの研究室のサロンには、ありがたいことに毎週のようになぜかアエラが届けられます。さてなぜでしょう? の答は「Y本先生が購読されているから」ですが、アエラ自体はサロンにオキッパにしてあって、他の人たち(特に情報に飢えた学生達)に読まれる運命にあります。そして新しい号が届く頃には、かなり読み込まれてお茶やらコーヒーなどがついてふにゃふにゃになってしまうのです(笑)。忙しい日々の中で、結構な情報入手手段になっているのは確かですね。で、その今週号に、熊本県知事の話がありました。全国で2人目の女性知事、全国初の福祉現場からの知事とのことで、熊本県のこれからを期待させるものでした。ってなぜお前が期待するんだ? と疑問にお思いの方もおられることでしょう。何を隠そう、うちの父親の田舎が熊本なのです(以前言ったかな)。小さい頃からよく里帰りで熊本に行っていたので、なんとなく気になるんですよね熊本が(笑)。そう、熊本と言えば、よく遊んだそこの従兄弟たちはみんな結婚しているんですよねえ(当然働いている)。まあこればっかりはどうにもならんことで。もし結婚するとしても結婚式で焼酎をたらふく飲まされるのだけは、ご勘弁願いたいなあ・・。などというふうに、熊本つながりで記事を読みながら感慨にふけっていたわけではなく(ないんかい!)、実は記事を読んでいてドキッとした箇所があったのです。その熊本県知事を支持していた人の談話か何かだったと思いますが、その記述の中で「大分香りの森博物館」という文字を見たとき、「まさか!」と思ってしまいましたね。たぶん、その筋の方はもうお気付きかもしれませんが、そう、「森博物館」という文字を「森博嗣」と見間違えてしまったのです(笑)。なに〜森先生が熊本県知事に関係あるのか? と一瞬息を飲みました。いやあ、われながらなかなかの妄想ぶりを発揮ですね。一人で読んでてよかったよかった(ほっ)。

 本日は雲がもくもく出ることがあるかもないかも木曜日。引き続き修論と放射化分析の作業ありで、午後からはうちの講座の学位論文発表会T水氏とT橋氏)があります。そしてなんとその夜には、学位取得祝賀会で飲み会があるのです。ほれほれ、こんな時期に酒だ!どうだ、まいったか!わっはっはっは!わーっはっはっはっはっはー(悪魔の雄叫び)。


(1/26) はあ、そろそろ酔いが覚めてきました。しかし、まだ頭が痛いなあ。そう、お酒を飲んでほろ酔いです。昨日はお昼前に大学へ来て、昼食後は午後5時頃までずっと学位論文発表会でした。1時間半くらいしゃべり続けいて、なかなかに疲れそうですね、あれは。数年後に自分が同じようなことをするとはとても想像できません。もっと勉強しなきゃなあと痛感(苦笑)。とりあえずは修論を仕上げることが鮮血ですが(うわっサイコやな)、じゃなくて先決ですが、そのあとはいろいろ勉強したいことが山ほどあります。なんか真面目? いえいえ、ただ今までやってきた勉強が不十分だったのでやり直しの必要ありというだけのことです。このままではとても学位論文の発表なんてできない気がしてなりません。と弱気なことを言っているのはアルコールが入っているせいだと思ってください(ふにゅ〜)。

 あ、思い出した! 来週テストがあったんだった・・どよ〜ん。いやなことを思い出したなあ。ますます凹んでくるではないか(泣笑)。しかし、泣いても笑っても怒らないのが赤ちゃんです。お、なるほど、自分で言っといて気付きましたが、「泣いている」「笑っている」も、顔の表情を表していて、「怒っている」というのは必ずしも表情には表れませんね。そういえば、「楽しんでいる」「悲しんでいる」「喜んでいる」というのも表情とは直接関係ありません。つまり、喜怒哀楽のどれもが基本的に表情とは直接的な関係にはないわけです。喜怒哀楽は感情の状態を表し、泣いたり笑ったりというのは表面的な事象を表しているんですね。とりあえず笑うことと泣くことがコミュニケーション手段として最初に備わるということは、おそらく動物の本能的な行動なんでしょうね。人間にいつからそういう機能が備わったのかは知りませんが、初めは感情とは無縁の行動だったはずです。そう考えると「泣く」というのは何も「悲しい」ときの専売特許でないことになりますね。嬉しいときに泣くのも感動したときに涙が流れるのも不思議ではないわけです。そもそも感情とは関係ないのですから。感情と結びつくのは後天的なものかもしれません。笑ったときや泣いたときに、親にどういう対処をされるかによって、人格形成とともに感情とリンクしていくんでしょうか。もしそうだとしたら、涙もろい人笑い上戸の人が存在するのも、そういうことが原因かもしれませんね。と関係ないことを書いて、わざと本題から目を背けていますが、そんなことをしている場合ではないぞ(と切り替え)。はいそうでした。テスト勉強をしなければいけないのです。ああ単位を取ろうなんて思わなければよかったでござる。にんにん。<どんぐりまなこでへの字口の人?

 本日は金曜日で修士論文心の締め切り日。とうとう来てしまいましたね、この日が。さて、どこまでまとめることができるのでしょうか。昨日はほとんど何も進まないで終わってしまっただけに、今日の頑張りにかかっています。昨日は雨降りでしたけど、雨降りは我がクイーンエリザベス2世号(自転車ね)にとって天敵なのです(泥よけがないから<いい加減買いなさい)。どうせ降るなら雪にしてって感じ。今日は半額フィレオフィッシュを買いに行くためにも晴れにしていただきたいところ。VTR、お願い(モーニング娘。?)。マニアックだったか・・。

 深夜のコンビニの決戦ならぬ牽制合戦。


(1/27) なんだあ? 昨日の最後の書き込みは(↑)。と思っていたら、はは、そうか今日書こうと思っていたネタに関するメモでした(笑)。自分用のメモとして書いたものでアップしたつもりはなかったんですけど、おかしいなあ。酔っていたせいか消し忘れていたのでしょうか(はずかしいな)。約一日あのままだったわけで、さぞかし謎の文章だったことでしょう。フォローがないと意図、意味ともに不明ですね。もし気になって夜も眠れなかったという方がおられましたら、失礼いたしました。う〜んしかし、このまま何もなかったようにしれ〜と触れずにおいておいたほうが、案外気付かれずに済んだということもあり得るのでしょうか(笑)。ともあれ、もう触れてしまったものは仕方ないですからね(<消せばよいのでは?<消すほどじゃないのだ)。では以下に書きましょう、「深夜のコンビニの決戦ならぬ牽制合戦」についての種明かし、ならぬネタ明かしをば(ああはずかしい)。

 近頃、修論を書いている関係で夜遅くまで大学にいるのですが(修論なんて関係なくいつも遅くまでいるじゃないかというツッコミ多数)、帰りに食べ物を調達して帰ろうと近所のコンビニに寄ることがよくあります。深夜のコンビニはお客さんが当然少ないので、店員さんもひとりで店の中を切り盛りしています。見ていて暇そうではありますが、商品の入れ替えなどで大変そうに見えるときもありますね。昨日の深夜も3時くらいに寄ったのですが、こんな時期だからかお客さんはわりといました。入ってすぐターン・ザ・ライト、どこでも見かけるずっと立ち読みをしている人、その人の後ろから並んだ雑誌を眺めてみるも、めぼしいものはなく(読んでる時間もないのですが、ついつい通ってしまうルートです)奥まで素通りしておにぎりを物色したりデザートによだれを垂らしたりして(ほんとには垂らしません)その辺をしばらくうろうろです。こうやって、たいてい一通り見て回りますが、買って帰るものは店に入る前から8割方すでに決まっているのです。コンビニってそういうところじゃないですか。それにゴミのことを気にするようになってからは、残念ながらデザート系はほぼ全滅ですね。あれだけ眺めているくせして決して買うことはないのです(笑)。入ってすぐに欲しいものを手に取ってすぐ出て行くってのは、ちょっとゆとりがなさそうに見えるので避けたいところじゃない?(そんなところで見栄を張ってどうする<というか見栄か?) で、結構うろうろしていましたが、この間ずっと店員さんの姿が見えません。別に透明人間だったとか、目をつぶっていたというオチではなく(透明人間がオチだったらそれはそれで凄い)、おそらく店の裏で何か作業をしていたのでしょう。自分の手にはもうパン系ラーメン系の商品を持っていていつでも精算できる臨戦体勢です。このとき他のお客さんにも動きがありました。その人も結構手に商品を持っています。そして、いまにも精算できそうなのになかなかレジのところへ行こうとしないのです。だもんで、その人がレジに行ったあとで買おうかなと、少し別の場所へ移動し欲しくもない商品を眺めてみます。しかし、その人はちらっと周りの様子を伺ったかと思うと別の陳列棚のところへ行っては商品を見ているのです。なに〜ひょっとして奴も同じか。それを待っているのか。いやいや、まだわからないぞ、ここであせってはだめだ、ああそう言えばカレーが食べたいかも〜、と無理矢理思ったりして、それからカレールーとゆで用のそばも追加で手に取って時間をかせぎます。まだ店員さんは姿を現しましません。それでももうひとりの客は手に商品を抱えてるのに、まだレジへ向かおうとしないのです。うぬぬぬ、敵もさるものなかなかに手強いやつ。もう夜中の3時過ぎです。いつまでもこんなところに長居はしてられません。ええい!もうよかよか! おいどんの負けですたい。先に買ってやるばい(ほんなこつ)。てな感じで無人のレジへ行って、店の裏にいるであろう店員さんに念を送ります(すいません〜買いたいんですけど〜お願い、気付いて〜てね)。ここで待っている間の気まずさといったらないですね(笑)。さっさと呼べばいいじゃないか、と言われそうですが、店員の姿が見えている場合ならそれも可能ですが、見えない店員に声をかける場合、しかも他にお客さんがいるとき、それはなかなか難しくありませんか? はたしてどれくらいの声で呼べば聞こえるのだろうとか、一回で気付かれなかったらかっこわるいなとか、あんまり叫ぶわけにもいかないしなあ、などと葛藤があるわけですよ(小市民)。結局昨日は、すぐに店員さんに気付かれて素早い「いらっしゃいませ〜」という声が聞こえたので、ことなきをえましたが。店員さんに思わず好感をもってしまうほど安心しましたね(笑)。にこにこ。としてたらですよ、すぐ後ろに並び始めたのはさっきの客じゃないですか。やっぱり貴様も誰かが先にレジへ行くのを待っていたわけか。この意地汚いゲスやろうが! と心の中で罵ろうとしましたが、つまりは自分に向かって言ってるようなものだなあと思い直し(苦笑)、みんな考えることは一緒なのかと思うにとどまりました。おそらく全国どこでも夜毎にこんな牽制のし合いが繰り広げられているものと想像します。人の後ろに並ぶのは、やはり誰もが取りがちな安易な行動かもしれず、新たな開拓をするにはそれなりの覚悟と勇気が必要なのだということを、コンビニで知ることとなった夜でした(笑)。コンビニで買えないものはないですね。ふう・・。

 昨日は、睡眠時間が短かったにもかかわらず、なぜかいつもよりも早起きで午前9時には家を出ました。それから久しぶりに東山のマクドに行ってフィレオフィッシュを2個買いです(にこにこ>しゃれじゃないよ)。大学へ来てひとつを食べ、修論の作業開始。気合いの入り方が違いましたね、昨日は。文章の手直しや図表の作成など、集中してず〜っと続けていました(食事以外は)。夜になって残りのフィレオフィッシュを食べ、昨日分の一応の作業は終了となり、無理矢理でも論文の形をしたものが出来上がって一安心。とはいえ、まだ測定するべきサンプルが残っているというおそろしい事実があるのです(苦笑)。測るだけなんだけどね〜、これがなかなかどうして、面倒臭いんだなあ。しかしそんなこと言ってられない状況になりつつあるのもまた事実。そろそろ時間的に難しくなってくるので、すぐにでも測定するショゾンであります(と書いておけばするだろうという魂胆)。

 本日は土曜日。もう平日と土日の違いといったら、フィレオフィッシュが半額で買えるかどうかという違いしかない生活サイクルです(笑)。論文の手直し、それにそうだそうだ、また思い出してしまった、テスト勉強ですね(いやんいやん)。これがあったんですね・・うなだれ〜(がっくし)。


(1/28) あかん、本格的に閉鎖モードになってきよった。どいなけ本格的かちうたらな、学生はもちろんのこと先生らも添削のためにつたない英語をうんざりするほど読み返しては書き足してやな、そのうち誰もが踊り狂いかねへんストレスを抱え込むあまりな周りの人間がだんだん鬱陶しなってきてや、しかもやで、なぜか外は猛吹雪で完全に大学に閉じ込められて電波の状態も悪うなって携帯電話かて使えへんで外界との連絡手段がつかんようになってな、気がついたらどこぞの誰かの手によってやな一見不可能ちゃうんかちうくらい手の込んだ密室殺人なんかが起こってしまうやろ、てなくらいに本格的ですわ(どきんこ)。深夜のコンビニ牽制合戦なんて言うてられへんほど追い込み体勢ですわ、ほんま(笑)。自分で書いた論文を読み返してたらやな、新たな疑問点や不十分なもんが目についてしゃあないったらあらへん。ますますせなあかんことが増えてきよったって感じや。しかも月曜日には工学部の授業のテストが控えてるちうのに十分なテスト勉強もできてまへんがな(やばいなあ)。なんて言うてるけど、昨日はなんか寝倒してしもて午後3時起きちう有り様やから世話ないで、ほんま(あきれてものも言えへんわ<言うとるがな<ちゃうちゃう、書いとるんや)。

 そやそや、本格言うたらミステリィ、ミステリィ言うて思いつくんは、もちろん森博嗣先生なんやけど、その森先生も最近ときどき書いてはることで大学の新研究科の話があるでっしゃろ。実はな、うちも来年度からは理学研究科やなくなるんや。ほんで新研究科に移ることになってるんや。これ、ここに書いてもええ内容なんか分からんけど、もう決まってしもたことやさかいな、別にかまへんやろ(そやそや)。なんか文理融合を目指すとかいう名目でやな、文学部とか工学部とか理学部なんかの一部の専攻がくっついてできるっちう話なんやけど、その新研究科の名前いうんがまたうさんくさいもんで、環境学研究科とかいうそうや(名前出してもええよね)。いかにも今流行りの環境を全面に出してとる感じやろ? これやったら人を集めようってのがまるわかりやで(逆効果ちゃうかな)。なんか色々混ぜて薄めて輪郭をぼやかしよったな、ちうネーミングですな、ほんま。独立行政法人化てなもんでやな、国立大学もいろいろ手を打って生き残りを図ろうって必死なわけや。先生らも連日会議やなんやらで忙しそうにしてはるし、えらそうやね。このくそ忙しいときにやで、まったく。せやけど、はからずとも森先生がいはる専攻とやなうちがいる専攻が同じ研究科に統合されてしまうんは、世の中こない上手い話があるんかいなっちうくらい驚きやわ。ほんま、うちがN大に入学したとき一体誰が予想できたでっしゃろか(そういう話はすでにあったんやろけどな)。まあ、くっつくっちうてもやな、正味の研究は今まで通り別々の建物ん中でやるんやけどな、それはそれや、所属が同じとこになるっちうだけでもファンとしては願ったり叶ったりで嬉しいもんやで(にこにこ)。ミーハー根性丸出しやけどな(笑)。あかん、想像してるだけで顔がほころんでしまいよる(ほこほこ)。修正修正(よっこらせっと)。それでや、その関係で実は将来取ることになるかもしれへん学位がやね、うちらの代はなんと「理学博士」「環境学博士」からチョイスできるっちゅう話や。理学研究科に入学したっちうことやから、そないなってるそうやけど、そんなもん「環境学博士」ってなんやねん! ってつっこまれるんが目に見えとるがな(がっはっは)。環境いえばなんでも環境やし、はっきり言うて何の博士かよう分からんようになっとるやん。なあ、そう思わへんか? そのうち定着したらかっこええ名前に思えるんかもしれへんけど、今はまだ人とちゃうってところくらいしかメリットがあらへんね。まあ、それもちょいと魅力的かもやけど(笑)。いずれにしたかて、ずっと先の話やな。とりあえずは目の前の修論をなおすんが先ですわ。ちゃうちゃう、まずはテスト勉強やったな、そやそや(<ならはよやらんかい!)。

 本日は日曜日でっせ。結局朝まで大学におったがな。昨日食えんかっただけに、今日はサーモンマックを食わな死んでまうわ。てな具合にや、今日は大阪弁バージョンで書いてみたんやんけど、どないでしたか。ちびっとは関西の風を感じてもらたでっしゃろか。なんでこんなふうに書いたか言うたら気紛れなんやけど、敢えて言うたらやなこんなところがあるっちう情報をある筋から手に入れたことかいな。電波ニュースってので爆笑させてもらったんやけど、さすがにあれはむつかしいな思うてな、まあOsakanizer(大阪弁フィルタ)ってのを真似てオリジナルでやってみたっちうわけや。変換なしやで。せやけどな、この口調続けんのはほんと言うたら苦しゅうてしゃあないですわ(苦笑)。ええかげん疲れてしもたさかい、そろそろこのへんで失礼させてもらうわ! ほなさいなら。


(1/29) えっと・・、昨日の日記書いたの誰ですか(笑)。べたべたな大阪弁つかいよってからに(<ほらそれそれ)。さて、気を取り直してと。昨日は朝帰りの後、朝食を食べ力尽きまたもや夕方まで寝てしまいました。日曜日はいつもこんな感じですね。なんとも有意義な休日だこと。例によってラジオがツケッパで寝ていたのですが、どうやらまた夢に影響していたようです。詳しい内容は残念ながら忘れてしまいましたが、夢の中でどういうわけか(夢は大抵どうなっとるねんって内容ですが)将来結婚して住むんやったら京都にしたらええやん、みたいなことを言われていたのです(言葉から判断して家族の誰かっぽい)。そのときは自分でも妙に納得していました。確かに母方の祖父母の家は京都にありますが、それとは関係ないところで納得していたような感じ。その後、おそらく5分も経っていないと思われますが、目を覚ましたらラジオから競馬中継が流れていて京都競馬場でのレースが始まる直前だったという顛末(笑)。しかし、なぜ結婚とかそういう話が最近多いのか(多いのか?)。これも21世紀効果でしょうか(なんだそれ)。もうそういう年だということでしょうか(<2001年?)。ともあれ、昼間に寝た方が刺激が多くて夢も見やすいのかもしれませんね(そんなことより安眠したいと思うのだが)。

 というわけで昨日は日が暮れると同時に大学にやってきました(って当然のように言ってますが、日曜なので普通はあんまり人は来ません。しかも夕方から)。そうそう、その前にマクドに寄ってサーモンマックを2個買っていたのでした。死なずに済みましたね(安堵)。ひとつを早速お腹に収め、ようやく始めました、テスト勉強を。もう徹夜覚悟です。というか昼間に寝ているので徹夜もなにもないのですけどね(苦笑)。このままいくと、一番眠くなる時間帯がちょうどテスト時間中になりそうで少し不安。とはいえ、寝て起きてから勉強できる自信もないので、このまま頑張るつもりです。しかしお腹が空いてきたなあ。もうひとつのサーモンマックは昨夜のうちに消費してしまったので、もう手許にある食料といったら、テディのおまけのマーブルチョコぐらいしかありません(<まだ持ってたのか)。自分では未だにあんまり信じてないのですが、周りのみんながこぞって「チョコの食べ過ぎでニキビができるんだ!」と後ろ指どころか前からも横からも指摘してくるので最近チョコはちょこっと(言わなくていいダジャレを・・)自粛気味だったのです。そしたら、気のせいかお肌の調子はましになったような気もします。「ほら見ろ、言わんこっちゃない」という声が聞こえてきそうですが、耳を塞いでいるので聞こえません(笑)。そんなわけでマーブルチョコがたまっているのです。幸か不幸かバースデーテディの姿を近所ではめっきり見なくなり(関西地方では販売が開始されたそうですが)、今ではチョコの数も増えずに済んでいます。でもたま〜にしか食べないのでその減り方はゆったりとしたものです。さて、この大量のチョコをどうしてくれようかと思っていたわけですが、そう言えばもうすぐチョコ関連のイベントがあるじゃないですか(にやり)。そこでその機会に便乗して配りまくってしまうというのはどうでしょうか。まあ、男からチョコをもらっても嬉しくはないと思いますけど(苦笑)。今度のオフ会にでも持っていこうかしら、なんてね思ったりもして(餃子には合わなさそうですが)。

 おや、聞こえてきますよ、ほらほら、どこからともなく聞こえてきませんか。「この星はすでにワレワレのカタワレが針に糸を通すがごとく支配したぎょん。へたれな地球人ども、おとなしくワレワレのカイワレを人面犬の背中で栽培し、サラダには必ずカイワレを勇み足気味に入れるのぎょん」という声が・・(って、なんだこれは!毒電波か!?)。違う違う!そうじゃなくて、本当は「そんなこと書いてても三途の川を渡って振り返ってみてもお腹は膨れないよお兄ちゃん」という声ね(それもどうかと思うが)。ってこんなこと書いてるから、犬Z君に電波系がここ向きみたいに言われてしまうのだ(やばいやばい自粛しよう)。冗談ですからね(笑)。昨日の電波ニュースをちょっと意識してみただけ。

 本日は月曜日でテストの日。あと11時間後くらいですね。これからの頑張りようにかかってます。さ〜て、ではお勉強再開といきますか。の前に、コンビに行ってこようっと(そそくさ)。


(1/30) ああ・・眠い。昨日は夜を明かしてからまとまった睡眠をとることもなく日付けをまたいでしまったからなのか、何杯ものコーヒーを浴びるほど飲んだにもかかわらず眠いです。たぶんカフェイン中毒でしょう。いやいや、K藤氏もご指摘のとおりそういう問題じゃないか。ふう・・。はあ、なんだか今日はテンション低いなあ。いつになくスロースタートな滑り出しです。しかもスタートと滑り出しってのが微妙にかぶってる気がしないでもないよねえ。ふああ。う〜んしかし、眠いのはそんな理由だけではないというのは分かっています。昨日は実にあほらしい〜という半日でした。ほんと考えただけでも眠くなる所業だったなあ(ふぁ〜あ)。そう、だいたいお察しの通り、テストのことです。まあ、あれだけテスト勉強のことを連日書いてきましたからね、ちゃんと勉強はやりましたよ。それなりに頑張ったつもりです、夜を徹してね。そして清々しく西から登る朝日を見ながらいったん帰宅の後、再び大学にやってきてまで勉強の続きをしたわけです。お昼まで頑張りましたとも、ええ。おかげさまでいろいろ覚えることができました。もう光・放射線化学博士と呼ばれても恥ずかしくないです(呼ぶのは勝手ですからね)。昼食後、一応準備は整ったって感じで工学部の方に向かい、いつも授業を受けている講義室に勇んで行ったわけです。それなのに・・なのにですよ。ふう・・。ああどうしてそうなるかなあと嘆きたくもなる事実がそこに。講義室には誰もいませんでした。ほへっ? と首をかしげること約2秒。そして嫌な予感。今思えば、まだ時間があるからといって中に入ってしまったのがいけなかったなあ。待ってればきっとテストが始まるに違いないなどと純情ぶりを惜し気もなく発揮してしまったんですよね・・(苦笑)。案の定、予定の時刻になってもいっこうに他の学生の姿は現れません。そして眠気にも襲われ始めます。完全にやられてしまいましたね。考えられる可能性はテストの日程が変わったか部屋が変わったかのどちらかだったのでしょう。情報を把握しきれていませんでした。少なくとも先週は変更があるなんてことを一言も聞いていないので、おそらく工学部の掲示板かどこかに貼ってあったのでしょう。ああ、なんてもったいないことを・・。勉強だけして安心していた自分を恨みますよ。そしておかしいと思ったときすぐに誰かに聞かなかった自分を。はあ〜、情けないったらありゃしないなあ。何やってんだか・・まったく。別に単位が必要だったわけでも、授業が全然役に立たなかったわけでもないのでテスト自体は受けなくても問題はないのですが、ただ、テスト勉強してた半日が報われなくなったという事実が悔しいというか、無情というか、ほんとしばらく放心状態になってしまいましたよ(眠かっただけかもしれませんが)。それからはもうヤケクソです(苦笑)。その足で生協に向かいしばらく時間をつぶしてやりましたよ(困るのは結局自分なんですが、そんなことはお構いなしだ!)。雑誌やらお菓子を買ったりして研究室に戻り、それからは遅れた時間を取り戻すべく、赤の入った修論(実際は黒い字ですが)を手直しする作業に打ち込みましたとさ。

 それにしても、あんなけ授業を真面目に受けて、テスト勉強も久しぶりにちゃんとやった結果がこれじゃ、かっこわるいとしか言いようがないですよね。情けないことこの上なし。それならいっそのこと授業を受けていたというのは実は初めから全部嘘で、本当はみんなに内緒で秘密活動をこっそり続けていた、ということにした方がどれだけましか。そう、実は月曜日のお昼からはこっそり大学を抜け出し、毎週のように彼女と逢っていたのだ、とかねぇ、言えればかっこいいんですけども〜(苦笑)。現実はつらいよなあ・・(溜息)。

 なんか落ち込むばかりなので、少し嬉しいお知らせを。生協で購入した雑誌のひとつはいつもは買わない「日経ネットナビ」ですが、実は昨日発売の3月号にうちのHPの365日のバースデーテディが少しだけ取り上げられているのです(にこにこ)。掲載許可のメールは去年の暮れ頃にいただいていて、確かそのときの日記にそれらしい記述をしたと思いますが、ようやく発売になったのでお知らせしたしだい。取扱いは小さいもので特に積極的な宣伝がされているわけではありませんが、雑誌に載って悪い気はしませんね(しかしこの時期にお客さんはあんまり来てほしくないのが事実>わがまま)。やっぱりこんな日記よりテディの方が少しは役に立つということでしょうか(それは明白だ)。副産物が思わぬ効果を生むことは世の中しばしばあることですね(笑)。

 さて本日は火曜日。卒論の締め切りは明日です。修論はその二日後。つまり明々後日か。わっ、いよいよって感じですね。本文の方はさっさと手直しして、要旨とか発表用の原稿を作ったりしなければなりません。寝る暇もなさそうですが、今日はもう寝ます。


(1/31) 寝過ぎです。朝日も昇らないうちに布団に入ったのに、目覚めてみると日が暮れてました(苦笑)。たるんでるぞ!しっかり前を見て歩け! と自分を戒めつつ、昨日は午後7時頃お風呂も早々に切り上げ自転車をとばして、マクドナルドへ行きました。そしてフィレオフィッシュ2個とサーモンマック1個を購入。あぶないあぶない、もう少しで閉店時間になるところ、危うくサーモンマックを逃すところでした(ふぅ)。こんなことではまだまだ立派なサーモンマッカーにはなれませんね。気を引き締めていきましょう。って、そんなことではぬあ〜〜い! そんなところで頑張ってどうする>自分。さっさと修論を仕上げてください! という内なる声が・・。

「いやいや、そうは言ってもだねキミ、サーモンマックはもうすぐ販売期間が終わってしまうんだよ。今食べなくていつ食べると言うのだ」
「しかしですね博士。今、一番大切なのは我々が約2年間かけて取り組んできたこの研究をまとめることではないのですか? サーモンマックはまた発売される日を待てばいいじゃないですか」
「またそんなのんきなことを。君はいつからのんき君になったのだね。そんなことではいつまでたってもサーモンマックのレギュラメニュー化は望めんぞ」
「何に力を入れてるんですか。もっと現実を見てくださいよ。我々の研究こそ、今まとめないでいつまとめると言うのですか。それにしてもまた懐かしいことを言いますね、のんき君なんて」
「私はいつでも現実を見ているぞ。キミがいつでも脳天気なのんき君になったということぐらい知っている」
「違います! そういうことじゃなくてですね・・」
「なんだ、のんき君は嫌いなのか?」
「いや、別に嫌いじゃないですけど・・」
「なら良いではないか。今日からキミはのんき君だ。サーモンマッカーのんき君の誕生だ」
「だから、そういうことじゃないですってば! しかも何ですか、サーモンマッカーのんき君って」
「サーモンマックのレギュラメニュー化を目指すため、毎日欠かさずサーモンマックを食べるのんき君じゃないか」
「いい加減にしてください! 話が逸れてます」
「何を怒っている。質問したのはキミの方だぞ。ちゃんと説明までしてやったのに、まったく」
「それが現実を見ていない、と言っているのです」
「よし分かった。じゃ、サーモンマッカーのんた君と呼ぼう!」
「呼ばなくていいです。のんき君だろうがのんた君だろうがどっちでも同じです」
「違う、のんき君とのんた君ではえらい違いだぞ。キミはあの“のんた君”を知らないのか」
「知ってます、それくらい。森先生が大事にされている熊さんのことでしょう? 僕を誰だと思っているんですか」
「サーモンマッカーのんた君だ」
「何か僕に恨みでもあるんですか」
「ああ、そういえばキミは森ミステリィとかいうものにご執心だったな。その情熱をもっとサーモンマックに傾けてほしいものだが」
「ご執心なんて言葉使わないでくださいよ、恥ずかしい。それに博士は一体何の研究をしているんですか」
「おお、またそんな哲学的な質問を・・。キミはたまに鋭いところがあるな」
「おだててもダメです。さっさと論文を書いてくださいよ。今はこれが現実です」
「そんなこと言いつつ、さっきからキミは何を書いているのだね。人と話しているときにその態度は失礼ではないか。どれ、ちょっと見せてみなさい」
「うわっ、ちょっと、やめてくださいよ博士。プライバシィの侵害です! あ、ダメですってば、博士〜」
「なになに、『寝過ぎです。朝日も昇らないうちに布団に入ったのに・・・』って日記のようだが、さっきからこんなものを書いていたのか、キミは」
「だからプライバシィの侵害だって言ってるんです。そういうことしてると訴えられますよ」
「ほお、プライバシィの侵害ね。それが日記をネット上で公開してる者が言う言葉かね」
「う、なんでそんなことまで」
「今さら何を言っている。キミは私の一部じゃないか。キミこそそんな日記なんか書いてないで、ほら現実を見なさい現実を」


 はい、現実を見ます(笑)。ということで夜から大学に来て論文の手直しをしておりました。夕食はサーモンマックで、フィレオフィッシュもひとつ消費。日付けが変わって本日は水曜日、卒論提出の日ですね。さあ、もうひと頑張り、残りのフィレオフィッシュを食べたら論文再開いたしましょう。


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