到達者2万人突破記念特別企画改め「モーレツ!あららこめ祭り」参加特別企画

夕焼けは人を振り返らせるのか?

『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観て〜




■□■□■□■□■□■ 緒 言 ■□■□■□■□■□■

 サイバーテロ企画の一環なのにご丁寧にも前口上かよ!とお嘆きの方もおられるでしょうが、まずはこのページが何故こんなところに存在しているのかという理由を書くと思ったら大間違いです(にっこり)。おそらくここをご覧になっている方の20%ぐらいはすでにあららこまーな方であると思われ説明は今さら不要でしょうし、残りの80%の方にとっては理由なんて知らなくても読んでいただく分には全然問題ありません。したがって、「サイバーテロ企画」とか「モーレツ!あららこめ祭り」という言葉が理解できない場合は、どうか気になさらずに無視してくださいね。ただ、どうしても気になるという方はGoogleで「あららこめ」という言葉を検索すると、どこかのページで解答が得られる可能性があることだけは申し添えておきましょう。なお、副題にもあるように以下に書かれているのは『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観ての感想ですが、上のイラストは映画の本編とは何の関係もないことを、あららこめご了承ください。それに、思いっきりネタバレがあるのでお読みになるときは覚悟の上でお願いします。ちなみに、感想文は以後も更新される可能性があるかもしれません(<人の感想を見て修正しようという魂胆か)。


■□■□■□■□■□■ 感 想 ■□■□■□■□■□■


 世にクレヨンしんちゃんが登場したのはいつの頃だったか覚えていませんが、最初の頃は現在のような2頭身キャラではなく3頭身ぐらいのキャラだったような記憶があります。性格も今ほど可愛げはなく、表情の変化に乏しく下品なだけでたまに辛らつな言葉を吐いたりする程度だったような・・。そんなしんちゃんがだんだん小さくなっていって、独特のしゃべり方を獲得しなかったら、おそらくこの映画も存在していなかったことでしょう。クレヨンしんちゃんの映画は、テレビでやっていたのを今までに何本か観たことがありましたが、ビデオを借りてまで観たのは今回が初めてでした。まあ、事前に「面白いらしい」という評判を聞いていたからこそ今回の企画があるわけですけど。

 さて今回、この映画を観るまでには多くの過程を経る必要がありました。まず、宇宙が生まれる必要がありました(<土屋賢二先生か)。次に・・・(中略)・・・などがあって、このビデオが名古屋市の杁中のビデオショップに入ることとなり、それを私が忙しい合間を縫って借りに行ったときにちょうど貸出中じゃないものが残っている必要がありました。で、運良く一回目の訪問で借りれたのが6月1日の土曜日。勢い余って「究極超人あ〜る」のオリジナルビデオまで借りてしまったことは、記憶に新しいです(そりゃ4日前だからな)。何故そこで「究極超人あ〜る」を借りたのかを説明しだすと、なかなかクレヨンしんちゃんの感想が書けませんし、関係のない話でもあるのでここでは割愛させていただきます。って無駄口を叩いてないで、さっさと感想を書きましょう。

 映画の冒頭は大阪万博会場のシーンから始まります。しかし実はそこは、日本全土を20世紀の懐かしい匂いで充満させオトナたちをいつまでも20世紀に留まらせようと企んでいる、21世紀の現実の日本にがっかりしたある団体が作った「20世紀博」という大きなテーマパークみたいなところのスタジオの中なのです。まあ、しんちゃんが万博会場の中にいることから、こういうパターンだなというだいたいの予想をすることはできますし、ここで特に驚きはありません。映画ではよく使われる手法でしょう。ただ、途中で入るオープニングテーマの歌に、まずやられましたね。唐突にテンポが速く強烈に印象に残ってくる上に、よく聴けばクレヨンしんちゃんという作品のテーマが凝縮されていると言っても過言ではない歌の内容。そのテーマとは何なのかを巧く表現することはできませんが(できないのかよ)、とにかく最初の歌を聴いただけで映画の世界にハマっていく準備は整ってしまいました。

 今まで観たことがあったクレヨンしんちゃんの映画は、ほとんどが少しSF的でリアリティに欠ける(SFにリアリティがないという意味ではない)印象でしたが、この映画は科学的には非現実的な設定ながらも妙なリアリティを感じさせてくれるものでした。それは敵役のボスとなるジョン・レノン似の男とオノ・ヨーコ似の女のカップルが、終始落ち着いていてあまり取り乱さなかったことが大きく影響しているかもしれません。フィクションの中に出てくる大抵の敵って、追い詰められた最後には取り乱して逆上したりしますからね(そうなると観ている方が興醒めしてしまうことが多い)。そういう敵に比べて、ジョンとヨーコ(<本当の名前は違います)は、はっきりとした目的を持っているくせに常に世の中に悲哀を感じているせいか何が何でも達成してやろうという泥臭さが感じられないのです。悪になりきれていないと言えばそうなんですが、そういう人間的な弱さもリアリティの要素のひとつなのでしょう。それから、「20世紀博」の建物の中に造られた彼らが理想としている20世紀の日本の街の姿に、映画の中のオトナたちが感じていたように自分もどこかしら懐かしさを感じてしまいました。そんな街を見ながら静かに理想を語るジョンの話に、自分の一部が共感していたことは確かです。そこには子供が知らない街があり、色があり、音があり、匂いがあるのです。現代の子供もこの街の姿を見て何かしら感じるのかもしれませんが、オトナのそれとは比較にならないほどその印象は薄いことでしょう。明らかにこの映画はオトナ向けに作られています。もちろん、しんちゃんとその仲間たちが繰り広げるドタバタはもはやコント同然で単純に観ていて楽しいし、子供も充分に楽しめる映画だとは思います。しかし、やはりこの映画はオトナが観てなんぼでしょうね。それもおそらく、私の世代よりももう少し上の世代がターゲットなのは出てくる小道具などを見ても明らかです。直接的にはそれらを見たことがない私でさえ懐かしさを感じてしまったぐらいですから、まさにその時代に生きていた人がこの映画を観れば、もっと深く何かを感じることができるのではないでしょうか(勝手に想像)。

 とまあ、ちょっと誉め過ぎていますが、ひとつ解せない点があるとすれば、「20世紀博」というネーミングでしょうか。本筋には関係のない細かいことですが、「20世紀」と言ってしまうと、1990年代だって20世紀だし1910年代だって20世紀のはずです。それが実際に「20世紀博」に登場する街や歌やおもちゃなどは昭和時代の極限られた期間のものだけなのです。だから「20世紀博」としてしまうのはちょっと年代幅に無理があるんじゃないかなと。せめて「昭和博」くらいにしてほしい。な〜んて思って今書いた字面を見てみたら、あんまりぱっとしないネーミングですね(笑)。なんだか人名みたいに見えるし(「昭博」という名前の従弟がいるせいかも)。うーん、やっぱり無理があっても「20世紀博」の方で正解のようです(結局誉めてる)。

 あと、印象的だったのはカメラワーク。テレビのクレヨンしんちゃんとは違って、映画専門のカメラワークを担当する人が製作に参加しているのでしょうけど、下手な実写映画よりも秀逸なカメラワークでした。最後の鉄塔をしんちゃんが駆け上がっていくシーンなどは、単調になりそうなところを巧く視点を切り替えることによって、飽きさせることなくダイナミックな映像を作り出すことに成功していると思います。一般的に言えることですが、日本のアニメが海外でも受けることが多いのは、キャラクタやストーリィだけでなく、おそらくカメラワークの秀逸さが大きな要因のひとつではないでしょうか。アニメでカメラ位置を変えるということは背景を別に用意しなければならないわけですから、その作業量を考えればできるだけ同じ絵を使いたくなるのが人情でしょう。しかし逆にアニメだからこそ自由な視点を描くこともできるわけです。それを使わない手はないでしょう、と考えて実際に手間ひまかけてそれをやったからこそ日本のアニメは比較的高く評価されているのだと思います。アメリカのアニメに足りないのはズバリこれではないかと常々思っています(<嘘。たった今考えただけ)。ディズニーアニメだってCGを本格的に使うようになってから、カメラをあちこち動かす気になったんじゃないかって気がしてなりません。っていうか、素人のくせしてアニメ論を語っている場合ではないぞ(笑)。

 ええと、最後にもうひとつ書いておきましょう。映画の後半クライマックス、しんちゃんがいよいよ「20世紀博」の建物内に入り、懐かしさにやられて子供状態になってしまった父親のひろしを正気に戻させるシーンがありますが、ここにはぐっと来てしまいました(製作者の思惑通りか)。幼少の頃から現在までの記憶をひろしが回想していくところは、音声無しでいろんなシーンが流れていくのですが、見せ方が巧いんですよねぇ。こういうのに弱いんです。自らのこれまでの人生ともオーバーラップさせてみたりして(別に全然かぶるところはないんですが)、不覚にも涙が出そうになったほどでした。人間、ともすればこれから歩いて行く先が見えずについつい懐かしい過去を振り返ってしまいがちですが、過去が確固としたもので(洒落ではない)未来があやふやなものであるのは当たり前のこと。そりゃ確かな地盤をもった昔の地面に立っていれば、簡単に安堵は得られることでしょう。しかし、今そうやって安堵できるのは、ずっと以前の自分が先の見えない未来に向かって確実に歩いてきたおかげなのです。昔夢見た未来の世界が現実のものとならなかったからといって、昔に戻っていつまでも夢見ていてはやはり夢は夢のまま。人生止めるならいざ知らず、どうせ生きて行くならあとで振り返ってみて懐かしさを感じることができるような今をしっかり生きるべきなのでしょう。そしてまた、新たな夢を見て未来へ歩んでいけばいいだけなのです、きっと・・。

 まさかクレヨンしんちゃんを観てこんなまともな感想を持つとは思って揉みませんでした(肩をか?<揉むのかよ!<いや、揉まなかったのだ<っていうか、くだらん誤字で引っ張らないように)が、最近は過去を懐かしんでばかりの生活です(笑)。夕陽で思い出す光景に、いつも決まったものがあります。お祭りの帰りに両親と路地裏の砂利道を歩いているとき、割り箸に刺さっていた大きなリンゴ飴を落としてしまった光景です。ちょうど夕方頃で影は長く、落ちたリンゴ飴を近くのお地蔵さんに供えるとき夕陽が眩しかったことを思い出します。やはり夕陽は人を振り返らせるのでしょうか。まあ、それでも未来に多少の夢は見ながら過ごしておりますよ。それはもう、モーレツにね。


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製作:Sibasin's Lunar Laboratory
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