<到達者6000人突破特別企画>

似ッ非ィプロフィール

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そういうわけで、本当のプロフィールをここに書いたつもりでしたが、
いつのまにか全然違うものになっていました。ということで似非プロフィールです(笑)。
読むだけで自然と、「楽して儲ける秘訣」「異性にもてる方法」などが分かるという
方はご一報ください。是非とも教えてほしいものです。
ちなみに土屋賢二氏の影響が多分にあることを付記しておきます。

ハンドルネーム
しばしん あるいは sibasin
本来ならshibashinと表記すべきところであるが、長過ぎるのとメールアドレスを登録するときにすでに使われていたためhを取った。だから、正確に発音すると「スィバスィン」だったりする。しかし、探してみると同じ名前の人は結構いるものである(こちらを参照)。
本名
立石直樹(たていしなおき)
ただし、小学校のときの友人の名前である。
職業
現在のところ学生を生業としている。と言っても、学生という身分を利用して援助交際などをしているわけではないので職業とは言えないかもしれない。むしろ好き好んで高い授業料を払ってまで学生生活を続けているのだから趣味と言った方が適切だろう。だったら趣味の欄に書けば良さそうなものだが、そんなことをするとこの欄には天才地球化学者と書くしかなくなってしまうのである。謙虚さを尊しとする私としてはそういう自慢はできれば避けたいところである。
性別
普通人前で自己紹介をするとき、わざわざ性別まで言う人は少ないだろう。だいたいの人は見た目で男か女かぐらい区別はつくものである。中には一見女に見えても男だったり、その逆だったりする人も存在するが、そういう人に出逢う確率は歌舞伎町でも歩かない限り極めて低いのでご心配には及ばない。もし出逢ったとしても一晩ベッドを共にするだけで男女の区別くらいつくはずである。少なくとも人間か犬かの違いは分かるはずである。
年齢
女性の中には年齢を気にする人が多いが、男性はそれ以上に女性の年齢を見極める時には細心の注意を払う(特に年齢を気にする女性の前では)。しかし見極めた年齢を正直に口に出したものはいない。男性は育てられる環境の中で、女性は実際の年齢より若く見られた方が(たとえそれが嘘であっても)やさしく接してくれることを自然と学んでいるのである。ただしやっかいなことに、いくら若く見積もったつもりでも、たまたま実際の年齢と同じになってしまうか、もしくはそれ以上になってしまう場合もときとして存在する。その場合の対処法は、現在募集中である。良いアイデアがあったらご一報いただきたい。
血液型
英語で言えばブラッド・タイプ。ブラッド・ピットに似てなくもないが、そんなことはどうでもよい。血液型なんてものは細かい分け方をすれば何千通りにも分けられるのに、コンパなどでもてはやされるのはなぜか決まって不自由なABO式血液型の話である。A型は几帳面だとか、B型は自分第一だとか、O型は大雑把だとか、AB型はちょっと変わってるとか、そういう情報をもとに相手の血液型を当てたりするのである。日本ではたまたまそれぞれの血液型の割合が近く、人が集まれば大抵違う血液型の人間がいるので、奇跡的にもABO式で盛り上がることができるが、これが例えば、メンバが全員インド人の場合どうなるだろうか。おそらく料理はインドカレーだろう。確かに辛いが、本場だけあって味は保証付きである。ちなみに私は、思い遣りがあり、世渡り上手の成功型で、ハンサムな俳優、天才芸術家や資産家に多いと言われるB型である。嘘つきにも多い。
森ぱふぇ
21世紀現在、会員である。知る人ぞ知る森博嗣先生の公認ファンクラブである。ファンクラブは生まれてこのかたここにしか入ったことがない。これからもここだけかもしれない。入会手続きはメールでのやりとりで、春だったと思うが、かなりドキドキしたことを覚えている。ただしドキドキしたのはスキー部の新歓コンパでビールをたらふく飲んだときの話だが。つまり「ドキドキした」というのは「春だった」にかかっているのだ。そんな説明をしなければ解らないような文章を書くのもどうかと思うが、説明しても解からない人はいる(例えば赤ちゃん、寝ている人、日本語の読めないインド人など)。話は変わるが、森先生熱が嵩じて今ではファンクラブのスタッフになっていたりするから、世の中まだまだ捨てたもんじゃない。
趣味
良い趣味をお持ちで・・なんて表現を使う人がいるが、そんなことを言われて喜ぶ犬はいないだろう。しかし、そのとき同時に餌でも差し出すと喜ぶ犬は案外多いかもしれない。そもそも誉めてもらいたくてやっているようではまだまだ趣味とは言えないのである。むしろ「なぜそこまで打ち込めるんだ」とか「いい加減にしておけ、そのうち破産するぞ」などのように、尊敬されるくらいのレベルになれば立派な趣味と言えるだろう。ちなみに私は良い趣味を持っていると自負している。
自分の中の
マイブーム
「自分」と「マイ」が重複している気もするが、倉木麻衣だって自己紹介のとき「マイ・ネーム・イズ・マイ」って言うご時世である、その辺は大目に見てもらいたい。おそらく宝生舞だって同じことを言っているだろう。念のために言っておくが、別に倉木麻衣や宝生舞がマイブームなわけではない。
義務
現在のところ、納税と勤労の義務があるようだが、子供はいないので教育の義務はない(コンパクト六法調べ)。他に、「階段は走って昇る」「女性に対しては紳士的に振る舞う」「自転車のギアチェンジはしない」「食事のときは左利きになる」「肉は(なるべく)食べない」「寝る間を惜しんで本を読む」「犬を見たら可愛いと思え」「机を見ても可愛いと思え」「女性は見ないでも可愛いと思え」「綺麗な女性を見たらドキドキする」「できれば声を掛ける」「あわよくばお友達からお願いする」などが、義務でなくて良かったと内心ほっとしている。
権利
現代の日本社会においては、義務を果たした上で権利を行使するのが当然の振るまいであるが、非常に稀なことに中には(敢えてどの中とは言わないが、例えばうちの講座の中など)、先輩の運動不足を解消してあげようというやさしい心遣いが行き過ぎるあまり、まるで利口な犬にボールを取って来させるかのように、猫なで声(主に車に轢かれたときの猫の声)を使っておつかいをさせたり、場を和ませるために親しみを込めてくれているからだと推測されるが、尊敬語など微塵も使う様子のない有り難い後輩がいたりするものである。憲法違反で訴えられて裁かれないのが不思議である。もっとも、訴えを起こすような危険な真似をする人間はうちの講座にはいない。いたとしても返り打ちに合うか、人間として扱われないかのどちらかである。
夢はいろいろある。日替わりどころか分単位で夢が変わるので、とてもここには書き切れないほど多い。原稿用紙に書いたとしたら、優に1000枚は超える長編小説を読んだ後の感想文くらいにはなるだろう(要点を絞って書いたとしても、何も読まないで書いた感想文と同じくらいにはなる)。例えば、とても耐えられないほどの腹痛を催した日などは、この痛みが治まって幸せな表情を浮かべている自分を夢見てトイレに駆け込んだ思い出があるが、驚くべきことに、翌日その夢は現実のものとなっていた。夢は叶うものである。
電気代
支払っている。当たり前のことである。しかし、周りの人間の話を聞くところによると、私が支払っている電気代は桁違いに安いらしい。信じられない話かもしれないが、確かめてみたら基本料金に肉迫する勢いの代金である。みなはどうやったらそんなに安くなるんだと、さも私が不正行為をしているかのように糾弾してくるが、自分では特別努力をしているつもりはない。おそらく知らず知らずのうちに人一倍節約しているものと推測される。案外節約上手なのかもしれない。ただあまりにも安すぎるため、たまに電気メータを確認したりする。その結果、止まっているように見えなくもないが、なんせ素人である。目の錯覚という可能性もある。いやきっと目の錯覚に違いないのだ。日本の優秀な電力会社が電気メータの故障を見逃しておくはずがないではないか。わざわざ出しゃばった真似をして間違いだったら他人の手を煩わせるだけである。私は謙虚さ故、自分の目を疑うことで現在のところ納得している(視力が低下しているのは事実だ)。しかし翌月もなぜか電気代は安い。世の中には不思議なことがあるものである。
右手
神の右手とかそういう話ではない。いや、たしかに私は神のような扱いをされてもバチは当たらない人間である(この発言こそバチが当たりそうだが)。ただ、サイエンティストたるもの軽々しく「神」という言葉を遣うべきではないだろう。いくら私が陰で神と崇められていたり、神のテクニックを持っていたとしても、神神神神言うのは止めておくだけの奥ゆかしさは持っているつもりである。そんなことはどうでもよくて、ここ最近右手が痛いのである。H大学競技スキー部には現役とOBが一堂に会し競技スキーで競い合う中枝杯という伝統的行事があるのだが、その中枝杯に参加するため島根県の瑞穂ハイランドスキー場までわざわざ行ったことがあった。そういうときに悪魔は忍び寄るものである。バランスを崩し、ポールにストックを引っ掛け、転倒した拍子に運悪く右手親指の付け根を骨折したのだ。競技は2本滑った合計タイムで競われるのだが、骨折したとは判らなかったそのときは右手を腫らしながらも痛みを堪えて2本目も滑った。OBとして泣き言なんて言ってられない。しかし時間が経つにつれ腫れはどんどん酷くなり、痛みも堪え切れなくなってきたため実家に寄ったついでに病院を訪れた。そこで骨折してるらしいということが判明したのである。しかし、夜中だったためすぐには処置ができないということになり、翌日今住んでいる場所に戻って来てから改めて整形外科で診てもらったところ、手術が必要と言われ即入院することになった。人生初の骨折にして人生2度目の入院である(1度目はもちろん生まれたとき)。最初こそ相手してくれた看護師さんは若くて可愛かったが、入院してみるとたちまちおばさんか男の看護師にしか相手にされなくなった。世の中上手くいかないものである。ともかく手術は成功、すぐに退院して1ヶ月後にはギプスも取れ、順調に右手は回復するかに思われた。しかしである。長いギプス生活のせいで筋肉が固くなっていた親指周りも違和感なく動かせるようになってきた頃、突然、骨折箇所から手首にかけての筋肉が強張り始め、痛みのせいで力も入れられなくなってしまったのだ。これでは●っ●●も揉めないではないか(念のため言っておくが、「おっぱい」ではなく「凝った肩」である)。いや、そういうことより何より普段の実験生活に支障を来す方が痛い。ドアノブもろくに回せないというのは悲しいものがある。朝目覚めとともに死ぬかと思うくらいの激痛に襲われることも度々あった。当然周りからは早く病院へ行けと言われる。しかし決定的に右手が使えなくなるということはなくて、騙し騙し動かせるため、なかなか病院に行くことができないのだ。できれば病院(特におばさんや男の看護師が多い病院)なんて行きたいとは思っていないから余計である。そんなわけで未だに多少の痛みと不自由を右手に抱えながら生きているわけだが、右手がなんとか自然と治らないものかと神に祈る毎日である。
その後
さて、その後の顛末である。何の顛末かというと、もちろん電気代だ。何事にも終焉は訪れるようで、3年間に渡り異常な安さを保っていた電気代も、ある夏の日、安かった原因がついに判明することになった。やはり、メータが壊れていたのである。そう、非の打ちどころのない私の目に狂いがあるはずはなかったのだ。いくら謙虚さを尊しとしているとはいっても、自分の目の錯覚だなんて一瞬でも疑ったことは、一生の恥とは言わないまでも独りだと思って実験室で鼻歌を歌っていたら実は背後に人がいたと気づいたときの恥くらいではある。電気メータを取り替えるために電力会社の人がやってきたとき、メータの破損箇所を指摘され見せられたのだが、驚いたことに故意に壊された形跡があったのだ。これは予想外だった。しかもどうやら自分が疑われているではないか。非常にまずい展開である。メータが止まっているかもしれないと疑いつつ見ないフリをしていたことは確かだが、いくらなんでも自ら壊したりはしていない。あくまでも現状維持に努めただけである。なのに壊れているメータの証拠写真を撮られたりするはで、相手は何かあったら訴えるぞという構えである。しかし身に覚えがないものは仕方がない。それでも最後までしらを切り通したところ(っていうか完全に潔白なんだけど)、私の誠実な紳士っぷりが理解されたのか、なんとか訴えられるようなことには至らず、メータの取り替え後、しばらく電気の使用状況を調べられることになった。とりあえず一安心したが、遡って見積もられる約3年間分の電気代を払わなければいけない事実に変わりはない。数カ月後、再び電力会社の人がやってきて料金の計算結果を見せてもらうことになった。一番安いパターンで計算したとかで10万円弱である。毎月ちびちび払うのは気にならないが、まとめて請求されると損をした気分になるから不思議だ(実際に損をしている可能性も捨て切れない)。分割にしていつまでも払い続けるのも男らしくないと思い、一括で銀行口座からズバッと引き落としてもらうことにした。紳士たるもの、目の前で相手に大金を渡すなどという屈辱的なシチュエーションは避けねばならない(<男らしくない)。

※なお、もう10年以上会っていないが家にお邪魔して(PCエンジンで)遊んだ仲だった
立石直樹君にはこの場で勝手に名前を借りたことをこの場を借りてお詫びする次第である。
見ていたらメールください。
とか言ってるうちに、検索してみたら弁護士になっているではないか!
泣き虫だったあの立石君がねぇ・・立派になったなあ(感涙)。
っていうか、こんなところで勝手に名前出してて訴えられやせんか(笑)。


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