Go Home日々これ勉強
日々これ勉強(2000年10月の後半)

目次に戻る
特別10月診断書(の後半)

(10/16) 昨夜は比較的早い帰宅だったのですが、なかなか眠れずいろいろなことを考えてました。イスラム圏のいざこざが中東問題に発展し、原油価格のみならず世界情勢に影響を与えそうだなあとか、アメリカの大統領選挙も佳境に入ってきてこの先のアメリカ経済はどうなるのかとか、政権を維持するのが目的だとすぐ分かるような非拘束名簿式なんてのを与党は強行採決しようとしてもめてるけど、それに対して野党は欠席したりでだだをこねてるようなものだし、そんな意地の張り合いしてる場合じゃないでしょとか、長野県知事に作家の田中康夫(漢字不確か)が当選して果たして何か変わるのだろうかなどなど、そういう他愛もないことは布団の中で考えるはずもなく(笑)、もっと私的な問題についてあれやこれやと悶々と思いを巡らせていたわけです。それでもいつの間にか寝ていて、気がついたら朝でした(当たり前)。最近の朝は肌寒いですね。思わずこたつをつけてしまったほど。しかし天気は快晴で清々しい一日の始まり。午前中はコロキウムで、午後からは工学部での授業を受けました。あ、これは森博嗣先生の授業じゃないですよ。いやほんとは受けてみたいですけど、さすがにそこまではちょっとできません(笑)。その授業のあとは生協でテディを購入して、集中講義に途中参加。今日は久々に講義らしい講義を受けたので、頭がふらふらしています(苦笑)。なんだかぐったりですが、もう少し生きてみようと思います(うわっ)。


(10/17) 昨日は帰りに本屋に寄りました(寄ると言う距離ではないけど)。そして「英語教育」という普段なら絶対買わないだろうという小雑誌を購入。なぜ買ったかは言わずもがな、森先生のエッセィが載っているからです(<言ってるがな)。内容は、そうかそうかそうなのか、と納得させられるものでした。いつもの通り素敵な文章であることには違いありません(うっとり)。そうそう、それから掘り出し物もありました。百分の一科事典というシリーズの文庫本があって、あるテーマに関する事柄だけを集めた事典なのです。そして手に入れたものは「月」。これは良いですよ〜。月と名のつく動物・鳥類・昆虫・植物・ことわざ・人名・言葉・事件・映画・地名や書籍に至るまでが集められているのですからね。これから重宝しそうです。たとえば、古今東西ゲームで「月のつくもの」というお題のときとか(笑)。

さて、本日はどんより曇りの火曜日で、朝から集中講義でしたが、午前中でギブアップ。内容は面白いのですがどうも眠くなるんです。昨夜もなかなか寝つけず、布団に入って2時間くらいゴロゴロしていたせいかもしれません。お腹が空いていたような気もします。今までお腹が空いて眠れないということはありませんでしたが、どういう風の吹き回しでしょうか。朝起きても空腹で気持ち悪かったくらいです(ご飯を食べたら治りました)。悩み多き秋なので(そうなのか?)、心因性なのかも。な〜んて弱気なこと言ってますが、大丈夫、優しい言葉のひとつもあれば立ち直れるでしょう(<要求するな)。えっと、冗談ですからね(笑)。あまり心配しないように。さぁてと、実験の準備の合間に街へ出て、あるものを仕入れたいけど時間があるかな。


(10/18) 昨日は実験の準備と言っても器具の洗浄をしたぐらいで、夜は美人さんたちからもらった博多土産の明太子プリッツを頂きながらサロンで談笑、あるいは秘密会議。議題はいつもの通り、浮いた話なんですけどね(笑)。お開きになって、少し考え事をしてから帰宅しました。あ、結局街には出てないのであるものは手に入れられず。さて、あるのものとは何でしょう?(ヒント:美人さんではない。>いやそれも手に入れたいけどさ)

最近、家で料理をすることが少なくなりましたが(作ってもカレー系かスパゲティ系)、ご飯にはここ数年ずっと玄米を使っています。そこら辺のスーパーで買うと高いので、20kg入りくらいの玄米を引っ越しのとき実家から持ってきていました。それが先日底を尽いたのです。そのとき作っていたカレーが余っていたのですが、そのままカレーだけを食べるのはいかがなものかと思い、カレーをかけるご飯を炊くためにコンビニでお米を買いました(当然ですね)。1kg入りの白米です。いつも生協で白いご飯は食べているので、別段感動するわけでもありません。ただ、カレーが先に無くなり、ご飯が余ってしまいました。仕方がないので、山形で買った漬け物をおかずに、今朝はご飯を食べました。そしてお茶なんて気のきいた飲み物は家にはなく、コーヒーも切らしていたので、たまたまあった牛乳を一緒に飲んだのです。このとき、幼い時の記憶が蘇りましたね。そう、給食です。給食にはいつも牛乳がついていました。ご飯のときも飲み物は牛乳でしたね。あの頃はよくもまあ、文句も言わずそんな食事を受け入れていたなあと改めて感心したしだい。今はすっかりお肉を食べなくなりましたが、ちなみにその頃は肉食でした(笑)。さて、本日も曇りの水曜日。今日こそあるものを仕入れるべき曜日(<任務?)。


(10/19) やっぱり夜が落ち着きます。おそらくクリエイティブな活動をするのにもってこいの時間。大昔、まだ人間が人間として確立していなかった頃、人は日の出とともに目覚め、日没とともに眠りに就いていた思います。やがて火を発見した人間は、それを明かりとして用いることによって飛躍的に活動時間と範囲が広がります。暗い夜と外敵におびえることもなく、人間は明かりのもとでさまざまなことに思いを巡らせたことでしょう。昼間に比べれば何倍も暗い夜です。視界に飛び込んで来る情報量も極端に減ります。したがって、脳は余計な情報にとらわれることなく想像思考の世界に情報処理能力を分配することができるのです。そこから哲学が生まれ、芸術が生まれ、科学や宗教が発展し、今日のような世界が創り上げられたのだと想像します。現代では、夜中も昼間みたいに明るいところもありますが、古代からの遺伝子が感じているのでしょうか、夜になるとやはり落ち着いて思考することができる気がします。「文明は夜築かれる」と言ったのは私ですが(笑)、こんな夜に先人たちの頭の中で文明の芽が芽吹いていたのかもしれません。え〜と、それらしいことを言っていますが、単なる思いつきです。こうやって書くことによって、少しでも自分の考えを知ることができれば良いなという思いもあって、ここは続いているわけです。もちろん、「考えを知ることにどんな意義があるのか」とか「そもそも考えればそれで良いのか」などというニーチェ風の哲学的疑問も抱かないわけではないですが、ここは寅さんの言葉を借りて「それを言っちゃあ、おしめぇよぉ」と自分で自分にお説教したりで、こういうことを書くのもたいてい夜中なんですね。ちなみにニーチェは読んだことがありません。

さて、昨日は夕方頃、放浪の旅に出ようと思っていたら時間がなくなり、結局夕食後に出掛けました。一昨日からほのめかしているあるものを手にれるためです。2時間ほどロフト名古屋店に行ってきました。あそこに行くといろいろ目移りして仕方ないのですが、今回は時間もないのであるもの(+α)だけ購入。大学に戻ってきて、何もなかったかのように実験器具の洗浄。あるもののお披露目は今日の新歓コンパにて。楽しみ楽しみ(こういうことに命をかけてる、お金もね)。本日は木曜日。実験準備が整うかどうかのハトムネ、いやセトギワ(<普通言い間違えんぞ)。


(10/20) 昨日は突然の電話で起こされました(電話はたいてい突然ですが)。お昼前だったのですが、大学で肉体労働が待っているらしいとのこと。前日までは聞いてなかった話です。一応バイト代も出るということだったので、急いで起きて準備をして家を出るまでに2時間(ほんとに急いだのか)。午後1時から、いわゆる引っ越し作業でした。ある講義室にあった椅子やら机やらを運び出し、トラックに載せ、少し離れたところにある別の建物内の講義室に運び入れるという仕事です。先生方と学生10人ほどで2時間半くらいかかりました(予想よりは早かった)。お金が出るなら良い働きをする自信はあります(笑)。その後、サロンで一服して、実験器具の洗浄を進めたら5時を過ぎ、新歓コンパの準備へと流れていきました。この新歓コンパ、誰を歓迎するかと言えば、来年度からうちの講座に配属されるかもしれない現3年生を歓迎する学生だけのコンパです。料理はお鍋。6時半頃から始めて、実に平和的な和やかな飲み会になりました。そして例のあるものは、こんな感じでややうけ(笑)。3年生は男ばかりで張り合いがなかったのですが(おいおい)、まあ個性的な人たちばかりで、この研究室も雰囲気が変わりそうな気配。中にはめまいを起こさせるような言動をする人もいたような気がしますが、きっとそれは気のせいでしょう(そう思いたい)。ほんと来年が楽しみだなあ(苦笑)。

コンパの後、またまたサロンで4時間くらいはしゃべっていました。まじめな話からくだらんことまでいろいろ。その横で3年生のT治見君が酔いつぶれてずっと寝ていたのですが、ようやく起きたと思ったら、入れ歯をなくしたと言うのです。普段から前歯1本分の入れ歯をしているようなのですが、コンパのときに、はずして紙コップに入れたままだったらしい(うぎゃ)。その後残ってた人間で大捜索ですよ。もうすっかり後片付けが終わった後でしたから、生ゴミを漁ったり、ゴミ箱を漁ったりというなんとも言えない作業を行なわざるを得ませんでした(力ない笑い)。その甲斐あって入れ歯は見つかりましたが、まったくもう、そう安くないものなんだから(たぶん)ちゃんと自分で管理しましょうね。ああ来年が思い遣られるなあ(遠い目)。そんなことがあったからではないですが、午前1時を過ぎた頃、5人でお口直しに台湾ラーメンを食べに行って帰宅。

一夜明けて、本日は朝から雨の金曜日。昨日から雨が降りそうな気配はあったのですが、傘を大学に置きっぱなしで帰ってしまい、今朝は腹減り濡れねずみ(<腹減りは関係ないやろ)。なんだかドット疲れています。英語で書くと「nandaka.tsukareteimasu」。


(10/21) いやあ〜しかしなんですなあ、頭に何か乗っているという状況も案外落ち着くかも(アフロヘアのこと)。クセになりそう・・。帽子と思えばファッションの一種として受け入れられる可能性はあるかな(単なる仮装に留まらず)。だって、本物のカツラをかぶった人も街を歩いているわけですよ。あ、違うか、そもそもカツラは本物ではなかったか(笑)。カツラに本物も偽物もありませんね。だったら何をかぶっていても同じこと。ちょっと奇抜なファッションだな、くらいに見られるだけでしょう。よっぽどデカイ物汚い物わいせつな物でもない限り、咎められることはないはずです。女性はウィッグ(って言うの?)というものをつけて髪型を変えたりしてるわけですし、もうちょっと男性のかぶるカツラにも寛大な世の中であって欲しいですね。いやそれはおそらく、動機が問題なんですね。髪の薄いところを隠そうとしてカツラをかぶっているもんだから、周りの人間も変な気を使わなくてはならなくなるというしくみです。隠れているものを見たがるのは古来からの人間の性でしょう。本人は見られたくないし気付かれたくないからさらに必死に隠そうとするという悪循環ですね。この循環を断ち切るにはカツラをかぶっている人たちの意識改革を待つしかないのかもしれません。髪が薄いだけで人生終わったように嘆くのは日本人だけじゃないでしょうか。もっとね、なんというか、洋服とか靴とか帽子を替えるように、カツラも気分によって替えるとか、そういう考え方が普及すれば面白くなりそうじゃないですか? まあだからといって、研究室で夜中にひとりアフロヘアをかぶっている姿もどうかと思いますが(苦笑)。

さて、昨日は生協でお昼を買って、テディも買って、目当ての本は見つからなくて、洗い物の続きをしたら、あっという間に夕食で、夜も実験器具の洗浄したりで、雨は止んだか空晴れて、月は見えぬがアフロヘア(なんだそりゃ)。本日は土曜日。午後に研究室のある建物の停電がある(いい加減2系統にして欲しいものですが)ので、それに伴って今日の午後から月曜の朝までうちの講座内のネットワークが停まります。したがって、その間は大学のアドレス宛のメールはおそらく届かないので、メールはinterQのアドレス(sibasin@earth.interq.or.jp※現在は使っていません)にお願いします。あと、ここの更新も月曜日までありません。


(10/22) すみません、嘘ついてました。ネットワークは昨日のうちにすでに復旧していたようです。我らがスタッフの働きに感謝。ということで更新しちゃいます。えっと、昨日は午後から大学に来て停電ついでの分析機器の掃除と実験室の掃除をしました。しょっちゅう停電してもらったら困りますが、こういう機会でないとできない作業があることも事実ですね。ほとんど大掃除状態でした。電気がストップしてからは掃除機も使えず、みんなで拭き掃除。廊下は昼間でも暗いです。それに静か。もう使われなくなった廃虚の中を歩いている感じ。毎日電気に囲まれている生活をしていると忘れがちな電気のありがた味を感じることができます。まあ感じたところで電気代が安くなるわけではないですが(笑)。それに、たぶん普段は忘れていても良いことでしょう。というか、むしろライフラインというものは普段意識されるようでは、まだまだ完全に普及しているとは言えないでしょうね。現代日本において生活する上で最低限のシステムですから、そんなレベルが目につくようではそれらを基盤として成り立っている、より高度な文化活動もおちおち行えたもんじゃありません。う〜んと、例えば自分で心臓を動かしたり、呼吸を調節することを想像すればわかりやすいかもしれません。そんなことに気を取られていては、他に何もできないでしょ? スイッチを入れればテレビがつき、蛇口をひねれば水が出て、コンロをひねれば料理ができる、そういう当たり前の生活がここ数十年で当たり前になってきたのです。極めて「普通のこと」です。勝手な想像ですが、そういう「普通のこと」を支える人々にとっては、「普通のこと」が普段意識されないことが命題なんだと思います。いかに生活に自然に溶け込ますかを目指して、現在のような都市整備が行なわれてきたのでしょう。様々な苦労の上に成り立った「普通」。しかし、それを意識した時点で、もはや普通ではなくなるジレンマ。さあ、難しくなってきました(笑)。え〜と、何の話でしたっけ?

話は変わって、掃除が一段落してからは街に出ました。K藤氏と待ち合わせて、の街へ。まずは三越のレストランで腹ごしらえ。その後ロフトに行って、いろいろ物色。それはもう、いろいろとね(微笑)。かなりのヒットもあったりなかったりで(<何の話?)。午後6時頃、飲み屋へ。K藤氏とは長い付き合いですが、飲み屋で二人だけで飲むのはこれが初めてですね、おそらく。積もる話もいろいろあるわけですよ。結構深い話をしましたね。小学校のときから現在に至るまでの人生の概略を語り尽くした感があります。今まであまり人に話したことのない赤裸々な内容まで、親も知らないこともあったでしょうか。これで人生の80%は知られてしまいましたね(笑)。そういう話ができる友人がいるというのは幸せです。はあ〜、酔った酔った。そのあと久しぶりのゲームセンタで遊んで軽い頭痛を覚えながら帰ってきたのが10ジゴロ。大学に来てみたらネットワークが復活していたというわけです。本日は日曜日。停電もないし、ネットも快適。実験計画を立てるのにもってこいの天気だと良いな(晴れを所望)。


(10/23) やはりアルコールが入ると目覚めが悪いようで、昨日は午後3時に大学へ来るのがやっとでした。天気は曇り。研究に関することは特にせず、のんびりメールを書いたり、ケーキを食べたり、ライフラインを破壊して平和ぼけしている日本人を毎日生きるのが精一杯という状況に追い込みたいと夢見ているY下君(というと誤解されそうですが好青年です、一応)のおバカな話に付き合ったり、神様の存在に関する宗教論を披露してみたり、これからの時代はグローバルなんて言う小さな枠組みにとらわれていてはダメで、ユニバーサルな観点からの議論が必要になってくるだろうという話をしてみたり、そんな取り留めもないことを1時間半くらいサロンで談笑。もう少しで夕食の時間を逃すところでした。なかなか面白い議論をしていたので詳しく書いても良いのですが長くなるし時間もないので割愛させていただきます。夕食は外に出て味噌煮込みうどんをいただきます。気付いたら財布の中身がギリギリ。その後、「ダ・ヴィンチ」に連載中の森博嗣先生の「奥様はネットワ−カ」を通して読む。そして誰が怪しいかを考え、森先生のアンケートに答えました。ちなみに正解はないようです。つまり、これから連載を続けていく間に犯人を決めるということでしょうか。アンケート結果が反映されるのかどうか楽しみですが、おそらく森先生のことだから影響なんてされないんでしょうね(わくわく)。あとテディのトップページに集合写真(一部)を貼りました。本日は月曜日。午前はコロキウムで、午後は工学部の授業。そしてお金を下ろそうデー。

夕方になりました。朝から雨です。使える傘は置き傘になっていたので、今朝は骨の折れた折り畳み傘を仕方なくさして、徒歩で大学に来ました。早足で来たはずなのに着いたらコロキウムの時間ギリギリで、そう言えば家の時計が少し遅れていたなと思い出したしだい(忘れないようにここにメモ)。コロキウム後、昼食を食べ、午後からは授業のため専門の教科書(3000円)も買って工学部7号館へ。行ってみたらばやけに人が少ないじゃないですか。これはもしやと思いつつも前の方の席へ座って、復習と予習を始めました(まじめだね〜)。しかし授業開始時間を過ぎても学生どころか先生も来ません。そしてまもなく入ってきた一人の学生によって驚愕の事実が告げられました。休講です(が〜ん)。先週先生が言っていたらしいですが、そんなことは聞いちゃいないぞ、まったく。少なからずショックを受ける学生も何人かいましたが、ほとんどの学生は別の授業のレポート問題を解くためにその部屋にいただけでしたね(そういうことか)。もちろん休講の事実を知ってショックはうけましたが、そんなことは表に表しません。休講と聞いていそいそと出て行くのはなんだかしゃくでしょ? 知らなかったのがばればれじゃないですか。だから、あくまでも「そんな事実ははじめから知っていて、使われていない講義室があったからたまたま入って勉強しているだけですよ」という顔をして教科書を隠し(笑)、持ってきていた論文を取り出して1時間くらい読みました。授業をまじめに受ける気があるのかないのか、いずれにしても準備が良かったですね(わっはわっは)。その後、生協でパンとテディを購入。そうそう、お金はちゃんと下ろしたデー(関西言葉)。


(10/24) 昨日の夜は夕食で10円のお得。生協での話。質素にもかかわらずデザートが効いて合計409円(税込)だったのですが、レジで1000円払ったら、お釣が601円でした。これは1010円払った場合のお釣ではないのかと一瞬思いましたがそんなことは口に出しません。きっと日頃のご愛顧を感謝していますという気持ちを込めたさり気ないサービスなんだろうな、と自分に言い聞かせ財布の中に(笑)。いや、いつだったか、100円くらい余計に払わせれてしまったこともあるんですよ。お相子というか、まだこっちが損してるくらいです。そう、そうですよ! 損してるんです。何も言い聞かせなくても受け取って当たり前のサービスじゃないですか。なんだ、そうかそうか、がーっはっはっはっは(大笑)。ということで、生協にはまたのサービスに期待します(残り90円<ケチクサ)。

その後、あるサイトを見ていてふと思い出したので。10月の初めに全国的に国勢調査がありました(<普通国勢調査は全国的)が、国勢調査員の人に普段何をしているのか聞いたことありますか? うちにも感じの良いおばちゃん(この人のお陰で遅刻せずに済んだ)が来ましたが、どのような身分なのかも名前すらも聞きませんでした。で、少し疑問に思っていたのです。そんなときタイミング良く大学で、助手のM先生から「国勢調査員をやっているんですけどね、アパートの住人がみんなN工大の人みたいで、いつも留守なんですよねぇ」なんて愚痴られました。思わず「え、調査員やってるんですか?」と聞き返しましたね。話によると町内会で誰がやるというようなことを決めるらしい。つまり、近所の住人がするわけです。ということは国勢調査員は、主婦だったり、大学の助手だったり、婦警さんだったり、看護婦さんだったり、歯科助手だったり、OLだったり、ウェイトレスだったり、キャビンアテンダントだったり、ロフトのお姉さんだったり、さらには学研のおばちゃんという可能性もあるわけです(そんな職業の人が町内にいるかはともかく)。たぶん、町内会で国勢調査員に立候補すれば止める人はいないんじゃないでしょうか。みんなやりたくないでしょうし。そう誰だって国勢調査員になるチャンスがあるのです(推測)。「さあ、今日から君も国勢調査員だ!」とかってキャンペーンでもすれば、一億総国勢調査員みたいな状況になって調査が迅速に進んじゃうかもしれません。みんな自分のことを書くだけで良いのです。他人のデータは見ませんから、守秘義務とかも気にしなくて良いでしょう。ただ、5年ごとにしか実施されないので活躍の時が限られてるのがネック(<ていうか、やりたくないのにみんな調査員になるという矛盾は考えなくて良いの?)。ちなみに国勢調査で申告をしなかったり虚をついたり妨げたりすると、6ヶ月以下の懲役もしくは禁錮または10万円以下の罰金に処されるのだとか。良い子のみんなは気をつけよう! などという内容を書くためにネットで検索までしてここを参考にしましたが、それほど国勢調査に入れ込んでいるわけではありません(笑)。まあ、「国勢」が「こくせい」で一発変換できることを知ったのは収穫か。実りの秋ですね。

本日は火曜日。雨はもう止んだようです。実験も大切だけど、少したまった本も消化しようと目論み中。本棚のスペースがなくなってきておりますので(家も研究室のデスクも)。それに断筆中だったイラストの方も再開させようかとリハビリ中。筆を持つのが久しぶりなので。あと、活動休止中だったバンドもいい加減高まってきたカムバックの声にお答えして再始動を計画中。これはちなみに嘘なので(あしからず)。


(10/25) 昨日は生協のおばちゃん、お釣間違えませんでしたね。5000円札で払って混乱させようとしたのに(そんなこと狙ってるのか)、きっちり正確なお釣が返ってきました(ちっ)。えっとそんなことを毎日期待しているわけではありませんからね(笑)。たまたまです、たまたま。昨日は久しぶりにイラストを描いたりあちこちに顔を出していたため(ネット上で)、帰りが遅くなってしまい寝たのは午前4時だったでしょうか(曖昧)。そして無理な姿勢で寝ていたのか苦しくて目覚めたらお昼前。ぼちぼちの睡眠時間で、それなりにバランスを取っている自分に感心。グータラ学生ぶりは相変わらずですが(苦笑)。午後から大学へ来て、メールをチェック。そしてあるメールを読んで少しショックを受けました。ただ、意外と冷静にそのメールに対するリプライを書いている自分を認識して、これって一種の防衛本能でショックを受け過ぎないように非常シャッタが降りたのかなと、これまた冷静な自己分析をする自分。結構長いメールを書きました。どれだけこちらの気持ちが伝わるか分からないながらも、できる限り言葉を尽くして正直な思いを書いたつもりです。

これは一般論なので改行して書きますが、人と人とのコミュニケーションはその大部分が言葉によってなされています。例え以心伝心だったとしても、頭の中では言葉に変換してお互いを理解しているはずです。言葉を発する側はいつも自分の考えが理解してもらえると信じて語りかけます。言葉を受ける側はその言葉の裏にある発信者の考えを読み取ろうとします。しかし言葉とは人間の感情を伝えるにはあまりにも簡略化された記号なのです。不自由なものです。発信者がどんな思いで言葉を伝えようと、受信者の置かれている環境や心境、体調などによってその受け取られ方は様々に変化するものです。特に、顔も見えない肉声も届かない相手に向かって文字という記号だけで語りかける場合、その変化は顕著なものとなるでしょう。手紙のときは自筆で書くわけですから、僅かではありますがまだ書いた人の心情を読み取る材料は残されています。これがメールになると文字から個性はなくなり、ますます相手の気持ちを想像することは難しくなります。そこからすれ違いや勘違い、誤解などが生まれるのは避けられないことです。したがって言葉選びには慎重になり、選んだ言葉が相手にどのような受け取られ方をするかを常に予想しながら書く必要があるでしょう。それが礼儀であり思いやりでもあると思います。しかし、誤解を恐れるばかりで何も言葉を発しなかったら、自分の気持ちが伝わるなんてことはありえません。やはりコミュニケーションには言葉を使わざるを得ないのです。だからこそ人は一生懸命に語り合い、自分の考えていることを理解させようと、また相手の考えていることを理解しようと努力するのです。所詮、人はみな他人です。自分ではありません。自分のことも理解するのが難しい人間に人のことが易々と理解できるでしょうか。おそらく完全に理解することなんて不可能でしょう。ただ言葉を使って語り合うのみです。自分の考えや気持ちを正確に伝えたければ、それだけ言葉の数を増やして漸近させて行くしかありません。それにはもちろん時間もかかるでしょう。ひょっとすると一生かかかっても正確に伝わることはないかもしれません。それでも人は言葉を使うのです。使わざるを得ないのです。脳が発達してしまったばっかりに人間だけがこんなことで悩んでいるんでしょうが、だからこそ人生は面白いのだと思います。他人のことが全部分かってしまったらそこで終わってしまいます。前進はありません。分からないからコミュニケーションをするのです。そして自分のことが理解されたと信じて、あるいは相手のことが理解できたと信じて、初めて次の段階へ進んで行くのです。ときに妥協や譲歩が必要なこともあるでしょう。一時的な感情にとらわれて言葉を発信することを諦めてしまうのは、少し勿体ない気がします。言葉の目的はただひとつ、コミュニケーション。道具のひとつにすぎません。しかし道具はひとつしかありません。あまりにも使いづらく、ときに諸刃の剣となることもあります。ただ、その道具は幸いにも尽きることがないのです。時間さえあればいくらでも何度でも使用することができるのです。
まとまりのないことを長々と書きましたが、自分のことはもちろん棚に上げています。自分へ向けて発信したメッセージでもあるわけです。自分の気持ちが正確に伝わることを信じて・・。

ちょっと真面目に語ってみましたが、こんなことはもうしばらくないでしょう。さて、昨夜は光化学の勉強をして久しぶりに波動関数という言葉に触れたり、紅茶の飲み過ぎでトイレが近くなったり、サロンで語り合ったりしてました。で、今年もどうやら講座で駅伝に参加するという話を聞きました。正直、長距離を走る(しかも全力で)のは嫌で嫌で仕方ないのですが、たぶん走ることになりそうな勢い(苦笑)。11月の最終日曜日だとか。あ、その日ってコロキウム発表の前日ちゃうの? 発表前に走ってられるのか今からとっても不安な秋の夜長。本日は水曜日。せめて筋力トレーニングぐらいは自主的に始めようかなと思いますが、それだけで一日やる気がなくなってしまいそうなので悩むところ(笑)。


(10/26) 昨日もお昼から活動開始。生協で食料とテディを購入したら、ついにというか、ようやくというか、ダブってしまいました(笑)。10月24日生まれのアントニオ君。しかも最近買ったばかりのテディじゃないですか。我ながら記憶力の低下に軽いショック。夕方は久々の自主セミナで生命の進化と海洋底堆積物の関係を勉強。夕食後、やっとこれからやるべき実験の方針が立ちました。そして夜は我が講座のカウンセラー(笑)、M氏に話を聞いてもらったり、サロンでちょっと作戦会議をしたりです。それにしても最近やる気がないのは、筋力トレーニングのせいではないと自己分析(というか筋トレはやってないでしょ)。なんなんでしょう、この心の蟠り(「わだかまり」ってこういう字だったのか)。矢口真里の蟠り、天地真理の蟠り、森茉莉の蟠り、ローズマリーの蟠り、ボブ・マリーの蟠り、JUDY AND MARY の蟠り、マリー・アントワネットの蟠り、なんて調子に乗って下手な韻を踏んでみたり。始まりの蟠り(まだ続けるのか)、ひだまりの蟠り、手鞠の蟠り、塊の蟠り、高まりの蟠り、今日はお泊まり蟠り、これで決まりの蟠り、目標定まり蟠り、ファンの集まり蟠り、ここに留まり蟠り、何かお困り?蟠り、糸の絡まり蟠り、ちゃんと戸締まり蟠り、貯金が貯まり蟠り、小遣いたんまり蟠り、笑顔がにんまり蟠り、頬が赤色に染まり蟠り、排水口の詰まりの蟠り、だからつまり蟠り、東北なまりの蟠り、3÷2の商は1で1余りの蟠り、壁に耳あり障子にメアリーの蟠り(それはあり?)、レオナルド・黙りの蟠り(それは違う)、ハリーポッターと賢者のマリーの蟠り(それも違う)、みつばちマーリの蟠り(だから違うって)、渡辺満里(奈)の蟠り(括弧はずるい)、かや“まり”かの蟠り(リカちゃんの本名ね>ていうか強調すれば良いのか?)、和田カマリの蟠り(それは反則)、焼き物で有名伊万里の蟠り(これがあったか)、「要約」を英語で「summary」の蟠り、「真面目に読んでる理科年表」を略して「真理」の蟠り(略してはいけません)、「馬乗り」を早口で言っていたらいつの間にか「まり」になって蟠り(早口で言ってもいけません)、ここでついに行き止まりの蟠り(もうないかな)。お後がよろしいようで。

本日は木曜日。先ほど蚊を一匹しとめました。夜になると必ず部屋に蚊が現れます。蚊って夜行性でしたっけ? さて、今日からは心の蟠りを忘れんがため、実験モードに突入の予定。とりあえずの目標は、早起きをしよう!です(笑)。働け働け〜(自分への叱咤激励)。

岡部まりの蟠り(まだやるのか>というか知っている人少ないでしょ)、鳥越マリの蟠り、し〜んと静まり蟠り、ギャンブルにハマり蟠り、噂が広まり蟠り、お墓に埋まり蟠り、セーター縮まり蟠り、背中が丸まり蟠り、鼻くそ固まり蟠り(お下品です)、判断早まり蟠り、犯人捕まり蟠り。これで50を越えたかな(目標だったのか)。はい、もうやめます。


(10/27) 先日、森先生の連載小説「奥様はネットワーカ」に関して、「犯人はまだ決まっていないらしい」という記述をしましたが、森先生は近況報告で「犯人は既に決まっている」とおっしゃっていましたね。それにイラストを描かれているコジマケン氏も知っておられるとか。う〜ん、そうでしたか(しばし思いを巡らす)。ということは、あのイラストもそれを意識して描かれているんですね。誰が怪しいかを考えるとき、少なからずイラストも影響しますから、そういうことも見越して描かれているのかもしれません(なるほど)。これからも目が話せない(変換ミス)、じゃなくて目が離せない作品ですね(わくわく)。

昨日はなかなか眠れなくて、早速早起きをしよう!の目標が達成できず。むしろいつもより遅くて、起きたときはお昼を過ぎていたという始末に負えない状況(苦笑)。まあそれでも午後3時からの研究室の廊下の掃除に間に合ったのは救いか。えっと、実は廊下だけでなく部屋や実験室の中も片付けたりしたのですが、なぜそんなことを急にしているかというと、来年度から新研究科に移転する関係で文部省からお偉いさんがいらっしゃるらしいのです。何をしに来るのかいまいち分かりませんが視察というやつでしょうか。そんなこんなで、間に合わせの掃除やら片づけやらをしたというわけ。しかし、物を別の場所に押し込んだだけの感も否めませんからねぇ、そんなとこを見られて余計に心証が悪くならないかどきどきです。ということを、ここでばらして大丈夫なのかという一抹の不安はありますが、まさか、文部省のお偉いさんがこんなとこ見ないでしょ?(笑)

昨夜は実験計画を練ったり、論文を読んだり。その後、生協で見つからなかった花*花のアルバムを求めて外出。そしたら他にも衝動買いしたいCDを発見してしまいましたが、予算との兼ね合いでとりあえずそれは諦め、花*花「2 souls」だけゲット。大学へ戻ってきてすでに3回は聴きました。良いです。タイトル通り、ソウルフル。特に「さよなら 大好きな人」なんて、なんか今の心境に妙にマッチしていて痛いくらい(痛笑)。前のアルバムを聴いたときもそうでしたけど、実にタイムリィなんですよねぇ。憎いねこの〜!ってな感じですよ、まったく。え〜と・・、深い意味はありませんからね(<いまさら!)。う〜ん、ちょっと誉めすぎか。まあ、それは同郷のヨシミってことで(兵庫出身)。本日は金曜日で、もうすぐ10月も終わっちゃうじゃないですか。イラストを早く仕上げねば(というか実験を急げ)。朝晩はもう半袖じゃ寒いくらいになりましたね。ということで一句。「一陣の 風は冷ややか 秋はゆく きみへの想いを 置き去りにして」


(10/28) な〜んか、読み返してみると昨日の記述、乱れていますね、我ながら(字余り<俳句?)。文章に、一貫性が、ありません(季語なし)。え、まさか、今日はずっと、俳句調? でもそれは、過去に一度、やったパターン。それはそれ、これはこれだよ、お客さん、そんなにネタが、あるわけでもなし。つまりその、ネタがないから、やるわけか。いや違う、それは違うと、言っておこう。なら何だ? ちゃんと説明、して頂戴。だからだね、それは些末な、ことなので、ここでは特に、言う必要もなし。とか言って、なにげに文字を、稼いでる。あ、ばれた? しかたがないな、なら書くよ。昨日はね、眠いながらも、早起きで、朝から何と、マクドだよ。ちなみにね、マクドナルドの、省略形、西じゃみんな、こう略す。さてそこで、何を買ったと、問われれば、フィレオフィッシュ、2つなの。そう今は、平日半額、だからだね。この機会、待ってましたと、自転車で、朝からマクドに、行ったのです。なんとまあ、それのための、早起きだ(笑)。朝の風、肌を刺すけど、自転車を、漕ぐうちそのうち、温まる。というわけで、フィレオフィッシュを、買いまして、大学来たのが、11時前。まず1つ、食べて少し、幸せに。生協で、そのあとお昼を、食べました。午後からは、実験準備を、進めます。そのうちやがて、教員免許に、関する話が、飛び出した。大学院、前期を修了、しただけで、一種がたちまち、専修に、グレードアップと、きたもんだ。そんなこと、初耳だったね、なるほどね。くれるなら、もらっておこうと、貧乏性、同志を集めて、事務室へ。いざ書類、見るとやっぱり、面倒臭い。院からの、入学だから、なおさらだ。一種をもらった、大学からね、取り寄せるべし、証明書。だがしかし、提出期限が、迫ってる。速達で、取り寄せできても、ギリギリか。そのあとは、ひとまずサロンで、一服で、フィレオフィッシュの、2つめ食す。そしてさっきの、証明書、取り寄せるため、文書書き、あとはこれを、出すだけよ。夕食後、しばらくのちに、再びサロン。コーヒー飲んだり、お茶したり、話はいろいろ、盛り上がる。例えばね、宗教論とか、お墓の話。さらには宇宙の話に、膨らんで、4次元話で、最高潮。宇宙をね、まっすぐ進むと、どこに行く? やがて元に、戻るだろう、そういう説も、あるんちゃう? 簡単に、言えば地表を、進むこと。まっすぐに、進めば一周、回るよね。これをだね、次元を上げて、考える。4次元の、球の表面、3次元。そういう話で、盛り上がる。こういうね、思考実験、楽しいよ。なるほどね、これが理系か、ふと思う。そのあとも、メンバは代わって、話は続く。やがてお開き、また明日。みんなさよなら、帰り去り、気付けば残るは、僕だけやん(笑)。しかしねえ、俳句調は、苦しいよ(苦笑)。それならやめれば、済むことだけど、ここまで来たし、悔しいやん? 半分意地で、続けてます。もうすぐ終わる、ゴールは近い。本日は、土曜日ですが、実験です。体調も、悪くはないし、心も晴れた。何か良いこと、あったのでしょう。自分でも、呆れるくらいに、単純だ。もう少し、生きてみようと、思うなり(<またそれか)。


(10/29) すっかり立ち直りました(<落ち込んでたのか!?)。毎朝、目覚ましは大体2段構えで、1段めはCDかMD、2段めがラジオなんですが、ほとんど1段めで起きることはないですね。いつもラジオが流れる中目覚めます。最近はラジオすら気付かないことが多いですけど(苦笑)。昨日の朝もラジオで目が覚めたのですが、すぐには覚醒せず、面白い体験をしました。どうやら浅い眠りのまましばらく夢を見ていたようで、その内容が明らかにラジオから流れて来る話に影響を受けているんです。なぜ分かるかと言うと、一瞬夢から覚めるときがあって、そのときに見ていた夢の内容とラジオから聞こえて来る話が似ているなと思うわけです。そしてまたすぐに次の夢を見ては覚めての繰り返し。これはあれですね、夢を見ている人に話し掛けたら夢の内容が変わってしまうというやつ。それを自分ひとりでやった形です。そんな夢うつつの世界をさまよっていたらお昼になって、外を見たら雨。また傘を大学にオキッパ(置きっぱなしは以後こう略す)にしていたのです。だから濡れながら自転車で大学へ(最近このパターンが多い)。生協にてCDと昼食とテディを購入。昨日は土曜日ですが人出はまあまあ。午後はサロンでおしゃべりをしつつ昼食兼お茶。その後実験を始めて、夕食は雨の中傘をさして歩いていても靴下が濡れるくらいの距離にある大雅カレーラーメン。戻ってきて、また長い間サロンでおしゃべりをしてしまいましたね(このパターンも多い)。話題はつきることがありません。例えば講座内で一番嫌いになりそうな人とか(うわっ、そんなことよう言わんて)、将来一番稼いでいそうな人とか(まあこれは差し支えない方か)、一番キレると怖い人とか(これも微妙やな)、まあ、あくまで例えばの話だと思っていただきたい(笑)。その後メールの返事なんぞを書いていたら日付けはとうの昔に変わってしまい、もう夏なら夜が明けそうな時間です(このパターンも最近多い)。本日は日曜日。雨が止んでも実験の予定。そうそう、こんなページを作ってみました。書かれている内容はほとんど手許にあったパンフレットからの引用です。ひょっとしたらこのサイトで一番役に立つページかもしれません(ただし一番怪しい)。一応念を押しときますが、決して回し者じゃないですよ(笑)。


(10/30) 昨日の日曜日は、お昼過ぎまで寝ていて、急ぎの郵便物を出すために小雨の降る中自転車を飛ばし、S和郵便局まで行きました。日曜なのでてっきり取扱い時間は午後4時くらいまでだろうと思っていたので慌てていたのですが、どうやら24時まで窓口は開いているらしい、ということを知りました。あんなに急ぐ必要はなかったわけですね。間に合って良かったけど少し複雑な気分。

秋の雨も複雑です。昼間はずっと雨でしたが、降ってるのか降ってないのかはっきりしない雨でしたね。傘をさすかどうか迷うくらいの。雨粒の数は少ないけどひと粒ひと粒が大きくてポツポツという感じ。歩いている分にはそれほど気にならないのですが、自転車に乗って走り回ると結構濡れます(しかも泥よけがない<付ければ?)。これが鬱陶しい。車が欲しいと思う今日この頃(そんな理由でか)。ただ、車を持つには駐車場が必要なわけで、ここ名古屋市内では下手すりゃ安アパートの家賃並の駐車場代を取られてしまいます。現在住んでいるところも駐車場を借りるにはそれなりのお金がかかるんです。そんな動機もあって、少し引っ越し欲が湧いてきました。最近はもっぱら家と大学の往復だけの生活なので、アパートの機能をフルに活かせているとは思えないんですよねぇ(笑)。雨をしのげる物置きと化していると言っても過言ではありません。だから家賃が勿体ないなと。そういう動機が一方であります。家賃の安いところなら駐車場代も払えそうですからね。もし来年引っ越したとしたら、大学生活を始めて以来2年ごとに引っ越しをしていることになります。どうなんでしょう、2年って。落ち着きがあるのかないのか。ひとところに留まりたくないという意識が働いているのかもしれません。いざ引っ越すとなるといろいろ面倒な手続きやら作業が待っていますが、環境を変えることによって生活リズムや気分も変わってきますからね。そして何より、いらないものが捨てられます。つまりいらないものだらけになってきたから引っ越し欲が湧いてきたということか(ありがち)。まあ、言ってるだけかもしれません。お金の問題もありますし。でも、書いてるうちにほんとに引っ越しをしそうな気分になってきたなあ。どうしようかな。物件探しくらいしてみようかな。やっぱり駐車場はあった方が良いよね。うわ〜、楽しくなってきた(笑)。あとは車を買うだけですね(そんなお金はないけどね<ダメやん)。

さて、本日は月曜日で、午前中はコロキウムで講座の人々の研究関連の発表を聴き、午後は工学部の授業。そうか、今日は平日ですね! これはなんとしてでも早起きをして、半額のフィレオフィッシュをコロキウム前に買って食べなければ(義務)。「必修のコロキウム」と「半額のフィレオフィッシュ」を比べた場合、フィレオフィッシュの方が早起きの動機づけとしては大きいのです(笑)。さあ、早起きだ早起きだ(ルンルンルン)。

久しぶりに夕方です(夕方に書いているという意味)。そして久しぶりに気持ちの良い快晴。昨夜はついついサッカーのアジアカップ決勝を最後まで観てしまい、消灯したのが午前3時。それから1時間は、「このまま寝たら朝に起きれなくなるんちゃうの? いやいやでも徹夜をするにはちょっと夜明けまで時間があり過ぎるし、やっぱり少しでも寝ておいた方がいいやろう、うん、そうやそうや、寝よう寝よう、・・・うう、ぬぬぬ・・、あ〜やっぱり眠れなひ〜」なんてことをしていましたが、結局ちゃんと眠っていました。そして恐ろしきはフィレオフィッシュの魔力(笑)、予言通り早起きを達成(眠いけど)。自転車で大学を横切って一度マクドナルドまで行き、フィレオフィッシュを2つ買って再び大学へ。朝から結構ハードです。1つをコーヒーとともに朝食として食べてからコロキウムに臨みました。昼食後、午後は工学部へ行って光化学の授業を真面目に受け、生協でテディを購入。戻ってきてサロンで2つめのフィレオフィッシュをいただくおやつ時。ちなみに、約3時間睡眠にもかかわらず、まだ居眠りをしていません(偉い偉い)。まあ、明日にでもリバウンドがあることは目に見えていますけど(苦笑)。


(10/31) ここに書いても、あとで書き換え可能なので何の証拠にもなりませんが、それなりに意味があるかもしれないので一応書いておきます。えっと、うちの講座には教授が二人いて、わたくしめの指導教官ではない方のK邊先生に昨夜聞いた話です。※しかし内部からの圧力に屈し(笑)、のちほど一部削除しました。話がつながっていないのはそのせいだと思ってください。うちの講座のホームページでだいたいのことを知ることができますので、興味のある方はそちらを。ということで…中略…。ちなみに全然関係ないですが、M氏は松本深夜というアマチュアバンドのメンバであります(たまに宣伝)。彼等の音楽が好きです。彼等の音楽に対する姿勢が好きです。彼等の音楽に対する情熱が好きです。そして彼等が好きです(などと調子の良いこと言って、いずれライブに招待してもらおうと企んでいる)。今も彼等のアルバム「源九」を聴きながら書いていたりします。よいしょ、よいしょ(かけ声です)。

話を戻して、地震の予知というのは難しいものがありまして、たとえ前兆現象を捕らえて近いうちに地震が起こると確信が持てたとしても、それを公の場に発表するのはかなりのリスクを伴います。天気予報で雨だと言っていて実際は晴れだったというレベルとは比較にならないほどの経済効果がありますからね。地震が起こるとなると、それに備えて交通機関は一時麻痺させる必要があるでしょうし、もちろん工場やお店、ひいては発電所なども地震に備えることになるでしょう。また、その場を離れようとする人々で街が大混乱になってしまう可能性もあります。もしそんな状況に陥ったとして、結局地震が起こらなかったらどうなるでしょう? 地震に備えていた間の損害賠償は誰が負うのか、混乱した街の復旧にかかる費用は誰が出すのか、などなど様々な問題の発生が予想されます。それほど予知発表の効果は絶大であると言えますし、その取扱いには細心の注意が要求されます。地震が起こった後で、実はこんな前兆現象がありました、と発表されることがよくありますが、おそらく多くの場合そういう現象は地震前に認識されているはずです。しかし地震後に発表せざるを得ないのです。地震前に発表するにはあまりにもリスクが大きすぎるので。誰も嘘つき呼ばわりされたくないですからね。今まで地震は何度も起きてきましたが、未だにその予知が大々的に報じられたことがないのも、そのような理由からだと思われます。もちろん予知をしていたという証拠を残している研究者はいます(例えば地震前に自分宛の電報を打ったとか)。しかし、まだまだ予知を発表できる環境、社会システムが整っていないのが現状ですね。こういうところの議論はできないんでしょうか(>国会)。

ああ、また書き過ぎ(いつものことか)。しかし今日は半緊急事態ということでお許しを。それから地震が起こらなくても文句は言わないでね(笑)。それはそれでラッキィだと思っていただいて。さて、本日は火曜日。測定に向けてサンプルの調製の予定。合間に読書ができたら幸せ。イラストは10月中には無理でした。すみません(自分への陳謝)。


▲次のページを読む(11月の前半)
▼前のページを読む(10月の前半)
★目次に戻る
Go Home日々これ勉強